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第九章 混迷の戦後編
165 穏やかならざる春
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後世では単一の品種の桜が全国各地に植えられたため桜の季節は短くなってしまったが、この時代では様々な品種の桜が各地に植えられており、人々は一ヶ月近くにわたって桜を楽しむことが出来た。
皇都では、花見の期間は一ヶ月ほど続く。
将家の皇都屋敷の庭園でも、少しずつ開花の時期がずれるように各種の桜を植えて、長く桜を楽しめるように工夫がなされていた。
四月初旬、結城家皇都屋敷では景忠公正室・久の主催で、今次戦役中、主家たる結城家のために尽くしてくれた侍女や奉公人の女性、あるいは領内で傷病兵の看護に当たった看護婦、工場長からその働きぶりを賞された女工など、戦時体制の確立に貢献したとされる女性たちを集めて園遊の宴が開かれた。
当然、次期当主正室である宵も主催者側の人間として参加している。
「宵姫様、お久しゅうございます」
招待された者の中に、結城家の分家たる小山子爵家嫡男・朝康の婚約者である嘉弥姫の姿があった。
婚約者たる朝康は以前、宵に対して暴言を吐いた青年である。嘉弥はその朝康より二歳年下で、今年で十九にはるはずであった。宵よりも、二歳年上である。
二人は宗家の次期当主たる景紀とその正室・宵との間にまだ子がいないことに配慮して、婚儀を行っていない。
「ええ、嘉弥殿もお元気そうで何よりです」
宵は以前、景忠公に代わって領内を視察した際に嘉弥と会っていた。
嘉弥は、今は中央政府直轄県となっている岩背県の一地方を統治していた将家出身の姫君であった。
実家はすでに領地を皇主に返上して統治権を失っており、現在は男爵位を持つだけの存在となっている。ただし領地を返上したものの、かつての領地では今も地元の有力者として銀行の理事などを務めて地域産業の振興に力を尽くしているという。
「この度はお招き頂き、ありがとうございます」
嘉弥は今次戦役中、婚約者・小山朝康の父・朝綱が知事を務める下鞍国の電信局で臨時雇として働いていた。男性が出征したため、代わりに電信業務を担う女性が必要となったからである。
「それは久様に言って下さい。この宴を催したのは、久様ですから」
宵はあくまでも、義母である景紀実母・久の顔を立てようとした。
「ときに、朝康殿は息災ですか?」
「ええ。とはいえ、この間会ったら、結局、出征の機会が与えられずに戦争が終わりそうなことに意気消沈していましたが」
「国力に余力がある内に戦争を終わらせられるのが、一番なのですがね」
「あいつにそういう考えを期待してはいけませんよ、宵姫様」
くすりとおかしそうに、嘉弥は笑った。
「あいつは子供のころから軍記物を読み漁って、戦に出たら大将首を取ってやるなんて時代錯誤なことを言っていたバカですから」
嘉弥は楽しげに、自らの婚約者を罵った。惚気というにはいささか言葉がきついが、それでも親愛の情が感じられる罵り方であった。
「その上、“俺が取ってきた大将首を見せてやる”なんて、女の私に言うことじゃないでしょう」
「それは……、何とも剛毅なことで……」
宵も苦笑を隠しきれなかった。自分がそのようなことを景紀に言われても、嬉しくも何ともないだろう。
しかし、嘉弥はそういった部分も含めて朝康という青年のある種、一途な部分を好ましく思っているようだ。もっとも、どちらかというと、やんちゃな弟を見守る姉のような感じを受けたが。
そして朝康の方は朝康の方で、年下の女の子に男として良いところを見せたいという意地があるのだろう。
「まあ、宵姫様にまた無礼を働かないよう、あいつの首根っこは私と朝綱様がしっかり押さえておきますから御安心下さい」
「ふふっ、頼もしいことです」
ひとまず、分家である小山家のことにはあまり頭を悩ませずとも良いだろう。新たに創設される大洋州総督府の地位や、南瀛諸島・新海諸島の土地に野心を示していないのだから。
問題は、景忠公異母弟で相柄国知事・結城景秀卿の方かもしれない。
もともと、景忠公と景秀卿との仲は良くないと聞いている。その景秀が最近、相柄国首府・小田野の居城に、伊丹正信公と関係の深い国学者を招き、進講を受けたという。
もちろん、これだけを以て景秀が伊丹家との結び付きを強めて景忠・景紀親子を排して自ら当主になろうと野心を抱いている、などというのは邪推が過ぎるだろう。
しかし一方で、次期当主・景紀不在の今、景忠公がまた倒れた場合、結城家領政を代行する立場にあるのは景秀であることも事実であった。
景忠公正室で景紀実母の久は、今日のような政治と関係のない催しには正室としての指導力を発揮出来るが、政治となればそうはいかない。
そもそも、当人がそれほど政治を理解せず、家臣からの政治的求心力もないのだ。
