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100 暁のミッドウェー
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とはいえ、一九四二年七月六日、ミッドウェー沖からの離脱を図ろうとする艦隊将兵にはそのような意識はない。
大戦果を挙げながらも多くの搭乗員を失い、戦艦伊勢までも失ったことで、全体的に重苦しい雰囲気が流れていた。
唯一の救いは、空母赤城が機関の復旧に成功したことであろう。
戦場海域からの離脱に伴い、赤城では防毒マスクを付けた決死隊を機関部に送り込んでその復旧に務めたのである。
そのため、彼女は十二ノットにて自力航行が可能となっていた。針路の変更も、左右の推進器の回転数を変えることである程度は行うことが出来た。
それでも機関が完全に再稼働するにはまだ時間がかかると見込まれていたが、機関部そのものに損傷はない。あくまでも、炭酸ガスが機関部に流れ込んでしまっただけでなのである。
赤城を始めとする空母を守るように、艦隊は内地を目指して西へと進んでいく。
海は、昨夜までの激しい戦闘を忘れてしまったかのように穏やかであった。
陽光に波が煌めき、雲が天高く伸びている。
「静かなものだな」
空母飛龍の艦橋に佇みながら、二航戦司令官・山口多聞少将は呟いた。
上空からは直掩の零戦隊と対潜警戒を行う九七艦攻の発動機が発する音が聞こえてきてはいたが、戦闘の喧噪からは程遠い。
未だ稼働状態にあるという翔鶴の二一号電探も何も探知していないらしく、警告の信号が発せられることもなかった。
米艦隊による追撃を恐れてミッドウェー方面に索敵機を放っていたが、そこからも何の報告も寄せられない。
あるいは米艦隊もまた、昨日の海戦で戦闘能力を失ってしまったのかもしれない。
だとすれば、新手の四空母の誤報だったのか。米艦隊後方にあった油槽船か何かを、索敵機の搭乗員が見間違えたのかもしれない。
しかし、一航艦が空母機動部隊としての戦力を大幅に低下させてしまったことは事実であった。
四空母出現の報が真実か否かにかかわらず、敵艦隊と敵航空基地を同時に相手取る難しさを、帝国海軍は四月のセイロン沖海戦の時以上に痛感することとなったのである。
「空母が一隻も欠けることなく海戦を終えられたことが、せめてもの救いか」
かつて山口は第二段作戦の研究において、インド洋や太平洋の要衝を占領し、最終的にはパナマ運河の破壊、カルフォルニアの油田地帯占領という大胆な戦争計画を提案したことがある。
しかし、今回の海戦の結果を見れば、己の提案がいかに航空機とその搭乗員の喪失を無視していた計画であったのかが判る。
たとえ米艦隊を壊滅に追いやることが出来たとしても、こちらの航空隊が相応の損害を負ってしまえば、以降の作戦継続は極めて困難となる。
そのことを、今回の海戦で山口は痛感していた。
そして、インド洋での帝国海軍と、ミッドウェーでの米海軍は、共に戦艦を含む水上艦隊で敵艦隊の追撃を行った。
これは、空母だけで海戦の決着をつけることの困難さを示しているようにも思えるのだ。
真珠湾以来の空母に頼り切った作戦ではなく、戦艦も含めた総合的な艦隊運用が、これからは必要になってくるのかもしれない。
そして、帝国海軍が再び今回のような大規模な攻勢作戦に出られるのは、どれくらい先になるのか。
損傷艦の修理、そして搭乗員の補充と育成に、最低でも三ヶ月。下手をすれば年を跨ぐことになるかもしれない。
その頃には、米海軍も今回の海戦で受けた損害から立ち直っているかもしれない。
また再び、今回のような大規模な海戦が起こることになるだろう。それがどの海域で行われることになるのかは、今はまだ判らなかったが。
いずれにせよ、内地に帰還して今回の戦訓を分析してからの話である。
真珠湾で戦艦部隊を壊滅させられながら帝都空襲を行って雪辱を果たそうとしたアメリカが、今回の海戦で講和を申し込んでくるなどという可能性を、山口は考えていなかった。
米艦隊とは、いずれ再びまみえることになるだろう。
新たな血戦の予感を胸の内に抱きつつ、山口は広漠たる太平洋の海原をただじっと見つめ続けていた。
七月八日、敵勢力圏からの脱出に成功し、ウェーク島の沖合に差し掛かった各艦の艦上では哀調を帯びたラッパの音色と共に戦死者たちの水葬と慰霊の儀式が行われた。
