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第二章 草なき地
一 葬送 -3-
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葬儀が始まる。
狩衣を着た瀬戸が棺の前に座り、弔辞を述べはじめる。これも先日と同様、日本語であることはわかるものの、実際になにを言っているかはわからない。俺には仏葬で唱えられる念仏も聞きとれないので、雰囲気はあまり変わらないように思えた。
夏久と千秋は瀬戸のすぐ後ろで、瀬戸とは逆に俺たちのほうを向いて並んで座っている。彼らの姿は、神社を守る狛犬のようでもあり、春樹の代理人のようでもあった。
横に控えていた冬夜に菊を手渡され、最前列の者から一人ずつ立ち上がり前へと進む。そして、夏久と千秋の前に置かれた台の上に菊を置き、深くお辞儀をして戻ってくる。一人が終われば次の者が向かう。これが勾島流のお焼香らしい。
座敷には俺たちを含め、五〇人を超える人数が集まっている。島の総人口を思えば凄まじい出席率だ。全員が一人ずつ前に出て戻ってを繰り返すため、終わるまでにはかなりの時間を要した。その間中、座敷のあちこちから啜り泣きの声が漏れていた。
参列者が終わると、次はいままで弔辞をあげていた瀬戸が、参列者と同じように花をあげ、次に冬夜・千秋・夏久と続く。一連の流れが終わり、黙したまま瀬戸が座敷から出て行くと、代わりのように池田が皆の前に立った。
「お集まりの皆様。我が息子、春樹のためにお時間を頂戴し、こうしてお集まりいただいたこと、誠にありがとうございます」
そうしてはじめられた喪主挨拶に、軽く頭を下げる。
ちらりと視線を向けると、池田の座っていた場所の横には琴乃がいる。彼女は、俯いていはいるものの泣いてはいない。よくよく見ていると、なにか独り言を呟いているらしく常時もごもごと口が動いていた。
「春樹は、生まれたときから四季子としての使命を背負っておりました。そのためでしょうか。私の息子とは思えないほどに、立派な子でした。他の四季子と共に勉学に励み、さまざまなお勤めを厭うことなく勤めてきました。そのうえ、春樹は本当に優しい子で……」
池田は挨拶の途中でぐっと言葉に詰まると、目頭に手を当ててから再度話しはじめる。涙を堪える彼の様子につられ、座敷に漏れていた啜り泣きの声がいっそう大きくなった。
「学校で行われる運動会、春樹はいろいろな競技で常に最下位でした。体が弱かったのもあって、もともとあまり運動は得意ではないのですが、中学に上がってからは、だいぶ走りも速くなったものです。しかし、得意なはずの徒競走でも、どうも全力を出しているような様子はない。理由を聞いてみると、『僕が追い抜いたら、別の誰かが最下位になってしまうからと』なんて、そんなことを言うような子で。そんな子だからこそ、根っこ様は、春樹のことをおそばに置いておきたがったのでしょう。春樹は、こうして立派に勤めを果たしてくれました」
途中までは、感動的な故人のエピソードとして、俺も胸を熱くしながら聞いていた。だが、最後の言葉には引っかかるところを覚える。いま池田は「勤めを果たした」と言った。それではまるで、春樹は死ぬことが勤めのようではないか。この感覚のズレが、宗教観の違いというものだろうか。
「それでは皆様、春樹の旅立ちに、お手を貸していただけますでしょうか」
続いた池田の言葉に、座敷に座っていた者たちが一斉に立ち上がる。春樹の棺は、池田をはじめとする、最前列に座っていた親族の男性たちによって運ばれた。
勾島と他地域の葬儀との違いを強く感じたのは、ここからだった。
棺は家から出されたあと、霊柩車に乗せられて火葬場に向かうのが一般的な感覚だ。だがここでは、棺は車に乗せられることなくそのまま集落の中を進んでいった。先頭を歩くのは、先に外に出ていた瀬戸。その後を棺・四季子・親族の女性たちと続き、最後はすべての参列者。俺たち調査隊は座敷で参列したときと同じように、行列の最後尾をついていくことにした。
先頭を歩く瀬戸は、ゆったりとした歩みに合わせ、手にした鐘をカンカンと鳴らしている。集落の中を抜けていく道中は、他の人影を見かけることがなかった。静まり返った集落の中に響くもの悲しい鐘の音が、不気味に感じられる。まるで、あの音で人払いをしているようだ。
