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三節 考察

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 次の日の放課後、私は画材一式を持って再び高台の階段を登っていた。
 昨日の写真家、椎名さんに聞かれた私が絵を描く理由。一晩中考えてみたが、その答えはやはり見つからなかった。
 階段を登りきってみると、昨日と同じ場所で写真を撮る椎名さんが居た。
 椎名さんはしばらくの間カメラを覗いていたが、やがて私に気づいたのか昨日と同じ笑みを浮かべて挨拶をしてくる。
 「こんにちは。少し早く来てしまったからね、写真を撮って待っていたんだ」
 私も軽く「こんにちは」と挨拶をして、昨日と同じベンチに座って画材を広げる。
 その間も椎名さんは、街の方向にカメラを向け続けていた。
 「昨日も同じ写真を撮っていたんじゃないんですか?」
 私は、ふと気になった事を口にした。
 昨日写真が撮れたなら、またこの場所で写真を撮る意味は無いのではないだろうか?
 「同じ・・・・・・というのは少し違うかな。たしかに僕は昨日、ここで写真を撮っていたけれど、それは昨日の風景だ。風景というのは常に変化している。昨日と同じ写真は二度と撮れないんだよ。僕ら写真家は、絶えず変化する風景の中からより良い物を探して、それを捉えるのが仕事だからね」
 なんとなく、わかる気がする。
 昔テレビで「同じ形の雲は二度と見る事ができない」という言葉を聞いた。おそらくそれと似たような事だろう。
 その後、私は絵の続きを描きながら、昨日の事について聞いてみる事にした。
 「それで、昨日の事ですが・・・・・・」
 「おっと、そうだったね」
 そう言うと椎名さんはカメラを下ろし、私の隣のベンチに座った。
 「描きながらでいいから、聞いてくれないかい」
 私は頷いて、キャンバスから視線を逸らさずに耳だけ傾ける。
 「まず一つ聞いてみたい事があったんだが、ひょっとするとキミは、普通は見えないはずの物が見えたりするんじゃないかな?」
 あまりに予想外な質問に、私は筆を落としてしまった。
 そして驚きの表情を浮かべたまま、椎名さんの方を振り向く。
 「その様子だと、図星みたいだね」
 そんな私とは対象的に、椎名さんはとても冷静だった。
 「そうですが・・・・・・けど、どうして!?」
 私はこの人と出会ってから初めて、感情を表に出した。
 「僕も、見えるからね。妖怪や幽霊を見る事ができる人間は、霊的な存在を触れたり見たりといった風に干渉できる力、霊力を持っているんだ。そして霊力を持っている人間は、妖怪や幽霊、そして人間が発する霊力を感じとる事ができる。だからわかるんだよ、同じように見える人間、霊能力者かどうかが」
 なんという事だ。衝撃的過ぎて思考が追いつかない。
 つまりこの人は私の仲間という事だろうか?
 そして、見える人間が同じように見える人間を知覚できるなら、昨日この人から何かを感じたのはそうい事だろうか。
 「聞かせてほしい。キミが今までどうやってその力と付き合って生きてきたか。」
 椎名さんが私と同じなら、やはりこの人に話せば、私が絵を描き続ける理由もわかるかもしれない。
 そんな期待を持ち、私は意を決して全て話す事にした。
 「物心ついた時から、見えていました」
  それから私は話し始めた。
 妖怪や幽霊の絵を描いていた事。
 それを母に褒められていたから絵を描いていた事。
 同級生に気味悪がられていた事。
 母が死んだ事。
 それが自分のせいだという事。
 そしてそれ以降妖怪や幽霊が見えなくなり、風景画ばかり描くようになった事。
 「・・・・・・だから私は、母が亡くなってからは理由もわからないまま、絵を描き続けていたんです」
 初めて他人に話した、私のルーツ。
 椎名さんは、それを否定せず全て聞いてくれた。
 「なるほど・・・・・・、そんな事があったのか。いや、霊能力者は何かと不幸な人生を送っているのがほとんどだが、キミはその中でも特に苦労したようだね」
 そう言いながら椎名さんは、驚きと悲しみが混じったような表情で私を見ている。
 「私は、なんで絵を描き続けているんでしょうね。もう母は居ないというのに」
