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貸したパンツは返ってきていない

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「あれ?フルちん、もう帰る?」

 授業が終わり、そそくさと帰り支度を始めた俺を目ざとく見つけて声をかけてきた親友の山田太郎。俺はびくっと身体を震わせた。

「…あぁ…」
「まって!俺も一緒に帰る!」
 
 その声を聞きつけた、クラスの女子共の視線が痛い。
 そんな空気に気づかないこのモテ男は、俺の小中高の同級生だ。家も隣同士と近いし、一緒に帰ることに特段変なところはないのだが。

「いや、お前、カノジョと帰れば?」
「え?だって逆方向だもん」

(そういうことじゃねぇんだよ)と俺は眉間にしわをよせて目をつむった。
 
 なんて書類の記入例でよく見かけるような名前をしているこの男。ハーフでイケメン。そのせいか「外人だからな」と、その名前にすらセンスを感じ、納得してしまうほどの美形。
 明るい栗色の髪に、アッシュブラウンの瞳。身長も190センチ超えてて、どこかの男性アイドルグループのセンターの様な容姿をしている。そして、イケメンの宿命。当然ながらモテる。ひっきりなしに告白され、付き合っては別れを繰り返している。そして最近も新しい彼女が出来た。

 昼休み、太郎が先生に呼ばれている隙に、俺は太郎の彼女の友達数人に呼び出された。予想通り「古谷くん、もうちょっと二人のこと気を使うべきじゃない?」と説教をくらったのだ。
「いや、誘ってんの俺じゃないし…」といっても通用しない。断らない俺が悪いんだと。俺が断れば、太郎とその彼女はうまくいくんだとくどくど言われた。
 女子曰く、毎回俺が邪魔するから、太郎の恋愛が長続きしないんだという。太郎と離れれば、俺にだって彼女ができるんじゃないの?とまで言われた。

 俺はため息を付いた。言ってることは失礼極まりないが、確かにそれは一理ある。俺も過去に女の子と付き合ったことはある。だが俺の隣には必ず太郎がいて、彼女の目はいつも俺を素通りして太郎を見ていた。太郎と一緒にいると女の子は寄ってくるけど、俺は視界に入っていない。
 一時期、俺も髪の毛を明るくしたり努力したこともあったがもはや太郎が隣りにいる限りなにをしてもムダだとあきらめた。

「俺、用事あるから一人で帰る。お前は彼女送ってってやりな、な?それが付き合っているカップルのだ」

 ポンポンと太郎の肩を叩いて教室を後にする。太郎には俺の意図が伝わるだろう。目立つ外見のせいか、あいつは『普通』とか『常識』という単語に弱い。太郎は少し唇を尖らせて不満げだったが、何もいわなかった。

 自宅に帰り、制服を脱ぎ捨ててごろりとベッドに横になる。スマホを見れば、「あとでフルちんち行く」といつのまにかメッセージが来ていた。「たまには彼女とゆっくりお茶でもしてきたら?」とメッセージを返すとすぐに既読がついた。彼女と一緒じゃないのだろうか?俺は返事を待たずに昼寝を始めた。
 
 俺達の家は隣同士にある。隣と言っても、あちらはでかい一軒家にほとんど帰ってこない父親と二人住まい。こちらは古びたアパートに母親との二人住まいだ。
 俺が小学校の3年生時に引っ越してきた山田父子は、来た直後からその見た目のせいで町内でも注目の的だった。
 父親の山田マイケルは、山田という名字を持っているのだが見た目は完全に外人だ。だが日本語がぺらぺらで、物腰が柔らかく紳士。
 俺だって、初めてマイケルをスーパーで見かけたときには、「こんな完璧な造形の人間がいるのか」と子供ながらに思った。40代だと思うが、外国の俳優さん並みに渋くてかっこいい。一緒にいた俺と同じくらいの子供だって、天使のようだと思った。

 そして、新学期が始まって、太郎が同じクラスになった時はびっくりした。入ってきた時、ざわついていた教室が一気に静まり返った。
 それからしばらくは、俺だけじゃなくて、クラスみんなが浮ついていた。
 はじめの1、2ヶ月は、話すことなんてできなかった。太郎はいつも女子に囲まれていたから。俺を含めた男子はみんな、遠巻きに見ているだけだった。
 
