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11 二丁目・貴久との再会
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「手伝おうか?」
由之が押し開けようとするドアは十センチ程の隙間を作って止まっている。何かが引っ掛かっているようなその様子に立ち上がる。由之に代わり握ったノブを勢いよく押してみる。勢いよくと言っても、力任せに押したドアは全体重をかけようやく開いたものだった。
「ちょっと何⁉」
押し開けたドアから廊下へ出た由之が声を上げている。その声に続いて由之の背後に立つ。廊下に蹲る男の姿。顔は見えないが髪が濡れている。それに白いポロシャツが肌に張りつき、ぐっしょりと濡れている事が見て取れる。
——酔っぱらいか? ——いつの間に雨が?
蹲る男のから目を上げ窓の外を見る。看板の明りは確認できるが、その看板の文字は歪んで見えない。窓を叩く大粒の雨に一瞬にして変わっただろう新宿の町の様子を教えられる。
「えっ? 貴久! 何? またすごく酔っぱらっているの?」
蹲った男の横に屈んだ由之が、その肩や背中を叩いている。
「手伝おうか?」
無理に男の脇に腕をねじ込み、蹲った男を壁に凭れさせるように立たせた。その様子を見ていた夏樹も椅子を回転させ、廊下の外の様子を覗いている。だが夏樹には手伝う気などないようで、椅子に座ったまま空になったグラスに手を掛けている。
由之が貴久と呼んだ男を店内へと引き摺り、背の高い椅子に腰掛けさせた。カウンターしかない店にはソファのような低い椅子は見当たらない。おしぼりの袋を五本ほど引きちぎり、男の頭と顔を由之が撫でていく。男はずぶ濡れになりながらも、目も開かずに心地よさそうな表情を浮かべている。
「常連さん?」
その姿を見た夏樹が口を開きながら、飲み干したグラスにビールを催促する。
「あ、うん……。ビールちょっと待ってね。あんまりにもびしょびしょだから、このままだと店の中までびしょびしょになっちゃう」
夢の中にいるかのように男の口はむにゃむにゃと動いてはいる。だが一向に目を覚ます気配はない。こんな酔っ払いの相手大変だと、丁寧に拭っていく、由之のおしぼりの動きをただ眺める。
お待たせしましたと、注がれたビールに夏樹が口を付けている。
「こんな酔っ払いの相手大変だね、まあ、お客さんだから仕方ないのかな……もう一本お願いします」
気を遣ったつもりの言葉に由之の返事がなかった事に、慌ててビールを催促する。隣でだらだらとビールを飲み続ける夏樹に目をやったが、特に変わった様子はない。こんな所で小学生時代の同級生と再会するのも悪くはないのか。冷たいビールに心が解されたからか、頬が緩んでいく。
「あの…実はね……」
何か言いにくそうに口を開いたのは由之だった。閉ざされた空間ではさっき目にした雨の音は届かない。静かな店内でただ由之の声に耳を澄ませる。
「あの……実は……貴久なの。三芳貴久……。覚えてない?」
「……ぐえっ!?」
少しの間のあと、言葉にならない意味のない声を発したのは夏樹だった。由之が発した名前に驚きを露わにしたようだが、その名前を聞いても思い出せる事が何もない。ただ夏樹の意味のない声の真意に思考を奪われるだけだ。
「嘘だろ? マジかよ? まさか、まさかだな」
大きな驚きを見せていたように思えた夏樹が、全てを把握したのか、にやりと笑いだした。その表情には嫌悪を感じるが、何一つ思い出せないなら、夏樹に教えを乞うしかない。いや、夏樹ではなく由之に聞けばいいだけだ。カウンターに伏せた男の顔は見えない。もし見えたとしてもその男を思い描く事はできない。
「なあ、由之。三芳貴久って?」
「……こんな事ってあるんだね。偶然にしては何だか出来過ぎだよ。二人がこの店に来た時はびっくりしたけど、こんな事ってあるんだ」
「俺もびっくりだよ。まさか、まさかだよ。偶然ねえ。偶然かも知れないが、これはただの偶然じゃないだろ? だってあんな事があっての今だよ」
「……あんな事?」
全く読み取れない夏樹と由之の会話に、湧き出す感情は不安だけだ。二人の会話に巻き込まれている事は理解できるが、カウンターに伏せる貴久と呼ばれた男との接点が見えない。
「お前、あんまり驚いてないな」
「えっ?」
「あっ、そうかそうか。お前刑事だもんな。俺たちなんかより色々情報握っている訳だし、これも偶然なんかじゃなく、全部お前が仕組んだものじゃないのか」
全くもって見当外れな言われ方だ。何一つ思い浮かべる事が出来ない貴久との出会いを、仕組んだのはお前だと言われても、ただぽかんと口を開けるしかできない。
