王女殿下の死神

三笠 陣

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過去編 王女殿下の初陣

18 最高統帥会議

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「また会えて何よりだ、マッケンジー少佐」

「大佐殿が出て行かれた後は、むしろ拍子抜けするほど高地の守備は楽でしたな。むしろ、ちょっとした休暇を味わっていた気分です」

「そいつは何とも羨ましい限りだ」

 騎兵第十一連隊の野営地に、五月二十一日午前、レナ高地守備の任を解かれた連隊残余の部隊が到着していた。

「まあ、これで我が連隊はようやくあるべき姿に戻ったというわけだ」

 諸兵科連合部隊として創設された騎兵第一旅団麾下の部隊である第十一連隊。
 レナ高地から砲兵大隊と歩兵大隊が合流したために、部隊としては本来の体制に戻ったといえる。
 しかし、どの部隊も消耗が激しい。そのため、騎兵第十一連隊は、騎兵第一旅団の衛戍地である王都への帰還命令が出されていた。
 夕刻までには、この野営地から引き揚げる予定である。
 騎兵第第十一連隊にとってのレーヌス河事変は終わりを告げたといっていい。

「エスタークス魔導官。これまでの協力に感謝する」

 ライガー大佐は連隊司令部に同席しているリュシアンに向き直り、そう言った。

「まあ、俺は姫のためにやっただけだし。賞賛や感謝が欲しいわけでもない」

 リュシアンの声には、相変わらず素っ気なさが混じっていた。

「だが、貴官の働きは今後の戦争の様式を変えるほどの要素が含まれている」ライガーは言った。「貴官が望む望まないとに関わらず、恐らく軍部は貴官に協力を要請することになるだろう」

 リュシアンは理解をしていない顔で、かすかに首を傾げていた。

「航空戦力と通信の重要性。それを貴官が示したのだ」

「別に、広域破壊魔法は誰だって使えるわけじゃないでしょ。今回ばかりの一過性のものじゃないの?」

「恐らく、我々が生きている内は、な」

「ああ、確かに科学が進歩すれば、もっと破壊力の大きな兵器が出来そうだね」

「翼竜もそうだ。いずれ人類は、翼竜などという不安定な手段に頼らず、安定して稼働する機械の鳥に乗ることになるやもしれん」

「鉄道や蒸気自動車が発明されたみたいに?」

 この時代、ガソリン自動車はまだ発明されていないが、蒸気機関を使って動く自動車は存在していた。ただし鉄道に比べて実用性に乏しく、広く一般に普及しているとは言い難い。

「うむ。今後の戦争形態については、さらに考究する余地があるだろう」

「そう。じゃあ、頑張って」

「ここ数日で、何となく貴官の性格が読めてきたぞ」無関心そうなリュシアンの口調に、ライガー大佐は苦笑を浮かべる。「まあ、世の中には貴官のような人間も必要だ。誰か一人のために捧げる人生というのもの、それはそれでありだろう。王女殿下ともなれば、尚更だ」

「国のために働こうとする人間も必要だと思うよ、大佐」

「ありがとう」

 それがリュシアンなりの賞賛だと、ライガーは受け取った。

「私は別に愛国者を気取るつもりはないが、それなりにこの職業と祖国を気に入っているのだ。これからも、軍務に精励することとしよう。ところで、話は変わるがな、エスタークス魔導官」

「うん?」

「今回の戦闘について、姫殿下は何かおっしゃっていたか?」

「『騎兵の時代は終わった』、『無謀な突撃を命じる指揮官にはなりたくない』、だって」

「ふむ、それは重畳」

「ああ、騎兵科の改革に邪魔にならないか心配していた訳?」

 ライガー大佐の質問の意図を察したリュシアンが納得する。思えば、この指揮官がリュシアンの翼竜にエルフリードを乗せようとした意図は、そうしたところにもあったのだろう。
 王女たる少女に、戦争形態の変化を肌身で感じさせるという意図が。