 でも6月になって、水泳の授業が始まって、男女で教室が別れて着替え始めた時、俺は見てしまった。太郎がパンツを履いていないのを。
 気づいたのは俺だけだったのだろうか?
 同性のちんこなんて俺以外誰も見てないのかもしれない。
でも俺はこのきれいな顔の男に本当に俺と同じものが付いているのか、どんなパンツを履いているのか気になった。
 親が選んだ子供っぽい柄から、シンプルなデザインのパンツに変わっていく時期。この子はどっちだろう?
 俺はさり気なく近くの場所をキープした。ズボンを脱ぐ太郎。男相手なのにめちゃくちゃドキドキして、そして違和感に気づいた。

「あれ、太郎くんパンツは?」

 思わず口にしてしまった俺。やばっ、と思った時にはもう遅かった。太郎と目があい、俺は思わず目を瞑った。
 見てた俺は変態だと思われただろうか?はいてないことがバレて太郎は泣いてしまうだろうか?
 恐る恐る目を開いて太郎の顔を見ると、きょとんとして「パンツ?これとは違うの?」と聞いてきた。
 その日は1時間目が水泳で、俺は家から服の中に水着を着てきていた。学校指定の水泳パンツ。同じものを履こうとしている太郎はちっこいちんこを見せたまま、自分の水泳パンツを持ちながら首を傾げた。

 その表情を見て俺は、一瞬自分がおかしいのかと思った。外人はパンツをはかないもんなのだろうか?と疑問に思った。俺の指摘が的はずれだった?俺は太郎に返事も出来ず混乱した。それに気づいたクラスメイトが「なに?なに?」と言って近づいてきた。
 太郎は外国から来たばかりだから、パンツを履いていないことが恥ずかしいことだって、知らないんじゃないだろうか?恥をかかせてはいけないとその時の俺は思った。

「え、太郎くん、パンツ穿いてないの?」

 もしかしたら俺以外にも太郎を見ていたやつがいたのかもしれない。だれかが上げた声に俺は過剰に反応した。

「ちがうっ!!太郎くんじゃなくて、俺!!俺、今日朝から水着、中に着てきちゃったから、パンツ忘れてきちゃった!!」

 そう言うと、皆の視線が俺に集まりゲラゲラ笑い始めた。俺はそっと太郎の耳元で「日本人はズボンの中にパンツを履くんだよ!!」と、こっそり俺の穿いていた子供用のグレーのボクサーパンツを太郎のプールバッグの中に放り込んだ。
 今思えば、洗ってあるとはいえ、人のパンツなんて気持ち悪くないか?と思うのだが、子供は時に不可解な行動を取る。俺はその時、『太郎を守らなくてはいけない』という強い使命感にかられてしまった。
 太郎は放り込まれたパンツをじーっと見てだまっていた。そして水泳の授業の後は、俺の渡したパンツを何食わぬ顔で履いた。
 おかげで俺は、その日一日ノーパンという、なんとも心細く居心地の悪い一日を、皆にからかわれながら過ごした。

 その後教室でも俺達は特に会話をしなかったが、帰りがけに呼び止められ、俺の家を聞かれた。
 当然俺は太郎の家を知っている。「お前んちのとなりのアパートの201号室だよ」とだけ伝えて、走って帰った。同じ方面だから一緒に帰ればよかったと、途中で気づいたが、俺は太郎に話しかけられて気持ちが舞い上がっていた。

 特にお礼を言われたわけでもなかったのだが、なんとなく太郎と繋がりができて嬉しかった。太郎に存在を認識されて、名前を覚えてもらえる。そんな高揚感に包まれていた。それだけ太郎はクラスで特別な存在だった。
 俺はパンツを履いていないということも忘れて、ご機嫌に小走りして帰った。息が切れ始めてようやく少し冷静になった。パンツを履いていないせいで、短パンの中で擦れたちんこが少し痛かった。
 
