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第五章 トマス Thomas

Ⅱ・7月3日

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 目覚めた時、祥太が腕の中にいる事に違和感は覚えなかった。

 顔を洗い、ひげを剃る。いつも通りの朝の支度を、ずっと見られている事に、照れ臭くもあったが、幸せと言う文字がぼんやりと浮かびもしていた。

大森おおもりなんで、近いんですよ」

 蒲田駅へ向かう祥太と分かれ、いつものように署へ向かう。その足取りはやけに軽やかで、いつもの自分を知る人間から見れば、何を浮かれて。そんな気にさせただろう。

「おはようっす!」

 挨拶など一度もした事がなかった。それなのに自然と零れ出た声に、先に出署していた連中が、一斉に振り返る。そんな中に山﨑もいた。

「晃平さん、珍しく朝から機嫌がいいですね」

「何がだ? 何が珍しくだ?」

 敢えて低めの声を出し、ソファへと腰を下ろす。その隣に、山﨑もいつものように、尻を捻じ込んでいる。挨拶しただけで機嫌がいいと、悟られる自分に呆れもするが、機嫌が悪いよりはマシだろ? そんな言い訳を用意する。

「それより、大変な事が分かったんです!」

 言い訳など必要なかった。

 山﨑はこちらの機嫌など気にする事なく、また何かを切り出そうとしている。そんな突然の山﨑の声に、またかと言わんばかりに課長が咳払いする。

「お前、声でかいよ。また課長がこっち睨んでいるぞ」

「いいですよ。そんな事どうでも。それより大変な事が分かったんです」

「何だ?」

「昨日もずっと十二使徒の事を調べていて」

「また十二使徒かよ。もうあの事件には首突っ込むなよ」

「そんな事、言っていられないですよ。もう関係ない訳じゃないんで」

「何がだよ。俺らには関係ない事件だろ」

「いや、まあいいです。とりあえず聞いてください。被害者は三人じゃなくて四人だったんです。それと今日また五人目の犠牲者が出ます」

「あ、どう言う事だ? 今日また犠牲者が出るって」

 殺人を予言してしまう山﨑に疑念を抱く。それに田村晃と田村俊明。その弟の浩之とで、被害者は三人だったんじゃないのか。それが四人? しかも今日、五人目の犠牲者が出るだと。

聖名祝日せいめいしゅくじつです。聖人にはそれぞれ、その聖人を記憶するための記念日があるんです」

「聖名祝日?」

 初めて耳にする言葉だった。

「そうです。聖名祝日。聖人の記念日です。四人の被害者はそれぞれ聖名祝日に、各々聖人に擬えて殺されているんです。蚕糸の森公園で最初に見つかった田村晃は、五月三日。これはフィリポの聖名祝日です。フィリポは十字架に掛けられ、石打ちの刑で亡くなっています。田村晃も石打ちです。そして同じく蚕糸の森公園で見つかった田村俊明は六月二十九日。この日はペトロの聖名祝日です。ペトロ同様、逆さ十字に掛けられ殺されています。その弟、田村浩之が殺された十一月三十日はアンデレの聖名祝日です。アンデレはX字型の十字架に掛けられ亡くなった」

「偶然じゃないよな?」

 力強い山﨑に押され、小さな声しか吐き出す事が出来ない。

「偶然なんかじゃないですよ。どうして半年も前の事件が、連続殺人の一部とすのか、どうして半年も空けて二人目を殺したのに、三人目は二か月も空けずに殺したのか、いや、四人目ですけど、何か意味があるのかな? って。それが聖名祝日だったんですよ」

 山﨑の顔が曇る。

 偶然ではなく、そう言い切るのだから、犯人は聖名祝日にその聖人の殉教に擬え、殺しを行っているのだろう。名推理と褒めてやりたいが、どうして山﨑は曇らせた顔を、さらに歪ませているのだろうか。

「四人目の被害者って、四人目って、まさか」

 山﨑の周りで起きた殺人事件。——変死体。聞き流した話が頭を掠める。

「そうですよ。四人目ではなくて三人目ですけど。俺の高校時代の恩師です。三人目の被害者は俺の恩師の田邑先生です。先生が殺されたのも五月三日」

「五月三日? 田村晃と同じように、フィリポに擬えて殺されたって言うのか?」

「いえ、違います。五月三日はフィリポの聖名祝日でもあるんですが、もう一人、小ヤコブの聖名祝日でもあるんです。小ヤコブは槌で頭を割られて殉教しています。高輪のホテルで見つかった田邑先生は金槌で頭を割られていました」

 歪んだ山﨑の顔に苦痛が伴っていく。恩師の死に様を思い出しているのか。

「それにしても、お前の恩師もタムラだったんだな」

「そうです。ムラの字は違いますけど、田邑です。田邑春夫」

 山﨑の目が遠くを見ている。恩師との日々を懐かしむような遠い目。所轄が違うんだから捜査は諦めろ。そう言った日が思い出される。

「お前が言う通り、偶然なんかじゃないな」

 偶然ではないと言う確信。山﨑の執念が突き止めた事に違いはない。ただ恩師の死を、連続殺人に含めてしまった事。どう言った感情を生まれさせたのだろうか。更にこの事件に介入し、真相を追求しようとするだろう。だが所轄が違う。どれだけ山﨑が熱意を見せようが、限界がある。

 まだ遠くを見ているのかと、その顔を覗き込んでみる。さっきまでの曇りは消え、苦痛も伴わせてはいない。ただ何かを決意したように、その目は力強さを見せていた。

「四人を殺したのは間違いなく同じ奴だろうな。それより何が不愉快かって、この犯人は殺しをたのしんでいやがる。いや、愉しんでいるとしか考えられない」

 山﨑の意見を肯定する事で、少しは和らげる事が出来ればいいが。そんな気遣いから、山﨑の意見を全て飲み込む。

「そうですね。犯人は殺しを愉しんでいる。次に殺しが出来る日を、今か、今かって待っているんですよ」

 遠くを見るのを止め、山﨑はしっかりと、その目をこちらに向けている。

「それで十二使徒って事は、あと八人か? あと八人がその聖名祝日って言う日に、一人、また一人って、殺されていくって事だろ? 本当ふざけた話だ」

「本当、ふざけています。だから五人目の犠牲者が出るって話です。今日、七月三日はトマスの聖名祝日なんです。今日、トマスに擬えた、新たな犠牲者が出るはずです」

「トマス?」

「はい、そうです。トマスは槍で刺されて殉教しています」

 恩師の死が連続殺人に含まれた事で、躍起にならないかと心配でもあるが、曇った顔はすっかりと消え、気丈さが伺える。
 連続殺人犯を追い求める事で、恩師に顔向けが出来る。そんな意思表示であるなら、協力はしてやりたいが、所轄の一刑事が、そんなでかいヤマに首を突っ込めるはずがない。
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