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48、真夜中の告白(1)

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 心も身体も疲れているのに、頭だけは妙に冴えていて眠れない時がある。
 フルールは暗闇の中、広いベッドの端から端まで何度か寝返りで往復してから、とうとう諦めて上体を起こした。

「わたくし、昨日までどうやって眠っていたのかしら?」

 そんな滑稽なことを真剣に呟いてしまうくらい、まったく睡魔が訪れない。
 気分転換に喉を潤そうと、サイドテーブルの水差しに手を伸ばすと、

「あら?」

 注ぎ口の尖ったクリスタルガラスのそれの中身は空っぽだった。
 メイドが水差しの交換を忘れたのだろう。ブランジェ家の使用人は皆優秀だが、たまにはミスだってある。
 ベッドサイドの呼び鈴を鳴らせばすぐに誰かが駆けつけるだろうが、夜中に些細な用事で呼びつけるのも憚られて、フルールはベッドの下の室内履きにつま先を入れた。
 自分で厨房の水瓶まで歩いていこうと即決するあたりは、彼女の大貴族の令嬢らしからぬところだ。
 こんな場面を見られたら、遠慮せずに人を使いなさいとエリックに怒られるなと、空の水差しを片手に思い出し笑いする。
 フルールの専属執事は、過保護で心配性なのだ。

(夜だって、自分の家の中を歩くくらい、どうってことないのにね)

 ネグリジェの肩にガウンを掛けて、音を立てぬようドアを開けて寝室を出る。
 燭台の灯の落とされた廊下は窓から差し込む月明かりだけでぼんやり薄暗く、別世界に迷い込んだような不気味さがある。
 ……生まれた時から暮らしている家なのに、ちょっぴり怖気づいてしまう。
 それでも、部屋に引き返してたった一杯の水のために人を呼ぶ気にもならなくて、フルールは夜の帳の中に一歩踏み出した。
 ぺたぺたと底の薄い室内履きの足音が廊下に響く。
 フルールの私室は二階だ。一階の厨房へ向かう階段を下りようとして――

「……てよ!」

 ――微かに人の声が聴こえて足を止めた。
 身を乗り出して一階を見下ろすと、壁に巨大な黒い男女が揺らめいていた。多分、近くにあるランプの灯りが彼らを影絵として映し出しているのだろう。

「もう、いい加減諦めなさいよ!」

 影絵の女性の方が、怒った声を出す。夜中で声量は十分下げられているが、如何せん、静かな廊下はよく響く。話の内容は階上のフルールに筒抜けだ。
 影の形からして女性はメイド服。そして、あの声は……。

(カトリーナ?)

 令嬢より二歳年上のメイドが、誰かに詰め寄っている。
 盗み聞きはまずいかしら、と思いつつ、動くと物音で気づかれてしまいそうで足がすくんでしまう。
 石のように固まったフルールをそのままに、カトリーナは続ける。

「叶わない相手をいくら想い続けても仕方がないじゃない。あたしにしておきなさいよ。あたしだったら、あんたを解ってあげられる。現実に結婚して、家庭を作ってあげる。あんたが誰を想っていたって一緒にいてあげる!」

 切実な告白に、フルールは息を止めた。あの明るく元気なカトリーナに、こんな激しい感情があるなんて。
 メイドの影が、男性の影の胸に飛び込む。

「お願い、あたしにすると言って」

 背中に手を回し、彼の胸に顔を埋めるカトリーナ。
 そんな彼女の頭を、男の影が優しく撫でた。横顔の唇が開く。

「ごめん、カトリーナ」

 ……!

 フルールは心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。

 それは……紛れもなくエリックの声だった。
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