本来であれば今次戦役中、宵が担ってきた政治的役割のいくつかは久が果たすべきものでもあった。
景紀不在中に景忠公の身に何かあった場合、久に政治的指導力を期待するのは無理であった。
景忠公異母弟・景秀が何を考えているのか、いまいち見えてこない点があったが、自分と景紀の政治的立場をもっと確固たるものにする必要があるだろう。
景紀の場合は、今次戦役での戦功があれば十分である。
一方の自分はどうかといえば、現状では次期当主正室という立場しか持たない。昨年の東北巡遊の際、母・聡に言われたように、やはり男子を産むことが必要か。
講和条約が無事にまとまったとして、景紀が帰ってくるのはいつになるのだろうか……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
四月中旬、内地に帰還した長尾憲隆と一色公直は皇主への拝謁を許され、戦役中の功績について御嘉賞に与る栄誉を賜った。
皇主を盟主とする六家にとって、その戦功を皇主から直接、讃えられるのは非常に名誉なことであった。また、六家が皇主からの信任を得て国政を司り、そして将として戦争に赴くことの正統性を国内に喧伝するためにも、必要な儀式であるといえた。
さらに公直は、功二級金鵄勲章、勲三等旭日中綬章を授けられた(長尾憲隆も同様)。
金鵄勲章は戦功のあった軍人・軍属に授与される勲章であり、功二級は将官および佐官に与えられる勲章であった(功一級の授与には特別な詮議が必要とされ、今次戦役では征斉派遣軍の独走などの影響もあって有馬頼朋翁が授与に反対し、対象者は存在していない)。
もう一つの旭日中綬章は、軍人だけでなく国家に対して功績のあった人物に授けられる勲章であった。
「二十代にして一軍を率いての活躍、見事なものであったな」
対斉戦役中、国内に留まっていた伊丹家現当主・正信もまた、一色公直の戦功を褒め称えた。
彼は公直が皇主への拝謁を済ませると、自らの屋敷へと招いたのである。
「戦働きは、六家当主の務めでしょう。私は、当主としての義務を尽くしたまでです」
伊丹家皇都屋敷の茶室に通された公直は、当然と言わんばかりの口調であった。
「それでも一軍を率いる重圧は相当なものであったろう」
自ら立てた茶を差し出しながら、正信は労う。
「緒戦の陽鮮半島での進軍、満洲での冬季攻勢。冬季攻勢の結果は残念なものであったが、斉軍の追撃を振り切って見事に兵を撤退させたのだ。撤退戦の指揮は、誰にでも出来ることではなかろう。卿は、将としての素質を十分に備えた武士だ。今は亡き先代一色公も、喜んでおられることだろう」
「ありがとうございます」
一昨年の攘夷派浪士を用いた景紀暗殺未遂では一色公直が失態を犯し、そのために伊丹正信の不興を買ってしまったものの、それでも攘夷という理念で結び付いている両者の関係は未だ深かった。
伊丹家皇都屋敷の茶室から見える庭の桜は、まさしく見頃であった。
正信から差し出された茶を飲みつつ、公直はその桜を眺める。茶の味と合せて、ようやく内地に帰ってきたという実感が湧いていくる。
「さて、ひとまず今次戦役は終結へと向かいつつある」
公直が一服して一息ついたところで、正信はこの会合の本題に入った。
「今後警戒すべきは第三国からの干渉、そして戦後の利権分配についてだ」
「私は長らく内地を離れておりましたので、そうした情勢に疎いのですが、今、どのように?」
「うむ、すでにルーシー帝国による干渉の予兆が見られておる」
正信は説明する。
各地の大使館・公使館付きの駐在武官などから、各国の軍事的動向はある程度、皇国に伝わってきていた。
特にルーシー帝国は現在、マフムート朝との対立を抱えている。南下政策というルーシー帝国の国是もあり、皇国はルーシー帝国の動向について注意を払ってきた。
そうした中で、ルーシー帝国はマフムート朝との国境付近へ軍の移動を開始していること、併せて氷州方面でも軍の動きが見られることが判明していたのである。
「連中の狙いがマフムート朝にあるのか、あるいは弱体化した斉にあるのか、不明ではある。しかし、ルーシー帝国の動員兵力は一〇〇万を優に超える。衰亡の道を進みつつある両帝国を同時に相手取ることなど、容易いことであろう」
「我が国も、牢人どもを傭兵としてマフムート朝に送り込んでいるという話は承知しておりますが?」
「うむ。その上、先日、ペレ王国に向けて建造中であった新型巡洋艦二隻をマフムート朝が買収、これを帝国本土に向けて回航することとなった。皇国海軍から払い下げた給炭艦、それに回航中の護衛も兼ねた我が軍巡洋艦一隻などと共に、今年の七月から八月には黒海に到着する見込みとなっておる」
「それは、ルーシー帝国の南下政策を牽制する良き戦力となりましょう」
ルーシー帝国の黒海艦隊が蒸気船を持たないことは、皇国も掴んでいる。
マフムート帝国が蒸気軍艦を保有することは、黒海における両国海軍戦力の比率を根底から変える画期ともいえる出来事であった。