「王侯貴族出身の軍人の中には、頑固に騎兵こそ陸軍の華と考えている人間がいるのでな。いや、まあ、王侯貴族だけでなく、騎兵科全体に言えることでもあるが」

 自分の発言が不敬罪にあたる可能性を考えたのか、ライガー大佐は言い直した。

「姫は自分の中の譲れない一線についてはもの凄い頑固だし融通が利かないけど、それ以外は結構、柔軟だよ」

「殿下と付き合いの長い貴官が言うのであれば、そうなのだろうな」

 どこか微笑ましそうに、ライガー大佐はリュシアンの発言に頷いた。

「では、貴官とはここでお別れだ」スッとライガー大佐は敬礼する。「貴官と姫殿下だけ残していくのはいささか心残りではあるが、これも軍務なのでな」

「まあ、俺としては正直、大佐に姫も連れて帰って欲しかったんだけど」

 リュシアンの口調には、いささかぼやくような響きがあった。

「西部方面軍司令部直々の出頭命令とあっては、どうにもならんな」

 ライガー大佐は肩をすくめた。

「まあ、ろくでもないことに姫が巻き込まれないよう、注意しておくよ」

「私への恨み言は言わんのかね?」

 少しだけ不思議がるように、ライガー大佐は問う。

「ああ、姫を戦場に立たせたこと?」リュシアンはすぐに理解した。「別に。軍人になったのは姫の意志だし、軍人なんだったら戦場に立つこともあるでしょ。そこに関しては、俺は姫の意志と矜持を尊重するよ」

「姫殿下は、良き理解者を得られたようだな」

「そうあるようには、努めているつもりだよ」

 リュシアンにとってそれは、エルフリードという少女と出会った時から変わらない想いであった。そして、彼女の一番の理解者でありたという、ある意味で独占欲じみた感情もある。
 リュシアン・エスタークスにとって、エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオルという少女は、そうした存在なのだ。

「じゃあ、俺もこれで失礼させてもらうよ」

 そう言って、リュシアンは司令部の外で待っているだろうエルフリードと翼竜の下へと向かった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 ロンダリア連合王国王都ロンダールは、三重の運河に囲まれた水運の都市である。
 都市を円状に取り囲む運河の中心、そこに王宮は存在していた。
 その会議室には、この国家の舵取りを任される人々が集結していた。

「西部国境方面での戦況はどうか?」

「現在のところ、作戦は順調に進展しつつあり、我が軍は敵軍を各所で寸断。両翼の騎兵部隊は敵戦線を突破しつつ、後方への浸透に成功しつつある模様です」

 国王マルカム三世からの下問に対し、陸軍の統帥部長である参謀総長が答える。

「それは結構であるな」

 泰然とした態度で、マルカム三世は頷いた。
 現在、会議室には首相を始めとする内閣を構成する各国務大臣、そして統帥部からは陸軍参謀総長、海軍本部長、その下ある両第一部長が集合している。さらには内閣書記官長に、軍務省からは陸軍軍務局長、海軍軍務局長も参加していた。

「しかし、国境線奪還の目的を越えての軍事行動は厳に戒めるよう、再度、西部方面軍には伝達するように」

「はっ、聖旨にう如く指導致したく存じます」

 参謀総長はマルカム三世に対して深く頭を下げた。

「此度の事変は余の深く遺憾とするところである。今後とも、軍紀の粛正には気を付けるように」

「ははっ、まことに恐懼の至りでございます」

「さて、政府は今次陸軍の作戦の経過を受け、如何なる方針で停戦交渉にあたるつもりか?」

「その件に関しましては、臣よりご報告申し上げます」

 外相を務めるライオネル・ド・モンフォート公爵が立ち上がった。

「外交方針につきましては、先日の政府・統帥部連絡会議決定の『「レーヌス」河事件処理要綱』第三項に基づき、北王国との関係断絶を防ぐ方針の下に行いたく存じます」

 なお、モンフォートの言う要綱第三項とは「作戦ノ推移ニ応シ好機ヲ捉ヘ速カニ外交々渉ノ端緒ヲ把握シ国境画定又ハ非武装地域設定等ノ商議ニ導入スルニ勉ム。関係断絶ヲ賭スル外交々渉ハ之ヲ行ハス」という内容のものであった。

「具体的には、どのようにするのか?」

「我が国の定める国境線を北ブルグンディアに認めさせることを目的として、北王国への特使派遣を想定しております」

「現在、北王国とは通商代表部を通じて停戦交渉を行いつつあると聞く。この上特使を派遣する意図は何か?」

「これを機に、国境線確定のための共同宣言を出すためでございます。これまでは、我が国と北王国間では正式な国交がありませんでしたため、国境線……この場合は境界線と申しましょうか……について不確定な部分があり、それがたびたび紛争を惹起する原因となっておりました。今回の事変は、ブルグンディアが南北に分裂して以来、我が国との間に起こった最大規模の国境紛争です。この好機を活かし、今後、同様の事変の発生を防ぐべく、北王国との間に境界線を確定させることで、西方国境地帯の安定化とそれによる該地域の経済的発展を企図するものです」