 その日の夜、ご飯を食べ終わってごろごろテレビを見ていた我が家に山田父子が訪れ、俺に新しいブランド物のパンツを持ってお礼に来た。
「そんな、お礼だなんて気を使わないでください」と遠慮する俺の母親に、「僕とお揃いなんです」と太郎は天使の笑顔でにっこり笑った。
 それ以来俺は、このちょっと変わった友人と仲良くなった。
 
 翌朝、早速もらった新しいパンツを履いて学校へ行った。せっかくもらった新しいパンツを履くのは少しもったいないような気もしたが、「背が伸びたら履けなくなる」という母親の脅しが背を押した。実際はいてみると『太郎とお揃い』だという事実にテンションが上った。

 ご機嫌で学校へ行くと俺のあだ名は『』となっていた。古谷という名字も災いしたのだろう。
 そして、フルちんの意味をわかっているのかいないのか、元凶となった男までも俺をフルちんと呼び始めた。
 だがそれでも良かった。太郎があだ名で呼ぶのは俺だけだったし、太郎を呼び捨てにするのも俺だけだった。そしてみんなは知らないだろうが、俺達はお揃いのパンツを履いている。

 それから俺達はなにをするにでも一緒だった。
 
 
 ◇

 
 気がつけば、いつの間にか寝ていた。外は日が落ちて暗くなってきていた。今日の仕事は遅番らしく俺が学校へ行く時に布団の中にいた母親は、まだ帰ってきていない。スマホを見ると7時近くになっていて、メッセージが8件入っていた。送信元は太郎。
 今日のことを責める内容だろうか?既読をつけたくなくてメッセージを確認せずにキッチンに立つ。
 冷蔵庫には、数日前に母親が買った豚こまと玉ねぎがあった。玉ねぎを1センチ位の半月切りにして炒める。玉ねぎが目に染みる。炒めた玉ねぎを皿に取り出して豚肉を炒めているとチャイムが鳴った。太郎だった。

 なぜすぐわかったかというと、俺の家のキッチンは玄関側にあって、明らかに身長の高い太郎のシルエット窓越しに見えたからだ。そして、当然ながら向こうもキッチンに俺がいるのに気づいたはずだ。無視はできない。
 鍵を開けて、部屋へと招いた。太郎は私服に着替えていた。届いていたメッセージのことが気になったが、そのことには触れずに普通に話す。
 
「今日、マイケルさんは?いないなら夕ご飯食べてく?うちの母さんも遅いし」

 俺が作ったものを太郎が食べて帰るのはよくあることだった。
 太郎もマイケルさんも料理ができない。大体冷凍のものを温めるか、インスタントですませているという。それは俺達が友だちになった当初からで、以前は俺が太郎の家に遊びに行っていると、うちの母親が多めに作ったおかずを渡したりしていた。
 中学生になって俺が料理を覚えてからは俺が作ったりすることも増えた。

 出来上がった豚こまの生姜焼きとキャベツの千切りを盛り付けて太郎の前に置く。そしてごはんと味噌汁。
 俺は人に料理を振る舞うのが嫌いじゃない。
 むしろ、太郎のこの大きな体は俺が作ったもん食べてこうなったんだぞ、と誇らしい気分だった。それだけ太郎は俺の料理をよく食べていた。

「ライン、既読にならないから、来ちゃった…」

 俺が作った生姜焼きに箸をつけず、太郎はうなだれていた。

「あーーー、ごめん。寝てて気づかなかった」

「……フルちん。怒ってる?俺、さっきカノジョから聞いて、フルちんに迷惑かけたってビックリして謝りたくて」

「は?」

 一瞬なんのことを言われているか分からず、やっとラインを開くと、太郎の謝罪が並んでいた。俺が彼女の友達に呼び出されて文句を言われたことを謝っている。謝られても、逆に俺、カッコ悪くない?

