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一〇月の章
裁定 -1-
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大都の年齢はすでに七〇を超えているが、出立からはとてもそうは見えない若々しさがある。肌には艶があり、白髪の混じる豊かな髪と、教養を感じさせる目元を持つ。ロマンスグレーの代名詞とも呼べるような存在感だ。オーダーメイドのスーツを身にまとった背筋は真っ直ぐに伸び、胸には鷹鷲の校章が入った、白のポケットチーフが覗いている。
大都の背後には、東條が立っていた。いつも平静を保とうと努めているその端正な顔に、今は驚愕の色が浮かんでいる。
騒動の気配に人が集まってきたのを感じると、東條は物置の扉を閉め、山下の元へと駆け寄った。自分のジャケットを脱ぎ、その肩に着せかけると、彼の乱れた着衣を整えてやる。
「暴力では何も解決しません。彼から離れなさい」
再度、大都の口から告げられた言葉に、水島は彼に腕を引き上げられるままに立ち上がった。
水島に馬乗りになられていた修斗はその様子を見て、顔を手で抑え、上体を起こしながら瞳を輝かせる。そして、今まで殴られっぱなしだった憂さを晴らすように、金切り声で話し始めた。
鼻血は出ているし、すでに頬や目元は腫れ始めているが、どうやら元気なようではあると判断ができる。少なくとも舌や歯は無事だ。
「校長先生、こいつがいきなり殴りかかって来たんです。そいつ、今はそんな格好をしていますが、執事科三年の水島です。即刻退学処分にしてください。それから警察に……」
退学、という言葉の重さに、水島が修斗の血に汚れた拳を震わせる。
「退学ですか。そうですね」
先ほどと変わらぬ声のトーンで大都が応える。
それから、ふう、と吐き出されたため息が一拍の間を作った。
「三上修斗、早川幸也。君たち二名を、只今をもって退学処分とする。迎えを呼びますから、即刻学校から出て行きなさい」
重々しい声での宣告が続き、部屋にいたすべての人間が、ハッと息を呑んだ。
「いったいどうしてですか、理不尽に殴られたのは貴族である俺の方ですよ」
「校長先生、どうして僕まで」
修斗と幸也がすかさず抗議の声を上げる。
「『どうして』と、君たちは理由がわかっていながら、わからないふりをして言っている。そのほうが、都合がいいからだ。そうではありませんか? 君たちは赤ん坊ではないし、小さな頃から十分な教育を受けて育った。もし本当にわからないのならば、もはや何の手立てもないほどのお馬鹿さんだね」
大都の口調は、述べる内容には左右されず常に一定で淡々としている。対して、修斗は立ち上がり半ば絶叫した。
「俺は被害者です! 水島が勝手に誤解して殴りかかってきたんだ。山下とはじゃれていただけで、合意の上でした。なあ、そうだよな、山下」
修斗に問いを向けられ、山下は東條に体を支えられながらも小刻みに肩を震わせる。僅かばかり躊躇する様子を見せたが、修斗に見つめられ続けるとこくりと頷いた。分かりきっていた反応だとばかりに、修斗が勝ち誇った笑顔を浮かべる。
そんな山下の様子を見て、東條は下唇を噛むと、山下の震える肩をぎゅっと抱いた。
と、大都はこの部屋に入ってきてから、初めて表情を歪ませた。
「早苗くん」
大都が呼びかけたのは、山下の下の名前だ。山下は校内では久方ぶりに呼ばれるその名に、目を丸くする。
「わたしと、三上家の先代とは昔ながらの友人でね。このお馬鹿な孫の言葉に、大切な判断を誤るような男ではないことを知っているよ。もし仮にそのようなことがあったとしても、君のお父上の職の保証はわたしがしよう。もう我慢することも、怯える必要もないんだよ」
先ほどまでの事務的な様子とは異なる、深い温かさが滲む大都の声。
山下は一瞬目を見開いて、それから言われたことを噛み締めるように間を開ける。そして、先ほどとは違う種類の震えを抑えるように、自分の体を両腕で抱いて涙を流した。