ただしもちろん、マフムート海軍の水兵は蒸気船に慣れていない。慣熟訓練と回航後の整備なども考えれば、実質的な戦力化は来年以降のことになるだろう。
あるいは、ルーシー帝国はマフムート朝による蒸気軍艦が戦力化される前に開戦に踏み切る可能性もあった。
その点は、今後の情勢判断で見極めるしかない。
「もう一つ、戦後の利権の件であるが、結城家と斯波家についてはあまり考えずとも良い」
「と、申しますと?」
「結城家はどうやら南泰平洋に執心しているようでな。今次戦役で獲得するであろう利権の請求権を放棄する代わりに、我らに南泰平洋進出を認めさせてきた」
「何とも、あの家らしいですな」
結城家は元々、泰平洋島嶼部に植民地利権を持っている家である。あえて他家と競合する陽鮮や満洲に進出するよりも、南泰平洋での利権を拡大することを選んだのだろう。
その点では、結城家現当主・景忠公も病に倒れたとはいえ、未だ十分な政治的判断が出来るだけの健康状態であるということだろう。一色公直はそう考えていた。
だが、その考えは続く伊丹正信の言葉で打ち消されてしまった。
「面白いことに、この取り引きを最初に思いついたのは例の宵姫らしい」
「ああ、あの結城の小倅に嫁いだ?」
確か、宵姫は今年で十七となるはずであった。そのような少女が、他の六家当主を相手にした取り引きを持ちかけようとする。その判断力と豪胆さに、結城景紀と同じく、公直は警戒すべきものを感じていた。
「うむ。それに、どうにも結城家内部で景忠公の政治的指導力に陰りが見えているようだ。側近連中と重臣連中の間に、隔意らしきものが生まれているとな。もっとも、我らも似たような問題は常に抱えている。あまり結城家だけを嗤うわけにもいかぬがな」
そこで伊丹正信は苦笑を見せた。
当主の側近勢力と重臣勢力との対立は、いつの時代、どこの将家でも多かれ少なかれ、見られた政治的現象であった。
「それと、斯波家については賞典禄の増額を求めておるだけだ。まあ、あの家の財政状態ならば、下手に植民地を得ても、開発のための資金がなく、かえって負債となって持て余すだけだろう。賢明な判断であろうな」
「当主の兼経公の考えと言うよりは、あそこの側用人の判断でしょうな」
公直は軽く冷笑を浮かべた。
「あの家の財政は、あの側用人の能力で持っているようなものですから」
「うむ。それで話を戻すが、陽鮮の利権については我が伊丹家と卿の一色家で分割する。それでよいか?」
「ええ、陽鮮の宮廷への財政支援を御家が行い、私が陽鮮で戦功を立てた以上、他の六家には介入する余地はないでしょう」
「実際、有馬家も遼東半島の利権の方を欲しているようだ。これも、戦功という理由から認めて良かろう。問題は、それ以外だ。満洲の鉄道利権、鉱山利権、河川通航権、これらを如何に我ら六家で分割するか」
「長尾憲隆公の今後の動向に注目する必要があるでしょうな」
「北満洲に関しては、奴にくれてやって良かろう。奴もそれなりの戦功を立てたのであるしな。問題は、南満洲であろう」
「鞍山の鉄山や撫順の炭田ですな?」
「うむ、その通りだ。この二つの鉱山は、鉄道権益と共に大陸利権の中心的存在となるだろう。返す返すも、冬季攻勢の件は残念であった」
「それに関しては私の将としての力不足もありましょう。しかし、それ以上に私が許しがたく思っているのは、結城景紀の態度です」
「やはり、あの小僧は我らにとって邪魔にしかならぬか」
伊丹正信もまた、嫌悪感に顔を歪ませた。
「友軍の危機に旅団を動かさず、御付きの術者に爆裂術式を使った大量殺人を行わせる。将家の生まれでありながら、あまりに戦に対する美学というものを持ち合わせておりませぬ。今回の紫禁城降下作戦についてもそうです。奇策に頼り、まともな用兵を行わない」
「燕京への降下作戦、か。まさかここまで上手くいくとは儂も思わなんだ」
少なくとも、作戦が最終的に皇主によって裁可される前、軍事参議官である六家当主たちには皇主から作戦の可否について御下問があった。
正信もやってみる価値はあると思っていたが、所詮は攪乱程度に終わるだろうと考えていた。陽鮮の帯城軍乱の時と同じく、降下部隊が陸戦隊によって救出されて終わり、斉の都・燕京に一時的な混乱が引き起こされる程度だと思っていたのである。
もちろん、たとえ作戦が失敗したとしても、斉国皇帝・咸寧帝の心胆を寒からしめるという心理的な意味では作戦は絶大な効果を生むだろう。
だから正信も特に反対はしなかった。
しかし、彼もまさかここまで上手くいってしまうとは考えていなかったのである。
恐らく、今次戦役で誰にとっても判りやすい戦功を挙げた六家の人間は、緒戦の平寧会戦に勝利した一色公直と、緒戦の電撃的な遼東半島進攻、そして今回の降下作戦を行った結城景紀の二人であろう。
そして、民衆が好みそうな活躍をしたのは、わずかな手勢と共に敵国の中枢に乗り込んだ結城景紀の方だろう。
だからこそ、正信も景紀の存在を警戒せざるを得なかった。