春樹の家から一〇分ほど歩いて到着したのは、深い森の中にある島の墓地だった。木々に囲まれたスペースに、墓石が整然と並ぶ。日本の墓といえば、地面の上に複数の墓石が組み合わされており、その中の一つにお骨の入った壺を収めるのが一般的だ。しかしこの島の墓地は、一般的な日本の墓地とは雰囲気が違った。地面の上に、名前が刻まれた白い墓石が直接建っている。どちらかというと洋風の墓に近い。
棺は、墓地中央の地面に掘られた穴の横へと運ばれていく。勾島では、いまだに火葬ではなく土葬が行われているらしい。
墓穴の中に棺が下ろされると、参列者たちは墓穴の周りを囲うように立った。瀬戸が鐘を鳴らしながら歩みを止めると、四季子の三人が家から持ってきた菊の花をむしって、花弁だけを棺の上へと撒きはじめた。白木の棺の上に、雪のように降り積もっていく菊の花弁。美しい光景ながら、無造作に花弁をむしるという行為が酷なようにも感じる。
ちらりと視線を向けると、俺の隣に立っている後藤は瞳を輝かせて葬儀の様子を見つめていた。さすがにカメラは持ってきていないが、許されるならば葬儀の一部始終も写真に収めたかったに違いない。
花弁のすべてを撒き終えると、今度は、花弁に埋もれた棺の上に親族たちが土を入れていく。はじめはスコップを回しながら順に土を入れていたが、ひととおり皆が土を入れ終えると、最後は池田が一人で穴を埋めきった。スコップを握り締めて土を穴の中へと入れながら、池田はボロボロと大粒の涙を流して泣いていた。自らの手で息子の遺体を地中に埋める苦しみは如何程であろうかと、彼の姿を見て思う。そんな池田の後ろで、無感情に立ち尽くしている琴乃の姿が対照的であった。
墓穴が完全に埋まり、瀬戸が口を噤むと、周囲で見守っていた島民たちは、順々にその場を離れはじめた。特になにかの合図があったわけでもないが、これで葬儀は終わりなのだろう。
皆がゾロゾロと来た道を引き返して遠ざかっていくのを見ながら、俺もその場を離れようとした、そのとき。
いましがた埋められたばかりの土の上に、なにか白いものがあることに気がついた。掘り返され、埋められたばかりの黒い土にポツリと目立つ白さは、先ほど棺の上にかけられた菊の花弁を思い出させた。風かなにかの影響で花弁が舞い上がって土の上に落ちたか、土に混ざったのか。そう考えながらも、目を凝らして土の上の白いものをよく見る。
それは、花弁のように平たいものではない。
それは、河原にある小石のように丸みを帯びている。
それは、半ば土に埋もれているようだ。
それの質感は、人の肌のようである。
それには、小さく薄い爪がついている。
「……っ」
観察を続け、それが人の指先であることに気づいて、愕然とした。どうしてだ。どうして、いましがた埋められたばかりの土の中から人の指が露出するのか。土が入れられていく中で、もちろんそこに遺体などはなかった。であるならば、考えられるのはここに埋められた春樹の棺が壊れて、遺体が出てきてしまったのか。そんなことが、あるのか?
俺は慌てて春樹の墓の横に膝をつき、突き出ている指の周囲から土を払って掘っていく。丁寧に土を掘り分けていくと、小さく白い手が見えてきた。まだ大人になりきっていない幼さを感じる手を目にして、胸が締め付けられる。間違いない、春樹の遺体が棺から出てしまっているのだ。俺は素手のまま、さらに土を掘る。
「ちょ、ちょっと、浅野さん、なにやってんすか!」
突然、背後から強く肩を揺さぶられて振り向く。そこには、目を見開いて俺を凝視している健がいた。健の隣には、同じような表情をした後藤が立っている。
「あっ、健くん。ここ、ここに……」
春樹くんの手が出てきている。
そう口にしかけて、俺は、己が言おうとした内容のあまりの馬鹿馬鹿しさと、不謹慎さに気がついた。
視線を戻し、あらためて、春樹の墓を見る。そこは俺が掘り返したせいで一部窪んでいるが、先ほど俺が見ていた手の姿はどこにもない。何度目を瞬いても、ただ黒い土があるだけだ。菊の花弁さえも漏れてはいない。
「……すまない、なんでもない」
自分自身が信じられない気持ちが溢れ、呆然と呟く。掘り返してしまった箇所の土を平らに均してポンポンと叩く。
「春樹くんの死は、オレたちにとってもショックで悲しいものでしたよ」
墓を元通りにする俺の姿に、慰めるように健が言う。
「そうだな」
俺はただ、短く同意し立ち上がった。親の手で埋められたばかりの墓を赤の他人が掘り返そうとするなんて、正直、まともな者がすることではない。俺の奇行を見ていたのが調査隊の二人だけでよかったと、心底思う。
「大丈夫ですか?」