「……カノジョが言ったの?」

 太郎は無言でうなづいた。

「あのなぁ、別にたいしたことじゃねえって。てか、カノジョの友達の言うとおりだと思うし、気にしちゃいねーよ?怒ってもいないから。ほら、冷める前に食べろ」

 俺は自分の皿に箸をつけて、太郎に気づかれないように小さくため息を付いた。
 この親友は見た目だけじゃなく、性格もいいし、勉強もそれなりにできる。だが、俺に対してだけすごく気を使う。俺に捨てられたら生きてかれないとでも言うように。

 一時期、俺のこと好きなのかと思った時期もあったが、その割には彼女がいない時期に告白されれば誰とでも付き合う。同性愛者だという話も全く聞かない。
 太郎が俺に求めているそれは、子供が無条件に親の愛を求めるかのように見えた。
 付き合うのならそれでいい。俺だって同性でも太郎だったらいいかな、と思う。だが、そうでないのなら、ちょっと重いな、と思い始めていた。

 高校最後の年。卒業まであと1年もない。
 大学進学したら、どうせ別々だ。そしたら俺も太郎と比較されずに生きられる。
 壁に貼られたカレンダーを見ながらぼんやり思った。テレビはベテラン司会者が陽気にゲストとトークを繰り広げている。
 太郎は出されたものは完食したけど、俺に申し訳ないと思っているのか、口数は少なかった。
 
 
「ねぇ、フルちん。もしさ、俺が誰にも言えない秘密を話しても、フルちん、俺から離れていかない?」

 食事を終え、俺達は俺の部屋でスマホゲームをしていた時だった。俺がベッドに寝そべり、太郎は床に座り、ベッドに寄りかかっていた。
 どくんと心臓が跳ねた。その言葉の意味を確かめるように太郎を見ると、いつになく太郎の目が真剣だ。
 それは……つまりそういうことだろうか。俺はごくりとつばを飲み込んだ。心臓の鼓動が早くなり、太郎に聞こえてしまうんじゃないかとドキドキした。
 太郎ならいいな、と思う反面、彼女とは別れるのか?とか一瞬のうちにいろんなことを考えた。

「あ、あぁ……」

 親友という壁を突き破って告白してくるのだ。こういう時は、真剣に聞いてあげなきゃいけない。
 俺は体を起こし、太郎の横に座り、姿勢を正した。ごくりとつばを飲んでブラウンの瞳を見つめる。
 
「……フルちん、俺、ずっと秘密にしてたけど、!!」

「…………は?」

 たっぷり間を取った台詞のあとに続いたセリフに、俺は盛大にずっこけた。
 何を言っているんだ、こいつは?
 バカバカしくなって、目を瞑って頭を抱える。口から思い切り大きなため息が出た。

「ずっと秘密にしててごめん……」

 俺は怒りのあまり太郎を追い出した。太郎は困惑していたが、俺は聞く耳をもたなかった。
 そして翌日もその翌日もずっと口を利かなかった。

 
 周囲の人たちは、ずっと一緒にいた俺達の喧嘩にざわついた。「なんかあった?」と聞いてくるものもいれば、「古谷くん、いくらなんでも山田くんがかわいそうじゃない?」と俺を取り囲むやつもいた。母親も「喧嘩したならさっさと仲直りしないと後悔するわよ?」と心配していた。
 だが俺は周囲の忠告を無視した。太郎はなにか言いたげに俺をチラチラ見ていたが、俺は気づかないふりをした。

 俺にベッタリの太郎が隣にいなくなって清々する、と思ったのは数日だけだった。
 すぐに、告白を期待していた俺の、完全な八つ当たりだと気づいたが、太郎の方から謝ってくるだろうとタカをくくっていた。
 だが、太郎は俺に近づいてこなかった。

 そして、何日も何日も過ぎて、気がつけば数ヶ月が経っていた。
 時間が長くなれば長くなるほど友達関係を修復するのが難しくなって、そのまま時だけが過ぎていった。
 そうこうしているうちに俺は太郎以外につるむ友達ができたし、太郎の周りには更に女子が取り囲むようになった。俺とつるまなくなって、太郎に時間ができたせいもあるだろう。太郎の王子様っぷりはますます上がって他校からも太郎を見に来る人が増えた。
 俺には太郎の笑顔はどこか仮面をはりつけたようだとおもったが、周りは気づいていないようだった。
 もしかしたら、あのエイリアン発言で傷ついた俺が、あいつに一矢報いたと思いたかっただけなのかもしれない。
 そして、少し冷静になって、太郎が隣りにいない生活が寂しくなって、自分から謝ろうとタイミングを探し始めた頃、太郎がいなくなった。