「それじゃ、仕切り直し。乾杯だ、乾杯。四人の再会に祝して乾杯。まあ、一人は寝ているけど、まあ、いいじゃないか。ほら、晴人も由之もグラス持てよ」
夏樹に促され、グラスを持ち上げる。いつの間にか空に近かったグラスにビールが注がれている。由之の顔をちらりと盗み見たが、穏やかな顔でグラスを持ち上げているだけだ。
三つ向こうの席に伏せている貴久に目を向けながら、二人の声を拾う。受け応えはしているが、由之が自分から何かを切り出す事はなく、いや、二人でいた時も、今こうして三人でいても、主導権は夏樹にある。夏樹が口を開かなければ、空気は静かなものになる。その空気に耐えられない訳ではないから、自ら口を開く必要もない。
「寒いのかな? 大丈夫かな?」
背中を小刻みに震わせる貴久。ちょうどエアコンの吹き出し口が貴久の背中へ向いているようだった。
「まだ濡れているら、風が当たらないようにしてやらないと」
「そうだよね」
由之がエアコンのリモコンを手にする。貴久の体調など構わないのだろうか、会話に入ってこない夏樹を横目で見ると、やけに神妙な面持ちで何か別の考えに囚われているようだった。
だがその時だ。それはあまりにも唐突だった。
「……なあ、俺思うんだけど。小林を殺したのは、俺ら四人の中の誰かなんじゃないのか?」
神妙な面持ちを崩す事なく夏樹が吐き出す。
「どう言う意味だよ。なんで小林の事件が俺らに繋がるんだ?」
「……だって出来過ぎだろ? 考えてみろよ。俺とお前は、何年ぶりだ? こうやって再会した。それに由之と貴久も俺らの知らない所で会っていたんだ。それがこうして四人再会したんだぜ。偶然なのか? それに小林だよ。歩道橋の踊り場で殺された姿で発見されたんだ。間違いないだろ? 俺ら四人の中に犯人がいる」
何を根拠にそんな確信が持てるのか、全く意味が分からない。確かに今まで会う事のなかった小学校時代の同級生に再会はした。だがそれは望んだ事ではない。偶然と言えば出来過ぎだが、そもそも署に電話を掛け再会のきっかけを作ったのは夏樹であり、この店に連れてきたのも夏樹だ。
——偶然を作ったのはお前じゃないのか?
隣に座る夏樹に疑いの目を向けてみる。
「……って事は、お前が小林を殺したのか?」
「何でそうなるんだよ!」
自分で立てた仮説なのに、自分を含められる事は、許さないらしい夏樹が不機嫌な顔を作る。
「お前ならやりかねないだろ? 現にお前は犯罪者なんだし」
強い言葉に夏樹は先制するのを止めたように口を閉ざした。
「……何でそんな風になるのか分からないけど、晴人言い過ぎだよ」
「あっ、ごめん」
本来なら夏樹に向けられる言葉だが、何故か割って入った由之へ謝罪を投げた。
「……まあな、晴人の言う通りだ。俺みたいに人を食いものにしている犯罪者は、真っ先に疑われるんだ。晴人は刑事だし、由之だってこんな立派な店を持っている。貴久は……」
「貴久は学校の先生だよ。小学校の先生」
「学校の先生なら、やっぱりそうだな。俺が真っ先に疑われても仕方ない」
「だから何でそうなるんだ? 何で俺ら四人の中にって……なるんだ?」話を戻す。
「お前、覚えていないのか? 俺ら四人の秘密だよ」
「秘密?」
「ああ、小林は歩道橋の踊り場で発見されたんだよな? しかも土砂降りの雨の日だった。歩道橋、雨、小林、いや小林先生。……お前、思い出さないのか?」
何も思い出さない事に夏樹が不思議そうに覗き込んでくる。カウンターの向こうの由之は大きな驚きに、顔を青くしているようだった。
脳裏に描いた白いページを捲り、夏樹が口にした秘密と言う言葉を探してみる。
——四人の秘密。——歩道橋。——雨。——小林先生。
幾つかの言葉を繋げてみても、一つに繋げる事は出来ず、秘密と言う言葉には辿り着けない。ただどう言う訳か、悲しいと大きい、二つの形容詞が浮かんできた。〈悲しい〉〈大きい〉。それが大きな悲しみと言う意味なのかさえ分からないが、何故か二つの形容詞が脳裏にこびり付いた。
由之が押し開けようとするドアは十センチ程の隙間を作って止まっている。何かが引っ掛かっているようなその様子に立ち上がる。由之に代わり握ったノブを勢いよく押してみる。勢いよくと言っても、力任せに押したドアは全体重をかけようやく開いたものだった。
「ちょっと何⁉」
押し開けたドアから廊下へ出た由之が声を上げている。その声に続いて由之の背後に立つ。廊下に蹲る男の姿。顔は見えないが髪が濡れている。それに白いポロシャツが肌に張りつき、ぐっしょりと濡れている事が見て取れる。
——酔っぱらいか? ——いつの間に雨が?
