10 / 14
【9】 父
しおりを挟む
木曜日の夜だった。体調が悪くても、風邪を引いても、一度も休む事なく、勤めてきた修理工場を、もう四日も休んでいた。
「少し様子を見てまた連絡します」
月曜日の朝。電話に出た事務の田中にえらく心配されながら、切ったスマホを放り投げていた。
四日間も放り投げたままのスマホは、既に電池を失い、真っ黒な画面があるだけだ。手にした黒い画面に映るその顔に数日前に見た写真の紺野が重なる。はっきりとはしない輪郭が自分の顔を忘れそうにさせる。
明日は金曜日だ。もし夜の仕事も休むのなら、店にも電話をしないといけない。何故か諦めに似た気持ちを漂わせながら、スマホを充電器に繋ぐ。一分も経たないうちに充電中の赤いランプが点灯し、すぐに点滅に変わった。電源を入れ、着信履歴を見ると、見知らぬ番号と、入力済の川野の名前が交互に幾つも並んでいた。だがよく見ると、見知らぬ番号が二つあった。その番号は紺野からかもしれない。だがどちらの番号が紺野かは分からない。
まだ電池の残量は五%にも届いていなかったが、僅かな残量でもメールを受信する事は出来るようだ。ブルっと小さく震えたスマホをタップする。受信箱に届いたばかりのメールは無視する訳にはいかないものだった。
【明日、少し早い時間からの予約で大丈夫かしら? 夕方六時半に西新宿なんだけど】
夜の店のからのメールだった。
【大丈夫です】
一言だけを本文に書き、送信ボタンをタップする。
昼の仕事が五時までだと言う事は伝えていた。一度家に帰り、シャワーを浴び、新宿へ向かう。余裕を持ち七時出勤にしていたので、六時半なら何の問題のない時間だ。
気を利かせてくれての事前連絡だが、今の心境では気に留める事は難しい。そんな余裕のなさが、たった一言の返信に繋がったのだ。淡々と熟してきたはずの日常なのに、今は難しくなっている。
空腹にも気が回らず、だらだら過ごしただけの四日間。
ふと日常に近付くよう気を引き締めると、激しい雨の音に気付く事が出来た。もうあの花水木は散ってしまったのだろうか。真っ白に咲き誇っていたあの塊も、今は緑の葉を茂らせているのだろうか。そんな事を考えると、記憶の中の花水木まで全て花を落としてしまったような気になる。
激しい雨の音は気を滅入らせるだけらしい。
その時。充電器に繋いだままのスマホがブルブルと震えだした。メールでも、ましてやネットニュースの速報でもない。画面には川野の名前ではなく、見知らぬ番号があった。
「もしもし」
掛け直すくらいなら、出てしまった方が気も楽だ。それに紺野からの着信だと、何故かそんな自信も持てた。
「もしもし。やっと繋がった。陽太君だね。小泉陽太君。紺野です。青梅西署の川野さんから、この番号を教えてもらいました」
予想が外れる事はなかった。初めて聞く、父親かも知れない男の声が耳に飛び込んでくる。
「何度も掛けたんだけど繋がらなくて」
「すみません。ずっと電池が切れていました。……それで?」
電話に出てはみたが、どう対応していいかは分からなかった。初めて話す相手だ。父親かもしれない男だが、あの写真だけで全てを飲み込む訳にもいかない。ふと掠める並んだ三人の顔。その裏に高志との行為が思い出され、クッと、声が詰まった。
「近いうちに会う事は出来ないかな? 刑事さんに話は聞いていると思うけど、会って直接話をしたいんだ」
紺野の口調は、余所余所しさを少し感じさせるものだが、はきはきしたものだった。
「俺はいつでも構わないですよ」
紺野の口調に少しの安心感を覚えたのか、何も考える事なく了承の返事をしていた。
「ああ、良かった。明日の夜は用事があるんで、明後日の土曜日はどうかな?」
「大丈夫ですよ。俺も明日の夜はバイトがあるんで。土曜日なら日中にして下さい。土曜日も夜はバイトなので」
