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第十三章 マティア Mathias

Ⅰ・12月24日

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——Mathias


 マティアはベツレヘムの高い身分の家に生まれ、律法や預言書にも通じ、あらゆる知識を身に付けていた。

 イエスの弟子となり共に活動した時期も長かったため、イスカリオテのユダの後任の候補となった。同じく候補となったヨセフとマティアの間でくじ引きが行われ、結果マティアが十二使徒に加えられる事になった。

 だがマティアはその直後、ユダヤ人に捕えられ、石打のあと斬首され殉教したと伝えられている。



         ◇ ◇ ◇



 田村慎一が自殺し、全ての捜査が打ち切られてからすでに一か月以上が過ぎていた。

 ただ痞えていた何かが取れた分けでもなく、その痞えの正体すらまだ掴む事が出来ていない。イスカリオテのユダが自死したあと、籤で選ばれた十三人目の使徒がいた事を知ったが、今さらそんな知識を得ても、何かに役立てる事も出来ない。

——マティア。

 小さな文字で書き殴りB5のノートを閉じた。

「おい、山﨑。お前まだ引き摺っているのか? そんな暗い顔して。それにその資料の山は何だ?」

 やけに明るい顔の晃平を見上げる。

「ああ、"TAMTAM"の、十二使徒連続殺人事件と、七つの罪源連続殺人事件の調書のコピーです」

「だから何でそんな物、今更だろ。もう全部の事件は片が付いたんだ。"TAMTAM"は死んだ。お前も田村慎一が自殺したって分かっているじゃないか」

「勿論ですよ。でもまだ何かすっきりしなくて」

「すっきりしなくても、もうあの事件は終わったんだ。テレビだってもう"TAMTAM"を取り上げている番組なんて何一つやってないぜ。世間も飽きるのが早いもんだな」

「そうなんですね。テレビなんて全然見ないんで」

「相変わらずだな。もう世間は"TAMTAM"なんて忘れてしまっているよ。クリスマスムード一色だ。それに今日はクリスマス・イブだぜ。そんな暗い顔するなよ」

 晃平にそんな事をたしなめられるのもどうかとは思うが、その少し浮かれた口調から世間に戻った平和を窺い知る事が出来る。

「何か晃平さん、やけに浮かれていますね、今日」

 少し意地悪な物言いだったかも。そう思いもしたが、晃平は気にする様子もなく照れ臭そうに頭を掻いている。

「晃平さん、頭掻かないでください。頭垢ふけが飛ぶじゃないですか」

「頭垢なんか飛ばないよ。今日の朝は念入りに頭洗ったからな。それよりお前、クリスマスだぜ。何か予定はないのか?」

「何もないですけど。晃平さんの方こそ」

 少しずつ晃平の顔が崩れていく。

 余程楽しみな事があるのか、薄気味悪いとも取れる微妙な笑みを浮かべている。

「俺か? まあ、色々な」

 勿体ぶった言い方に葉佑の顔がだぶる。共に捜査をした時間が長かったから、可笑しな所で感化されてしまったのだろうか。

「晃平さん、なんかめちゃくちゃにやけていますよ」

「えっ? 普通だろ? いつもと変わらないだろ」

「ああ、分かりました。クリスマスだから、彼氏さんとデートですね。だからそんなにやけているんですね。もうそんな人はさっさと帰って下さいよ」

「あ、お前はデートする相手もいないから拗ねているんだな」

「拗ねてなんかいませんよ」

 晃平をからかうつもりが、逆にからかわれそうになる。クリスマスにデート。そんな楽しみがあるなら、さっさと帰ればいいのに。すっかりと平和が戻った多摩川南署にはもう大した仕事も残っていない。だからこうして二つの事件の調書を、穴が開くほど眺める事が出来るのだ。

「晃平さんの幸せを分けて貰わなくていいんで、さっさと彼氏さんの所に行って下さい。祥太さんでしたっけ? どうぞ二人で楽しいクリスマスを」

「そんなくなよ。それに大森だから近くなんだよ。祥太の家に六時半に行くって言ってあるから、もうちょっと時間あるんだよな」

とか聞かさなくていいですから。あ、晃平さん。明日も休み取っているんですよね?」

「ああ、明日は俺の誕生日だからな。祥太がクリスマスと誕生日を祝ってくれるって」

「だからもうとかいらないですから。ご馳走様です。さっさと大森に行っちゃってください。これ以上、邪魔しないで下さいよ」

 大きな声を出して晃平を追い払う。

 クリスマスだろうが誕生日だろうが、盛大に祝って貰って楽しんで来てください。そんな気持ちで晃平を送り出そうとしたが、追い払った晃平の姿はもうそこにはなかった。

 時間を潰す必要もなくなったのだろう。時計を見ると六時を回った頃だった。

 いつの間にか課長も帰ったようで、その姿はない。いつものようにいそいそと支度をし、帰ったのだろう。課長にも家族がある。今日はいつもとは違う夜を過ごすのかもしれない。

 静かなクリスマス・イブの夜だった。

 晃平のように共に過ごす相手がいれば、課長のようにいそいそと支度をし、帰っていたのかもしれないが、そんな相手もなく家に帰っても一人だ。何かをする事もなくただ時間を費やすくらいなら、ここで調書を読みふけっていた方がいい。

 そんな時間はあっという間に経つらしく、時計を見るともう七時半を過ぎていた。

 今頃、晃平は祥太と楽しくやっている頃だろう。祥太が作っただろう食事を前に、顔をにやけさせた晃平が目に浮かぶ。

 目に浮かんだそんな二人は幸せそのものの光景を作り出しているはずなのに、何故か祥太と言う名前にが小さく動いた気がした。

——多村祥太。

 その名前のどこに反応したのだろう。タムラと言う苗字には、すでに引っ掛かった記憶がある。それならやはり祥太と言う名前に、反応したのではないのだろうか。

 だがその時アルファベットの並びが、頭の中に映像となって表れた。

——"TA/MU/RA/SH"

 このSHが祥太を示していたなら?

 頭の中に表れた文字を確かめる術なんてない。それでも何かが隠れているかもしれないと、スマホを手にする。もうフォロワー数を伸ばす事もなくなった"TAMTAM"のアカウント。そこに行けば"TA/MURA/RA/SH"のアカウントにも行けるはずだ。

 もう暫く開いていなかった"TAMTAM"のアカウントを探す。

 田村慎一が自殺してしまった今となっては、そのアカウントだけが残されている事に奇妙さを覚える。だが"TAMTAM"が居なくなろうが、アカウントだけは永遠にSNSに放置されたままになるのだろう。

 嫌と言うほど見せられたトップページに辿り着く。赤いパーカーの男は田村周平なのだろう。フォロー数の5をタップすれば、"TA/MU/RA/SH"のアカウントに飛ぶ事が出来る。だからと言って祥太に繋がるかどうかなんて、分かりはしないが、何故か"TA/MU/RA/SH"のアカウントに進まなければいけないような気になる。

 人差し指の先を5の数字に触れさせようとした時、何故その文字があるのか、あってはならない文字に目が留まり体が凍り付いた。

——マティア。

 何故、今さら? 意味が分からない。
 どう言う事なのだろう?
 いったい、誰が書込んだと言うのか?

——十二月十八日 
「マティアよ! 石打ちに見舞われ斬首されよ!」

 何故、新たな書き込みがされているのか。もう田村慎一はこの世にいない。田村周平だってそうだ。"TAMTAM"であった二人は死んだ。

 また別の"TAMTAM"が現れたとでも言うのか?

 それは一週間前の書き込みだった。もしこのマティアが、他の十二使徒達と同様に扱われるのなら、十二月二十五日。明日新たな犠牲者が出ると言うのだろうか。十二月二十五日。クリスマス。晃平の誕生日でもある。

 まだ晃平のアカウントはフォローされたままだ。

——次に殺されるのは田村晃平。

 そんな推測が全身の毛を逆立てていく。晃平にすぐに報せなければならない。楽しく過ごしているだろう夜を邪魔する事になるが、事情を説明すれば、納得をしてくれるはずだ。

——こんな時に、早く出て下さいよ。

 慌ててスマホを手に晃平へダイヤルするが、何度コールしてもその声を聞く事は出来ない

 早く出ろ! 早く出ろ! と、何度も念を飛ばしてみるが、もしもしと答える、晃平の声には到らない。晃平はさっき大森だと言っていた。

 ここでいつ出てくれるか分からない、電話を掛け続けるより、大森ならすぐ隣駅だ。タクシーを拾えば、十五分も掛からずに行けるだろう。これから祥太の所へ行けば、晃平に伝える事が出来る。”TAMTAM"の新たな書き込みを教え、充分用心するよう伝える事が出来る。

 確か調書のどこかに祥太の住所はあったはずだ。多摩川の河川敷で初めて祥太に会った。田村慎一だと思われた男の殺害現場。その通報は晃平からだった。その時、多村祥太からも簡単な事情徴収を受けている。その調書に多村祥太の住所が記載されているはずだ。机の上に山積みにした調書のコピーを、順に開いていく。

 そうだ、マタイだ。

 田村慎一の、あの多摩川の河川敷での焼死体の事件だ。サファイアの光が一瞬さえぎり、邪魔されそうになったが、首を大きく振りページを捲っていく。どこかに多村祥太の住所があるはずだ。

 あった、これだ。

 大田区大森北四丁目——。

 多村祥太の住所を慌ててメモし、飛び出そうとした時。校正と言う二文字が目に飛び込んできた。

 職業、校正やテープ起こしのバイト、カフェ店員。

 多村祥太の話をそのまま記述した調書には住所や職業、生年月日が書かれていた。多村祥太からの話を聞き取ったのは自分ではあるが、忘れていた情報にまたあのが少し動いたような気がした。

 署を出てすぐにタクシーを拾った。

 書き殴ったメモを運転手に渡し、大森へと急ぐ。

「すみません、あとどれくらいで着きますか?」

 焦る気持ちが運転手をかせている事は、分かっているが、それでも気持ちは前へ前へと先走っていく。

「お急ぎですか? でもあと五、六分で着きますから」

「すみません」

 運転手の受け応えに申し訳なくもなるが、今はすみませんと一言しか発する事が出来ない。まだ十二月二十五日まで時間はあるが、焦る気持ちを自分の中だけで、留めておく事にも限界がある。

 そう言えば葉佑や望月はこの"TAMTAM"の書き込みに気付いているのだろうか? 今すぐ連絡をとも思うがまた厄介やっかいな事を持ち込んでと思われるのも悔しい気がする。

 二人の中ではもう全てが終わった事件だ。

 それでも報せない訳にはいかない。葉佑の事だからすでに知っているかもしれないが、メールだけは送っておこう。それと所在だ。晃平の事が心配である旨を添え、祥太の住所と共に二通目のメッセージを送る。

「お客さん。着きましたよ」

「えっ? あ、はい。どれですか?」

「このアパートですよ」

「あ、ありがとうございます」

 支払いを済ませタクシーを降りる。降ろされたアパートの全体を目に収める。

 その時だ。

 また全身の毛が逆立つ気配を感じた。その理由が脳でフラッシュし膝から崩れ落ちそうになる。

——このアパートはまさか?

 まさかと思ったのも束の間、頭の中にある情報が一つ二つと結ばれていった。
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