 
 その日は珍しく太郎が学校を休んだ。
 偶然なのか、狙ってなのか、その日は俺の誕生日だった。
 あの小3のノーパン事件以来、太郎は俺の誕生日には必ずパンツを贈ってくれていた。
 時々「こんなん履かねーよ」というような派手な柄だったり、「これちんこしか隠れてねーじゃん」という、笑いを狙っているようなデザインのものもあったが、あの日から10年近く、俺のパンツはすべて太郎から贈られたものだった。
 
『今年はあげない』という意思表示なのか、俺の自意識過剰でただ具合が悪いのかだけなのか気になった。
 具合が悪いのだったら、食事とか困っているに違いないと自分に言い訳をして、学校からの帰り道、太郎の家に寄る。何度押しても、ラインを送ってもなんの反応もなかった。
「病院かな」と結論付けて、一旦家に帰る。夜、電気がついたら謝りにこよう。なんだか胸騒ぎがした。

 俺は太郎の「フルちん」と呼ぶ声が恋しかった。恋人でなくていい。戻れるなら友達に戻って、また隣に太郎がいるかつての日々を取り戻したい。
 鍵を取り出すと、玄関前には薄いA4サイズのラッピングされた箱があった。太郎は俺の誕生日を覚えていた。俺達はまた親友に戻れる。そう思い、嬉しくなって箱を開けた。やはり太郎からだった。
 だが、そこに添えられたメッセージをみて血の気が引いた。

「フルちん、お誕生日おめでとう。
 今までありがとうございました。
          山田太郎」

 その日どんなに深夜になっても山田邸に電気が灯ることはなかった。
 そして、殆ど寝られないまま、翌朝学校へ行くと、先生から太郎が引っ越したことを告げられた。

 



 あれから2年が経って、俺は地元の大学へと進学していた。
 当初、県外の大学へ進学する予定だったが、いつか太郎が帰ってくるんじゃないか。その時には絶対に謝りたいと、そんな淡い期待を胸にこの地を離れられずにいた。

 俺の部屋から見える旧山田邸は、太郎一家がいなくなってしばらく入居者募集中だっだ。
 再募集されて知ったその家の家賃は俺の家の3倍以上の値段がしていて、ここらでは高額すぎるため借り手がなかなかつかなかった。
 1年近くたって、かなり賃料をを下げた所で借り手がついたらしく、小さな子供が3人いる転勤族の家族が越してきた。時折聞こえてくる子供の楽しそうな笑い声。
 俺は窓から見える太郎の家をぼんやり眺める。思い出は風化していく。きっと太郎も今の生活を楽しんでいるのだろう。俺だけが、ここに取り残されている。
 

 俺は大学に入ってから地元の居酒屋の厨房でバイトをしていた。
 料理をするたびに思い出すのは、笑顔で俺の料理を食べていた太郎のことばかり。太郎との思い出を風化させないための自分なりの繰り返しの作業だった。
 その日は週末で、早い時間から賑わい始めていた。
 その中に入ってきた目立つ風貌の男性。俺はその存在を確認した時、思わず厨房から飛び出して声をかけていた。
 
「マイケルさんっ!!」
「君は…?」

 マイケルは戸惑っていた。俺がわからないのかもしれない。
 
「俺、太郎の友達の古谷一太です!!あの、太郎は?太郎も一緒に来てますか?太郎に会いたいんです!!」

 全く繋がりの切れてしまった親友を求めて俺はマイケルに詰め寄った。必死だった。太郎が引っ越した直後からの携帯は解約されていて、ラインが既読になることはなかった。
 既読になることのない二人のトーク画面に向かって、2年間、俺はまるで懺悔の日記を書くかのように謝り続けていた。

「太郎…?あぁ太郎にはもう何年も会ってないな。あいつ、今どこにいるんだろう?」

 親だと言うのになんだその言い方は。だいたい太郎が子供の時からこの人は太郎を放置し続けた。怒りが込み上げてきた。だが、唯一のつながりをここで断ち切るわけにいかない。俺は震える声で問い詰めた。