心配そうに問いかけてくれる後藤の言葉に頷き返しながら、俺は重い足取りで墓地をあとにした。
狩衣を着た瀬戸が棺の前に座り、弔辞を述べはじめる。これも先日と同様、日本語であることはわかるものの、実際になにを言っているかはわからない。俺には仏葬で唱えられる念仏も聞きとれないので、雰囲気はあまり変わらないように思えた。
夏久と千秋は瀬戸のすぐ後ろで、瀬戸とは逆に俺たちのほうを向いて並んで座っている。彼らの姿は、神社を守る狛犬のようでもあり、春樹の代理人のようでもあった。
横に控えていた冬夜に菊を手渡され、最前列の者から一人ずつ立ち上がり前へと進む。そして、夏久と千秋の前に置かれた台の上に菊を置き、深くお辞儀をして戻ってくる。一人が終われば次の者が向かう。これが勾島流のお焼香らしい。
座敷には俺たちを含め、五〇人を超える人数が集まっている。島の総人口を思えば凄まじい出席率だ。全員が一人ずつ前に出て戻ってを繰り返すため、終わるまでにはかなりの時間を要した。その間中、座敷のあちこちから啜り泣きの声が漏れていた。
参列者が終わると、次はいままで弔辞をあげていた瀬戸が、参列者と同じように花をあげ、次に冬夜・千秋・夏久と続く。一連の流れが終わり、黙したまま瀬戸が座敷から出て行くと、代わりのように池田が皆の前に立った。
「お集まりの皆様。我が息子、春樹のためにお時間を頂戴し、こうしてお集まりいただいたこと、誠にありがとうございます」
そうしてはじめられた喪主挨拶に、軽く頭を下げる。
ちらりと視線を向けると、池田の座っていた場所の横には琴乃がいる。彼女は、俯いていはいるものの泣いてはいない。よくよく見ていると、なにか独り言を呟いているらしく常時もごもごと口が動いていた。
「春樹は、生まれたときから四季子としての使命を背負っておりました。そのためでしょうか。私の息子とは思えないほどに、立派な子でした。他の四季子と共に勉学に励み、さまざまなお勤めを厭うことなく勤めてきました。そのうえ、春樹は本当に優しい子で……」
池田は挨拶の途中でぐっと言葉に詰まると、目頭に手を当ててから再度話しはじめる。涙を堪える彼の様子につられ、座敷に漏れていた啜り泣きの声がいっそう大きくなった。
「学校で行われる運動会、春樹はいろいろな競技で常に最下位でした。体が弱かったのもあって、もともとあまり運動は得意ではないのですが、中学に上がってからは、だいぶ走りも速くなったものです。しかし、得意なはずの徒競走でも、どうも全力を出しているような様子はない。理由を聞いてみると、『僕が追い抜いたら、別の誰かが最下位になってしまうからと』なんて、そんなことを言うような子で。そんな子だからこそ、根っこ様は、春樹のことをおそばに置いておきたがったのでしょう。春樹は、こうして立派に勤めを果たしてくれました」
途中までは、感動的な故人のエピソードとして、俺も胸を熱くしながら聞いていた。だが、最後の言葉には引っかかるところを覚える。いま池田は「勤めを果たした」と言った。それではまるで、春樹は死ぬことが勤めのようではないか。この感覚のズレが、宗教観の違いというものだろうか。
「それでは皆様、春樹の旅立ちに、お手を貸していただけますでしょうか」
続いた池田の言葉に、座敷に座っていた者たちが一斉に立ち上がる。春樹の棺は、池田をはじめとする、最前列に座っていた親族の男性たちによって運ばれた。
勾島と他地域の葬儀との違いを強く感じたのは、ここからだった。
棺は家から出されたあと、霊柩車に乗せられて火葬場に向かうのが一般的な感覚だ。だがここでは、棺は車に乗せられることなくそのまま集落の中を進んでいった。先頭を歩くのは、先に外に出ていた瀬戸。その後を棺・四季子・親族の女性たちと続き、最後はすべての参列者。俺たち調査隊は座敷で参列したときと同じように、行列の最後尾をついていくことにした。
先頭を歩く瀬戸は、ゆったりとした歩みに合わせ、手にした鐘をカンカンと鳴らしている。集落の中を抜けていく道中は、他の人影を見かけることがなかった。静まり返った集落の中に響くもの悲しい鐘の音が、不気味に感じられる。まるで、あの音で人払いをしているようだ。
春樹の家から一〇分ほど歩いて到着したのは、深い森の中にある島の墓地だった。木々に囲まれたスペースに、墓石が整然と並ぶ。日本の墓といえば、地面の上に複数の墓石が組み合わされており、その中の一つにお骨の入った壺を収めるのが一般的だ。しかしこの島の墓地は、一般的な日本の墓地とは雰囲気が違った。地面の上に、名前が刻まれた白い墓石が直接建っている。どちらかというと洋風の墓に近い。