「やはり、今後のことを考えれば結城景紀の存在は、我らにとって攘夷という大目標を実現するための障害となりかねません」
「やはり、排除することが必要であろうな」
一色公直の言葉に、伊丹正信は重々しく頷いた。
「それに、有馬の老人もだ。皇主陛下をいいように利用し、自らの権勢を維持しようとする佞臣だ」
征斉派遣軍の独断ともいえる冬季攻勢を抑制するために送られた勅使は、有馬頼朋翁の政治工作の結果である。
だからこそ、二人は有馬頼朋もまた自らの政治的信条を政策的に実現するための障害であると考えていた。
「すでに有馬、結城、長尾三家による政治的連帯は崩れつつある。そして、この中で最も当主の政治的基盤が脆弱なのは、結城景忠公だ」
「先ほどのお話では、景忠公の政治的指導力に陰りが見られるとのことでしたね?」
一色公直の言葉に、伊丹正信は頷いた。
「公の異母弟・景秀卿が、どうにも我らに接触を持とうとしているようだ。儂と親しくしておる国学者を先日、自らの居城に招いて進講をさせたという」
「自らが次期当主となる野心を持っていると考えてよろしいのでしょうか?」
「さてな、そこまでは判らん。だが、あの兄弟の仲があまり良好でないことも事実。いつだったか、卿は言っていたな? 結城景紀が消えれば、後継者の地位を巡って結城家には御家騒動が起こるだろう、と」
「はっ、その節は正信公にもご迷惑をお掛けしました」
「いや、今はその話はよい」
正信は軽く手を振って、気にしていない素振りを見せた。
「出来れば結城の小倅には消えてもらうのが我らにとって一番だが、政治的な方面からも圧力を掛けるべきであろうな」
「それは、景忠公にあの小僧を廃嫡させるということですか?」
「六家の連帯を乱し、国政をいたずらに混乱させる者が、次期当主として相応しいと思うか? 景秀卿は、どうも我らと接触を持ちたい様子。ならば、まずは景忠公の一門衆から廃嫡に向けた声が上がるように、上手く仕向けるとしよう」
結城景紀を暗殺、ないしは失脚させられずとも、後継者争いを発生させて結城家を混乱させられれば、結城家の政治的発言力は低下せざるを得ない。六家の中における結城家の政治的指導力の低下は、相対的に伊丹家、一色家による影響力の強化に繋がるのだ。
「一つ、懸念すべきことがあります」
一色公直は言う。
「あの小倅が率いる旅団についてです。あれは一種の結城景紀の軍閥になりかねません。御家騒動を発生させられたとして、あの小僧が武力でそれを解決させてしまう可能性についても警戒すべきでは? さらに言えば、あの小倅は穂積通敏公爵の妾腹の子を腹心としており、有馬の老人とも親しい。連中で宮中を動かし、この皇都を軍事力で掌握する可能性についても考えるべきでしょう。何せ結城家の所領は、皇都と隣接しております」
「だからこそ、あの三家の連携をつき崩すことが重要なのだ。有馬家の本領は南嶺、皇都からは離れすぎている。たとえ有馬の老人と結城の小倅が軍事的に皇都を掌握しようと企てたところで、使えるのは結城家領軍のみ。皇都の歩兵第一連隊には我が女婿の渋川清綱に加え、我が孫を送り込んでおる。そう簡単に皇都を掌握などさせぬよ」
「左様でしたか」
「そして、件の冬季攻勢による遺恨から結城家が長尾家と対立するような事態となれば、連中は自らの所領と長尾家の所領とが接している北部を警戒せざるを得ない」
「この際、佐薙家の存在も使えるのでは?」
「おお、そうであったな。実は貴殿が戦地にいる間、嶺州の者どもがまた騒ぎを起こしてくれたのだ」
そこで伊丹正信は、三月の初旬に発生した宵姫襲撃事件の概要を簡単に説明した。嶺州浪士による宵姫襲撃事件、そしてその後の大寿丸の逃亡、彼の実母・定子と妹・紅姫の身柄が定子の実家へと預けられて蟄居させられていること、など。
「嶺州の士族連中の反六家、反宵姫感情は相当なものだ。上手くすれば、嶺州で士族反乱を引き起こせる。東北情勢がまた不安定となってしまうが、結城家を嶺州問題に忙殺させるには使えよう。それに、乱後に荒廃した嶺州の地の復興について、結城家は責任を負わねばならぬ。何せ、宵姫がおるのだからな。そうなれば、結城家の経済力も削ぐことが出来よう」
「では、結城景秀卿への工作と、反結城家感情を持つ嶺州士族への工作、これらを優先して進めるべきということですな?」
「うむ、そういうことになろうな。無論、まずは戦後における利権の配分について注力せねばならぬだろうが、それと平行しつつ連中の攪乱工作を行うとしよう」
一通り話を聞いた一色公直は、伊丹正信が着実に戦後における権力の掌握を進めようとしていることを理解した。
しかし一方で、あくまでも六家という体制を維持したまま、有馬頼朋や結城景紀といった“個人”の排除によって権力掌握を目指している点については。いささか手ぬるいのではないかと感じてもいる。
“個人”の排除ではなく“家”を排除することで、確実な権力の掌握を目指すべきではないか。
