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第九章 マタイ Matthaeus

Ⅴ・9月21日

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「祥太は帰してくれたか?」

「ええ、勿論。晃平さんと、ずっと一緒にいたわけですから。簡単な話だけ聞いて、帰ってもらいました。勿論、住所や生年月日、職業なんかは従来通り、確認させて貰いましたけど。あ、でも晃平さんは拘束しますよ、この後も」

 山﨑が含んだ笑いを見せる。何に対しての含みだろうか? それよりも彼氏という言葉の威力で、多くを語らずに済んだ事に安心させられる。祥太も上手く合わせてくれたのだろう。

 ほっと一息つけると思ったところに、平和な時間を壊す邪魔な声が、どかどかと響いてきた。

 あいつだ。またあいつだ。テリトリーに土足で踏み入る男。

「まさか田村さんがあの場に居合わせているとは本当にびっくりですね」

 調子のいい声に、松田を嫌った蕎麦屋の女将さんを思い出す。

「ああ、そうだな。俺もびっくりだよ。何で俺がこんなふうに巻き込まれるのか」

 祥太を帰したと言った、山﨑の言葉に安心し舌が回る。祥太との時間だけを日常と思いたいが、山﨑や松田がいるこの時間も日常であり、逃れる事は出来ないのだろう。

「それで?」

 山﨑が松田に何かを確認している。第一発見者となってしまった自分と、祥太を署に連れてきた後の現場は、松田に引き継がれていた。山﨑の関心は河川敷で焼死体となった人物に集中している。

「一応、身元は割れたよ」

 思わず固唾かたずを飲む。それは山﨑も同じだ。誰が九人目の犠牲となったのか? 誰がマタイとして火刑にあったのか?

「誰なんだ?」

 勢いのいい山﨑の声が耳元を滑る。

 前傾姿勢になった、山﨑の汗ばんだポロシャツの背中に目を落とす。その白い背中に、犠牲者の顔が浮かぶはずもなく、ただ松田の返事を待つだけだ。

「ああ、それがびっくりだよ。でも、やっぱりなって奴だよ」

「だから誰なんだ?」

 勿体ぶる松田の癖は見抜いている。びっくりだと言いながら、それ程の驚きを見せないところは、落ち着いた自分を演じているのだろう。

「タムシンだったよ。あのタレントの田村慎一。なっ、びっくりだろ?」

 やはり言葉の割に驚きは見えない。

 "TAMTAM"にフォローされた、田村慎一は想定内だったと言う事だろう。突拍子もない所から出てきた人物なら、もっと驚いていたのかもしれない。いや、その名前を聞いたところで、覚えがなければ驚く事もないだろう。

「ガソリンをぶっかけられて焼かれたんだけどな。遺留品は焼かれず残っていたよ。鞄に財布に。財布の中から免許証やカードが出てきたけど、田村慎一のもので間違いなかった。それにあの指輪だよ。あのサファイア」

「サファイア?」

「ああ、お前もテレビで一緒に観ていただろ? 大きな青い宝石。毎日毎日テレビに出て、よっぽど稼いでいたんだろうな」

「ああ、あのサファイアが出てきたのか?」

「そうだよ。死体は丸焦げだったけどな。丸焦げの死体の指には、しっかりとあのサファイアが残っていたよ」

「燃えなかったのか?」

「ああ、俺も気になったから、鑑識に聞いたんだ。サファイアってやつは、二千度まで耐えられるんだってさ。ダイヤなんかより燃えにくい物質らしい。それに比べりゃ人間なんて、あっと言う間に丸焦げだよ」

「それは分かった。で、本当に田村慎一で間違いないんだな? DNA鑑定は?」

「そんな鑑定出すまでもないよ。それにお前、DNA鑑定なんて、幾らかかると思っているんだ? 金の無駄遣いだよ。死体は丸焦げなんだぜ」

「まあな」

 二人の会話に頭をよぎるのは、フォローされている人間が殺されたと言う事だ。

 "TAMTAM"にフォローされていた人間が殺された。サファイアなんてどうでもいい。山﨑にしろ、松田にしろ、フォローされている分けではない。だからサファイアなんて悠長な事を言っていられるんだ。

「タムシンが殺されたって事は、いつか俺も狙われるって事か?」

 思わず口に出したが、それは自分で自分の首を絞める事だった。

「晃平さんを殺させたりはしませんよ」

 ポロシャツの白色が、さっきより少しれているように見えた。
 山﨑の肩も落ちていると言う事だろう。殺させたりしないと、言いながらも、それを体現するのは難しいようだ。きっと山﨑の結論も、同じ所に落ち着いたに違いない。
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