紺野からの提案に快諾はしたが、紺野のように高揚した声は出せなかった。
「ありがとう。土曜日の朝にまた電話させてもらうよ」
先に電話を切ったのは紺野だった。ツーツーと切れた電話の音に、窓を叩く雨の音が重なる。耳に当てたままにしておく必要のないスマホを、膝の脇に置いた時、画面が川野からの着信を知らせた。一分の間隔もあけない着信に、繋がらない電話を掛け続ける、紺野と川野の姿が想像できた。
「少し様子を見てまた連絡します」
月曜日の朝。電話に出た事務の田中にえらく心配されながら、切ったスマホを放り投げていた。
四日間も放り投げたままのスマホは、既に電池を失い、真っ黒な画面があるだけだ。手にした黒い画面に映るその顔に数日前に見た写真の紺野が重なる。はっきりとはしない輪郭が自分の顔を忘れそうにさせる。
明日は金曜日だ。もし夜の仕事も休むのなら、店にも電話をしないといけない。何故か諦めに似た気持ちを漂わせながら、スマホを充電器に繋ぐ。一分も経たないうちに充電中の赤いランプが点灯し、すぐに点滅に変わった。電源を入れ、着信履歴を見ると、見知らぬ番号と、入力済の川野の名前が交互に幾つも並んでいた。だがよく見ると、見知らぬ番号が二つあった。その番号は紺野からかもしれない。だがどちらの番号が紺野かは分からない。
まだ電池の残量は五%にも届いていなかったが、僅かな残量でもメールを受信する事は出来るようだ。ブルっと小さく震えたスマホをタップする。受信箱に届いたばかりのメールは無視する訳にはいかないものだった。
【明日、少し早い時間からの予約で大丈夫かしら? 夕方六時半に西新宿なんだけど】
夜の店のからのメールだった。
【大丈夫です】
一言だけを本文に書き、送信ボタンをタップする。
昼の仕事が五時までだと言う事は伝えていた。一度家に帰り、シャワーを浴び、新宿へ向かう。余裕を持ち七時出勤にしていたので、六時半なら何の問題のない時間だ。
気を利かせてくれての事前連絡だが、今の心境では気に留める事は難しい。そんな余裕のなさが、たった一言の返信に繋がったのだ。淡々と熟してきたはずの日常なのに、今は難しくなっている。
空腹にも気が回らず、だらだら過ごしただけの四日間。
ふと日常に近付くよう気を引き締めると、激しい雨の音に気付く事が出来た。もうあの花水木は散ってしまったのだろうか。真っ白に咲き誇っていたあの塊も、今は緑の葉を茂らせているのだろうか。そんな事を考えると、記憶の中の花水木まで全て花を落としてしまったような気になる。
激しい雨の音は気を滅入らせるだけらしい。
その時。充電器に繋いだままのスマホがブルブルと震えだした。メールでも、ましてやネットニュースの速報でもない。画面には川野の名前ではなく、見知らぬ番号があった。
「もしもし」
掛け直すくらいなら、出てしまった方が気も楽だ。それに紺野からの着信だと、何故かそんな自信も持てた。
「もしもし。やっと繋がった。陽太君だね。小泉陽太君。紺野です。青梅西署の川野さんから、この番号を教えてもらいました」
予想が外れる事はなかった。初めて聞く、父親かも知れない男の声が耳に飛び込んでくる。
「何度も掛けたんだけど繋がらなくて」
「すみません。ずっと電池が切れていました。……それで?」
電話に出てはみたが、どう対応していいかは分からなかった。初めて話す相手だ。父親かもしれない男だが、あの写真だけで全てを飲み込む訳にもいかない。ふと掠める並んだ三人の顔。その裏に高志との行為が思い出され、クッと、声が詰まった。
「近いうちに会う事は出来ないかな? 刑事さんに話は聞いていると思うけど、会って直接話をしたいんだ」
紺野の口調は、余所余所しさを少し感じさせるものだが、はきはきしたものだった。