今こそ戦国時代の清算を果たし、強大な権力を持った将家を頂点とした幕府的存在が必要なのではないか。
以前、遼河平原の雪中を撤退しながら思ったことが、再び彼の中で頭をもたげ始めていた。
皇都では、花見の期間は一ヶ月ほど続く。
将家の皇都屋敷の庭園でも、少しずつ開花の時期がずれるように各種の桜を植えて、長く桜を楽しめるように工夫がなされていた。
四月初旬、結城家皇都屋敷では景忠公正室・久の主催で、今次戦役中、主家たる結城家のために尽くしてくれた侍女や奉公人の女性、あるいは領内で傷病兵の看護に当たった看護婦、工場長からその働きぶりを賞された女工など、戦時体制の確立に貢献したとされる女性たちを集めて園遊の宴が開かれた。
当然、次期当主正室である宵も主催者側の人間として参加している。
「宵姫様、お久しゅうございます」
招待された者の中に、結城家の分家たる小山子爵家嫡男・朝康の婚約者である嘉弥姫の姿があった。
婚約者たる朝康は以前、宵に対して暴言を吐いた青年である。嘉弥はその朝康より二歳年下で、今年で十九にはるはずであった。宵よりも、二歳年上である。
二人は宗家の次期当主たる景紀とその正室・宵との間にまだ子がいないことに配慮して、婚儀を行っていない。
「ええ、嘉弥殿もお元気そうで何よりです」
宵は以前、景忠公に代わって領内を視察した際に嘉弥と会っていた。
嘉弥は、今は中央政府直轄県となっている岩背県の一地方を統治していた将家出身の姫君であった。
実家はすでに領地を皇主に返上して統治権を失っており、現在は男爵位を持つだけの存在となっている。ただし領地を返上したものの、かつての領地では今も地元の有力者として銀行の理事などを務めて地域産業の振興に力を尽くしているという。
「この度はお招き頂き、ありがとうございます」
嘉弥は今次戦役中、婚約者・小山朝康の父・朝綱が知事を務める下鞍国の電信局で臨時雇として働いていた。男性が出征したため、代わりに電信業務を担う女性が必要となったからである。
「それは久様に言って下さい。この宴を催したのは、久様ですから」
宵はあくまでも、義母である景紀実母・久の顔を立てようとした。
「ときに、朝康殿は息災ですか?」
「ええ。とはいえ、この間会ったら、結局、出征の機会が与えられずに戦争が終わりそうなことに意気消沈していましたが」
「国力に余力がある内に戦争を終わらせられるのが、一番なのですがね」
「あいつにそういう考えを期待してはいけませんよ、宵姫様」
くすりとおかしそうに、嘉弥は笑った。
「あいつは子供のころから軍記物を読み漁って、戦に出たら大将首を取ってやるなんて時代錯誤なことを言っていたバカですから」
嘉弥は楽しげに、自らの婚約者を罵った。惚気というにはいささか言葉がきついが、それでも親愛の情が感じられる罵り方であった。
「その上、“俺が取ってきた大将首を見せてやる”なんて、女の私に言うことじゃないでしょう」
「それは……、何とも剛毅なことで……」
宵も苦笑を隠しきれなかった。自分がそのようなことを景紀に言われても、嬉しくも何ともないだろう。
しかし、嘉弥はそういった部分も含めて朝康という青年のある種、一途な部分を好ましく思っているようだ。もっとも、どちらかというと、やんちゃな弟を見守る姉のような感じを受けたが。
そして朝康の方は朝康の方で、年下の女の子に男として良いところを見せたいという意地があるのだろう。
「まあ、宵姫様にまた無礼を働かないよう、あいつの首根っこは私と朝綱様がしっかり押さえておきますから御安心下さい」
「ふふっ、頼もしいことです」
ひとまず、分家である小山家のことにはあまり頭を悩ませずとも良いだろう。新たに創設される大洋州総督府の地位や、南瀛諸島・新海諸島の土地に野心を示していないのだから。
問題は、景忠公異母弟で相柄国知事・結城景秀卿の方かもしれない。
もともと、景忠公と景秀卿との仲は良くないと聞いている。その景秀が最近、相柄国首府・小田野の居城に、伊丹正信公と関係の深い国学者を招き、進講を受けたという。
もちろん、これだけを以て景秀が伊丹家との結び付きを強めて景忠・景紀親子を排して自ら当主になろうと野心を抱いている、などというのは邪推が過ぎるだろう。
しかし一方で、次期当主・景紀不在の今、景忠公がまた倒れた場合、結城家領政を代行する立場にあるのは景秀であることも事実であった。
景忠公正室で景紀実母の久は、今日のような政治と関係のない催しには正室としての指導力を発揮出来るが、政治となればそうはいかない。
そもそも、当人がそれほど政治を理解せず、家臣からの政治的求心力もないのだ。
本来であれば今次戦役中、宵が担ってきた政治的役割のいくつかは久が果たすべきものでもあった。
景紀不在中に景忠公の身に何かあった場合、久に政治的指導力を期待するのは無理であった。
景忠公異母弟・景秀が何を考えているのか、いまいち見えてこない点があったが、自分と景紀の政治的立場をもっと確固たるものにする必要があるだろう。
