暁のミッドウェー

三笠 陣

文字の大きさ
上 下
10 / 105

10 ミッドウェー島空襲

しおりを挟む
 第一機動部隊、第二機動部隊からそれぞれミッドウェー島に向けて攻撃隊が発進したのは、七月五日〇一三〇時(現地時間:七月四日〇四三〇時)前後のことであった。
 第一機動部隊(第一航空艦隊)から発進したのは、翔鶴の零戦九機、九九艦爆十二機、九七艦攻十二、瑞鶴の零戦九機、九九艦爆十二機、九七艦攻十五機の計零戦十八機、九九艦爆二十四機、九七艦攻二十七機の総計六十九機であった。
 攻撃隊指揮官は瑞鶴飛行隊長の嶋崎重和少佐である。
 一航艦がミッドウェー沖に到達した時点で、すでに艦隊では米空母の出現は確実視されていた。それは二式飛行艇による真珠湾偵察や、乙散開線と定められた哨戒線に配備された第五潜水戦隊の報告から考えて、明らかであったからだ。
 もちろん、南雲中将を始めとする一航艦司令部は、米機動部隊の撃滅こそ主たる目標であると思っていたので、五航戦航空隊の一部をミッドウェー攻撃に振り向けることに出撃前から反対していた。
 そもそも、五航戦は一時期、第二艦隊を基幹とする第二機動部隊に編入されることが検討されていたのである。
 第二機動部隊と言えば確かに勇ましい響きであるが、実態は小型空母三、商船改造空母一からなる小規模空母部隊に過ぎない。そのような空母だけでミッドウェーの基地機能を破壊するのは、困難であると思われていたからだ。
 しかし、一航艦の母艦航空戦力が引き抜かれることに対して、特に源田実航空甲参謀が猛烈に反対した。出撃前の艦隊司令部同士の打ち合わせでは、第二艦隊の白石万隆参謀長との間に激論が交わされ、一時は両艦隊司令部の間に非常に険悪な雰囲気が流れたほどであった。
 結果、五航戦の第一次攻撃隊のみをミッドウェー島攻撃に振り向けることで妥協が成立して、嶋崎がその任を担うこととなったのである。第二艦隊の近藤信竹中将の方が第一航空艦隊の南雲忠一中将よりも先任であり、一航艦側が要請を断りづらいという面もあった。
 また、この妥協の成立には、第二機動部隊に編入されることとなった戦艦日向艦長・松田千秋大佐が、航空隊によるミッドウェー基地施設の破壊が不十分な場合には戦艦による砲撃で破壊すれば良い、という趣旨の発言をしたことも関わっている。
 この松田大佐は出撃前の図上演習において赤軍(米軍)を担当して、一航艦に壊滅的打撃を与えることに成功した人物でもあり、演習とはいえ実際に一軍を率いた人間として、与えられた戦力を有効に活用しようという意図からの発案であった。
 ある意味で、戦力集中の原則と、敵艦隊と敵基地という二つの目標を同時に攻撃しなければならないという作戦構想の狭間で出された、苦肉の策であったかもしれない。
 そうした背景を抱えつつ飛行する五航戦攻撃隊の眼前に、ミッドウェー島は姿を現わした。





 一方、攻撃を受ける側となったミッドウェー基地では、この日の日の出と共に航空隊の発進を行っていた。
 まず、カタリナ飛行艇が索敵のために発進し、次いで南西に発見されたジャップ「主力部隊」攻撃のためのB17、B26、SB2Uヴィンディケーター、SBDドーントレス、TBFアヴェンジャーなどが発進した。
 ニミッツ長官やフレッチャー少将と違い、ミッドウェーの航空隊は昨日、発見された南西の敵艦隊が紛れもなくジャップ空母部隊の一群であると判断していたのである。
 ただ問題は、これら攻撃隊の所属が陸軍航空隊、海軍航空隊、海兵隊航空隊の寄せ集めであることであった。だがとにかくも、ジャップの空母に打撃を与えなければならないと考えて、航空隊は出撃に踏み切った。
 インド洋における英セイロン航空隊のように一隻でもジャップの空母を使用不能にさせることを狙っていたのである。そうすれば、味方空母部隊の負担も少しは軽くなるだろう。
 また、その傍らで、防空戦闘のための準備も進められている。海兵隊のシャノン大佐の指揮の下、兵員たちは対空火器に取り付いて高射砲や機銃を上空に向けている。戦闘機隊長パークス少佐らの搭乗する戦闘機も、上空に上がっていた。
 この時、ミッドウェー島の空を守る戦闘機の合計は、F4Fワイルドキャット六機、F2Aバッファロー二〇機の計二十六機であった。ただし、バッファローは搭乗員たちが「空飛ぶ棺桶」と呼ぶような機体であり、戦力としてどこまであてになるのかは不明であった。
 そして、ミッドウェー島のレーダー基地が日本の攻撃隊の機影を捉えると、これら戦闘機は基地からの誘導に従って迎撃へと向かっていったのであった。
 そして、その下ではあのジョン・フォードが助手のウィリーと共に懸命にカメラを回していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

蒼海の碧血録

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年六月、ミッドウェー海戦において日本海軍は赤城、加賀、蒼龍を失うという大敗を喫した。  そして、その二ヶ月後の八月、アメリカ軍海兵隊が南太平洋ガダルカナル島へと上陸し、日米の新たな死闘の幕が切って落とされた。  熾烈なるガダルカナル攻防戦に、ついに日本海軍はある決断を下す。  戦艦大和。  日本海軍最強の戦艦が今、ガダルカナルへと向けて出撃する。  だが、対するアメリカ海軍もまたガダルカナルの日本軍飛行場を破壊すべく、最新鋭戦艦を出撃させていた。  ここに、ついに日米最強戦艦同士による砲撃戦の火蓋が切られることとなる。 (本作は「小説家になろう」様にて連載中の「蒼海決戦」シリーズを加筆修正したものです。予め、ご承知おき下さい。) ※表紙画像は、筆者が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)にて撮影したものです。

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。 よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。 一九四二年、三月二日。 スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。 雷艦長、その名は「工藤俊作」。 身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。 これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。 これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。

re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ

俊也
ライト文芸
実際の歴史では日本本土空襲・原爆投下・沖縄戦・特攻隊などと様々な悲劇と犠牲者を生んだ太平洋戦争(大東亜戦争) しかし、タイムスリップとかチート新兵器とか、そういう要素なしでもう少しその悲劇を防ぐか薄めるかして、尚且つある程度自主的に戦後の日本が変わっていく道はないか…アメリカ等連合国に対し「勝ちすぎず、程よく負けて和平する」ルートはあったのでは? そういう思いで書きました。 歴史時代小説大賞に参戦。 ご支援ありがとうございましたm(_ _)m また同時に「新訳 零戦戦記」も参戦しております。 こちらも宜しければお願い致します。 他の作品も お手隙の時にお気に入り登録、時々の閲覧いただければ幸いです。m(_ _)m

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

処理中です...