そして七月十四日、第一航空艦隊、第二艦隊の両艦隊は無事に瀬戸内海の柱島へと帰還した。
瑞鳳と祥鳳に護衛された攻略部隊もまた、帰路、一隻も欠けることなくトラック泊地へと入港したという。
ここに、米空母部隊の撃滅とミッドウェー島攻略を目指した帝国海軍のMI作戦は終了したのである。
そしてそれはまた、新たな死闘へと繋がってゆく始まりでもあった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
ここまでのお付き合い、誠にありがとうございました。
これにて、拙作「暁のミッドウェー」本編を完結させて頂きます。
この後、五回ほどに分けて補論を掲載いたします。本編ではミッドウェー海戦そのものを描くことに努めたために戦略描写があまり入れることが出来ませんでしたので、補論では主に戦略面の考察を行う予定です。
物語としての「暁のミッドウェー」はこの30話を以て終わりとなりますが、補論も含めて最後までお付き合い頂けば幸いに存じます。
さて、一つの海戦を航空戦、砲撃戦と約十八万字かけてじっくりと描写したのですが、自分でもよくここまで書いたものだと思います。
当初の予定では五話程度の中編にまとめる予定だったのですが、ここまで延びに延びてしまいました。
夜戦の描写についても、由良以下四水戦の戦闘描写を入れるべきか迷ったのですが、それですとさらに話が延びる上に、内容的に夕立の水雷戦描写と被ってしまうことから省略いたしました。
四水戦は、史実コロンバンガラ島沖海戦のように、旗艦由良が敵の砲火を引き付けている間に駆逐艦が雷撃を成功させたもの、とお考え下さい。
伊勢につきましても、史実第三次ソロモン海戦の霧島よりは防御力は上でしょうが、それでも十六インチ砲弾多数を喰らって無事でいられるとは考えられませんでしたので、このような結末となりました。
ただ、史実では大きな活躍を見せることなく沈没してしまった艦に活躍の場を与えることが出来ましたので、私個人としては満足しております(唯一、大和が砲撃戦に加わっていないのが心残りと言えば心残りですが)。
改めて、ここまで応援して下さった読者の皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
大戦果を挙げながらも多くの搭乗員を失い、戦艦伊勢までも失ったことで、全体的に重苦しい雰囲気が流れていた。
唯一の救いは、空母赤城が機関の復旧に成功したことであろう。
戦場海域からの離脱に伴い、赤城では防毒マスクを付けた決死隊を機関部に送り込んでその復旧に務めたのである。
そのため、彼女は十二ノットにて自力航行が可能となっていた。針路の変更も、左右の推進器の回転数を変えることである程度は行うことが出来た。
それでも機関が完全に再稼働するにはまだ時間がかかると見込まれていたが、機関部そのものに損傷はない。あくまでも、炭酸ガスが機関部に流れ込んでしまっただけでなのである。
赤城を始めとする空母を守るように、艦隊は内地を目指して西へと進んでいく。
海は、昨夜までの激しい戦闘を忘れてしまったかのように穏やかであった。
陽光に波が煌めき、雲が天高く伸びている。
「静かなものだな」
空母飛龍の艦橋に佇みながら、二航戦司令官・山口多聞少将は呟いた。
上空からは直掩の零戦隊と対潜警戒を行う九七艦攻の発動機が発する音が聞こえてきてはいたが、戦闘の喧噪からは程遠い。
未だ稼働状態にあるという翔鶴の二一号電探も何も探知していないらしく、警告の信号が発せられることもなかった。
米艦隊による追撃を恐れてミッドウェー方面に索敵機を放っていたが、そこからも何の報告も寄せられない。
あるいは米艦隊もまた、昨日の海戦で戦闘能力を失ってしまったのかもしれない。
だとすれば、新手の四空母の誤報だったのか。米艦隊後方にあった油槽船か何かを、索敵機の搭乗員が見間違えたのかもしれない。
しかし、一航艦が空母機動部隊としての戦力を大幅に低下させてしまったことは事実であった。
四空母出現の報が真実か否かにかかわらず、敵艦隊と敵航空基地を同時に相手取る難しさを、帝国海軍は四月のセイロン沖海戦の時以上に痛感することとなったのである。
「空母が一隻も欠けることなく海戦を終えられたことが、せめてもの救いか」