「君の本当の気持ちを聞かせてくれますね?」
再度大都に促され、山下は唇を開く。漏れ出たのは、掠れた声。
「ずっと、嫌で、嫌でたまりませんでした。殴られることも、馬鹿にされることも、おもちゃにされることも。今日も女の子を襲おうとする修斗様を止めて逆鱗に触れ、とてもひどいことをされました。それを、水島さんが助けに来てくれたんです」
「テメェ、山下! 自分の立場がわかってんだろうな」
三上が声を荒げ、山下がビクリと体を跳ねさせる。東條は山下を守るように、すかさず二人の間に体を滑り込ませた。修斗を睨み据えながら淡々と告げる。
「もはや裁定は下りました。これ以上家名を傷つける前に、お帰りください」
「俺は貴族だぞ」
「君は、貴族というものを根本的に履き違えているようだね。必修である帝王学は、万年落第生だったんでしょうか」
もはや呆れきったという口調で大都は言い、再度深いため息をつく。
「身分制度は、あくまで現状の社会を維持するために、あった方が、利便性が高いというだけの理由で作られたものです。君が貴族の生まれだからと言って、君の根本的な価値が高いわけではないのですよ。
人の上に立つものは、相応の人格と教養を身に付けなければならない。貴族という重い称号を与えられれば、人は重みに応えるように、それらを身につけようとするでしょう。
ところが、貴族の称号に上に胡座をかき、下劣な品性を増長させている君たち自身に、いったい何の価値があるというのです? あまつさえ、君たちはいまだ、何の社会的な役割も担っていないというのに。
家族のために己を殺し、日々この学校内で、さまざまな仕事と役割をこなす彼らより、あなたが優れていることが、ただの一つでもあるのだろうか。しかと己の胸に問いなさい」
重々しい大都の声で続けられた辛辣な説教に、物置の中に沈黙が落ちる。声を荒げているわけでもないのに、大都の声は、その場にいる者の耳にビリビリと響くように届いた。
東條は山下を支えて立たせると水島を連れ、物置から出るように促す。
その背後では、大都の厳しい言葉と眼差しの前に、修斗と幸也の情けない子供じみた泣き声が漏れ出していた。
大都の背後には、東條が立っていた。いつも平静を保とうと努めているその端正な顔に、今は驚愕の色が浮かんでいる。
騒動の気配に人が集まってきたのを感じると、東條は物置の扉を閉め、山下の元へと駆け寄った。自分のジャケットを脱ぎ、その肩に着せかけると、彼の乱れた着衣を整えてやる。
「暴力では何も解決しません。彼から離れなさい」
再度、大都の口から告げられた言葉に、水島は彼に腕を引き上げられるままに立ち上がった。
水島に馬乗りになられていた修斗はその様子を見て、顔を手で抑え、上体を起こしながら瞳を輝かせる。そして、今まで殴られっぱなしだった憂さを晴らすように、金切り声で話し始めた。
鼻血は出ているし、すでに頬や目元は腫れ始めているが、どうやら元気なようではあると判断ができる。少なくとも舌や歯は無事だ。
「校長先生、こいつがいきなり殴りかかって来たんです。そいつ、今はそんな格好をしていますが、執事科三年の水島です。即刻退学処分にしてください。それから警察に……」
退学、という言葉の重さに、水島が修斗の血に汚れた拳を震わせる。
「退学ですか。そうですね」
先ほどと変わらぬ声のトーンで大都が応える。
それから、ふう、と吐き出されたため息が一拍の間を作った。
「三上修斗、早川幸也。君たち二名を、只今をもって退学処分とする。迎えを呼びますから、即刻学校から出て行きなさい」
重々しい声での宣告が続き、部屋にいたすべての人間が、ハッと息を呑んだ。
「いったいどうしてですか、理不尽に殴られたのは貴族である俺の方ですよ」
「校長先生、どうして僕まで」
修斗と幸也がすかさず抗議の声を上げる。