「親……なのに……?」

「親?マイケル、お前子供いるのか?」

 マイケルの後ろから声がして、そこで初めてマイケルの同伴者の存在に気づいた。

「あぁ、事情は後で説明するよ」
 
 マイケルはその男性に一言伝えると、言葉を続けようとした所で「古谷くん、厨房に戻って!!」と店長が近づいてきて俺達の会話は中断された。
 
「あぁ、彼とは知り合いでね、すぐに終わるから少しだけいいかな?」

 店長は少し不満げだったが、マイケルのオーラに圧倒されてか、テーブルへ案内した後、少しだけ話す時間を取ってくれた。「要件話したらさっさと厨房戻ってね。混んできてるから」と俺に忠告をして。
 
「行き違いがあるのかな?太郎からは試験にパスできなかったと最後に聞いたんだが…」
 
「試験?あいつは学校の勉強もできて、人気者で…」

「あぁ、そっちの試験じゃなくて。そうか。君は知らないんだな。まぁ、一応太郎には連絡を取ってみるし、口添えもしとくけど、試験からだいぶ時間も経っているし、難しいかもしれないな。我々は制約のある中で生きているから互いに干渉できないんだ」
 
「親なのに?」

』という言葉に、俺はすごく傷ついた。それに反発するかのように、マイケルを非難するような言い方になってしまった。

「色々あるのさ」

 だがマイケルは気にする素振りもなく、そういって、それ以上太郎について話すことをやめてしまった。今あいつがどこにいるのか、何をしているの聞きたいことは山ほどあったが、マイケルが話を拒絶した以上、俺は渋々厨房に戻るしかなかった。


 ◇ 


 数日後、スーツを着た男性二人組が我が家へやってきた。厳しそうな眼差しで、俺の名前を確認すると、彼らの身分証明書を見せてきた。

「入国管理局?入……調査課?」

 入星調査課なんて聞いたことがない。詐欺じゃないかと少し警戒しながら、相手の言葉を待つ。

「山田太郎さんより申請書が提出されまして、山田マイケルさんより嘆願書も添えられてましたので本日は調査に参りました。これは、山田太郎さんがここで生活できるかどうかを確認する試験でもありますので、正直にお答えください。なお、虚偽が判明した場合には、入管法違反で刑に処される可能性があります」

 いい慣れている様子で事務的に訪問の目的を伝えた。俺はごくりとつばを飲んで頷く。

「ではまず、山田太郎さんとはどういったご関係ですか?一緒に撮った写真などはありますか?」

 質問の内容や要求自体は難しいものではなかった。だが、『入管法』というワードと相手側が持つ威圧に背筋に冷たい汗が流れた。マイケルも言っていた『試験』とはなんだ?俺の発言が失敗したら、あいつはもう日本に入国出来なくなるのだろうか?
 俺は恐る恐るスマホに残るかつて仲の良かった時に撮った写真や、子供の時のアルバムを出して見せた。写真を確認しながら調査員は言った。

「当時の書類を確認したところ、山田太郎さんは、滞在期限内に身元引受人を見つけることが出来なかったと書かれていました。マイケルさんではなれませんし。ですから、2年も経って、なぜ今更申請が出されたのか、我々は疑問に思っています。古谷一太さん、なぜ今更そんな書類が出されたのかご存知ですか?そして、あなたは山田さんの身元引受人になれますか?」
 
 「はい。太郎が望んでくれるなら身元引受人でもなんでもなります!その…太郎とは…ずっと親友だったんです…ですが…」
 
 もう一度太郎に会いたい。その一心だった。
 先日バイト先で偶然マイケルにあったことから始まり、俺は今までのことを話し始めた。既読にならないトーク画面に綴った後悔を、俺は初対面の人間に向かって話した。
 例え二度と太郎に会えなかったとしても、俺の気持ちが、この調査員から太郎に伝わりますように。そう願った。
 
「俺はいつの間にか太郎を好きになってて。向こうももしかしたら、って期待していたのに、あいつがふざけたこというから俺、頭にきてしまったんです…」

 あの時の事を思い出して、目の奥が熱くなってきた。泣かないようにうつむいたままぐっと堪えて、話を続けた。調査員達は表情も変えず、口も挟まずに俺の悔恨の思いを聞いていた。

