9 / 18
9、日課のこと
しおりを挟む
夕食後は、アパートから徒歩五分の銭湯に行くのが篁家の日課。
たまには夕食前や一人で行くこともあるけれど、大体は食器を片付けた後に二人で出掛ける。
番台の前で別れて三十分。
大きい湯船をしっかり堪能した一花は、備え付けのドライヤーで入念に髪を乾かしてから脱衣所を出る。下駄箱の前にはすでにリクトが立っていた。
「お待たせしました」
「俺も今出たところだ」
会話だけだと恋人同士のようだが、スウェット姿の小柄な女子高生と鴨居によく頭をぶつける全身甲冑の異世界人が並ぶ姿は、とてもチグハグだ。
「リクトさん、今日は何を飲みます? わたしはフルーツ牛乳」
「俺はコーヒー牛乳だな」
番台で小銭を渡して、牛乳瓶のぎっしり並んだ冷蔵庫を開ける。
風呂上がりの瓶牛乳は元々一花のルーティーンの一つで、必然的にリクトも巻き込まれた。
「一花殿はセツヤクチューの割に、瓶牛乳は欠かさないのだな」
「苦しい日々にこそ、潤いは必要です。謂わば必要経費です」
「ヒツヨーケーヒか」
リクトは日々、本国では聞き慣れない言葉を吸収していく。
銭湯の建物外に設置されている休憩用ベンチに座り、瓶牛乳を一本空にする時間分だけ火照った身体を冷ましていると、
「おう、青のにーちゃん。もう帰るのかい?」
威勢のいい声で中年男性が話しかけてきた。あれは確か、商店街の魚屋の大将だ。
「うむ、本日もいい湯だった。佐々木殿は今からで?」
「おうよ。一日の終わりはやっぱ熱い風呂だよな」
どうやらリクトには銭湯仲間ができていたようだ。
「そうだ、青のにーちゃん、今度ウチの草野球チームに来ねぇか? イセカイじゃあ毎日剣を振ってたんだろ? それをバットに持ち替えてみねぇか?」
「俺は叩くより斬る方が性に合う」
「そう言うなよ。青のにーちゃんはいいカラダしてっから野球のユニフォームが絶対似合うのに。嬢ちゃんもそう思うよな?」
いきなり話を振られて、一花は曖昧に笑って返す。
……一緒に暮らし始めてしばらく経つが、一花は未だリクトの素顔を見たことがない。銭湯に入る時は流石に脱いでいるようだが、出た時には完全武装なので、結局見る機会がないのだ。
「次の日曜、隣町チームと試合があるんだ。だからどうしても若い戦力が欲しくて……」
話が長引きそうになった時、吹き抜けた夜風に一花が小さくくしゃみをしたので、リクトはベンチを立った。
「今日はこれで失礼する。佐々木殿、また銭湯で」
大股で歩き出したリクトに、一花は急いでついていく。角を曲がってすぐに、重戦士は歩調を緩めた。
「一花殿、寒くないか? 風邪を引いたのでは?」
心配そうな声のリクトに一花は「ううん」と首を振る。
「ちょっと鼻がむずむずしただけ」
「それなら、タイミングのいいくしゃみだった」
功労を称えるリクトに、一花は笑ってしまう。
帰りの道は街灯が少ない。一人の時は不安に感じていた暗がりも、重戦士がいれば怖くない。
(リクトさんは、『青』くて『いい体』で『若い』、か……)
一花が先程の魚屋大将から仕入れた情報を頭の中で反芻していると、空を見上げたリクトはポツリと呟いた。
「月が綺麗だな」
ドキンと心臓が跳ねる。それは、異世界人のリクトが深い意味を持って口にした言葉ではないと思うが。一花がなんと答えようか迷っていると、
「今日は一つしかないのか」
「……は?」
追撃の言葉に、一花は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「なんですか? 一つしかないって?」
「月だ。今は一つしか出ない時期なのか?」
「今日も明日も何年先も、地球の月は一つだけです」
「なんと! それは寂しいな」
驚く異世界人に、地球人は苦笑する。
「寂しいも賑やかもないですよ、これがこの世界の『普通』ですから。トツエルデは違うんですか?」
「機嫌がいい日は五個くらい昇る」
「……機嫌?」
誰の機嫌で天体の状況が変わるというのだ。
「まさか、太陽も複数あるんですか?」
一応確認してみると、
「太陽は一つだ」
そこは同じなんだ、と地球人が共感を覚えた、瞬間。
「たまに燃え尽きて生まれ変わるが」
……やっぱり異世界だった。
「世の中には、わたしの知らないことがいっぱいあるんですね」
「一花殿的には、俺の世界は『世の外』の話だろう」
取り留めのない話をしながら、いつものように帰路についた。
「リクトさーん、電気消しますよ」
「おう」
午後十一時は、篁家の消灯時間。他にやることがある時は、各自で手元スタンドを使うのが共同生活でのルールだ。
一間しかないから、寝る時だけプライベート空間をカーテンで仕切る。
暗がりの中、あまり騒がしくしないようにと遠慮がちに鎧を脱ぐ金属音が聞こえる。
今、カーテンを捲ればリクトの素顔が見られるのだろうが……一花にそれをするつもりはない。
――初めてこの家に来た時、リクトは部屋の隅に座って、盾で自身を隠すようにして甲冑姿のまま寝ていた。
それがやっと鎧を脱いで布団で横になるようになったのだ。警戒心を揺り戻すようなことはしたくない。
「おやすみなさい、リクトさん」
「おやすみ、一花殿」
今の生活が大事だから、余計な詮索はしない。
そう決めている一花だったが――
(……何が『青』なんだろ?)