景紀の場合は、今次戦役での戦功があれば十分である。
一方の自分はどうかといえば、現状では次期当主正室という立場しか持たない。昨年の東北巡遊の際、母・聡に言われたように、やはり男子を産むことが必要か。
講和条約が無事にまとまったとして、景紀が帰ってくるのはいつになるのだろうか……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
四月中旬、内地に帰還した長尾憲隆と一色公直は皇主への拝謁を許され、戦役中の功績について御嘉賞に与る栄誉を賜った。
皇主を盟主とする六家にとって、その戦功を皇主から直接、讃えられるのは非常に名誉なことであった。また、六家が皇主からの信任を得て国政を司り、そして将として戦争に赴くことの正統性を国内に喧伝するためにも、必要な儀式であるといえた。
さらに公直は、功二級金鵄勲章、勲三等旭日中綬章を授けられた(長尾憲隆も同様)。
金鵄勲章は戦功のあった軍人・軍属に授与される勲章であり、功二級は将官および佐官に与えられる勲章であった(功一級の授与には特別な詮議が必要とされ、今次戦役では征斉派遣軍の独走などの影響もあって有馬頼朋翁が授与に反対し、対象者は存在していない)。
もう一つの旭日中綬章は、軍人だけでなく国家に対して功績のあった人物に授けられる勲章であった。
「二十代にして一軍を率いての活躍、見事なものであったな」
対斉戦役中、国内に留まっていた伊丹家現当主・正信もまた、一色公直の戦功を褒め称えた。
彼は公直が皇主への拝謁を済ませると、自らの屋敷へと招いたのである。
「戦働きは、六家当主の務めでしょう。私は、当主としての義務を尽くしたまでです」
伊丹家皇都屋敷の茶室に通された公直は、当然と言わんばかりの口調であった。
「それでも一軍を率いる重圧は相当なものであったろう」
自ら立てた茶を差し出しながら、正信は労う。
「緒戦の陽鮮半島での進軍、満洲での冬季攻勢。冬季攻勢の結果は残念なものであったが、斉軍の追撃を振り切って見事に兵を撤退させたのだ。撤退戦の指揮は、誰にでも出来ることではなかろう。卿は、将としての素質を十分に備えた武士だ。今は亡き先代一色公も、喜んでおられることだろう」
「ありがとうございます」
一昨年の攘夷派浪士を用いた景紀暗殺未遂では一色公直が失態を犯し、そのために伊丹正信の不興を買ってしまったものの、それでも攘夷という理念で結び付いている両者の関係は未だ深かった。
伊丹家皇都屋敷の茶室から見える庭の桜は、まさしく見頃であった。
正信から差し出された茶を飲みつつ、公直はその桜を眺める。茶の味と合せて、ようやく内地に帰ってきたという実感が湧いていくる。
「さて、ひとまず今次戦役は終結へと向かいつつある」
公直が一服して一息ついたところで、正信はこの会合の本題に入った。
「今後警戒すべきは第三国からの干渉、そして戦後の利権分配についてだ」
「私は長らく内地を離れておりましたので、そうした情勢に疎いのですが、今、どのように?」
「うむ、すでにルーシー帝国による干渉の予兆が見られておる」
正信は説明する。
各地の大使館・公使館付きの駐在武官などから、各国の軍事的動向はある程度、皇国に伝わってきていた。
特にルーシー帝国は現在、マフムート朝との対立を抱えている。南下政策というルーシー帝国の国是もあり、皇国はルーシー帝国の動向について注意を払ってきた。
そうした中で、ルーシー帝国はマフムート朝との国境付近へ軍の移動を開始していること、併せて氷州方面でも軍の動きが見られることが判明していたのである。
「連中の狙いがマフムート朝にあるのか、あるいは弱体化した斉にあるのか、不明ではある。しかし、ルーシー帝国の動員兵力は一〇〇万を優に超える。衰亡の道を進みつつある両帝国を同時に相手取ることなど、容易いことであろう」
「我が国も、牢人どもを傭兵としてマフムート朝に送り込んでいるという話は承知しておりますが?」
「うむ。その上、先日、ペレ王国に向けて建造中であった新型巡洋艦二隻をマフムート朝が買収、これを帝国本土に向けて回航することとなった。皇国海軍から払い下げた給炭艦、それに回航中の護衛も兼ねた我が軍巡洋艦一隻などと共に、今年の七月から八月には黒海に到着する見込みとなっておる」
「それは、ルーシー帝国の南下政策を牽制する良き戦力となりましょう」
ルーシー帝国の黒海艦隊が蒸気船を持たないことは、皇国も掴んでいる。
マフムート帝国が蒸気軍艦を保有することは、黒海における両国海軍戦力の比率を根底から変える画期ともいえる出来事であった。
ただしもちろん、マフムート海軍の水兵は蒸気船に慣れていない。慣熟訓練と回航後の整備なども考えれば、実質的な戦力化は来年以降のことになるだろう。
あるいは、ルーシー帝国はマフムート朝による蒸気軍艦が戦力化される前に開戦に踏み切る可能性もあった。
その点は、今後の情勢判断で見極めるしかない。
