蛇の花嫁

猫丸

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第四章 再会

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 医者は止めたが、一度退院することにした。
 ミズカミの言葉を信じるならば、それは時期が来れば自然に産まれるはずだ。
 退院して実家の方へ戻る。兄貴は酷く心配して、自分の家の方へ滞在することを提案してくれたが断った。

 怖いか怖くないかで言えば怖い。
 だが、ミズカミの生殺与奪権を握っているのは俺だという気持ちが、少し勇気を与えた。
 監禁されていた時とは立場が逆転したのだ。
 俺はもう一度ミズカミに会って、確認しなければいけない。

 実家から徒歩5分の神社は、妊夫にんぷとなった俺には倍かかった。しかも雪道。転ばないように、昼間、雪の溶けた場所のみを気をつけながら歩く。
 神主夫妻は、何も言わず俺が毎日来るのを受け入れてくれた。
 あの本棚のある応接室に入り浸り、そこにある資料を読ませてくれた。
 だが、ミズカミは現れない。

「蛇は冬の間は冬眠しますから」

 そう言って神主は慰めてくれた。お腹は日々大きくなっていって、不安が増してくる。お腹を食い破って化け物が出てくるんじゃないかという心配。本当は卵なんかじゃなくて悪性の腫瘍なんじゃないかという不安。
 様々な不安に押しつぶされそうになって、「もう誰かに言ってしまおうか」とヤケクソな気持ちも生まれてくる。
 だが、神主の奥さんが、「妊娠中は不安になるものですよ。大丈夫。時期が来れば自然と出てきますから」と、この二人だけが、男でありながら理解できないものを妊娠した俺を理解し、慰めてくれた。
 ミズカミに相談したいのに、会うことすら出来ない。
 神主は、本来であれば外部の人間を入れることのできない本殿の奥の御神体の前に俺を連れて行ってくれて、一緒に祈ってくれた。
 俺はどうしたらいいんだ。

 ◇
 
「辰巳さんっ!!良かったっ!!呼びに行こうかと思っていました!!」

 冬にしては天気の良い日だった。俺は段々大きくなってきたお腹を抱えて、今日も神社へと足を運んだ。
 神主夫妻が鳥居の前に出ていて、俺の姿を見かけると駆け寄ってきた。
 
「今日、また本殿が開いていて!!もしかしたらって!!」

 
「一緒に行きましょうか?」そう言ってくれた神主夫婦の好意を断り、俺は神社の裏へと向かう。
 日陰には雪が残っていて、足を滑らせないように慎重に。

 
「龍乃丞っ!!!!」
 
 あんなに恐怖だったのに会いたかった相手。ミズカミの声だった。
 ミズカミはげっそりと痩せ、紫色の瞳は散々泣いたのか赤くなっていて、ひどいクマができていた。
 一目散に俺に駆け寄り、抱きしめる。やはりこいつの体温は低い。気温のせいか更に冷たく感じた。
 俺を抱きしめながらミズカミは泣いていた。

「良かった。また会えて良かった…もう二度とお前に会えないまま死んでいくのかとずっと恐怖だった」
 
 再びミズカミとともに、あの監禁されていた家へと行く。今度は自分の意志で。
 やはりあのトンネルはあったのだ。
 来る前に、兄貴宛に書いた手紙を神主に託した。
 戻ってくるつもりはあるが、戻ってこなくても探さないでくれ、と。

「目覚めてお前がいなくて俺は本当に絶望した。神だからマシとは言え、かつての名残で冬は身体は思うように動かないし、このまま、もうお前に会えないまま死ぬのかと…最後にお前と番えただけで満足するべきなのだと、幸せだったと思うべきなのだと自分に言い聞かせていた。だけど、一度手に入れてしまったら浅ましくもお前が恋しくて…眠っているのにお前の匂いがするような気がして…どうしても会いたくて…最後に一目でもいいから会いたくて…現世へ来てしまった。しかも、会ってみればお前は妊娠しているではないか」

「ミズカミ、お前、本当に俺のこと好きなのか?」

「あぁ、何度も言ってるじゃないか。俺はお前しかいないと。お前と番うことだけを夢見てミズカミになったのだ」

「お前はあの時助けた白蛇なのか?」

 ミズカミの動きが止まった。覚悟を決めたかのようにに一度目を閉じ、しばらくして微笑みながら俺を見つめ直した。
 
「思い出したんだな…あぁ、そうだ。俺はあの時、お前に助けてもらった白蛇だ」

「そうか…」

 一番知りたかった答えだったのに、答えられてしまうとあとに続く言葉がなかった。
 黙っている俺に、ミズカミはぽつりぽつりと自らのことを話し始めた。

「俺は本当はあの時死んでいた。お前のところから逃げたあとも俺はずっと震えていた。
いや、死ぬのが怖かったんじゃない。それは命の定めなのだから。もともと死ぬはずだったのが生き延びたというだけ。
だが俺は、お前と過ごした数日間で、人の温もりを、お前の体温を知ってしまった。だからこそ余計、その後の孤独がつらかった。
今までは神になることがゴールだった。それは理由などなく、それが自然の摂理、本能だったからだ。だが俺はその先の目的を見つけた。それがお前だった。そして2年前、俺は水神になった。

 俺は再びお前に会いに行ける肉体を手に入れたのだ。どれだけ嬉しかったことか!!神なのにその世界を牛耳っている神、この世界の神となる世の摂理に感謝した。
 だがお前はどこにもいなかった。神は自ら死ぬことができない。俺はまた絶望した。お前がいないのなら、俺はまた一人で気の遠くなるような長い時間を、孤独な時間を過ごさなくてはいけないのだと…。

 お前の香りを見つけたときのあの歓びがわかるか!?誰の香りも混じっていない、お前の香り!!
それからのことは、知ってのとおりだ…」

 なぜあんなにも俺を求めていたのか。やっとわかった。
 俺はミズカミにとって長い孤独の中で見つけた唯一のぬくもりだったのだ。

「目覚めてお前がいなくて…冷たくなった布団を見た時、俺は気づいた。浮かれていた自分に。
これは俺の片思いだったのだと。あれから何十年も経って、誰の香りもついていないお前を見つけて、喜びのあまり連れてきてしまったが、本来お前と俺は共に生きられない生き物なのだと…」

 しばらくの沈黙の後、ミズカミはじっと俺の腹を見つめながらいった。

「だが、龍乃丞、どうかその卵を産んでくれないだろうか。
 今俺がいなくなれば、この地に神はいなくなる。神という仕事に執着がある訳ではないが、俺やお前が生まれ育ったこの地をただ荒廃させるのも忍びない。産んでくれれば、そして子供達が運良く生き延びれば、いつかこの地を守ってくれる存在になるはずだ。お願いできるような立場でないのはわかっている。
 だから産んでくれた後に、かつて助けた白蛇のことを誰かに話せばよい。そうすれば、世の中の道理が正されるだろう」

「それは、ミズカミがいなくなるということか?」

「本来であればそれが正しかったのだ。本来俺は神にはなれなかったのだから。それに、俺はお前にもう一度会いたかったのだ。会えたから、そしてお前の体温を感じたからもう十分だ」
 
「ずるい……」

 そんなことを言われたら、素直に恨むことが出来ないじゃないか…。

 ミズカミの話だと、春になると産卵期に入るらしい。
 あと2、3ヶ月以内に産まれるだろうとのこと。

 俺は再びミズカミと生活するようになった。今回は現世も行き来していいと言われたが、あいにく腹が重いし、卵が心配であまり動かなかった。
 なので前と同様、生活に必要なものは老人が届けてくれた。

 老人はと呼ばれていた。若くして妻や子供を失い、村に行き場をなくして、この地に捧げられたかつての生贄。だが、ここでも別の人間の香りの付いた人は受け入れず、哀れに思った何代か前のミズカミが下働きとして、使ったという。
 供物くもつ、かつてモノとして扱われたこの老人は、元の名前も、年齢ももう覚えていないという。ミズカミが神になるずっと前からここにいて、神が不在の時もここを守っている存在。
 
「ここは時間の流れが違うからな」

 現世うつしよ常世とこよを行ったり来たりしている神の使い。彼もまた長い時を孤独に耐えてきたのだろうか。

 
 お腹はますます重くなって、暖かい日も増えてきた。
 お天気のいい日は、縁側に座って二人でお茶を飲む。クモツが「妊夫の身体に良い」と入れてくれるお茶は、草の香りが強くてちょっと苦手なのだが、クモツが出産の恐怖を盾に脅してくるので薬だと思って飲むことにしている。
 
「そういえば、なんであの時いなくなったんだ?まだ怪我も治ってなかっただろう?怪我が治ったらこっそり山に返してあげようと思っていたのに」

 顔をしかめながらお茶で喉を潤し、疑問に思っていたことを聞いてみる。
 
「あぁ、それはお前の親父さんに見つかりそうになったからだ」

「親父に?」

「あぁ、お前が学校に行っているときだろうか。そっと入ってきて、なにかを捜している様子だった」

 親父の最後の言葉を思い出す。
『龍の…を…連れて行かないでくれ』
…まさかあれは、俺のことだったのか?
 
 ミズカミに、親父の最後の時の話をした。黙って聞いていたミズカミがポツリと言った。
 
「龍乃丞の親父さんは…なにか気づいていたのかもしれないな…」

 だけど何も言わず見て見ぬふりをした。生涯この地に住み続けた親父には、この集落の掟が身についていた。

「だからあんなにも結婚しろとうるさく言っていたのか…」

 俺が高校を卒業して都会へ進学するときも、そのまま戻ってこず東京で就職を決めたときも、親父は反対をしなかった。「龍乃丞にはその方がいいかもしれないな」と寂しそうに言った。
 それは、俺のセクシャリティに勘づいていての発言かと、少し申し訳ない気持ちになっていたのだが、もしかしたら真実は…。
 だが、もう確認する術はない。もっと話しておけば親の思いに気づいたかもしれないのに、もう遅い。取り返しがつかなくなってから気づく。だから後悔なのだ。

「龍乃丞の両親の墓はどこにある?この近くにあるのなら、今度行って加護を掛けといてやろう。お前もお前の家族も幸せでいられるように」

 言葉数が少なくなる俺にミズカミは言った。

「お前、そんなことできんの?」

「そりゃぁ、神様だからな」

 おどけた調子で言った。

「ヒラ神様のくせに」

 俺は笑いながら、神様に悪態をついた。
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