「俺はいつでも構わないですよ」
紺野の口調に少しの安心感を覚えたのか、何も考える事なく了承の返事をしていた。
「ああ、良かった。明日の夜は用事があるんで、明後日の土曜日はどうかな?」
「大丈夫ですよ。俺も明日の夜はバイトがあるんで。土曜日なら日中にして下さい。土曜日も夜はバイトなので」
紺野からの提案に快諾はしたが、紺野のように高揚した声は出せなかった。
「ありがとう。土曜日の朝にまた電話させてもらうよ」
先に電話を切ったのは紺野だった。ツーツーと切れた電話の音に、窓を叩く雨の音が重なる。耳に当てたままにしておく必要のないスマホを、膝の脇に置いた時、画面が川野からの着信を知らせた。一分の間隔もあけない着信に、繋がらない電話を掛け続ける、紺野と川野の姿が想像できた。
20
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
騎士団を追放された俺はスキル「強制絶頂」でハーレムパーティを作ってE級冒険者から駆け上がる〜「強制絶頂」は最高の美少女テイマースキルでした〜
佐々黒 歩
ファンタジー
[祝]なろう日刊ランキング9位・120万PV達成!!
「クビだ」副団長に嵌められ王都騎士団を追放されたビーコムズ・ガーオ。
田舎でしばらくゆっくりと過ごそうと思い田舎町”イナーカ”へ赴く。そこで出会った一流冒険者を夢見る女の子”ハミール”に出会う。森の中で訓練している彼女を眺めていて、ふと昔ネタで習得したスキル「強制絶頂」を思い出す。
男しかいなかった騎士団では使いどころがなかったため使っていなかったが、なんとなくハミールにスキルを発動する。起動に詠唱は必要なく指パッチンをするだけだ。なんなら指パッチンをしなくてもいい。
「パチンッ」
「う゛っ゛っ゛お゛っ゛っ゛っ゛♡♡ん゛っ゛っ゛♡♡」
ハミールは自身に何が起こったのか理解出来なかった。体に電流のようなものが走り、股からおもらししたのかと思う程の液体が吹き出し、パンツをぐっしょりと濡らす。突然の出来事で声なんて我慢できるはずもなく、森に響き渡るほどの大きな声で絶頂した。内に閉じた足と腰を小刻みに震わせて、咄嗟に股を手で押さる。立っていられなくなり地面にヘタりこむ。ショーパンから汁が垂れ出て太ももまで流れており、股のところは手では隠しきれないほどビッショビショになっていた。
寝ていた獣を起こすほどの絶頂声に、魔物達が反応し、絶頂しヘタって動けない彼女に襲いかかる。
「あぶねぇっ!!」
彼女を助けた俺は、若干発情気味のハミールに気に入られ一緒に旅にでることになった。
酷いマッチポンプから始まるハーレム冒険譚がここから始まる。
魔力ゼロの出来損ない貴族、四大精霊王に溺愛される
日之影ソラ
ファンタジー
魔法使いの名門マスタローグ家の次男として生をうけたアスク。兄のように優れた才能を期待されたアスクには何もなかった。魔法使いとしての才能はおろか、誰もが持って生まれる魔力すらない。加えて感情も欠落していた彼は、両親から拒絶され別宅で一人暮らす。
そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。
HOTランキング&ファンタジーランキング1位達成!!
「僕は病弱なので面倒な政務は全部やってね」と言う婚約者にビンタくらわした私が聖女です
リオール
恋愛
これは聖女が阿呆な婚約者(王太子)との婚約を解消して、惚れた大魔法使い(見た目若いイケメン…年齢は桁が違う)と結ばれるために奮闘する話。
でも周囲は認めてくれないし、婚約者はどこまでも阿呆だし、好きな人は塩対応だし、婚約者はやっぱり阿呆だし(二度言う)
はたして聖女は自身の望みを叶えられるのだろうか?