「『どうして』と、君たちは理由がわかっていながら、わからないふりをして言っている。そのほうが、都合がいいからだ。そうではありませんか? 君たちは赤ん坊ではないし、小さな頃から十分な教育を受けて育った。もし本当にわからないのならば、もはや何の手立てもないほどのお馬鹿さんだね」
大都の口調は、述べる内容には左右されず常に一定で淡々としている。対して、修斗は立ち上がり半ば絶叫した。
「俺は被害者です! 水島が勝手に誤解して殴りかかってきたんだ。山下とはじゃれていただけで、合意の上でした。なあ、そうだよな、山下」
修斗に問いを向けられ、山下は東條に体を支えられながらも小刻みに肩を震わせる。僅かばかり躊躇する様子を見せたが、修斗に見つめられ続けるとこくりと頷いた。分かりきっていた反応だとばかりに、修斗が勝ち誇った笑顔を浮かべる。
そんな山下の様子を見て、東條は下唇を噛むと、山下の震える肩をぎゅっと抱いた。
と、大都はこの部屋に入ってきてから、初めて表情を歪ませた。
「早苗くん」
大都が呼びかけたのは、山下の下の名前だ。山下は校内では久方ぶりに呼ばれるその名に、目を丸くする。
「わたしと、三上家の先代とは昔ながらの友人でね。このお馬鹿な孫の言葉に、大切な判断を誤るような男ではないことを知っているよ。もし仮にそのようなことがあったとしても、君のお父上の職の保証はわたしがしよう。もう我慢することも、怯える必要もないんだよ」
先ほどまでの事務的な様子とは異なる、深い温かさが滲む大都の声。
山下は一瞬目を見開いて、それから言われたことを噛み締めるように間を開ける。そして、先ほどとは違う種類の震えを抑えるように、自分の体を両腕で抱いて涙を流した。
「君の本当の気持ちを聞かせてくれますね?」
再度大都に促され、山下は唇を開く。漏れ出たのは、掠れた声。
「ずっと、嫌で、嫌でたまりませんでした。殴られることも、馬鹿にされることも、おもちゃにされることも。今日も女の子を襲おうとする修斗様を止めて逆鱗に触れ、とてもひどいことをされました。それを、水島さんが助けに来てくれたんです」
「テメェ、山下! 自分の立場がわかってんだろうな」
三上が声を荒げ、山下がビクリと体を跳ねさせる。東條は山下を守るように、すかさず二人の間に体を滑り込ませた。修斗を睨み据えながら淡々と告げる。
「もはや裁定は下りました。これ以上家名を傷つける前に、お帰りください」
「俺は貴族だぞ」
「君は、貴族というものを根本的に履き違えているようだね。必修である帝王学は、万年落第生だったんでしょうか」
もはや呆れきったという口調で大都は言い、再度深いため息をつく。
「身分制度は、あくまで現状の社会を維持するために、あった方が、利便性が高いというだけの理由で作られたものです。君が貴族の生まれだからと言って、君の根本的な価値が高いわけではないのですよ。
人の上に立つものは、相応の人格と教養を身に付けなければならない。貴族という重い称号を与えられれば、人は重みに応えるように、それらを身につけようとするでしょう。
ところが、貴族の称号に上に胡座をかき、下劣な品性を増長させている君たち自身に、いったい何の価値があるというのです? あまつさえ、君たちはいまだ、何の社会的な役割も担っていないというのに。
家族のために己を殺し、日々この学校内で、さまざまな仕事と役割をこなす彼らより、あなたが優れていることが、ただの一つでもあるのだろうか。しかと己の胸に問いなさい」
重々しい大都の声で続けられた辛辣な説教に、物置の中に沈黙が落ちる。声を荒げているわけでもないのに、大都の声は、その場にいる者の耳にビリビリと響くように届いた。
東條は山下を支えて立たせると水島を連れ、物置から出るように促す。
その背後では、大都の厳しい言葉と眼差しの前に、修斗と幸也の情けない子供じみた泣き声が漏れ出していた。
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