「南ブルグンディア王国と我が国との関係に及ぼす影響は如何?」

 王位継承を巡る内戦の末、南北に分裂したブルグンディア王国の内、ロンダリアは自らの王朝との血縁関係のある南側の王朝を正統なものとして支持している。
 そのため、北王国と正式な外交交渉を行うことは、北ブルグンディアを正式な国家として認めることにも繋がりかねなかった。
 マルカム三世はその点を懸念していたのである。
 ただ、それによってロンダリア連合王国が外交的不利益を蒙るかといえば、それほどでもない。そもそも、ロンダリアと南ブルグンディアの国力には差があり、両国関係が悪化して不利な立場に追いやられるのは南ブルグンディアの方なのである。
 南王国はロンダリアという後ろ盾の下に、北王国と対峙していたのである。
 そのため、マルカム三世の下問は政府に対する念押しという意味合いが強かった。

「我が国としては、あくまで共同宣言のみに留め、北王国の存在を承認するが如き条約を結ぶつもりはございません。我が国はあくまでも、南王国を支持する立場を堅持いたします」

「交渉にあたっては、十分に注意するように」

「ははっ」

「して、特使については誰を指名するつもりであるか」

「現在、待命大使となっております、リチャード・クライヴ子爵を任命するつもりであります。子爵の母方の家系を遡りますと、現在でも北王国で存続している貴族の家系に繋がりますので、適任かと」

 この時代、王侯貴族の国際的な血縁関係は珍しいものではなかった。特に各国の王族は、数世代にわたる複雑な婚姻関係の結果、全員が何かしらの親戚関係を持っているほどである。

「その人事で交渉をまとめる見通しはあるか?」

「北王国の現状を考える限り、共同宣言には応じざるを得ないでしょう。かの国は、我が国以上に全面衝突を恐れている模様ですので。むしろ国境地帯の安定化により、北王国は南王国への対応がしやすくなるという面もあります」

 モンフォートの発言は友好国を犠牲にして自国の安全保障を確保しようという趣旨のものであったが、誰もそこに疑義を挟まなかった。
 永遠の同盟国も、永遠の友好国も存在しない。ただ国益だけがある。
 彼らはそうした姿勢で、外交に臨んでいるのだ。

「ふむ。では、交渉を確実にするために余から提案がある」

 マルカム三世は全員を見回すようにして言った。臣下への命令ではなく、提案という形をとったのは、君主無答責の原則(君主は誰に対しても政治的・法的責任を負わないとする原則)を維持するためである。

「交渉に、王族を一人、随員として派遣してはどうか?」

「北ブルグンディア側に、我が国が北側の王朝を承認したとの誤った印象を与えることになりかねませんが」

 いや、あえてそうした印象を抱かせることで交渉に前向きになる可能性もあるか。王族の派遣というのは、それほどの意味がある。
 モンフォートは頭の中で素早くいくつかの可能性を検討する。
 マルカム三世の提案は、停戦交渉に留まらず、共同宣言の発出をするというロンダリア側の外交目的を達成する上で非常に力強い要素となる。
 外交とは、国益の追求であるとともに、国家としての面子の追求でもある。
 今回、レーヌス河湾曲部での北ブルグンディアの敗勢が確定的となれば、それだけでかの国は国家としての面子を潰されたことになる。
 この上、国境線確定のための共同宣言を出すとなれば、それは北王国側にとって軍事的にも政治的にも敗北となる。
 ある意味で、勝者であるロンダリアがあえて外交特使を敗者の側である北王国に派遣するのも、相手国の面子を考えての措置であったりするのだ。
 ここに王族が加われば、北王国側としてはロンダリアの王族がわざわざ出向いて和を求めてきたと解釈することも可能であろう。
 ロンダリア王室の面子も考える必要があるが、こちらは王族を随員とすることで、すべての責任を回避させることが出来る。あくまで、共同宣言を出したのはクライヴ特使ということに出来るのだ。
 外交交渉の結果を、王族に背負わせることにはならない。
 つまり、両国が両国とも、自分に都合良く解釈出来ることになるのだ。玉虫色の解決手段ということも出来るが、政治的解決とは得てしてそうした傾向になることが多い。
 完全な政治的勝利は、政敵を失脚なり粛清してしまわない限りは達成が難しい。外交交渉も同じで、こちらの要求をすべて呑ませるには相手国を完膚なきまでに叩きのめさないことには不可能なのだ。