 他人にそんな質問をする事自体間違っていると思うが、改めて私は椎名さんに問いかけた。
 「うん、大体わかったよ、キミが今も絵を描き続けている理由」
 またしても予想外の事に、驚きの表情を浮かべて「えっ!?」と声を上げてしまう。
 「なら教えて下さい、私は何故こんな事をしているんですか?」
 その答えが早く知りたくて、私は椎名さんに答えを催促した。
 「それは出来ないな」
 たった一言で、椎名さんは私の要求を突き返した。
 「どうして!?」
 本人が理由を知ることができない道理など無いはずだ。
 「確かに僕はキミが絵を描く理由がわかった。けれど同時に、これはキミ自身が答えを出すべき事だとも思ったんだ。だからキミに教える訳にはいかない」
 椎名さんの言葉を聞き、私はあきらめて「そうですか」と不満そうに言う。
 「けど、このままじゃキミは答えにたどり着けなそうだからね、ヒントをあげよう。一つ、キミは最初から理由を間違えて認識していると思う。少し順番を整理してみるといい。二つ、キミの理由は最初から今まで変わっていない。多少の変化はあれど、本質的な部分は今も同じなんじゃないかな」
 「最初から間違っていて、今も変わらない?」
 少し考えてみたが、ますますわからなくなった。
 「それと、キミのお母さんについてだけど、確かに霊能力者のそばには妖怪や幽霊といったものたちが寄り付きやすい。けれどそれは、霊能力者が持っている霊力に引き寄せられているからなんだ。だから人間にイタズラしたり、危害を加える時だって、そういう人を優先的に狙う。まあ、精神的に衰弱している人も狙われたりするけど、それでも霊能力者の方が狙われやすい。キミの話を聞く限りだと、キミ自身は大きな被害を受けていない。それならキミの周りには、人を死に至らしめるような強い妖怪は居なかったという事だと思う。つまり・・・・・・」
 そこまで聞いて、私はハッと気がついた。
 「それじゃあお母さんの死は・・・・・・」
 「うん、ほぼ確実にキミのせいじゃない。多分、同級生からいじめられていたから、そう思わずにはいられなかったんじゃないかな?」
 あまりの衝撃に、その言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。
 「私のせいじゃなかった?私は、悪くなかった?」
 ぶつぶつと、私は自分に問いかけるようにつぶやく。
 「そうだ、だからキミがそれを気に病む必要は無い。さて、僕から言えるのはここまで。あとはキミ自身で答えを探すんだ」
 そう言って椎名さんは、カメラをしまって立ち去ろうとする。
 「おっとそうだ、最後に一つ。キミのお母さんが亡くなってから、キミは妖怪や幽霊が見えなくなったと言っていたが、それ以降妖怪たちにイタズラしをされたりする事もなくなったのかい?」
 「え?はい、特になかったかと思います」
 去り際に問われた質問に答えると、椎名さんは何か思い悩んだ表情を浮かべた。
 私も一つ言い忘れていた事を思い出し、「そうだ」と言って彼を呼び止める。
 「私の名前、言ってませんでしたよね?藍花晴香って言います」
 彼からは昨日名刺をもらったので名前を知っているが、逆に私の名前は聞かれなかったし、言う機会もなかった。私だけ知っているのもなんだか癪だし、何よりここまでしてもらった相手に名前も言わないのは失礼な気もしたから、名前を教える事にした。
 予想外な事を言われたからか、椎名さんは少し驚いた顔になったが、やがて出会った時と同じ柔らかな笑みを浮かべた。
 「そっか。それじゃあまた、藍花さん。夜は何かと物騒だから、なるべく出歩かないようにね」
 そんな言葉を言い残して、彼は去って行った。
 「最初から間違っていて、今も変わってない理由・・・・・・、それに、お母さんの死が私のせいじゃないなんて・・・・・・」
 椎名さんが去ってからも、私は言われた事を思い返して理由を考えてみたが、やはり何も思い浮かばなかった。
 それからぼうっと空を見ながら考えていると、気づいた時には夕方になっていて、私はそのまま家に帰る事にした。
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