四季子らの呪い唄

三石成

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第三章 枯れたる砂

四 枯沢 -2-

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 翌日の五月二二日は快晴だった。勾島にきてから、丸一ヶ月が経過したことになる。あまりにも色々なことがありすぎて「まだ一ヶ月しか経っていないのか」というのが正直な感覚だ。

 先を歩く冬夜のあとを追い、無心で足を動かし続ける。社務所から集落を抜け、森を抜けた先に大山はある。麓について見上げたときは、山と言ってもそう高くはないなと感じた。しかし道が舗装されているわけでもないので、文字どおり道なき道を登っていくことになる。

 五月後半の勾島はひどく蒸し暑く、草木をかき分けながら斜面を登っていると、頭皮から汗がダラダラと垂れてくる。

「あともう少しで山頂ですよ」

 先を歩く冬夜のかけてくれる言葉が頼もしい。この一ヶ月、調査で勾島のあちこちを歩き回り、俺も少しは自然の中を歩くのに慣れた気になっていた。しかし、島の子の足腰の頑丈さには敵わない。

 必死に歩きながらも、周囲に見慣れない植物がないか、不審な土地はないかと確認を進める。そうして足元ばかりを見ていたせいで、山頂についたと言われたときにも、達成感は薄かった。

 ただ、冬夜が足を止めたことに気づき、横に並ぶと顔を上げる。その瞬間。眼前に広がった光景に、思わず感嘆のため息が漏れる。緑に覆われた、美しい勾島の姿が一望できた。島を取り囲む海と空。潮と緑の匂いを孕んだ風が吹き抜け、汗に濡れた肌を冷やしてくれる。自然の雄大さを肌身に感じ、その自然と一体になっているような感覚に、たまらない心地よさがある。

「すごいな」

 俺は曇りかけていた眼鏡を外すと、ティーシャツの裾で拭って、再度かけ直した。

 冬夜は景色に見惚れている俺の様子を見つめている。なにか言いたいことがあるのかと視線を向けて首を傾げると、彼はわずかに躊躇ってから口を開いた。

「浅野さんって、どうしていつも眼鏡をかけているんですか? その眼鏡、度が入ってませんよね」

「あー……」

 返答に迷い、とりあえずまた眼鏡を押し上げる。そもそも誰にも見つかるつもりはなかったから、夜中に抜け出したときにも、邪魔になる眼鏡はかけていなかった。それで不都合なくあちこちへと移動し活動している姿を目にすれば、俺が眼鏡を本来の用途でかけているわけではないと勘づかれるのは当然だ。

「実は、人見知りが激しくてね。こうして眼鏡をかけていると、人との距離感が取れるような気がして安心するのだよ」

 考えて答えた言葉には、ほとんど嘘はない。俺が元来人見知りが激しい性質かどうかはともかく、俺は、正体を知られないように眼鏡をかけているからだ。

 視線を泳がせて、冬夜の背後に巨大なガジュマルが生えていることに俺はふと気がついた。森の中でも大きなガジュマルはたくさん見かけたが、その木ほどに大きなものははじめてだった。

「この木、すごいな」

 巨木の根もとへ向かうと、幹に手を触れさせながら見上げる。高さは一〇数メートルだが、なによりも幅の立派さが群を抜いている。幾本もの幹や根、枝が絡みあってできたような勇壮な姿。軽く凹んでいる山頂の中央付近にあるそのガジュマルは、樹齢三〇〇年を超えていてもおかしくないもののように感じた。

 そうしてガジュマルをよくよく眺めていると、複数の葉の根本に、なにか白いものが見え隠れしていることに気がついた。それは丸っこく、花の蕾のようだ。これから白い花が咲くのだろう。少しずつ花開いているものもある。

 このガジュマルだけが特別なのだろうかと、周囲を見回し改めて観察すると、辺りに生い茂るガジュマルのすべてに小さな白い花の蕾がついていた。ささやかなものだから見逃していたのだ。

 そこまで観察して、俺は違和感を覚える。

「冬夜くん、確か島の歴史で言うと、一〇〇年前に大噴火があったのだったね」

「はい、そのとおりです。大噴火で島民の大半が死にました。数人は海に逃げて数日海の中を漂い、八丈島からの救助の船が来て助かったという話を聞いたことがあります。逃げた島民が島に帰ることができたのは、噴火から一〇年後のことだったとか」

 勾島が噴火したとするなら、噴火口は当然大山の、俺がいま立っている山頂の凹みに決まっている。島民の大半が死に絶えるような激しい噴火で、噴火口にある植物が生き残っていることなどあり得ない。その一〇〇年前には、このあたりはおろか、島は火山灰に覆われ、島は一面の焼け野原になっていたのではないか。噴火から一〇年経つまで島に帰ることができなかったのは、それだけ噴火が島への影響を与えたことを意味する。では、この噴火口に植わっているガジュマルの巨木は、噴火の後に急成長したものなのか。一〇〇年という月日は長いものだが、目の前の樹齢はその程度のものとは思えない。

 俺が怪訝そうな表情でガジュマルの巨木を眺めていると、冬夜は横にやって来て手を伸ばし、俺の眼鏡をそっとつまんで外してしまう。突然のことに驚いて目を瞬かせたが、冬夜は気にする様子もなく、俺からとった眼鏡を自分にかけてみている。

「冬夜くん、どうしたの」

「似合いますか?」

 こちらに顔を向けて問う冬夜の、見慣れない姿に思わず笑った。表情を隠せるように選んだ太めの黒縁眼鏡は、繊細で透明感のある冬夜の顔には違和感が強すぎる。

「似合う……と言ったほうがいいのかもしれないが、正直あまり似合わないな。冬夜くんは目が大きくて綺麗だから、隠さないほうがいい」

 俺の返答に、冬夜は僅かに唇を窄めるような表情をする。

「僕、浅野さんも眼鏡がないほうが、ずっと格好いいと思います」

 俺は、顔にかかるように前髪も伸ばしている。

 その髪を軽く指先でよけながら、冬夜は俺の顔に眼鏡をかけ直した。ぐっと近くなった物理的な距離と、冬夜の囁くように告げられた言葉。そういった類のものではないことは理解してるが、まるで口説き文句のようだ。

 先ほどまで考えていた取り止めのないさまざまな事柄が、頭の中から消えていた。少年から寄せられる純粋な好意に、くすぐったさを覚えながらも、嬉しさが勝る。他の島民には微かな疑念を拭い去れていない俺は、冬夜と過ごす時間に、特別な安らぎを見出していた。
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