――たまに考え出すと、眠れない夜もあるのだった。
たまには夕食前や一人で行くこともあるけれど、大体は食器を片付けた後に二人で出掛ける。
番台の前で別れて三十分。
大きい湯船をしっかり堪能した一花は、備え付けのドライヤーで入念に髪を乾かしてから脱衣所を出る。下駄箱の前にはすでにリクトが立っていた。
「お待たせしました」
「俺も今出たところだ」
会話だけだと恋人同士のようだが、スウェット姿の小柄な女子高生と鴨居によく頭をぶつける全身甲冑の異世界人が並ぶ姿は、とてもチグハグだ。
「リクトさん、今日は何を飲みます? わたしはフルーツ牛乳」
「俺はコーヒー牛乳だな」
番台で小銭を渡して、牛乳瓶のぎっしり並んだ冷蔵庫を開ける。
風呂上がりの瓶牛乳は元々一花のルーティーンの一つで、必然的にリクトも巻き込まれた。
「一花殿はセツヤクチューの割に、瓶牛乳は欠かさないのだな」
「苦しい日々にこそ、潤いは必要です。謂わば必要経費です」
「ヒツヨーケーヒか」
リクトは日々、本国では聞き慣れない言葉を吸収していく。
銭湯の建物外に設置されている休憩用ベンチに座り、瓶牛乳を一本空にする時間分だけ火照った身体を冷ましていると、
「おう、青のにーちゃん。もう帰るのかい?」
威勢のいい声で中年男性が話しかけてきた。あれは確か、商店街の魚屋の大将だ。
「うむ、本日もいい湯だった。佐々木殿は今からで?」
「おうよ。一日の終わりはやっぱ熱い風呂だよな」
どうやらリクトには銭湯仲間ができていたようだ。
「そうだ、青のにーちゃん、今度ウチの草野球チームに来ねぇか? イセカイじゃあ毎日剣を振ってたんだろ? それをバットに持ち替えてみねぇか?」
「俺は叩くより斬る方が性に合う」
「そう言うなよ。青のにーちゃんはいいカラダしてっから野球のユニフォームが絶対似合うのに。嬢ちゃんもそう思うよな?」
いきなり話を振られて、一花は曖昧に笑って返す。
……一緒に暮らし始めてしばらく経つが、一花は未だリクトの素顔を見たことがない。銭湯に入る時は流石に脱いでいるようだが、出た時には完全武装なので、結局見る機会がないのだ。
「次の日曜、隣町チームと試合があるんだ。だからどうしても若い戦力が欲しくて……」
話が長引きそうになった時、吹き抜けた夜風に一花が小さくくしゃみをしたので、リクトはベンチを立った。
「今日はこれで失礼する。佐々木殿、また銭湯で」
大股で歩き出したリクトに、一花は急いでついていく。角を曲がってすぐに、重戦士は歩調を緩めた。
「一花殿、寒くないか? 風邪を引いたのでは?」
心配そうな声のリクトに一花は「ううん」と首を振る。
「ちょっと鼻がむずむずしただけ」
「それなら、タイミングのいいくしゃみだった」
功労を称えるリクトに、一花は笑ってしまう。
帰りの道は街灯が少ない。一人の時は不安に感じていた暗がりも、重戦士がいれば怖くない。
(リクトさんは、『青』くて『いい体』で『若い』、か……)
一花が先程の魚屋大将から仕入れた情報を頭の中で反芻していると、空を見上げたリクトはポツリと呟いた。
「月が綺麗だな」
ドキンと心臓が跳ねる。それは、異世界人のリクトが深い意味を持って口にした言葉ではないと思うが。一花がなんと答えようか迷っていると、
「今日は一つしかないのか」
「……は?」
追撃の言葉に、一花は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「なんですか? 一つしかないって?」
「月だ。今は一つしか出ない時期なのか?」
「今日も明日も何年先も、地球の月は一つだけです」
「なんと! それは寂しいな」
驚く異世界人に、地球人は苦笑する。
「寂しいも賑やかもないですよ、これがこの世界の『普通』ですから。トツエルデは違うんですか?」
「機嫌がいい日は五個くらい昇る」
「……機嫌?」
誰の機嫌で天体の状況が変わるというのだ。
「まさか、太陽も複数あるんですか?」
一応確認してみると、
「太陽は一つだ」
そこは同じなんだ、と地球人が共感を覚えた、瞬間。
「たまに燃え尽きて生まれ変わるが」
……やっぱり異世界だった。
「世の中には、わたしの知らないことがいっぱいあるんですね」
「一花殿的には、俺の世界は『世の外』の話だろう」
取り留めのない話をしながら、いつものように帰路についた。
「リクトさーん、電気消しますよ」