「もう一つ、戦後の利権の件であるが、結城家と斯波家についてはあまり考えずとも良い」
「と、申しますと?」
「結城家はどうやら南泰平洋に執心しているようでな。今次戦役で獲得するであろう利権の請求権を放棄する代わりに、我らに南泰平洋進出を認めさせてきた」
「何とも、あの家らしいですな」
結城家は元々、泰平洋島嶼部に植民地利権を持っている家である。あえて他家と競合する陽鮮や満洲に進出するよりも、南泰平洋での利権を拡大することを選んだのだろう。
その点では、結城家現当主・景忠公も病に倒れたとはいえ、未だ十分な政治的判断が出来るだけの健康状態であるということだろう。一色公直はそう考えていた。
だが、その考えは続く伊丹正信の言葉で打ち消されてしまった。
「面白いことに、この取り引きを最初に思いついたのは例の宵姫らしい」
「ああ、あの結城の小倅に嫁いだ?」
確か、宵姫は今年で十七となるはずであった。そのような少女が、他の六家当主を相手にした取り引きを持ちかけようとする。その判断力と豪胆さに、結城景紀と同じく、公直は警戒すべきものを感じていた。
「うむ。それに、どうにも結城家内部で景忠公の政治的指導力に陰りが見えているようだ。側近連中と重臣連中の間に、隔意らしきものが生まれているとな。もっとも、我らも似たような問題は常に抱えている。あまり結城家だけを嗤うわけにもいかぬがな」
そこで伊丹正信は苦笑を見せた。
当主の側近勢力と重臣勢力との対立は、いつの時代、どこの将家でも多かれ少なかれ、見られた政治的現象であった。
「それと、斯波家については賞典禄の増額を求めておるだけだ。まあ、あの家の財政状態ならば、下手に植民地を得ても、開発のための資金がなく、かえって負債となって持て余すだけだろう。賢明な判断であろうな」
「当主の兼経公の考えと言うよりは、あそこの側用人の判断でしょうな」
公直は軽く冷笑を浮かべた。
「あの家の財政は、あの側用人の能力で持っているようなものですから」
「うむ。それで話を戻すが、陽鮮の利権については我が伊丹家と卿の一色家で分割する。それでよいか?」
「ええ、陽鮮の宮廷への財政支援を御家が行い、私が陽鮮で戦功を立てた以上、他の六家には介入する余地はないでしょう」
「実際、有馬家も遼東半島の利権の方を欲しているようだ。これも、戦功という理由から認めて良かろう。問題は、それ以外だ。満洲の鉄道利権、鉱山利権、河川通航権、これらを如何に我ら六家で分割するか」
「長尾憲隆公の今後の動向に注目する必要があるでしょうな」
「北満洲に関しては、奴にくれてやって良かろう。奴もそれなりの戦功を立てたのであるしな。問題は、南満洲であろう」
「鞍山の鉄山や撫順の炭田ですな?」
「うむ、その通りだ。この二つの鉱山は、鉄道権益と共に大陸利権の中心的存在となるだろう。返す返すも、冬季攻勢の件は残念であった」
「それに関しては私の将としての力不足もありましょう。しかし、それ以上に私が許しがたく思っているのは、結城景紀の態度です」
「やはり、あの小僧は我らにとって邪魔にしかならぬか」
伊丹正信もまた、嫌悪感に顔を歪ませた。
「友軍の危機に旅団を動かさず、御付きの術者に爆裂術式を使った大量殺人を行わせる。将家の生まれでありながら、あまりに戦に対する美学というものを持ち合わせておりませぬ。今回の紫禁城降下作戦についてもそうです。奇策に頼り、まともな用兵を行わない」
「燕京への降下作戦、か。まさかここまで上手くいくとは儂も思わなんだ」
少なくとも、作戦が最終的に皇主によって裁可される前、軍事参議官である六家当主たちには皇主から作戦の可否について御下問があった。
正信もやってみる価値はあると思っていたが、所詮は攪乱程度に終わるだろうと考えていた。陽鮮の帯城軍乱の時と同じく、降下部隊が陸戦隊によって救出されて終わり、斉の都・燕京に一時的な混乱が引き起こされる程度だと思っていたのである。
もちろん、たとえ作戦が失敗したとしても、斉国皇帝・咸寧帝の心胆を寒からしめるという心理的な意味では作戦は絶大な効果を生むだろう。
だから正信も特に反対はしなかった。
しかし、彼もまさかここまで上手くいってしまうとは考えていなかったのである。
恐らく、今次戦役で誰にとっても判りやすい戦功を挙げた六家の人間は、緒戦の平寧会戦に勝利した一色公直と、緒戦の電撃的な遼東半島進攻、そして今回の降下作戦を行った結城景紀の二人であろう。
そして、民衆が好みそうな活躍をしたのは、わずかな手勢と共に敵国の中枢に乗り込んだ結城景紀の方だろう。
だからこそ、正信も景紀の存在を警戒せざるを得なかった。
「やはり、今後のことを考えれば結城景紀の存在は、我らにとって攘夷という大目標を実現するための障害となりかねません」
「やはり、排除することが必要であろうな」
一色公直の言葉に、伊丹正信は重々しく頷いた。
「それに、有馬の老人もだ。皇主陛下をいいように利用し、自らの権勢を維持しようとする佞臣だ」