「随員としては、エルフリード殿下が適切ではないでしょうか」

 そう発言したのは、軍務大臣であった。

「姫殿下を軍側随員として参加させれば、一切の政治的・外交的責任を姫殿下に負わせることはありません」

「外務大臣としての意見如何?」

 軍務大臣の発言を受けたマルカム三世が、モンフォートに問いかける。

「臣として、異存はありません。ただ、姫殿下の身辺警護のために、専属魔導官であるエスタークス勅任魔導官も随行させる必要があるかと」

「それに関しては、政府に任せる」

「ははっ」

 モンフォートは深く頭を下げた。そして、同時に思った。
 あの甥っ子は、またぞろ面倒事に巻き込まれたようだ。王族との政治的利害関係からあの甥っ子を姫殿下の婚約者となるように画策したのは自分だが、姫殿下ともどもある種の便利屋として使われることになろうとは、当時のモンフォートは考えてもいなかった。
 もっとも、国益のためならば王族だろう貴族だろうと容赦なく供するのが政治というものなのかもしれないが。
 まあ、行って帰ってくるだけの簡単な仕事になるだろう。
 あの甥っ子魔術師に、外交官としての経験を積ませるのも悪くはない。
 リュシアン・エスタークスの母方の伯父たるライオネル・ド・モンフォートは、そう考えていた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

「―――と、いうようなことが最高統帥会議の結果、決められたそうだ」

 西部方面軍司令部の置かれているホテルの一室で、リュシアンとエルフリードはオークウッド大佐からそのような説明を受けていた。

「貴官らには、特派使節に任命されたクライヴ子爵に随行して、北王国が首都と定めるリブモントに行ってもらいたいということだ」

「もう勝った気でいるんだね」

 疑念を抱いていることがありありと判る声で、リュシアンは言う。

「戦場の趨勢はほぼ決まったようなものだ」オークウッド大佐は軽く肩をすくめた。「連中は無理な攻勢転移を行って、自らその崩壊を早めた。守勢に立てばもう数日は粘れただろうが、いずれにせよ、我が軍の勝利は疑いない」

 五月二十一日午前、包囲下にあった北ブルグンディアの二個師団は攻勢に転移してロンダリア軍中央の逆包囲を行う姿勢を見せた。しかし、この攻勢は午後までにはロンダリア軍によって撃退され、かえって北ブルグンディア軍の消耗を早める結果をもたらしていた。

「北王国軍の退路は、我が軍騎兵部隊とレーヌス河が塞いでいる。まさに理想的な包囲殲滅戦だ。むろん、貴官の働きも忘れてはおらんよ」

「それは別にどうでもいいけど、敵の魔導師は確認されていないの?」

 リュシアンはなおも、北ブルグンディアの宮廷魔導官への警戒を解いていない。この状況下であれば、包囲網を形成しているロンダリア軍に爆裂術式を打ち込み、包囲下にある北ブルグンディア軍を救出するという作戦も可能だろう。

「今のところ、前線からは何ら報告がない」

「……」

 リュシアンは怪訝そうな表情になった。宮廷魔導団が派遣されたという王室機密情報局からの情報が間違っていたとは思えないし、実際に通信妨害に対抗してきた敵魔術師の魔力量を見ても、最低一人の高位魔術師がこの戦場にいるはずなのだ。
 あるいは、高位魔術師の消耗を恐れて消極的協力体制しか構築出来ていないのか。
 いずれにせよ不確定要素であることには変わりないし、軍事的勝利の目前になって茶々を入れられる可能性だって否定出来ないのだ。

「まあ、貴官の懸念はもっともであるし、私としても相手側魔導師の存在を失念しているわけではない。高魔力反応を探知した場合、即座に西部方面軍司令部に報告を寄越すよう、前線部隊には徹底させている」

「まあ、ならいいけど」

 北王国側の魔導師の動きにどこか釈然としないものを感じながらも、リュシアンは納得することにした。

「で、停戦交渉停戦交渉って言うけど、今だってお互いの国がのらりくるりと交渉を長引かせて、自分たちの有利が確定した時点で交渉を進めようとしているんでしょ? この段階での交渉に、北ブルグンディアは乗ってくるの? 相手の軍が増援を投入して、また一から国境紛争やり直しってことになる可能性もあるんじゃないの?」

「現在のところ、敵の増援部隊の輸送は確認されておらんし、国内で動員令が発動されたとの情報も掴んでいない」

「不本意だけど、交渉の席に着かざるを得ないってわけ?」

「そのための、今回の包囲作戦だったのだからな」

 オークウッドは教師のような口調でリュシアンに言う。

「人間関係を構築するために、始めに殴りつけて、その後に握手を求めるような輩は非常識、乱暴者の誹りを免れまい。しかし、国家間の関係は違う。まず始めに殴りつけて、その後にのだ」

「伯父さんには聞かせられない台詞だね。卒倒しかねない」

「国際信義などというものは、純粋な暴力の前には紙切れ一つほどの価値も持たん。いや、力なき国際信義論など百害あって一利なし、とでも言うべきかな」

「俺としては賛同するのにやぶさかではないけれども、姫に悪い影響が出そう」

 リュシアンが隣のエルフリードを見ると、軍服姿の少女は魔術師の少年に向けて苦笑を浮かべていた。

「まあ、大佐殿の言われることにも一理ある。周辺諸国に平和愛好の精神があると信じて国家の安全保障を考える為政者など、誰もおらんだろうよ」

 そして、リュシアンとオークウッドの会話に一区切りついたことを見たのか、エルフリードはこの参謀本部作戦課長に向き直った。

「それで、停戦交渉についての政府訓令は決定されたのでしょうか?」

「いや、私には何ら知らされていない。恐らく、クライヴ特使から説明があることだろう。特使は貴官らと合流するため、一旦、ここに寄るとのことだからな」

 恐らく、特使出発の間際までリュシアンを西部国境付近から離さないための措置だろう。やはり、敵高位魔導師の存在については、オークウッドも中央も警戒を解いていないのだ。

「小官が軍随員として交渉に参加するとのことでしたが、軍としては如何なる方針で交渉に臨まれるおつもりですか?」

「その点については、すべて政府に任せることになっている。我々は軍人だ。徒な政治介入はすべきではない。なに、政府としての我々の軍事的成果を無駄にするような交渉は行わんだろうさ。貴官は、ただ王族としてそこにいるだけで構わん。それだけで、政治的価値があるのだからな」

「方針、了解いたしました」

 エルフリードは王族に生まれた者の宿命として、今回の役割を受け入れることにした。王族としての義務を果たすことそのものについては、彼女としても納得している。
 誰しも、公的な立場というものがある。そうした場で王族、王女として扱われることには、程度問題ではあるものの、エルフリードは納得している。別に、彼女は自らの責任から逃れたいわけではないのだ。
 むしろ、女王となるという野心を抱いていることからすれば、彼女は王族という立場に強いこだわりを持っているとも解釈することが出来るだろう。

「交渉決裂の場合とかって、考えているの?」

「軍としては、あらゆる可能性を視野に入れて西部国境での態勢を整えるつもりだ」

「いや、そうじゃなくて」リュシアンはオークウッドの発言を否定した。「向こうに着いて、結局交渉は妥結しませんでした、って場合、北王国とは正式な国交がないわけでしょ? 姫や俺が外交特権で守られるわけじゃないから、そのまま捕虜にされたら厄介なんじゃないの?」

「その場合は、北王国の非道さを国際社会に向けて喧伝すればよいだけのことだ。それと、クライヴ子爵のことも少しは心配してやらんか」

 リュシアンの過保護ぶりに、オークウッドはいささか呆れたような表情を向ける。

「俺は、姫の専属魔導官だから」

 だが、リュシアン本人は参謀本部作戦課長の感情に、いささかも頓着していなかった。

「まあ、北王国もそこまで馬鹿ではあるまい。交渉が決裂したからといって、即座に貴官や姫殿下を捕虜とすれば、将来的にロンダリアと外交交渉を行いたい場合に、大きな遺恨を残す結果になる」

「だといいけど」

「リュシアン、私を心配してくれるのは嬉しいが、いささか考えすぎではないか?」

「そうかな?」

 エルフリードの安全にいささか神経質になっているだけかもしれないが、リュシアンとしてはすべてを楽天的に考える気にはなれなかった。
 エルフリードは、リュシアンにとって何よりも守らなければならない存在なのだから。
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