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かの翔吾

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Capitulo 1 ~en Japon~

1-7

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 テルに指定された店は中野のイタリアンカフェだった。一時頃だと言われはしたが一度家に帰るのも億劫になり、十二時半には一人で席に着いていた。

「梗佑君。ごめんね。お待たせ」

「中野までわざわざ来てくれなくても、俺がテルの所に行ったのに」

「ううん。本当は昨日一緒にランチしたくて、この店を調べてたんだ。今日来れてよかった」

 テルがテーブルの上に開かれたままのランチメニューに目を落とし笑う。

「梗佑君。もう注文したの?」

「いや、まだ」

「ペスカトーレとカルボナーラ。どっちにしようかな?」

 その悩みがあまりにも可愛く思えて、恩田の事なんてどうでもよくなっていた。

「それじゃ、ペスカトーレとカルボナーラ両方頼めば? 俺と半分ずつしようよ」

「うん。ありがとう」

 彼氏らしい事を言えている自分ににやけそうになる。だがこれが当たり前の姿なんだろう。幸せそうに笑うテルを前に改心できたらしい自分を褒めてやりたくもなる。そんな事を思いながらもやはりテルを前にすれば幸せが伝染する。

「……それで恩田和也って人は知り合いだったの?」

 ふとテルの口から漏れた名前に忘れていた小さな怒りを思い出す。

「それがさ。勝手にカーテン開けて俺のベッドを覗きにきた失礼な男がいただろ? 同じ病室の隣のベッドの」

「うん」

「あいつが恩田和也だった。何のつもりで俺に花を送って、めちゃくちゃにしたんだか。本当に意味不明だよ」

「そうだね。何でそんな事をしたんだろ?」
 
 テルの興味はすでに恩田ではなく目の前に運ばれてきた二枚の皿に移っていた。

「梗佑君。先どっち食べる?」

「どっちでもいいよ」

「じゃあ、僕が先にペスカトーレね。梗佑君はカルボナーラ。半分ずつ食べて交換しよう」

 取り皿もらえば? 言いそうになったがやめた。テルの手で目の前に差し出されたカルボナーラにフォークを刺す。

「……その恩田和也って人も訳が分からないけど。梗佑君。昨日ニュースで見た人って、結城慎吾って言っていなかった?」

「ああ。西新宿の。飛び降りの……」

 飛び降りだなんて。ランチに相応しくない会話にそれ以上続けるのをやめる。だがテルはペスカトーレを口に運びながらも話を続ける。

「ちょっと気になったから伝票探してみたんだ」

「何の?」

 カルボナーラを口に含んだままのくぐもった声で聞き返す。

「その西新宿のホテルの花籠。送り主が結城慎吾って人になってたの。その飛び降りた人が結城慎吾だって、梗佑君言っていたから」

 いったいどう言うことだろうか?

 西新宿のホテルの屋上から飛び降りた男の名前は結城慎吾。その屋上に残されていた荒らされた花籠。花籠を送った人物は結城慎吾本人。

 それに恩田だ。

 見舞いの花を送ってきた恩田和也。きっと花籠を荒らしたのも恩田だろう。だが恩田は行方をくらませた。

 何かが繋がっている事は分かるが、そんな繫がりに首を突っ込む必要がない事も分かる。今はテルを前にただランチを楽しめばいいだけだ。テルは半分食べ終えたペスカトーレを前にしている。半分になったカルボナーラが差し出されるのを待っているテルの事だけを考えればいい。


  幸せな時間はまだ続くはずだった。朝の三時に出勤し花市場へ行っていたテルは昼の十二時で仕事を終えたと言う。そんなテルとアパートに戻り何をするでもなく過ごすはずだった。

「えっ? 何なんだ?」

 テルを後ろにアパートのドアを開ける。その時は何の異変もないように見えたが部屋の蛍光灯を点けた時だ。大きく穴の開いた窓と粉々になったガラスの破片が目に映った。窓側に置いたベッド。紺色の掛布団カバーの上でガラスの破片がきらきらと光っている。

「どうなってるの?」

 少し震えた声で右腕を掴んでくるテル。

「分からない。朝は何ともなかったのに」

「梗佑君。あれ」

 掛布団に半分沈んだ石をテルが指差す。誰かが窓にめがけ拳より少し大きい塊を投げた事はすぐに分かる。そんな石の下に白い紙が見え指で引っ張りぬく。

——余計な事を嗅ぎまわるな。殺すぞ。

 A4のコピー用紙に書かれた文面は明らかに脅迫だった。

「誰だ?」

「梗佑君。大丈夫?」

 テルの声は震えたままだ。

「一体誰がこんな事」

「ねぇ、梗佑君。警察に通報した方がいいんじゃない?」

「そうだな」

 自分一人じゃ手に負えない事は明らかだ。テルの言うように警察に通報し何かしらの手を打ってもらうのが良策だろう。

「ガラス片付けなきゃね」

「いや。片付けるのは警察に話してからにしよう」

 幸いガラスの破片はベッドの上だけに留まっている。床を凝視してみたがきらきら光る物は見つけられない。元々荷物の少ない部屋だ。テルと二人座るスペースは充分確保できる。