蹲る男のから目を上げ窓の外を見る。看板の明りは確認できるが、その看板の文字は歪んで見えない。窓を叩く大粒の雨に一瞬にして変わっただろう新宿の町の様子を教えられる。
「えっ? 貴久! 何? またすごく酔っぱらっているの?」
蹲った男の横に屈んだ由之が、その肩や背中を叩いている。
「手伝おうか?」
無理に男の脇に腕をねじ込み、蹲った男を壁に凭れさせるように立たせた。その様子を見ていた夏樹も椅子を回転させ、廊下の外の様子を覗いている。だが夏樹には手伝う気などないようで、椅子に座ったまま空になったグラスに手を掛けている。
由之が貴久と呼んだ男を店内へと引き摺り、背の高い椅子に腰掛けさせた。カウンターしかない店にはソファのような低い椅子は見当たらない。おしぼりの袋を五本ほど引きちぎり、男の頭と顔を由之が撫でていく。男はずぶ濡れになりながらも、目も開かずに心地よさそうな表情を浮かべている。
「常連さん?」
その姿を見た夏樹が口を開きながら、飲み干したグラスにビールを催促する。
「あ、うん……。ビールちょっと待ってね。あんまりにもびしょびしょだから、このままだと店の中までびしょびしょになっちゃう」
夢の中にいるかのように男の口はむにゃむにゃと動いてはいる。だが一向に目を覚ます気配はない。こんな酔っ払いの相手大変だと、丁寧に拭っていく、由之のおしぼりの動きをただ眺める。
お待たせしましたと、注がれたビールに夏樹が口を付けている。
「こんな酔っ払いの相手大変だね、まあ、お客さんだから仕方ないのかな……もう一本お願いします」
気を遣ったつもりの言葉に由之の返事がなかった事に、慌ててビールを催促する。隣でだらだらとビールを飲み続ける夏樹に目をやったが、特に変わった様子はない。こんな所で小学生時代の同級生と再会するのも悪くはないのか。冷たいビールに心が解されたからか、頬が緩んでいく。
「あの…実はね……」
何か言いにくそうに口を開いたのは由之だった。閉ざされた空間ではさっき目にした雨の音は届かない。静かな店内でただ由之の声に耳を澄ませる。
「あの……実は……貴久なの。三芳貴久……。覚えてない?」
「……ぐえっ!?」
少しの間のあと、言葉にならない意味のない声を発したのは夏樹だった。由之が発した名前に驚きを露わにしたようだが、その名前を聞いても思い出せる事が何もない。ただ夏樹の意味のない声の真意に思考を奪われるだけだ。
「嘘だろ? マジかよ? まさか、まさかだな」
大きな驚きを見せていたように思えた夏樹が、全てを把握したのか、にやりと笑いだした。その表情には嫌悪を感じるが、何一つ思い出せないなら、夏樹に教えを乞うしかない。いや、夏樹ではなく由之に聞けばいいだけだ。カウンターに伏せた男の顔は見えない。もし見えたとしてもその男を思い描く事はできない。
「なあ、由之。三芳貴久って?」
「……こんな事ってあるんだね。偶然にしては何だか出来過ぎだよ。二人がこの店に来た時はびっくりしたけど、こんな事ってあるんだ」
「俺もびっくりだよ。まさか、まさかだよ。偶然ねえ。偶然かも知れないが、これはただの偶然じゃないだろ? だってあんな事があっての今だよ」
「……あんな事?」
全く読み取れない夏樹と由之の会話に、湧き出す感情は不安だけだ。二人の会話に巻き込まれている事は理解できるが、カウンターに伏せる貴久と呼ばれた男との接点が見えない。
「お前、あんまり驚いてないな」
「えっ?」
「あっ、そうかそうか。お前刑事だもんな。俺たちなんかより色々情報握っている訳だし、これも偶然なんかじゃなく、全部お前が仕組んだものじゃないのか」
全くもって見当外れな言われ方だ。何一つ思い浮かべる事が出来ない貴久との出会いを、仕組んだのはお前だと言われても、ただぽかんと口を開けるしかできない。
「それじゃ、仕切り直し。乾杯だ、乾杯。四人の再会に祝して乾杯。まあ、一人は寝ているけど、まあ、いいじゃないか。ほら、晴人も由之もグラス持てよ」
夏樹に促され、グラスを持ち上げる。いつの間にか空に近かったグラスにビールが注がれている。由之の顔をちらりと盗み見たが、穏やかな顔でグラスを持ち上げているだけだ。
三つ向こうの席に伏せている貴久に目を向けながら、二人の声を拾う。受け応えはしているが、由之が自分から何かを切り出す事はなく、いや、二人でいた時も、今こうして三人でいても、主導権は夏樹にある。夏樹が口を開かなければ、空気は静かなものになる。その空気に耐えられない訳ではないから、自ら口を開く必要もない。
「寒いのかな? 大丈夫かな?」
背中を小刻みに震わせる貴久。ちょうどエアコンの吹き出し口が貴久の背中へ向いているようだった。
「まだ濡れているら、風が当たらないようにしてやらないと」
「そうだよね」
由之がエアコンのリモコンを手にする。貴久の体調など構わないのだろうか、会話に入ってこない夏樹を横目で見ると、やけに神妙な面持ちで何か別の考えに囚われているようだった。
だがその時だ。それはあまりにも唐突だった。
「……なあ、俺思うんだけど。小林を殺したのは、俺ら四人の中の誰かなんじゃないのか?」
神妙な面持ちを崩す事なく夏樹が吐き出す。
「どう言う意味だよ。なんで小林の事件が俺らに繋がるんだ?」
「……だって出来過ぎだろ? 考えてみろよ。俺とお前は、何年ぶりだ? こうやって再会した。それに由之と貴久も俺らの知らない所で会っていたんだ。それがこうして四人再会したんだぜ。偶然なのか? それに小林だよ。歩道橋の踊り場で殺された姿で発見されたんだ。間違いないだろ? 俺ら四人の中に犯人がいる」
何を根拠にそんな確信が持てるのか、全く意味が分からない。確かに今まで会う事のなかった小学校時代の同級生に再会はした。だがそれは望んだ事ではない。偶然と言えば出来過ぎだが、そもそも署に電話を掛け再会のきっかけを作ったのは夏樹であり、この店に連れてきたのも夏樹だ。
——偶然を作ったのはお前じゃないのか?
隣に座る夏樹に疑いの目を向けてみる。
「……って事は、お前が小林を殺したのか?」
「何でそうなるんだよ!」
自分で立てた仮説なのに、自分を含められる事は、許さないらしい夏樹が不機嫌な顔を作る。
「お前ならやりかねないだろ? 現にお前は犯罪者なんだし」
強い言葉に夏樹は先制するのを止めたように口を閉ざした。
「……何でそんな風になるのか分からないけど、晴人言い過ぎだよ」
「あっ、ごめん」
本来なら夏樹に向けられる言葉だが、何故か割って入った由之へ謝罪を投げた。
「……まあな、晴人の言う通りだ。俺みたいに人を食いものにしている犯罪者は、真っ先に疑われるんだ。晴人は刑事だし、由之だってこんな立派な店を持っている。貴久は……」
「貴久は学校の先生だよ。小学校の先生」
「学校の先生なら、やっぱりそうだな。俺が真っ先に疑われても仕方ない」
「だから何でそうなるんだ? 何で俺ら四人の中にって……なるんだ?」話を戻す。
「お前、覚えていないのか? 俺ら四人の秘密だよ」
「秘密?」
「ああ、小林は歩道橋の踊り場で発見されたんだよな? しかも土砂降りの雨の日だった。歩道橋、雨、小林、いや小林先生。……お前、思い出さないのか?」
何も思い出さない事に夏樹が不思議そうに覗き込んでくる。カウンターの向こうの由之は大きな驚きに、顔を青くしているようだった。
脳裏に描いた白いページを捲り、夏樹が口にした秘密と言う言葉を探してみる。
——四人の秘密。——歩道橋。——雨。——小林先生。
幾つかの言葉を繋げてみても、一つに繋げる事は出来ず、秘密と言う言葉には辿り着けない。ただどう言う訳か、悲しいと大きい、二つの形容詞が浮かんできた。〈悲しい〉〈大きい〉。それが大きな悲しみと言う意味なのかさえ分からないが、何故か二つの形容詞が脳裏にこびり付いた。
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