棺は、墓地中央の地面に掘られた穴の横へと運ばれていく。勾島では、いまだに火葬ではなく土葬が行われているらしい。
墓穴の中に棺が下ろされると、参列者たちは墓穴の周りを囲うように立った。瀬戸が鐘を鳴らしながら歩みを止めると、四季子の三人が家から持ってきた菊の花をむしって、花弁だけを棺の上へと撒きはじめた。白木の棺の上に、雪のように降り積もっていく菊の花弁。美しい光景ながら、無造作に花弁をむしるという行為が酷なようにも感じる。
ちらりと視線を向けると、俺の隣に立っている後藤は瞳を輝かせて葬儀の様子を見つめていた。さすがにカメラは持ってきていないが、許されるならば葬儀の一部始終も写真に収めたかったに違いない。
花弁のすべてを撒き終えると、今度は、花弁に埋もれた棺の上に親族たちが土を入れていく。はじめはスコップを回しながら順に土を入れていたが、ひととおり皆が土を入れ終えると、最後は池田が一人で穴を埋めきった。スコップを握り締めて土を穴の中へと入れながら、池田はボロボロと大粒の涙を流して泣いていた。自らの手で息子の遺体を地中に埋める苦しみは如何程であろうかと、彼の姿を見て思う。そんな池田の後ろで、無感情に立ち尽くしている琴乃の姿が対照的であった。
墓穴が完全に埋まり、瀬戸が口を噤むと、周囲で見守っていた島民たちは、順々にその場を離れはじめた。特になにかの合図があったわけでもないが、これで葬儀は終わりなのだろう。
皆がゾロゾロと来た道を引き返して遠ざかっていくのを見ながら、俺もその場を離れようとした、そのとき。
いましがた埋められたばかりの土の上に、なにか白いものがあることに気がついた。掘り返され、埋められたばかりの黒い土にポツリと目立つ白さは、先ほど棺の上にかけられた菊の花弁を思い出させた。風かなにかの影響で花弁が舞い上がって土の上に落ちたか、土に混ざったのか。そう考えながらも、目を凝らして土の上の白いものをよく見る。
それは、花弁のように平たいものではない。
それは、河原にある小石のように丸みを帯びている。
それは、半ば土に埋もれているようだ。
それの質感は、人の肌のようである。
それには、小さく薄い爪がついている。
「……っ」
観察を続け、それが人の指先であることに気づいて、愕然とした。どうしてだ。どうして、いましがた埋められたばかりの土の中から人の指が露出するのか。土が入れられていく中で、もちろんそこに遺体などはなかった。であるならば、考えられるのはここに埋められた春樹の棺が壊れて、遺体が出てきてしまったのか。そんなことが、あるのか?
俺は慌てて春樹の墓の横に膝をつき、突き出ている指の周囲から土を払って掘っていく。丁寧に土を掘り分けていくと、小さく白い手が見えてきた。まだ大人になりきっていない幼さを感じる手を目にして、胸が締め付けられる。間違いない、春樹の遺体が棺から出てしまっているのだ。俺は素手のまま、さらに土を掘る。
「ちょ、ちょっと、浅野さん、なにやってんすか!」
突然、背後から強く肩を揺さぶられて振り向く。そこには、目を見開いて俺を凝視している健がいた。健の隣には、同じような表情をした後藤が立っている。
「あっ、健くん。ここ、ここに……」
春樹くんの手が出てきている。
そう口にしかけて、俺は、己が言おうとした内容のあまりの馬鹿馬鹿しさと、不謹慎さに気がついた。
視線を戻し、あらためて、春樹の墓を見る。そこは俺が掘り返したせいで一部窪んでいるが、先ほど俺が見ていた手の姿はどこにもない。何度目を瞬いても、ただ黒い土があるだけだ。菊の花弁さえも漏れてはいない。
「……すまない、なんでもない」
自分自身が信じられない気持ちが溢れ、呆然と呟く。掘り返してしまった箇所の土を平らに均してポンポンと叩く。
「春樹くんの死は、オレたちにとってもショックで悲しいものでしたよ」
墓を元通りにする俺の姿に、慰めるように健が言う。
「そうだな」
俺はただ、短く同意し立ち上がった。親の手で埋められたばかりの墓を赤の他人が掘り返そうとするなんて、正直、まともな者がすることではない。俺の奇行を見ていたのが調査隊の二人だけでよかったと、心底思う。
「大丈夫ですか?」
心配そうに問いかけてくれる後藤の言葉に頷き返しながら、俺は重い足取りで墓地をあとにした。
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