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1、魔法使いの家
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緑のローブの青年は、上も下も区別のつかない毒々しい粘液の塊――レナロッテ――を抱え上げた。拍子にびしゃりと紫の飛沫が散って、彼の秀麗な頬に張りつく。
「うへー! キモっ!」
狐の尻尾をぼわぼわに膨らませて、子供が震え上がる。
「お師様、そんなばっちいモン触っちゃダメです。お師様まで穢れちゃいますよ」
思い切り距離を取って木の陰から呼びかける狐の子に、青年は困った風に眉を下げた。
「ノノ。そんな言い方をしたら、彼女に失礼でしょう」
「へ? それ、女の人なんですか!?」
子供は縦長の瞳孔の目をぱちくりさせる。
「どう見ても女性でしょう」
「どう見てもヘドロです」
「……すみません、弟子の口が悪くて」
青年は腕の中の粘体に頭を下げる。彼には巨大な蛭のようなレナロッテの全体像が把握できているようで、ちゃんと顔を見て話してくれている。それだけで……泣くほど嬉しい。
でも、零れる涙はやっぱり紫色で、ぼたぼたと皮膚の粘液を巻き込んで彼のローブを濡らしていく。
「ごめ……な、さ……。ょご…し…て」
上手く舌が回らない。もどかしくてもがくレナロッテに、青年は穏やかに微笑んだ。
「こんな状態で私の服の心配をするなんて、貴女は優しい人ですね」
「……!」
途端に心拍数が跳ね上がり……、体中から粘液がぶしゃっと噴き出した!
「ぎゃー! お師様、それ、ヤバい! 今すぐ捨てて! 燃やして!!」
全力で後退りながら大絶叫する子供に、彼女も居た堪れなくなる。穴があったら入りたい。むしろ埋めてもらいたい。
それでも青年は気にする素振りもなく、羽でも抱いているかのような軽やかさで成人女性の重さのレナロッテを運んでいく。
深い森をしばらく進んでいくと、少し拓けた場所に建つ一軒の丸太小屋の前に出た。
(あれ……?)
彼女はその小屋をどこかで見たことがある気がした。
ドアの前で立ち止まると、青年は子供を振り返った。
「ノノ、行水用の盥を部屋に運んでください」
「は? そのブニョブニョを家の中に入れる気ですか? 正気ですか? 家まで汚染されますよ!?」
ギャンギャン騒ぐ子供に、青年はため息をつく。
「野ざらしでは可哀想でしょう。暖かい場所で休ませてあげないと」
「バケモノよりもボクに気を遣ってくださいよ、お師様!」
子供は断固抗議する。
「そいつの粘液、絶対体に良くないでしょう!」
「まあ、人体にはかなりの悪影響ですね」
あっさり肯定した。
「やっぱり!」
「でも、私達は呪詛に抵抗力があるので、しばらくは大丈夫かと」
「呪詛! マジヤバなやつじゃないですか! 嫌ですよ、ボク。安寧なスローライフが脅かされるのは!」
腕を振り回して暴れる子供に、青年はすっと緑の目を細めた。そして顔をしっかり見つめ、静かに口を開く。
「盥を持ってきてください、ノノ」
低い声のトーンに、ピタリと子供が動きを止めた。
「……はぁい」
唇を尖らせ、狐耳をしゅんと下げて、子供が納屋へと歩いていく。どうやら確固たる上下関係があるようだ。
玄関ドアを抜けた先、ダイニングルームの床に盥が置かれ、その中に巨大な蛭が入れられる。
「なにするんですか?」
「薬浴ですよ」
子供か覗き込む傍で、青年は桶でゆっくりと盥に水を満たし、それから小瓶の液体を注いだ。
「まずは聖水で表面の穢れを取り除きます。濃いと内部まで灼けてしまう可能性があるので、最初はうんと希釈して」
「聖水を薄めて使うなんて、初めて聞きました。洗濯の漂白剤みたいですね」
浅い盥で半分水に沈んで横たわるレナロッテ。その皮膚から小さな気泡が湧いている。
「なんかいつもの実験みたいですね。培養瓶のボクもこんな感じでした?」
「そうですねぇ……もっと細胞分裂が活発でしたよ」
二人に見守られる中、顔を覆っていた粘液の一部が崩れた。赤黒く爛れた皮膚の間から、青い瞳が覗く。じっと視線を合わせるレナロッテに、青年は微笑んだ。
「自己紹介が遅くなりました。私はフォリウム、この森に棲む魔法使いです。こっちは弟子のノノ」
「ども」
三角耳をピンと立て、子供が軽すぎる挨拶をする。
「貴女のお名前を教えていただけますか?」
「……レ……ロっ、テ」
全然満足に発音できていなかったが、
「レナロッテさんですね」
フォリウムにはちゃんと伝わっていた。
「お疲れでしょう。今日はゆっくり休んでください。詳しい事情は、また後日に。何か食べられそうですか?」
レナロッテはふるふると首(らしき部位)を振る。この身体になってから、食欲がない。
「そうですか。では、おやすみなさい」
魔法使いは自然な仕草でレナロッテの頭を撫でた。背後では、粘液まみれの師匠の手に弟子が露骨に嫌そうな顔をして尻尾を膨らませている。
……もうずっと、自分が寝ているかも起きているのかも判らなかったのに……。
今は、とても眠い。
聖水の海に漂いながら、彼女は久し振りに穏やかな気持ちで目を閉じた。
「うへー! キモっ!」
狐の尻尾をぼわぼわに膨らませて、子供が震え上がる。
「お師様、そんなばっちいモン触っちゃダメです。お師様まで穢れちゃいますよ」
思い切り距離を取って木の陰から呼びかける狐の子に、青年は困った風に眉を下げた。
「ノノ。そんな言い方をしたら、彼女に失礼でしょう」
「へ? それ、女の人なんですか!?」
子供は縦長の瞳孔の目をぱちくりさせる。
「どう見ても女性でしょう」
「どう見てもヘドロです」
「……すみません、弟子の口が悪くて」
青年は腕の中の粘体に頭を下げる。彼には巨大な蛭のようなレナロッテの全体像が把握できているようで、ちゃんと顔を見て話してくれている。それだけで……泣くほど嬉しい。
でも、零れる涙はやっぱり紫色で、ぼたぼたと皮膚の粘液を巻き込んで彼のローブを濡らしていく。
「ごめ……な、さ……。ょご…し…て」
上手く舌が回らない。もどかしくてもがくレナロッテに、青年は穏やかに微笑んだ。
「こんな状態で私の服の心配をするなんて、貴女は優しい人ですね」
「……!」
途端に心拍数が跳ね上がり……、体中から粘液がぶしゃっと噴き出した!
