冬のキリギリス

かの翔吾

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終 章 終わりの一月(遠藤祐輔) 

一年後

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 転職し初めての正月休暇は九連休と大型のものだった。その連休を利用し祐輔は大阪に帰省していた。

 去年の正月に帰省しなかった事が、母親からの催促のメールを何度も受信させた。

 何度も送り付けられるメールに半分は嫌気がさし、帰省する旨を早いうちに伝えていた。

 大晦日に大阪に戻り新年は高槻の実家で迎えた。

 だが長居するには居心地が良くない実家だ。

 三日の夕方。最終の飛行機に間に合うからと理由を付け高槻を後にした。

 伊丹に向かうつもりなど更々なくてい良い言い訳に過ぎなかった。

 正月に家族,それに親戚が集えば一向にその様子を見せない結婚話に話題が振られる。

 増すばかりの嫌気を悟られる前に実家を後にするのが得策だった。

 阪急電車で二十五分。一年ぶりに立った梅田の町には気掛かりを一つ残していた。

 一年前の一月。

 あの日。大阪へは寄らず高山から真直ぐ東京へと戻った。多分夜行バスに乗った筈だったがその前後の記憶はあやふやだ。

 どんな心境で東京へ戻ったかは覚えていない。ただコートの内ポケットには、ポストカードが一枚入ったままだった。

 気には留めていたが、新しい職場に慣れるにはある程度の時間が必要だった。大阪に帰る余裕なんて簡単には作れなかった。

 コートをクリーニングに出しはしたが、再びコートの内ポケットにポストカードを戻したのが去年の春だ。

 この正月休暇に帰省と言う口実を手に、ようやく気掛かりを納める事が出来る。

 手元に残ったポストカードを返却し気掛かりを納める。ただそれだけの事なのに気持ちは数日前から昂っていた。


 久しぶりに降りた梅田の町にはやはりとした冷たさはなかった。

 色とりどりのアウターの波に目をやる。変わらない光景に一人口許を緩ませていたが、あの日の亨と同じ青いダウンジャケットを見つけ緩んだ口を堅く閉じた。

 去年。手探りに歩いた道も十年前ではなく一年前の記憶だと新鮮なもので迷う事もない。

 それにマスターには昨日のうちに電話をしてある。

 重いドアも躊躇いなく引き開ける事が出来る。

「いらっしゃいませ」

 チリンと言うベルに続いて、声がすぐに飛んできた。 

「ご無沙汰しています」

 満面の笑みのヒロトを見つけ深く頭を下げる。

「お待ちしていました。ビールでいいかしら?」

「はい」

 促される事なく腰を掛ける。

「ユウスケ。あなたコートくらい脱ぎなさいよ。今日はゆっくりしていって貰うんだから」

「いや、でもそんな長居するつもりは」

「いいえ、折角来てくれたんだから」

「すみません。明日早いんですよ。そろそろ帰省ラッシュなんですかね? 早い時間の新幹線しか指定が取れなくて」

「そうなのね」

 ヒロトがほんの少し笑みを陰らせる。

「すみません」

 その表情に小さく謝罪する。

「それで、明日高山に行くのよね?」

「はい。どうしても亨君に手を合わせたくて」

 店内を見回す。やはり一年と言う時間では何も変わる事がない。

 ただ何故か奥にある脚の長い椅子に亨を感じる事が出来た。

 十九の頃の自分と二十二の亨。それに記憶には残せていなかいが、航基の姿を同じ椅子に思い描く。

「マスター。これ、ありがとうございました」

 ゆっくりとコートを脱ぎながら、内ポケットから気掛かりを取り出す。

「お借りしていたままの葉書です」

「ああ、それなんだけど。あなたにお願いがあるの。その葉書なんだけど、トオルのご両親に渡して欲しいの」

「えっ? 亨の両親にですか?」

「ええ。形見じゃないけど。ご両親ならトオルに関わる物、何でも大切にしてくれるんじゃないかなって。私も直接ご両親にはお会いしたいんだけど。さすがにね。あなたみたいに若くないから簡単には行けなくて」

「ああ、はい。分かりました」

「それとね、これをご両親に渡して欲しいの」

 ヒロトが風呂敷包みを取り出す。

 カウンターの上、目の前で開かれた風呂敷には、御仏前と書かれた不祝儀袋が三つと封筒が三つあった。

「これは?」

「ご両親と、トオルとコウキへ宛てた手紙なの」

「えっ? 航基君にもですか?」

「ええ、そうよ」

「でも俺、亨の実家に行くだけですよ」

「ええ、知っているわよ。昨日も電話でそう言っていたじゃない」

「いや、だから。航基君の所には」

「だから、トオルのご両親に会うだけで大丈夫だから」

 ヒロトが悪戯っぽく含みのある笑みを向ける。

「どうしてもここで過ごしたトオル達の事。ご両親にもちゃんと知って理解して欲しいのよ」

「そうですね」

 ヒロトの願いに素直に頷いた。

 それはヒロトが言ったトオル達にどうしても自分を含めてしまうからだ。

 会った記憶のない航基をどうしても自分に重ねてしまう。今思えば一年前に拒絶した麻美に対しても何処かで同じ匂いを感じていたのかもしれない。

 亨と言う人間に狂おしい程惹かれた者同士。言い表し難い何かを感じる。

「お願いしますね」

 拡げた風呂敷に葉書を一枚加え結び直すヒロト。その指先の荒れ方にこの店を守り抜いてきた誇りが見えたようだった。

「あと、これはユウスケ。あなた宛てです。あなたにはお願いばかりだけど、トオルのご両親に伝えて欲しいの。だから私の気持ちが綴ってあります」

 風呂敷包みと自分宛ての手紙を受け取り大きく首を垂らす。

「それとこれがトオルのご実家の住所よ」

「えっ?」

 ヒロトからメモを受け取り驚いた声で顔を上げる。

 それは住所をヒロトから渡され驚きではなく、住所も分からずに亨の実家へ行こうとしていた自分への驚きだった。

「トオルがね、ここに勤めていた時の、住所や電話番号は残っているのよ。こんな店でもある程度、身元が分からないと雇えないでしょ」

「そうですね」

 自分の実家の住所や電話番号もまだこの店に残っているんだろう。

「あれ、マスター、もしかして?」

「何かしら?」

「亨からマスターに電話があった時。その後、俺に電話くれた時です。もしかして、亨の実家にも電話しました?」

「トオルは本当に真面目だったからね。実家だけじゃなくご両親の勤め先の電話番号まで書いてあったわよ」

 こちらを覗き込みながらヒロトが再び悪戯な笑みを向ける。

 そんな顔を見ていると何故か故郷に戻ってきたと言う安心感が小さく灯った。

 高槻へ帰った時には、得られなかった安心感。

 暖かい気持ちをヒロトから受け取り梅田の町へ戻る。

 ほんの少し時間が経っただけで梅田の町はとした冷たい空気に変わっていた。

——すげぇ寒い。

 いつかの亨の言葉を思い出し口を動かしてみる。

 しっかりと発声はされなかったが、口から大きく漏れた白い息が亨の言葉を形にしていた。
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