かつて山口は第二段作戦の研究において、インド洋や太平洋の要衝を占領し、最終的にはパナマ運河の破壊、カルフォルニアの油田地帯占領という大胆な戦争計画を提案したことがある。
しかし、今回の海戦の結果を見れば、己の提案がいかに航空機とその搭乗員の喪失を無視していた計画であったのかが判る。
たとえ米艦隊を壊滅に追いやることが出来たとしても、こちらの航空隊が相応の損害を負ってしまえば、以降の作戦継続は極めて困難となる。
そのことを、今回の海戦で山口は痛感していた。
そして、インド洋での帝国海軍と、ミッドウェーでの米海軍は、共に戦艦を含む水上艦隊で敵艦隊の追撃を行った。
これは、空母だけで海戦の決着をつけることの困難さを示しているようにも思えるのだ。
真珠湾以来の空母に頼り切った作戦ではなく、戦艦も含めた総合的な艦隊運用が、これからは必要になってくるのかもしれない。
そして、帝国海軍が再び今回のような大規模な攻勢作戦に出られるのは、どれくらい先になるのか。
損傷艦の修理、そして搭乗員の補充と育成に、最低でも三ヶ月。下手をすれば年を跨ぐことになるかもしれない。
その頃には、米海軍も今回の海戦で受けた損害から立ち直っているかもしれない。
また再び、今回のような大規模な海戦が起こることになるだろう。それがどの海域で行われることになるのかは、今はまだ判らなかったが。
いずれにせよ、内地に帰還して今回の戦訓を分析してからの話である。
真珠湾で戦艦部隊を壊滅させられながら帝都空襲を行って雪辱を果たそうとしたアメリカが、今回の海戦で講和を申し込んでくるなどという可能性を、山口は考えていなかった。
米艦隊とは、いずれ再びまみえることになるだろう。
新たな血戦の予感を胸の内に抱きつつ、山口は広漠たる太平洋の海原をただじっと見つめ続けていた。
七月八日、敵勢力圏からの脱出に成功し、ウェーク島の沖合に差し掛かった各艦の艦上では哀調を帯びたラッパの音色と共に戦死者たちの水葬と慰霊の儀式が行われた。
そして七月十四日、第一航空艦隊、第二艦隊の両艦隊は無事に瀬戸内海の柱島へと帰還した。
瑞鳳と祥鳳に護衛された攻略部隊もまた、帰路、一隻も欠けることなくトラック泊地へと入港したという。
ここに、米空母部隊の撃滅とミッドウェー島攻略を目指した帝国海軍のMI作戦は終了したのである。
そしてそれはまた、新たな死闘へと繋がってゆく始まりでもあった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
ここまでのお付き合い、誠にありがとうございました。
これにて、拙作「暁のミッドウェー」本編を完結させて頂きます。
この後、五回ほどに分けて補論を掲載いたします。本編ではミッドウェー海戦そのものを描くことに努めたために戦略描写があまり入れることが出来ませんでしたので、補論では主に戦略面の考察を行う予定です。
物語としての「暁のミッドウェー」はこの30話を以て終わりとなりますが、補論も含めて最後までお付き合い頂けば幸いに存じます。
さて、一つの海戦を航空戦、砲撃戦と約十八万字かけてじっくりと描写したのですが、自分でもよくここまで書いたものだと思います。
当初の予定では五話程度の中編にまとめる予定だったのですが、ここまで延びに延びてしまいました。
夜戦の描写についても、由良以下四水戦の戦闘描写を入れるべきか迷ったのですが、それですとさらに話が延びる上に、内容的に夕立の水雷戦描写と被ってしまうことから省略いたしました。
四水戦は、史実コロンバンガラ島沖海戦のように、旗艦由良が敵の砲火を引き付けている間に駆逐艦が雷撃を成功させたもの、とお考え下さい。
伊勢につきましても、史実第三次ソロモン海戦の霧島よりは防御力は上でしょうが、それでも十六インチ砲弾多数を喰らって無事でいられるとは考えられませんでしたので、このような結末となりました。
ただ、史実では大きな活躍を見せることなく沈没してしまった艦に活躍の場を与えることが出来ましたので、私個人としては満足しております(唯一、大和が砲撃戦に加わっていないのが心残りと言えば心残りですが)。
改めて、ここまで応援して下さった読者の皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
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