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61、暴走

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 ブランジェ家は、貴族屋敷らしく部屋数が多い。一階にはダイニングや厨房、応接室や当主の書斎、客間や使用人の詰め所などがある。そして、二階は家族のプライベートスペース。一家の私室と衣装部屋などが並んでいる。
 その部屋の中には当然、長男の私室もあって……。
 ダイニングルームを飛び出したヴィンセントが私室に籠もったと近くの使用人に聞いて、フルールは階段を駆け上がった。

「お兄様! お兄様!」

 鍵の掛かったドアをノックして呼びかけるが、返事はない。

「開けてください、お兄様。わたくし、こんな風にお兄様と決別するなんて嫌です。話を聞いてください!」

 手が痛くなるほど戸板を叩き続ける。

「おに……」

 何十回目かのノックが空振りする。中からドアが開き、狭い隙間からヴィンセントが顔を覗かせたからだ。

「お兄様……」

 無言で引かれたドアに、フルールは静かに室内に足を踏み入れる。
 兄の私室には子供の頃から何度も入ったことがあるのに、今日はなんだか緊張してしまう。
 ソファセットとベッドだけの簡素な室内。十五歳から屋敷を離れて生活している兄の私物は驚くほど少ない。
 ランプの灯りが一つしかない薄暗い部屋で、彼と彼女は向き合う。

「今更、何を聞けというのだ」

 宵闇に金の髪を揺らし、ヴィンセントが吐き捨てる。

「お前は使節団に入ると決めたのだろう。私に何の相談もなく」

「ご相談しなかったことは申し訳ありません。でも、今日知って、今日決めたことですから、真っ先に家族に伝えましたわ」

 まさかヴィンセントが別ルートから情報を入手してくるなんて想定外だったが。

「わたくし、ようやくやりたいことが見つかりましたの。だから……お兄様にも認めてもらいたいんです」

 切実な妹の訴えを、兄は鼻で嗤う。

「認めるも何も。私が否と言ってもお前は引かなかったではないか」

「ええ。反対されても、わたくしの決意は変わりません。でも……」

 肩先に長い金髪が零れる。

「反対されたままお別れするのは悲しいです」

 青い瞳が涙に揺らぐ。

「お兄様はわたくしに仰いましたよね。『自由に羽ばたいて、興味のあることに挑戦するといい』って。今がその時なのです」

「……それは、私の目の届く範囲に居る前提だ。戻る保証のない場所へ行かせるのは許容できない。もし、行かせたとして……戻った時、お前は俺を選ぶのか?」

「それは……」

 解らない。
 黙ってしまった妹に、兄はせせら笑う。

「フルール、お前は現状から逃げ出したいだけだろう。この場から逃れ、私から逃れ、誰も知らない場所で、一からやり直したいだけ」

「ち、違います!」

 堪らずフルールは首を振る。
 確かに彼女はずっと逃げたかった。何かを選んで何かを選ばなくて、傷ついたり傷つけたりするのが嫌だった。
 でも、これは違う。

「これはわたくしが選んだ道。逃げるのではなく、先に進んだ結果です。だから……」

「だから、私を……家族まで切り捨てるのか?」

 ヴィンセントは大股で一歩近づくと、フルールの腕を掴んだ。

「痛っ……あ!?」

 そのまま有無を言わさずベッドに引き倒す。

「お兄……」

 起き上がろうとしたフルールの両手首を押さえつけ、ヴィンセントは細い妹の体に馬乗りになる。

「選択肢など与えるべきではなかった」

 獰猛な野獣の目で見下ろす。

「私しか選べないようにしてやる。フルール、お前を私のものにする」
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