征斉派遣軍の独断ともいえる冬季攻勢を抑制するために送られた勅使は、有馬頼朋翁の政治工作の結果である。
だからこそ、二人は有馬頼朋もまた自らの政治的信条を政策的に実現するための障害であると考えていた。
「すでに有馬、結城、長尾三家による政治的連帯は崩れつつある。そして、この中で最も当主の政治的基盤が脆弱なのは、結城景忠公だ」
「先ほどのお話では、景忠公の政治的指導力に陰りが見られるとのことでしたね?」
一色公直の言葉に、伊丹正信は頷いた。
「公の異母弟・景秀卿が、どうにも我らに接触を持とうとしているようだ。儂と親しくしておる国学者を先日、自らの居城に招いて進講をさせたという」
「自らが次期当主となる野心を持っていると考えてよろしいのでしょうか?」
「さてな、そこまでは判らん。だが、あの兄弟の仲があまり良好でないことも事実。いつだったか、卿は言っていたな? 結城景紀が消えれば、後継者の地位を巡って結城家には御家騒動が起こるだろう、と」
「はっ、その節は正信公にもご迷惑をお掛けしました」
「いや、今はその話はよい」
正信は軽く手を振って、気にしていない素振りを見せた。
「出来れば結城の小倅には消えてもらうのが我らにとって一番だが、政治的な方面からも圧力を掛けるべきであろうな」
「それは、景忠公にあの小僧を廃嫡させるということですか?」
「六家の連帯を乱し、国政をいたずらに混乱させる者が、次期当主として相応しいと思うか? 景秀卿は、どうも我らと接触を持ちたい様子。ならば、まずは景忠公の一門衆から廃嫡に向けた声が上がるように、上手く仕向けるとしよう」
結城景紀を暗殺、ないしは失脚させられずとも、後継者争いを発生させて結城家を混乱させられれば、結城家の政治的発言力は低下せざるを得ない。六家の中における結城家の政治的指導力の低下は、相対的に伊丹家、一色家による影響力の強化に繋がるのだ。
「一つ、懸念すべきことがあります」
一色公直は言う。
「あの小倅が率いる旅団についてです。あれは一種の結城景紀の軍閥になりかねません。御家騒動を発生させられたとして、あの小僧が武力でそれを解決させてしまう可能性についても警戒すべきでは? さらに言えば、あの小倅は穂積通敏公爵の妾腹の子を腹心としており、有馬の老人とも親しい。連中で宮中を動かし、この皇都を軍事力で掌握する可能性についても考えるべきでしょう。何せ結城家の所領は、皇都と隣接しております」
「だからこそ、あの三家の連携をつき崩すことが重要なのだ。有馬家の本領は南嶺、皇都からは離れすぎている。たとえ有馬の老人と結城の小倅が軍事的に皇都を掌握しようと企てたところで、使えるのは結城家領軍のみ。皇都の歩兵第一連隊には我が女婿の渋川清綱に加え、我が孫を送り込んでおる。そう簡単に皇都を掌握などさせぬよ」
「左様でしたか」
「そして、件の冬季攻勢による遺恨から結城家が長尾家と対立するような事態となれば、連中は自らの所領と長尾家の所領とが接している北部を警戒せざるを得ない」
「この際、佐薙家の存在も使えるのでは?」
「おお、そうであったな。実は貴殿が戦地にいる間、嶺州の者どもがまた騒ぎを起こしてくれたのだ」
そこで伊丹正信は、三月の初旬に発生した宵姫襲撃事件の概要を簡単に説明した。嶺州浪士による宵姫襲撃事件、そしてその後の大寿丸の逃亡、彼の実母・定子と妹・紅姫の身柄が定子の実家へと預けられて蟄居させられていること、など。
「嶺州の士族連中の反六家、反宵姫感情は相当なものだ。上手くすれば、嶺州で士族反乱を引き起こせる。東北情勢がまた不安定となってしまうが、結城家を嶺州問題に忙殺させるには使えよう。それに、乱後に荒廃した嶺州の地の復興について、結城家は責任を負わねばならぬ。何せ、宵姫がおるのだからな。そうなれば、結城家の経済力も削ぐことが出来よう」
「では、結城景秀卿への工作と、反結城家感情を持つ嶺州士族への工作、これらを優先して進めるべきということですな?」
「うむ、そういうことになろうな。無論、まずは戦後における利権の配分について注力せねばならぬだろうが、それと平行しつつ連中の攪乱工作を行うとしよう」
一通り話を聞いた一色公直は、伊丹正信が着実に戦後における権力の掌握を進めようとしていることを理解した。
しかし一方で、あくまでも六家という体制を維持したまま、有馬頼朋や結城景紀といった“個人”の排除によって権力掌握を目指している点については。いささか手ぬるいのではないかと感じてもいる。
“個人”の排除ではなく“家”を排除することで、確実な権力の掌握を目指すべきではないか。
今こそ戦国時代の清算を果たし、強大な権力を持った将家を頂点とした幕府的存在が必要なのではないか。
以前、遼河平原の雪中を撤退しながら思ったことが、再び彼の中で頭をもたげ始めていた。
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