 中野中央署の三宅と佐藤と言う刑事が訪ねて来たのは四時を少し回った頃だった。110番通報で詳細を話し署の者が伺うのでと言われ一時間程待った時だった。

「いつこの様な状況に?」

 最初に口を開いたのは三宅と名乗った年輩の男だ。玄関で迎えた時はそれほど親身な態度を示さなかったが、脅迫めいた文面を目にし態度を少し改めたように見えた。

「今日の昼の二時半くらいです。朝出る時は何ともなかったのが、二時半くらいに帰って来たらあんな状況でした」

 掛布団の上に散乱したガラスの破片と少し沈んだ石を指差す。

「誰かがあの石を窓ガラスにぶつけ割ったんでしょうが。心当たりはありませんか?」

「いえ。特には」

 否定をした隣でテルがシャツの裾を引っ張る。

「どうしたの?」

「梗佑君。もしかして……」

 何かを言い掛けたテルを、佐藤と名乗った若い男が遮る。

「そちらは?」

「あっ。すみません。桜井君輝です。梗佑君の……」

 名乗った後すぐに言葉を繋げられないテルを察する。関係性をどのように説明すればいいかを迷っているようだ。

「俺の彼氏です」

 警察にわざわざ告げる必要もないが下手な詮索をされるよりはマシだ。それに友達だなんて下らない嘘を付けばテルを傷付けるような気もする。

「ああ、お付き合いされてるんですね。そんなに身構えなくて大丈夫ですよ。新宿に近いからかこの辺りには多くいらっしゃいます」

 悟った風な佐藤の口ぶりに少しもするが、三宅はテルが言い掛けた言葉が気になっているようだ。

「さっき何か言い掛けましたよね?」

「あの。心当たりと言うか……。恩田和也って人がいて」

 テルの口から漏れた名前に面の皮の厚い男を思い出す。何度目だろうか。どこまでもせてくれる男だ。だが花籠をあんなにもめちゃくちゃに荒らした恩田ならやりかねない。そんな考えも持ち上がる。

「この腕を見て頂いたら分かるように昨日まで入院していまして。その病室の隣のベッドにいたのが恩田和也です」

「同じ病院に入院していた男が窓を割ったと? 何か恨みでも?」

「いえ。入院している時。見舞いの花が届いたんです。でも朝起きたらその花がめちゃくちゃに荒らされていて。同じ病室には恩田しかいなかったんで、多分恩田がめちゃくちゃにしたんだと思います。それにその花の送り主が恩田和也だったんです」

 三宅が眉間にしわを寄せている。確かに飲み込み辛い話ではある。

「恩田和也と言う人物があなたに花を送っておきながら、その花を荒らしたと?」

「はい、そうです」

 何故だろうか? 三宅の表情がぐっと落ち着いて見える。それに佐藤の態度だ。終始つまらなそうな表情を浮かべている。警察に相談しても無駄な話なんだろうか。

「では、その恩田和也と言う男に話を聞くのが一番ですね。矢倉さんには覚えがなくても、入院の間に何か恨みを買うような事があったのかもしれない。昨日の今日ならその男もまだ入院しているのでは? 直接話を聞かれるのが一番だと思いますよ」

 恩田はもう病院にはいない。そう言おうとしたが無駄な事なんだろう。警察は介入しない。自分で解決しろ。三宅の口ぶりから読み取れるものに期待をしてはいけないようだ。そんな三宅の後ろで佐藤が何故か小さな笑みを作っている。さっきのつまらなそうな表情はどこかに消えている。落着だとでも言いたいのだろう。

「わかりました。わざわざお越し頂いてありがとうございました」

「梗佑君」

 テルの小さな声には不安が残っている。何も解決はしていないが膝を突き帰ろうとする二人の刑事を引き留める術はない。

「ではまた何かありましたらご連絡ください」

 三宅と佐藤の身の動きは早かった。膝を突いたと思ったら既に玄関に立ち、小さな会釈のあとドアの向こうに消えていった。狭いアパートではあるがほんの十秒だ。

「梗佑君。もしかしたら僕、何か余計な事を言ってしまった?」

「何が? 何かテルまで巻き込んでごめん。それにしても。刑事ならもっとちゃんと話を聞いてくれればいいのに。何が”また何かありましたら”だよ! こんな事がまたあってたまるかよ!」

 わざと語気を強くする。そうする事でテルの不安を少しは拭えるような気がしたからだ。

「ガラス片付けなきゃね」

「そうだな。大家に連絡して新しい窓を入れてもらうよ。きっと窓ガラス代って俺が払わされるんだろうな」

 テルが小さく笑う。その表情にやっと安心できる。ランチ以来の幸せな時間が戻ったような気にもなったが、穴の開いた窓ガラスに溜息が一つ漏れた。

 こんな窓の割れたアパートじゃテルを抱く事も難しい。

 ふと浮かんだ本音がバレないよう右手で一番大きな破片をつまんでみた。テルは台所に立ちガラスを入れるためにゴミ袋を二重にしているようだった。
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