「ぎゃー! お師様、それ、ヤバい! 今すぐ捨てて! 燃やして!!」
全力で後退りながら大絶叫する子供に、彼女も居た堪れなくなる。穴があったら入りたい。むしろ埋めてもらいたい。
それでも青年は気にする素振りもなく、羽でも抱いているかのような軽やかさで成人女性の重さのレナロッテを運んでいく。
深い森をしばらく進んでいくと、少し拓けた場所に建つ一軒の丸太小屋の前に出た。
(あれ……?)
彼女はその小屋をどこかで見たことがある気がした。
ドアの前で立ち止まると、青年は子供を振り返った。
「ノノ、行水用の盥を部屋に運んでください」
「は? そのブニョブニョを家の中に入れる気ですか? 正気ですか? 家まで汚染されますよ!?」
ギャンギャン騒ぐ子供に、青年はため息をつく。
「野ざらしでは可哀想でしょう。暖かい場所で休ませてあげないと」
「バケモノよりもボクに気を遣ってくださいよ、お師様!」
子供は断固抗議する。
「そいつの粘液、絶対体に良くないでしょう!」
「まあ、人体にはかなりの悪影響ですね」
あっさり肯定した。
「やっぱり!」
「でも、私達は呪詛に抵抗力があるので、しばらくは大丈夫かと」
「呪詛! マジヤバなやつじゃないですか! 嫌ですよ、ボク。安寧なスローライフが脅かされるのは!」
腕を振り回して暴れる子供に、青年はすっと緑の目を細めた。そして顔をしっかり見つめ、静かに口を開く。
「盥を持ってきてください、ノノ」
低い声のトーンに、ピタリと子供が動きを止めた。
「……はぁい」
唇を尖らせ、狐耳をしゅんと下げて、子供が納屋へと歩いていく。どうやら確固たる上下関係があるようだ。
玄関ドアを抜けた先、ダイニングルームの床に盥が置かれ、その中に巨大な蛭が入れられる。
「なにするんですか?」
「薬浴ですよ」
子供か覗き込む傍で、青年は桶でゆっくりと盥に水を満たし、それから小瓶の液体を注いだ。
「まずは聖水で表面の穢れを取り除きます。濃いと内部まで灼けてしまう可能性があるので、最初はうんと希釈して」
「聖水を薄めて使うなんて、初めて聞きました。洗濯の漂白剤みたいですね」
浅い盥で半分水に沈んで横たわるレナロッテ。その皮膚から小さな気泡が湧いている。
「なんかいつもの実験みたいですね。培養瓶のボクもこんな感じでした?」
「そうですねぇ……もっと細胞分裂が活発でしたよ」
二人に見守られる中、顔を覆っていた粘液の一部が崩れた。赤黒く爛れた皮膚の間から、青い瞳が覗く。じっと視線を合わせるレナロッテに、青年は微笑んだ。
「自己紹介が遅くなりました。私はフォリウム、この森に棲む魔法使いです。こっちは弟子のノノ」
「ども」
三角耳をピンと立て、子供が軽すぎる挨拶をする。
「貴女のお名前を教えていただけますか?」
「……レ……ロっ、テ」
全然満足に発音できていなかったが、
「レナロッテさんですね」
フォリウムにはちゃんと伝わっていた。
「お疲れでしょう。今日はゆっくり休んでください。詳しい事情は、また後日に。何か食べられそうですか?」
レナロッテはふるふると首(らしき部位)を振る。この身体になってから、食欲がない。
「そうですか。では、おやすみなさい」
魔法使いは自然な仕草でレナロッテの頭を撫でた。背後では、粘液まみれの師匠の手に弟子が露骨に嫌そうな顔をして尻尾を膨らませている。
……もうずっと、自分が寝ているかも起きているのかも判らなかったのに……。
今は、とても眠い。
聖水の海に漂いながら、彼女は久し振りに穏やかな気持ちで目を閉じた。
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