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01 Black Day 濱崎凛
April
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7th Apr.
高校に入学したと言っても浮かれた気分にはなれなかった。
初めて通る校門に淡いピンクの花弁が落ちれば、少しはその気になれたかもしれないけど。
僕の生まれた町の桜は遅い。
毎年ゴールデンウィーク近くになって咲き始める桜。だから入学式だと言っても、まだ春を感じられず浮かれた気分にはなれないのだ。
「……あれって濱崎じゃないか?」
半日の登校を終え、俯きながら校門を抜けようとした時。僕の耳に僕の名前が飛び込んできた。
思わず声に振り返る。
「やっぱりそうだよ。濱崎凛だよ」
気付かない振りでそのまま通り過ぎてもよかったけど、声の主の隣の笑顔に僕の目は奪われてしまった。
たかだか十五年生きてきただけだ。
愛や恋なんて、テレビや映画の中か、女子たちのくだらない噂話の中にしかなかった。僕の現実からは一番遠い場所にあるものだって。
だからこれがそんな気持ちなんだって言い当てる自信もないけど、僕は何故か出会ってしまったって気になったんだ。
「もしかして水泳部の方ですか?」
「やっぱり濱崎凛だよね」
フルネームで呼び捨てにされる事は慣れていた。
県大会で新記録なんて出してしまった日から、名前だけが一人歩きしていた。
いつもなら気付かない振りして通り過ぎるのに、今日をいつもじゃない日に変えたのは、間違いなく声の主の隣の笑顔だ。
「まだ部活をどうしようか悩んでいて。水泳部の勧誘ですか?」
式が行われた講堂から教室へ移動する時は誰もいなかったはずなのに。終業のチャイムと共に、沢山の先輩たちが下足室から校門へ続く通路と校庭を埋めつくしていた。
「どうして? 悩む必要なんてないだろ? 是非是非、我が水泳部へ。温かく迎えるから。なっ、お前からも何とか言えよ」
「ああ、もしよかったらだけど。水泳部に入ってくれないかな」
声の主の隣の笑顔。遠慮がちなその誘いに、僕は「はい」と、答えていた。
これが僕と先輩たちとの出会いだ。
おかげで全く浮かれなかった僕の気分はあっと言う間に春色に染まってしまった。
声の主がショウ先輩。
声の主の隣の笑顔がトモ先輩だと紹介を受け、僕はそのまま水泳部の部室へ連れて行かれた。
部室と言っても、そこはまだ水の張られていないプールの更衣室だ。
プールサイドを歩く二人に続く間も、僕の目にショウ先輩の背中が映る事はなかった。
ショウ先輩が気付いてくれたから、トモ先輩に出会う事が出来た。本当ならショウ先輩に感謝しても当然だけど、もし感謝の弁なんて伝えてしまったら、僕の邪な気持ちを顕にしなきゃいけなくなる。
まだ出会ってしまったってこの気持ちを表す言葉は見つかっていない。
愛なのか、恋なのか。これが好きと言う気持ちなのか。だけど僕自身が邪な気持ちだと理解している以上、簡単に見抜かれる訳にはいかない。
人が人を好きになる事は美しいものだと言う人もいるけど。
僕がいま抱えるこの思いは、全ての人に受け入れられる訳じゃないと、僕は薄々勘付いている。
僕が男だから。
トモ先輩が男だから。
人を好きになる事に性別なんて関係ないって。そんな綺麗事だけの世界ならいいのに。
例えば生まれたばかりの僕は——。
六歳だった僕は——。そんな綺麗事だけの世界にいた。
だけど十五歳になった僕が身を置くこの世界は純真無垢でいられるほど浄化されていない。
薄汚れた世界とまでは言わないけど、無色透明でも、真っ白でもない。
14th Apl.
入学式から一週間が過ぎたけどまだ桜は咲いていない。
僕は校門の横の桜の木を見上げた。だけど『蕾が膨らんでもうそろそろ』なんて言うのも難しいほど、固い蕾しか見えなかった。
こんな事を言えば、僕がよっぽど桜の開花を待ち望んでいるように聞こえるだろう。だけど僕の関心はそんなところにはない。たまたま校門を抜けるとき空を見上げただけだ。
僕の関心は桜じゃなく常にトモ先輩にある。それはこの一週間で一度もブレる事がなかった。だからこれからもブレる事なく、僕の目にはトモ先輩だけが収まり続けるだろう。
桜だけじゃない。授業も、進路も、新しいクラスも、それに折角入った部活も、水泳ですら、トモ先輩への関心には敵わない。
「週一しか水に入れないなんて本当辛いよな」
「五月までの我慢だよ。……誘っておきながら濱崎にも申し訳ないけど、今日は思い切り楽しもうぜ」
ショウ先輩とトモ先輩の会話を耳にしながらも、僕は目のやり場に困っていた。
手を伸ばせば簡単に触れられそうなところにトモ先輩の裸の胸がある。初めて見るトモ先輩の胸は白く、暫く太陽の下に晒されていなかった事が分かる。
「五月に学校のプールも水が張られるんですよね?」
何かを口にしないと、急に波打ち始めた脈の音がばれるような気がした。
「ああ。一年中、水を張っててくれって、何度も頼んだけど却下されたんだ」
ショウ先輩が笑う。
ショウ先輩も既にTシャツを脱いで、僕に裸の胸を向けているけど、僕の脈がそれ以上暴れる事はなかった。
五月にようやく学校のプールが開かれる事は聞いていた。ただプール開きと言ってもそれは水泳部のためだけのもの。体育の授業に取り入れられるのは六月以降だとも聞いていた。
プールが開かれるまではいくら水泳部と言っても毎日水に入れる訳ではない。週に一度、金曜日の放課後。市民センターの屋内プールが練習の場となるだけだった。
「二時間しか使えないんだし、早く行こうぜ」
いつの間にか水着に着替え終わったトモ先輩がキャップとゴーグルを手にショウ先輩を促している。
「ああ、そうだな」
返事をしながらもショウ先輩はまだ着替えを済ませていない。そんなショウ先輩に背中を向けながらジャージとTシャツを脱いでいく。
その時、ショウ先輩の視線が僕の裸の背中と尻に向けられていたなんて、僕に気付けるはずはなかった。
「お前ら、早くしろよ」
トモ先輩の声に慌てて脱いだジャージとTシャツをロッカーへと投げ入れる。
トモ先輩の目には何が映っていたのだろう?
僕がトモ先輩の裸を見て脈を暴れさせたように、もし僕の裸を見てトモ先輩が脈を暴れさせていたら。そんな事がある訳ないのに、僕はそんなくだらない考えだけで幸せになれた。
高校に入学したと言っても浮かれた気分にはなれなかった。
初めて通る校門に淡いピンクの花弁が落ちれば、少しはその気になれたかもしれないけど。
僕の生まれた町の桜は遅い。
毎年ゴールデンウィーク近くになって咲き始める桜。だから入学式だと言っても、まだ春を感じられず浮かれた気分にはなれないのだ。
「……あれって濱崎じゃないか?」
半日の登校を終え、俯きながら校門を抜けようとした時。僕の耳に僕の名前が飛び込んできた。
思わず声に振り返る。
「やっぱりそうだよ。濱崎凛だよ」
気付かない振りでそのまま通り過ぎてもよかったけど、声の主の隣の笑顔に僕の目は奪われてしまった。
たかだか十五年生きてきただけだ。
愛や恋なんて、テレビや映画の中か、女子たちのくだらない噂話の中にしかなかった。僕の現実からは一番遠い場所にあるものだって。
だからこれがそんな気持ちなんだって言い当てる自信もないけど、僕は何故か出会ってしまったって気になったんだ。
「もしかして水泳部の方ですか?」
「やっぱり濱崎凛だよね」
フルネームで呼び捨てにされる事は慣れていた。
県大会で新記録なんて出してしまった日から、名前だけが一人歩きしていた。
いつもなら気付かない振りして通り過ぎるのに、今日をいつもじゃない日に変えたのは、間違いなく声の主の隣の笑顔だ。
「まだ部活をどうしようか悩んでいて。水泳部の勧誘ですか?」
式が行われた講堂から教室へ移動する時は誰もいなかったはずなのに。終業のチャイムと共に、沢山の先輩たちが下足室から校門へ続く通路と校庭を埋めつくしていた。
「どうして? 悩む必要なんてないだろ? 是非是非、我が水泳部へ。温かく迎えるから。なっ、お前からも何とか言えよ」
「ああ、もしよかったらだけど。水泳部に入ってくれないかな」
声の主の隣の笑顔。遠慮がちなその誘いに、僕は「はい」と、答えていた。
これが僕と先輩たちとの出会いだ。
おかげで全く浮かれなかった僕の気分はあっと言う間に春色に染まってしまった。
声の主がショウ先輩。
声の主の隣の笑顔がトモ先輩だと紹介を受け、僕はそのまま水泳部の部室へ連れて行かれた。
部室と言っても、そこはまだ水の張られていないプールの更衣室だ。
プールサイドを歩く二人に続く間も、僕の目にショウ先輩の背中が映る事はなかった。
ショウ先輩が気付いてくれたから、トモ先輩に出会う事が出来た。本当ならショウ先輩に感謝しても当然だけど、もし感謝の弁なんて伝えてしまったら、僕の邪な気持ちを顕にしなきゃいけなくなる。
まだ出会ってしまったってこの気持ちを表す言葉は見つかっていない。
愛なのか、恋なのか。これが好きと言う気持ちなのか。だけど僕自身が邪な気持ちだと理解している以上、簡単に見抜かれる訳にはいかない。
人が人を好きになる事は美しいものだと言う人もいるけど。
僕がいま抱えるこの思いは、全ての人に受け入れられる訳じゃないと、僕は薄々勘付いている。
僕が男だから。
トモ先輩が男だから。
人を好きになる事に性別なんて関係ないって。そんな綺麗事だけの世界ならいいのに。
例えば生まれたばかりの僕は——。
六歳だった僕は——。そんな綺麗事だけの世界にいた。
だけど十五歳になった僕が身を置くこの世界は純真無垢でいられるほど浄化されていない。
薄汚れた世界とまでは言わないけど、無色透明でも、真っ白でもない。
14th Apl.
入学式から一週間が過ぎたけどまだ桜は咲いていない。
僕は校門の横の桜の木を見上げた。だけど『蕾が膨らんでもうそろそろ』なんて言うのも難しいほど、固い蕾しか見えなかった。
こんな事を言えば、僕がよっぽど桜の開花を待ち望んでいるように聞こえるだろう。だけど僕の関心はそんなところにはない。たまたま校門を抜けるとき空を見上げただけだ。
僕の関心は桜じゃなく常にトモ先輩にある。それはこの一週間で一度もブレる事がなかった。だからこれからもブレる事なく、僕の目にはトモ先輩だけが収まり続けるだろう。
桜だけじゃない。授業も、進路も、新しいクラスも、それに折角入った部活も、水泳ですら、トモ先輩への関心には敵わない。
「週一しか水に入れないなんて本当辛いよな」
「五月までの我慢だよ。……誘っておきながら濱崎にも申し訳ないけど、今日は思い切り楽しもうぜ」
ショウ先輩とトモ先輩の会話を耳にしながらも、僕は目のやり場に困っていた。
手を伸ばせば簡単に触れられそうなところにトモ先輩の裸の胸がある。初めて見るトモ先輩の胸は白く、暫く太陽の下に晒されていなかった事が分かる。
「五月に学校のプールも水が張られるんですよね?」
何かを口にしないと、急に波打ち始めた脈の音がばれるような気がした。
「ああ。一年中、水を張っててくれって、何度も頼んだけど却下されたんだ」
ショウ先輩が笑う。
ショウ先輩も既にTシャツを脱いで、僕に裸の胸を向けているけど、僕の脈がそれ以上暴れる事はなかった。
五月にようやく学校のプールが開かれる事は聞いていた。ただプール開きと言ってもそれは水泳部のためだけのもの。体育の授業に取り入れられるのは六月以降だとも聞いていた。
プールが開かれるまではいくら水泳部と言っても毎日水に入れる訳ではない。週に一度、金曜日の放課後。市民センターの屋内プールが練習の場となるだけだった。
「二時間しか使えないんだし、早く行こうぜ」
いつの間にか水着に着替え終わったトモ先輩がキャップとゴーグルを手にショウ先輩を促している。
「ああ、そうだな」
返事をしながらもショウ先輩はまだ着替えを済ませていない。そんなショウ先輩に背中を向けながらジャージとTシャツを脱いでいく。
その時、ショウ先輩の視線が僕の裸の背中と尻に向けられていたなんて、僕に気付けるはずはなかった。
「お前ら、早くしろよ」
トモ先輩の声に慌てて脱いだジャージとTシャツをロッカーへと投げ入れる。
トモ先輩の目には何が映っていたのだろう?
僕がトモ先輩の裸を見て脈を暴れさせたように、もし僕の裸を見てトモ先輩が脈を暴れさせていたら。そんな事がある訳ないのに、僕はそんなくだらない考えだけで幸せになれた。
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