「おう」
午後十一時は、篁家の消灯時間。他にやることがある時は、各自で手元スタンドを使うのが共同生活でのルールだ。
一間しかないから、寝る時だけプライベート空間をカーテンで仕切る。
暗がりの中、あまり騒がしくしないようにと遠慮がちに鎧を脱ぐ金属音が聞こえる。
今、カーテンを捲ればリクトの素顔が見られるのだろうが……一花にそれをするつもりはない。
――初めてこの家に来た時、リクトは部屋の隅に座って、盾で自身を隠すようにして甲冑姿のまま寝ていた。
それがやっと鎧を脱いで布団で横になるようになったのだ。警戒心を揺り戻すようなことはしたくない。
「おやすみなさい、リクトさん」
「おやすみ、一花殿」
今の生活が大事だから、余計な詮索はしない。
そう決めている一花だったが――
(……何が『青』なんだろ?)
――たまに考え出すと、眠れない夜もあるのだった。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
Shadow★Man~変態イケメン御曹司に溺愛(ストーカー)されました~
美保馨
恋愛
ある日突然、澪は金持ちの美男子・藤堂千鶴に見染められる。しかしこの男は変態で異常なストーカーであった。澪はド変態イケメン金持ち千鶴に翻弄される日々を送る。『誰か平凡な日々を私に返して頂戴!』
★変態美男子の『千鶴』と
バイオレンスな『澪』が送る
愛と笑いの物語!
ドタバタラブ?コメディー
ギャグ50%シリアス50%の比率
でお送り致します。
※他社サイトで2007年に執筆開始いたしました。
※感想をくださったら、飛び跳ねて喜び感涙いたします。
※2007年当時に執筆した作品かつ著者が10代の頃に執筆した物のため、黒歴史感満載です。
改行等の修正は施しましたが、内容自体に手を加えていません。
2007年12月16日 執筆開始
2015年12月9日 復活(後にすぐまた休止)
2022年6月28日 アルファポリス様にて転用
※実は別名義で「雪村 里帆」としてドギツイ裏有の小説をアルファポリス様で執筆しております。
現在の私の活動はこちらでご覧ください(閲覧注意ですw)。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
〔仮〕悪役令嬢は婚約破棄で自由を謳歌する
ブラックベリィ
恋愛
誤字脱字や、文章のおかしいところなども有ると思いますが、リハビリ兼ねて制約無しのご都合主義で万進します。
勿論、主人公も唯我独尊で行こうと思っています。
すみません、まだ精神が脆弱な状態の為、感想は閉めてあります。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
獣人の彼はつがいの彼女を逃がさない
たま
恋愛
気が付いたら異世界、深魔の森でした。
何にも思い出せないパニック中、恐ろしい生き物に襲われていた所を、年齢不詳な美人薬師の師匠に助けられた。そんな優しい師匠の側でのんびりこ生きて、いつか、い つ か、この世界を見て回れたらと思っていたのに。運命のつがいだと言う狼獣人に、強制的に広い世界に連れ出されちゃう話
魔性の悪役令嬢らしいですが、男性が苦手なのでご期待にそえません!
蒼乃ロゼ
恋愛
「リュミネーヴァ様は、いろんな殿方とご経験のある、魔性の女でいらっしゃいますから!」
「「……は?」」
どうやら原作では魔性の女だったらしい、リュミネーヴァ。
しかし彼女の中身は、前世でストーカーに命を絶たれ、乙女ゲーム『光が世界を満たすまで』通称ヒカミタの世界に転生してきた人物。
前世での最期の記憶から、男性が苦手。
初めは男性を目にするだけでも体が震えるありさま。
リュミネーヴァが具体的にどんな悪行をするのか分からず、ただ自分として、在るがままを生きてきた。
当然、物語が原作どおりにいくはずもなく。
おまけに実は、本編前にあたる時期からフラグを折っていて……?
攻略キャラを全力回避していたら、魔性違いで謎のキャラから溺愛モードが始まるお話。
ファンタジー要素も多めです。
※なろう様にも掲載中
※短編【転生先は『乙女ゲーでしょ』~】の元ネタです。どちらを先に読んでもお話は分かりますので、ご安心ください。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる