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第四章 刺客

「より深いアイデンティティなのかもしれないね」 -1-

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 目を開く。視界に映ったのは、見慣れた使用人部屋の天井だった。

 ロウがフーッと息を吐くと、脇腹に痛みが走った。

「っ……」

 思わず小さく声を漏らすと、ベッドの脇に座っていたエヴァンが身を乗り出すようにして、ロウの顔を覗き込む。

「よかった。目を覚ましたか」

 エヴァンの顔を見て、声を聞き、ロウは深く安堵する。

「主人、あのメイドはどうなった」

「安心しろ、なんと一命を取り留めたぞ」

「本当か?」

 告げられた予想外の言葉に、ロウは目を見開く。

 刺客は奥歯に、自害用の毒薬を仕込んでいる。ロウはそのことを、襲撃された過去の経験から学んでいた。ロウが意識を失う前に見ていた最後のものは、レティシアが口から泡を吹いて脱力するところまでだ。てっきりそのまま死んでしまったものと思っていた。

 ロウが上体を起こそうとすると、エヴァンとは反対側のベッドの脇から手が伸びてきた。視線を向けると、そこにはハンナが座っていた。ハンナはロウの体をやんわりと押しとどめて、再びベッドに横にさせる。

「ロウさん、安静にしていてください。表の傷は塞ぎましたが、中まではまだ癒しきれていないのです。体の内側についた外傷は治癒の力が効きにくくて、痛みが完全に治るまでには三日はかかるかと……私の力不足で、すみません」

 ロウは促されるままに体から力を抜き、ついでに布団の中で、痛みのある脇腹を探る。今、ロウが着ているのはメイド服ではなかった。寝る時用のゆったりとしたブラウスとズボンに着替えさせられている。

 ブラウスを捲って直接肌に触れてみると、皮膚が軽く盛り上がって引き攣れてはいるものの、ハンナの言う通りに傷口は閉じていた。

「どうしてアンタが謝るんだ。治してくれたんだな、ありがとう」

「ナイフがとても長くて、刺さる場所が悪かったら、即死していてもおかしくありませんでした」

「ああ、セルゴーが刺される直前で声をかけてくれたんだ。おかげで咄嗟に急所を避けれた。後でセルゴーにもありがとうって言っておかねぇとな」

 ロウの言葉に、エヴァンは目を細める。

「ぜひ後で直接言ってやってくれ。護衛の任を受けていたのに、ロウに怪我を負わせてしまったと、ひどく落ち込んでいたから。俺も、メイドとしてのレティシアに妙な違和感を覚えていたのに、気づくことができなかった。すまない」

「まさか刺客が白昼堂々メイドに成りすましてくるなんて、誰も思えねぇよ。俺も油断した。それで、そのレティシアは今どこに? 命は助かったんだよな」

 エヴァンは頷き、ロウが気を失っている間に起こったことを説明しはじめる。

「ロウが刺されたすぐ後、ロウの傷を癒してもらうため、すぐにハンナ様を呼びに行ったんだ。そこにたまたまルイス様も居合わせていて、お二人で駆けつけてくださった。ロウよりもレティシアの毒の方が重症で、ルイス様がレティシアを、ロウのことはこのとおりにハンナ様が癒してくださって、二人とも大事には至らずに済んだ。レティシアはまだ意識を取り戻していないが、安全のため兵舎に隔離した。ルイス様とセルゴーはそちらについてもらっている」

「賢者であるルイス様がこの地にいらっしゃらなかったら、ヒュドラの毒を口にした彼は、まず助からなかったでしょう。これも法王様のお力による巡り合わせでしょうか」

 エヴァンの言葉に、ハンナが説明を補足する。賢者であるルイスの癒しの力を感じさせる話だが、ロウは別のところが気にかかった。

「彼?」

「ああ。俺を含めて全員、治癒の途中で気づいたんだが、実はレティシアは男だったんだ。だからまぁ、恐らくというか、絶対にレティシアというのも偽名だろう」

「この世でメイド服を着ている男が俺以外に存在するとは、思ってもみなかった」

 真顔で言うロウの言葉に、エヴァンは声を漏らして笑う。

「レティシアの場合は、潜入するためのただの変装だと思うがな」

 話がそこまで進んだ時、部屋の扉がノックされた。

 エヴァンの入室許可の声に応えて扉が開くと、ギルバートが入ってくる。彼は目を覚ましているロウを見て、心底安堵したように目尻の皺を深めて微笑んだ。

「ロウ、目が覚めたのですね、ホッといたしました。邸宅の中でメイドが刺客に刺されるだなんて、わたしの長い使用人人生の中でも初めてのことです」

「ああ、ついさっきな。心配かけた」

 ギルバートの様子が妙におかしく感じられて、ロウもつられて小さく笑う。

「それで、バイオレット様は何と?」

 エヴァンの促しに頷き、ギルバートはエヴァンの方へと向き直る。ギルバートは今まで別室で、バイオレットを聞き取り調査していたのだ。バイオレットは刺客であったレティシアを、邸宅に連れてきてしまった張本人である。

「まずはじめに、バイオレット様も、レティシアのことは女だと認識していたそうです。そして、レティシアは一〇日ほど前に雇ったばかりの、新入りのメイドだったとおっしゃっていました。メイドの募集をかけて雇ったわけではなく、バイオレット様がリオンの町に出かけている時に、レティシアの方から声をかけてきたということで」

「自分をメイドにしてくれって? それで雇ってもらえるんなら、女ってのはメイドになりやすくていいな。いや、女じゃなかったんだったか」

 メイドとして雇ってもらうために、各地を転々としてきた過去をもつロウがぼやく。だが、エヴァンは首を傾げた。

「いくらリオン領がユレイト領よりも豊かだとはいえ、雇ってくれと言ってくる者を、そうホイホイと雇えるものなのか? それに町で声をかけてくる者など、さすがのバイオレット様でも怪しむと思うのだが」

「それが、レティシアはセルジア領主の邸宅でメイドとして働いていた経験があると言っていて、セルジア領主の推薦状を持っていたそうで」

 ギルバートの言葉に、エヴァンとロウは目を見開く。

「つまり、刺客を送ってきてたのは、セルジアの騎士長じゃなくて、セルジア領主ってことなのか?」

 そう驚きの声をあげたのはロウで、次いでエヴァンは口角を上げた。

「なるほど、これで繋がったな。推薦状は、リオンに保管されているのか? 本物であれば、セルジア領主が刺客を送ってきたことの何よりの証拠になる」

「そのあたりのことはバイオレット様はわからないそうです。ただ、あるとするならイライジャ様が保管しているはずだとおっしゃっていました。今回ユレイトに来ることも、レティシアからの提案だったと」

「夜間の警備が強化されたことを察知して、昼間に中に入り込んで不意をつくことにした、と、そういう感じだろうか」

「おそらくそうなのでしょう」

 そこまで報告を聞き終え、エヴァンは深く息を漏らす。

「護衛をつけたのが裏目に出たか。ロウに余計な怪我を負わせてしまった」

「気にするな、主人。まさか、刺客を送ってきてたのがセルジア領主の方だとは思ってなかったが、セルゴーを護衛につけてくれていたおかげで、手がかりが掴めただろ」

「そう言ってくれると、気が軽くなる」

「それで、刺客の送り主が判明したのは良いが、ここからどうするつもりなんだ?」

 ロウからの問いかけに、エヴァンは少々考えてから、腕組みをする。

「セルジア領に直接乗り込むのが、手っ取り早いだろうな」
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