「太郎に謝りたいんです。もし太郎が入国できないのであれば、俺が会いに行くので、居場所を教えてもらえませんか?それがダメなら、太郎に俺が連絡を待っていることを伝えてもらえませんか?」
 
「太郎さんの秘密についてなにか聞いたことは?」

 下げた頭の上から事務的な質問が降ってくる。俺は顔を上げて調査員の質問を考える。俺の気持ちは伝わってないのかもしれない。

「ひみつ…ですか?」

「ええ、太郎さんが貴方にだけ話したと思われる内容ってないですか?」

「俺達は親友だったし、ずっと一緒にいたから、俺しか知らないことは多いと思うけど……」

 戸惑っていると調査員が顔を見合わせて首を振った。だめなのか。もう太郎には会えないのか。
 俺は藁にも縋る思いで言った。喧嘩の原因となった内容。バカバカしくて、今どき小学生でも言わないようなあいつの冗談。
 
「エイリアン!!あいつ、自分がエイリアンだって言ってました。俺、意味がわからなくて。たしかにあいつは変わってるけど、色々完璧すぎて本当に同じ人間かな?って思うこともいっぱいあったけど、でも俺は太郎の良いとこいっぱい知ってるし……『常識』とか『普通』にとらわれて周りの視線を気にしすぎるところも、繊細なところも、気を使いすぎるところも全部知ってるから……俺はっ!!俺は、太郎がエイリアンでも犯罪者でもいいから、俺は太郎に会いたいんです!!どうか会わせてください!!」

 俺はさっきよりも深く、これ以上ないくらい頭を下げた。太郎に何があったのかはわからない。でも彼らとのつながりが切れたら、もう二度と会えない、そんな気がした。
 
「…ありがとうございました」

 調査員は無表情のまま、調査の終了を告げた。

「あのっ、太郎に連絡取ってくれますか?俺が会いたがってると、俺が謝りたがってると!」

 調査員は困ったように眉をしかめて、にじり寄る俺を制した。
 
「申し訳ありません。一応、記載はしておきますが、我々は調査報告書を提出するだけですので。それに、今回は期限切れでの申請ですし、どうなるか我々はまったくわかりません。申請が通れば手続きのために会いに来るでしょうが、申請が認められなかった時は双方連絡を取り合うことは難しいと思いますので、一応覚悟はしておいてください」

 頼みの綱が切れたような気がした、へなへなと座り込む。

「そう、なんですね…」

 連絡すら難しい場所。太郎は一体どこにいるんだ?あいつは何をしたんだ?
 調査員が帰った後、俺は声を上げて泣いた。なぜあの時突き放してしまったのだ。太郎なら絶対に俺から離れないなんてどうして思い上がっていたんだ。
 俺は太郎が好きだったんだ。ずっと。だけど、自分のほうが優位に立ちたくて、太郎から告白してくるのを待ってしまった。太郎には『常識』や『普通』にあんなにこだわっていたんだ。あいつに言わせようなんて、なんで思ってしまったんだ。
 フラれてもいいから、俺から言って離れたのだったらこんな後悔なんてしなかったのに。
 離れた期間の分だけ愛おしさが募り、後から後から涙が湧いてきた。
 

 それから3ヶ月が過ぎて、季節が変わったにも関わらず、俺の生活は何も変わらなかった。
 太郎は戻ってこない。なんの連絡もない。
 高校や大学にも友達はいるが、あいつのいない生活はやっぱり虚しくて寂しい。どこか体の一部が切り取られてしまったような感覚を俺はずっと味わっている。


「古谷さんって、なんかクールですよね。よかったら、今度二人で遊びに行きませんか?」

 居酒屋のバイトを終えたところだった。閉店後、バイト仲間数人と一緒に裏口からでてきて、同僚の一人が俺に話しかけてきた。胸が大きくてパッチリした目が可愛いと、そういえば誰かが言っていた。
 俺は気分が乗らず、どう断ろうかと逡巡していた。
 
「いや、クールなんて全然そんなんじゃないよ…えっと、ごめん…俺、二人はちょっと……」

「彼女いるんですか?」

「いや、いない……けど……」

 自分に自信があるのだろう。ぐいぐい押してくる。男だったら嬉しいシチュエーション。彼女の意図は伝わった。だけど俺の心は沈んだままだった。
 誰かと付き合えば、太郎の記憶も薄れていくんだろうか?あいつだって、ずっととっかえひっかえ誰かと付き合っていた。きっともう男友達なんか忘れてどこかで楽しく過ごしているのかもしれない。会えないのならもう太郎のことは忘れたい。一度彼女の誘いに乗ってみるのもいいかもしれない。

 そう気持ちが傾きかけた時、周囲がざわついた。みんなの視点が一人の人間に注目している。周囲のざわめきに反応して、隣の女の子もぽかんとそちらを見ていた。
 俺もみんなの視線の先に目を向けると、そこには待ち焦がれた相手が。

「太郎……?」

「フルちんっ!!!!」

 太郎が大声で俺の名を呼ぶと駆け寄ってきて抱きしめた。
 相変わらずでかい太郎の身体に包まれて、俺は泣いた。

「太郎っ!!!!会いたかった!!!!」

「フルちん、俺も!!!!俺も会いたかったっ!!!!」


 ◇


 俺達は、昔と変わらない俺の家に一緒に帰ってきた。
 家に入ると太郎は懐かしそうに室内を見回した。

 少し落ち着いて、俺は素直に自分の気持ちを伝えた。なんどもなんどもラインのトーク画面に書き込んだ俺の告解。
 黙って聞いていた太郎が話し始めた。
 
「俺ね、ずっと男同士はだめなんだと思っていたんだ。それがこの星で生きていくためのルールなんだって。だからなんで女の姿を選ばなかったんだろう、ってすごく後悔してた。だから、がんばって女の子と付き合って好きになろうと努力して…。
でも、あの日フルちんに言った内容を知って、カノジョに怒ったんだ。そしたカノジョが言ったんだよね。『いっつもフルちん、フルちんって!!なんでそんなに古谷くんにベッタリなの!?ゲイなの!?』って。俺、その時初めて男同士でもいいんだって知って…。それでフルちんに告白したんだ。
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 しばらくして帰ってきた母親に、太郎がエイリアンという内容は伏せて、俺達は適当に辻褄合わせの事情を説明した。だが、俺達が付き合うことはきちんと説明した。
 母親は「アンタが幸せならそれでいい」と、あっさりしたものだった。

 太郎達エイリアンにとっては、『自分がエイリアンである』という告白は、彼らにとっては自分の伴侶になる予定の相手にしか伝えられない最大級の告白だったらしい。それもチャンスは一人にだけ。失敗したらもうほかの人では認められないらしい。

「そんなんわかるかよっ!!」
 
 その一回のチャンスで俺に嫌われてしまったと思った太郎は、滞在期限を終えてこの星から出ていかなくてはならなくなった。

「フルちんがいなくて寂しかった。俺、ずっとこうしたかったんだ」

 今日もソファに座りながら、俺を抱きしめて離さない太郎。
 住むところのない太郎は俺の家に居候することになった。マイケルさんとは同じ星出身のまったくの他人で、この国に滞在するための仮の身元引受人だったらしい。

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 それは俺にとっても気になっている話だった。
 俺達は付き合っているとは言え、まだ清い関係だ。ちんこがあるのは見たことあるけど、諸々の機能は一緒なんだろうか?太郎ならどっちでもいいけど…。
 俺は恐る恐る太郎を見る。なにも知識がなく、キョトンとしている太郎を見て「俺が攻めかな…」とニンマリわらったのはほんの一瞬で、その後、人間の生殖行為を猛勉強した太郎は、そのエイリアン級の能力を大いに発揮して俺を泣かせまくったのだった。

「だって好きな人が、こーんなにかわいく俺の下で喘いでるんだもん。もっともっと見たいって思っちゃうのはのことでしょ?」

 そういって微笑んだ。
 



 (おしまい)

※お話自体は完結しておりますが、番外編でその後の二人を書いています。
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感想 5

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ある施設でモルモットとして飼われている僕。 日々あらゆる実験が行われている僕の生活の話です。 痛い実験から気持ち良くなる実験、いろんな実験をしています。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

身体検査

RIKUTO
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次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

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