ミミサキ市の誘拐犯

三石成

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第一章

特殊犯捜査係のサイチ

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 扉をノックする。

 応答する男の声に、中へと踏み入った俺は軽い目眩を感じた。理由は、部屋があまりにも汚かったからだ。

 部屋の広さは五畳ほど。どこか薄暗い狭い空間に、デスクが一つだけある。デスクを囲むように、天井まで届く程の高いスチールラックが設置され、棚の全てに、物が雑多に積まれている。どんな用途に使うのかもわからないような電子機器がメインで、書類やファイル、古めいたカセット等もある。

 デスクの上にはモニターが三台、キーボードとマウスも置かれているが、その他の面積を埋めるように、様々な小物が散っている。この部屋の主が空白恐怖症と言われたら納得する。

 そうした物に埋もれるように椅子に座っていたのは、細身の男だった。

 こちらへ振り向いた彼は、重めの前髪の下、かけた眼鏡の奥から一重の瞳で俺を睨めつけていた。歳は俺と大差ないように見える。

「何か用」

 ぶっきらぼうな問いかけは、あまりにも無礼だ。

「……特殊犯捜査係はここで間違いありませんか」

 苛立つ気持ちを抑えて問いかけた俺に、彼は無言で頷く。正直「いいえ、ここは物置ですよ」と言ってもらえた方が嬉しかった。

「ミミサキ市児童連続誘拐事件の捜査にあたるため、本庁捜査一課から来ました、ツキ・ユージです」

「あんたのその無駄にデカイ声は聞こえてたよ。その扉越しにもね」

 俺は落胆する気持ちを抑え、丁寧に名乗った。しかし彼はぼそぼそと言うと、椅子をクルリと回転させて、モニターの方へ向いてしまった。

 俺がどこの誰だかわからず取っていた無礼なら、まだ百歩譲って許せる。だがわかっていて、なおその態度というのなら見過ごせない。

 俺は苛立ちを露わに男の方へと向かう。オフィスチェアの背もたれを掴んで無理やり回転させ、こちらへと向かせた。

「こっちが名乗ってんだから、そっちも名乗るのが社会の常識だろうが」

 最早俺の方も敬語は使わない。強硬な態度に出た俺に、男は再度、胡乱気な眼差しを投げかけて来てから溜息を一つ。

「特殊犯捜査係のシマ・サイチ。これで満足か?」

「ここの係の所属はサイチだけか?」

 本当は、係長がどこにいるかと聞きたかったのだが、この部屋の様子を見れば、彼一人なのだろうということは想像がつく。

 向こうが敬語を使わないのなら、こちらもと合わせてタメ口にした結果、お互いにものすごく会話の距離が縮んでしまった。

「そうだけど」

 短い返事に頷く。

「ではサイチ。仕事の依頼だ。明日、誘拐犯から身代金請求についての電話がかかってくるので、逆探知のために同席して欲しい」

「断る」

「は?」

 間髪入れず発されたサイチの返事に、思わず同じ位のスピード感で反応してしまう。サイチの顔には明らかに、俺のことを小馬鹿にするような表情が浮かんでいた。

「児童連続誘拐事件では、すでに過去一〇回以上の逆探知が試みられ、全て失敗に終わっている。適切にオペレーションさえすれば、被害はたいしたこともないし、すでにその事件の捜査は行われない。わかったでしょ、もういい? 手離して」

 サイチは妙に抑揚のない早口で捲し立てると、背もたれを掴んでいる俺の手を指先で払うように外そうとした。俺は素直に離してやる気などない。

 誘拐事件のほとんどがそうだが、この犯人も電話でコンタクトをとってくる。そうであるのならば、電話の逆探知は基本中の基本だ。

 年々逆探知の技術は上がっているし、何なら非常に簡単な部類の技術だ。いくらここがド田舎の警察だろうと、それができないとは言わせない。

 俺は、サイチ攻略の方向性を変えることにした。

「技術力によほど自信がないんだな」

 挑発するように発した俺の言葉に、サイチがこちらを伺うような眼差しを向けてくる。

「電話の逆探知さえできないなんて、特殊犯捜査係を名乗っていて恥ずかしくないのか?」

「もちろん、通常の電話の逆探知は可能だ。だけど、児童連続誘拐事件の犯人は何らかの方法で逆探知を阻止してるんだ。そんなこともわからないの」

 返事をしてきたサイチに、俺は演技めいて大袈裟に肩を竦ませながら、内心ではほくそ笑んでいた。

 乗ってきた。やはりこういうギークタイプには、社会常識を説いたり、仕事への熱意を持たせたりしようとするより、所有スキルについて煽るのが一番効く。

「つまり、犯人の技術力の方が上だということだろうが。負けを認めているんだな」

 サイチが、ハッと鼻で笑った。

「児童連続誘拐事件に特殊犯捜査係が入っての捜査が行われたのは、最初の三年だけだ。俺がここに配属されたのはその二年後から。前任者の力量の問題だよ」

「ならサイチがやれば、今まで不可能だった事件の逆探知が可能になる訳だ」

「そ……れは」

 この時初めて、今まで一貫して無愛想な態度を貫いてきたサイチの表情が変化した。俺はここぞとばかりに畳みかける。

「やはりできない、と? 前任者にも技術で劣ることが露呈するのが恥ずかしいか」

 瞬間、サイチは拳を握ってデスクの上を叩いた。上に乗っていた細々としたものが落ちたり倒れたりする。

「馬鹿にするな。あんな機械弄りばっかして遊んでた爺さんに、俺の技術が負ける訳ないだろ」

「なら、明日の同席は任せたぞ」

 俺の言葉に、サイチは黙り込む。それを同意と受け取って、俺は一仕事終えた気分で踵を返そうとした。

「待てよ。俺は明日、同席はしない。今どき逆探知程度、現場に行って電話機に装置取り付けて……なんて前時代的ことは必要ないんだ。受信側の電話番号を元に、ここからやってやる」

 サイチはそう言いながら、くしゃくしゃに丸めたメモ紙を投げてよこす。広げてみると、汚い字で電話番号が書かれていた。サイチのものだろう。

「流石だな、頼りにしているぞ」   

 ぶっきらぼうな態度に俺は思わず笑いながら、本心で褒めた。

「さっさと出てって」

 サイチはオフィスチェアをこれ見よがしに回転させ、こちらに背を向ける。その耳が赤くなっているように見えたのは、この部屋が薄暗いせいか。

 存外可愛げがあるかもしれないな、と思いながら、俺は特殊犯捜査係の部屋を出た。
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