それとも聖女として辛い道を選ぶのか?
※筆者注※
基本、コメディな雰囲気なので、苦手な方はご注意ください。
(たまにシリアスが入ります)
勢いで書き始めて、駆け足で終わってます(汗
妹に婚約者の王太子を奪われ、実質追放刑の留学をさせられた公爵令嬢は、お忍び留学の皇太子に溺愛される。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
マクリンナット公爵令嬢セイラは、身に覚えのない罪で断罪された。しかも相手は婚約者である王太子のジョエルだった。ジョエルの横で勝利の笑みを浮かべているのは、妹のアメリアと兄のアロンだった。セイラは悟った。自分が罠に嵌めらたのだと。平民の母から生まれ、今日までずって虐められ続けたが、これが総仕上げなのだと。王太子の、王家の秘宝を盗んだとあれば、処刑されるのは間違いない。そう覚悟を決めていたんだが、王の決定は留学という名の追放刑だった。セイラは追放先で平民の学生と仲良くなる。やはり自分は平民の生活の方が性に合っている。そう思うセイラだったが、その学生はお忍びで留学している大国の皇太子だった。
異世界で転生したら襲われたんですが!
大嶋 桃枝
BL
田中 優一(たなか ゆういち)26歳は、飲み会で酔った勢いで自分が
“腐男子”だと言うことを皆の前で言ってしまった。翌日友人に聞かされ「お前ホモだったのか。」と言われてしまった。その日の昼休み、ご飯を食べるため、公園に行こうとしていた俺は、ぼーっと歩いていた。するとそこにはトラックが‼
「あ、やべ、死ぬ。」
色々あって異世界へレッツGOー!
エロスあり、襲われるあり、もしかしたら妊娠も………
2作品目です。
書き直しの際は題名の隣に◇や*を付けさせていただきます。
フェンリル娘と異世界無双!!~ダメ神の誤算で生まれたデミゴッド~
華音 楓
ファンタジー
主人公、間宮陸人(42歳)は、世界に絶望していた。
そこそこ順風満帆な人生を送っていたが、あるミスが原因で仕事に追い込まれ、そのミスが連鎖反応を引き起こし、最終的にはビルの屋上に立つことになった。
そして一歩を踏み出して身を投げる。
しかし、陸人に訪れたのは死ではなかった。
眩しい光が目の前に現れ、周囲には白い神殿のような建物があり、他にも多くの人々が突如としてその場に現れる。
しばらくすると、神を名乗る人物が現れ、彼に言い渡したのは、異世界への転移。
陸人はこれから始まる異世界ライフに不安を抱えつつも、ある意味での人生の再スタートと捉え、新たな一歩を踏み出す決意を固めた……はずだった……
この物語は、間宮陸人が幸か不幸か、異世界での新たな人生を満喫する物語である……はずです。
救国の大聖女は生まれ変わって【薬剤師】になりました ~聖女の力には限界があるけど、万能薬ならもっとたくさんの人を救えますよね?~
日之影ソラ
恋愛
千年前、大聖女として多くの人々を救った一人の女性がいた。国を蝕む病と一人で戦った彼女は、僅かニ十歳でその生涯を終えてしまう。その原因は、聖女の力を使い過ぎたこと。聖女の力には、使うことで自身の命を削るというリスクがあった。それを知ってからも、彼女は聖女としての使命を果たすべく、人々のために祈り続けた。そして、命が終わる瞬間、彼女は後悔した。もっと多くの人を救えたはずなのに……と。
そんな彼女は、ユリアとして千年後の世界で新たな生を受ける。今度こそ、より多くの人を救いたい。その一心で、彼女は薬剤師になった。万能薬を作ることで、かつて救えなかった人たちの笑顔を守ろうとした。
優しい王子に、元気で真面目な後輩。宮廷での環境にも恵まれ、一歩ずつ万能薬という目標に進んでいく。
しかし、新たな聖女が誕生してしまったことで、彼女の人生は大きく変化する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる