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第十章 タダイ Thaddaeus

Ⅰ・9月28日

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——Thaddaeus


 マタイ、そしてマルコによる福音書でタダイと記された人物は、ヤコブによる福音書ではヤコブの子ユダと記されている。裏切りの象徴である、イスカリオテのユダと混同され、タダイへの祈りは避けられ、人々はタダイを忘れられた聖人と呼んだ。

 カナの婚礼の席でイエス・キリストが水をワインに変えた話は知られているが、この婚礼での新郎はタダイだとも言われている。また小ヤコブと兄弟であるとも記されているが、どちらの話も定かではない。

 イエスの昇天後、タダイは聖骸布せいがいふを用いてエデッサの王・アブガルの麻痺まひを治癒したと伝えられている。エデッサ、アルメニアと伝道を続けていたタダイだが、おのにより斬首された。これがタダイの殉教となる。



         ◇ ◇ ◇



 あと一か月。何としても阻止してやる。

 晃平さんを殺させたりはしない。

 十月二十八日とノートに書き殴った日付を睨んでいた。その日付の上にはタダイと熱心党ねっしんとうのシモンの二人の名前。

 慌てて書き殴ったその文字に、脳がぐらつきそうになる。十月二十八日。きっと同じ日に二人の犠牲を出すかもしれない。そうだ、間違いなく狙いは二人だ。

 小ヤコブとフィリポ。田邑先生と田村晃。五月三日に二人が殺されたように、十月二十八日に二人の殺害を"TAMTAM"は目論んでいるはずだ。

 タダイと熱心党のシモン。二人の聖名祝日にあたる、十月二十八日までに、何としても奴を捕まえなければ。

 そうは言っても、見当違いだと相手にもされず追い払われた今、誰に見当を付ければいいのかさえ分からない。折角、八王子まで出向いたと言うのに。

 電車がゆっくりとホームへ滑り込む。

 記憶を探らずとも、見覚えのあるその駅が、武蔵小金井だと言う事は、肌が覚えている。あれから何か月経ったのだろうか。先生に手を合わせていきたいが、今はそんな余裕すらない。一刻も早く奴に辿り着かねば。今は町で見掛ける、赤いパーカーすら憎悪の対象になってしまっている。

 電車が発車する。

 ホームが流れ始め、窓ガラスに田邑先生の顔が浮かぶ。その田邑先生の顔に、さっきまで対面していた、田邑ひろしの顔が重なる。兄弟なのだから似ていても当然だが、それでも田邑先生の柔和にゅうわさを、田邑博に見る事は出来なかった。

「どうぞお引き取り下さい」

 詰め寄られた剣幕の凄さに身を引くしかなかった。

「くれぐれもお気をつけ下さい」

 そう言って頭を下げるのがやっとだった。

 ペトロとアンデレ、大ヤコブとヨハネが兄弟であったように、小ヤコブとタダイが兄弟であった事が、何かに記されていた。田邑先生の兄弟である田邑博が次の標的に成りる事に、折角気付けたのに、田邑博は一向に聞く耳を持たなかった。

 確かに次に殺されるのはあなたかもしれません。そんな事を行き成り突き付けられれば、瞬間発火するのも理解は出来る。ただその事で田邑先生の死だけではなく、"TAMTAM"に興味を持ち、用心して貰えればそれでいい。

「おお、光平。戻ったか?」

「ああ」

「それで? どうだった?」

「どうもこうもないよ。話を切り出すなり、凄い剣幕で怒られたよ」

 葉佑の頬がぴくりと持ち上がる。同期が怒られて帰って来た事が、よほど嬉しいらしい。

「でもな、まあいいんじゃないか」

「よくはないだろ?」

「田邑博だっけ? 俺は、お前の先生の兄弟が、殺されるとは思っていない」

「いや、でも今までもそうだったし。小ヤコブの兄弟のタダイ。田邑先生の兄弟が殺される。そう考えるのが普通だろ?」

「まあ、そう捉えるのが当然だが、あながち葉佑の言い分も間違いはないな」

 葉佑とのやり取りを聞いていた、望月が口を挟みながらソファに腰を下ろす。

 田村慎一の死体が多摩川で上がってから、更に追い込まれているようにも見えたが、今はその素振りを見せてはいない。何か望月の中で進展があったのだろうか。そんな望月に続き、晃平がソファに腰を下ろす。

「あ、晃平さん」

「おお」

 軽く右手を挙げはしたが、晃平の目はどこか別の所へ向いていた。

「それで、葉佑。お前の見解は?」

 晃平がソファに尻を落ち着かせた事を見定め、望月が口を開く。

「こうなった今では言いにくいんですが」

 葉佑の口ぶりは重かった。

 いつものように勿体ぶっているだけなら、ふざけた表情が伴うはずだが、目の奥にある小さな光が、そうでない事を語っている。

「田村慎一が殺された時点で、"TAMTAM"がフォローしているのは、あと四人です。残りの犠牲者もこの四人の中から出るのでは? そう考えるのが妥当ではないかと」

「いや、でも。もしそうなら、あと三人だろ? もうすでに九人の犠牲者を出している。十二使徒は残り三人。数が合わないだろ」

 声をあらげた事に、葉佑はちらっとこちらを見たが、その目は何故か晃平へと向けられている。

「こんな事になって田村さんには本当に申し訳ないです。私が勝手に田村さんのアカウントを作ったばかりに、次の標的にされてしまうかもしれない」

 その顔の歪みを確認するかのように、葉佑の目はまだ晃平を捕えている。

 それに望月の目も同じだ。

 まさか、晃平に何らかの疑いを持っているのだろうか? 匕首の件はもう方が付いている。それに田村慎一の殺害現場に居合わせはしたが、それは多村祥太と一緒で、充分な裏も取れている。

「田村さん。これはあくまでも私の見解です。今、葉佑が言ったように、私も"TAMTAM"がフォローしている四人の中から、次の犠牲者が出るのではないかと考えています。ただ光平が言ったように、十二使徒は残り三人。ここからはあくまでも私見しけんですが、"TAMTAM"がフォローしている四人の中に"TAMTAM"本人がいるのでは? そう言う考えに至ったんですよ」

「どういう意味ですか!」

 思わず大きな声を上げてしまう。

 やはり晃平を疑っているのだろうか。晃平のアカウントを作ったのは葉佑、捜査一課ではないか。それなのに四人の中の三人が次の犠牲者で、残り一人が"TAMTAM"だなんて。すぐに反論をとも思ったが、その声の大きさに反応した葉佑に腕を掴まれる。

「"TAMTAM"はこれから標的とする人間をフォローした。ただ標的が残り三人で、フォローしている人間も三人なら、次の標的は自然とあぶり出されてしまう。そこにもう一人、余分な人間を置く事で撹乱かくらんさせる事が出来る。さらに"TAMTAM"は今回の計画を楽しんでいる。もし"TAMTAM"が自身の別アカウントをフォローしていたら? 周りの目は更に撹乱される」

「望月さん、その意見はちょっと強引すぎませんか?」

 葉佑に掴まれていた腕を振り払う。

 いくら追い込まれているとは言え、あまりにも浅はかすぎる。何の手掛かりもないからと言って、あまりにも都合のいい解釈だ。

「それでは私は次の標的になるかもしれないし、"TAMTAM"かもしれないって事ですね」

 晃平の声に力はなかった。

 晃平を巻き込んだのは捜査一課だ。それなのに次に殺されるのはお前だと言ったうえ、更に犯人扱いするなんて。

「田村さん、誕生日はいつですか?」

「えっ? 十二月二十五日ですけど」

「そうでしたね。イエス・キリストと同じだ。"TAMTAM"のアカウントもTAMTAM1225。イエス・キリストを意識しているんでしょうね」

「ちょっと、望月さん。まさか晃平さんを疑っているんじゃないですよね?」

「いや、そうとは言っていない」

「山﨑、もういい」

 今度は晃平に制止される。

 向かい側に座る晃平に、腕を掴まれる事はないが、その目は強い意志を放っている。

「有給も切れたんで戻ってきましたけど、もう少し大人しく自宅待機していますよ」

 力なく立ち上がろうとする晃平を、今度は望月が制止する。

「いや、その必要はないです。田村さんには捜査本部に戻って頂きます。田村さんのアカウントを作ってしまったのは、我々捜査一課です。もしあなたが"TAMTAM"の標的になるような事があったら、私達が守らねばなりません。田村さんには私達の側に居てもらいます」

「仮にも俺は刑事です。守って頂く必要はありません!」

 望月の真意に晃平が気付いている事は、その声の大きさから読み取る事が出来た。望月は晃平を疑っている。晃平の声が大きくなるのも無理はない。

「では、協力して下さい。奴を捕まえるためにあなたの協力が必要だ」

 腰を浮かせていた晃平が、もう一度ソファに尻を付ける。だが何を発する訳でもない。渋々の態度には、捜査一課には逆らえない諦めが見える。

 望月のやり方に物申したいが、それ程までに追い込まれている心中も察する事が出来る。

「それでは、またよろしくお願いしますね」

 落ち着いたところで口を挟んだ、葉佑に助けられる。

「ここでちょっと整理しておきましょう。田村さんにもまた戻って貰えて、これから一緒にやっていくためにも、共通認識が必要です。それに何か見落としているかもしれない。何かあったらじゃんじゃん意見出して下さいよ」

 切り替えの早い葉佑が、書類の束とスマホをテーブルの上に並べる。見慣れた写真や、情報が羅列されたその書類に、言葉とは裏腹な葉佑の焦りも感じられた。

「ここまで予告通りに八人が殺され、一人が意識不明で眠り続けています。十二使徒と言う事はあと三人。タダイ、熱心党のシモン、そしてイスカリオテのユダです」

 "TAMTAM"のアカウントを開き、九つの殺人予告を葉佑が見せる。

「そして聖名祝日です。次は十月二十八日。タダイと熱心党のシモンの聖名祝日です。おそらくその一週間前、十月二十一日に新たな殺人予告が書き込まれるはずです」

「そうだな」

 望月の相槌に小さく首を振る。
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