王女殿下の死神

三笠 陣

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本編 王女殿下の死神

17 魔術師の招待状

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けられているね」

 夕刻、陸軍大学校からの帰路、リュシアンは運河に面した通りを歩きながらそう言った。

「……私は、気付かなかったが?」

 隣を歩くエルフリードは、一瞬だけ周囲の気配を気にした後、そう応じる。

「ああ、エルが気付かないのも当然だよ。だって、尾けているのは人間じゃなくて、鳥だもの」

「鳥? 動物を使役する術か?」

「そう」リュシアンは肯定する。「鳥の視線を通じて、俺たちを監視しているらしい」

「どこの手の者だと思う?」

「アリシア・ハーヴェイか、ヴェナリア情報調査局」

「私の兄の手の者という可能性は?」

 エルフリードは皮肉に唇を吊り上げた。何せ今、自分はリュシアンと同じ屋敷に寝泊まりしている。第一王子である兄が、王位継承権を持つ妹の醜聞を探ろうとしている可能性はある。

「あるだろうけど、いまいち効果的じゃないでしょ」

「まあ、私とお前は婚約者でもあるからな。私が他の男と密会しているならば話は別だが」

「結局、エルの兄上が俺たちを監視する利点は少ない。だったら、共和主義者に俺たちの情報を流して爆弾テロなんかの標的にしてしまった方がいい。だって陸大への通学中は、俺しか護衛がいないんだから」

「さらっと私を抹殺する方法を言うな」

 エルフリードは半眼で自分より少し高い位置にあるリュシアンを睨み、軽く肘鉄を喰らわせた。

「でも、事実だよ」

 悪びれず、リュシアンは言う。彼のこういう思考の冷徹さを見せつけられるとき、エルフリードは何とも言えない苦い気分になる。かつては、そんなことすら考えられなかった子供だったというのに。
 しかし、感傷に浸る贅沢を自分は持ち合わせていない。未だなお、リュシアンを利用し続けている自分には。
 そう思うと、自嘲の笑みが浮かびそうになる。
 だって、リュシアン・エスタークスという少年は、出逢った時から自分のモノなのだ。それを雁字搦めに縛り上げて、解くつもりはまったくない。感傷に浸る自由が許される機会は、永遠に訪れないだろう。
 あの女魔術師が言っていることは、だから事実でもあるのだ。
 きっと自分は、相当な悪女なのだろう。女であることを厭いながら、女であることの醜さを体現しているような存在が自分なのだ。
 なんとも度し難い、矛盾に満ちた自分の心。
 エルフリードは内心だけで皮肉の笑みを漏らした。

「君にとっては不愉快かも知れないけど、君を守るのは俺の役割だから。悪い想定は常にしておかないと」

「あの女魔術師の言う通り、大した騎士っぷりだな、リュシアン」

「まあ、エルの場合、ただ守られているだけのお姫様ってわけじゃないだろうけど」

「当たり前だ」

 エルフリードとリュシアンは、隣り合って歩く。それが、お互いの立ち位置だと示すように。

「私がか弱い姫ならば、とっと花嫁修業でもして、お前の家に降嫁しているぞ」

 そしてきっと、リュシアンとも今のような関係を築けなかっただろうと思う。
 ある意味で、自分とリュシアンの関係は奇跡が重なった末のものなのだ。所詮、人と人とが紡ぐえにしなど偶然の産物に過ぎない。
生まれた家、育った環境、それらが少しでも違っていたら、自分たちの出逢いは生まれなかっただろう。

「それで、どうするのだ?」

 上を指しながら、エルフリードが問う。

「始末してもいいけど……」と、言ったところでリュシアンが顔を上げた。「ああ、なるほど」

 少年の目に、冷たい光が宿る。
 軽い羽音と共に、一羽の小鳥が降りてきた。その小鳥は小さく羽ばたきをすると、運河の欄干へととまる。
 リュシアンが足を止め、冷たい視線のまま小鳥を見遣る。小鳥の首に、折りたたまれた紙が巻き付けてあった。リュシアンがそれを取り外すと、小鳥はどこへともなく飛び去っていった。

「……アリシア・ハーヴェイからの招待状」

 ひらりと、紙をエルフリードに示した。

「なるほど、そういうことか」エルフリードは即座に理解する。「あの女の残した呪符を使ったのだな?」

「そういうこと」

 アリシア・ハーヴェイと直接対峙したあの夜、彼女はエルフリードに呪詛を掛けた後、連絡用呪符を残して逃走している。あの魔女が本気でリュシアンを仲間に引き入れたいかは別として、エルフリードの呪詛を巡って交渉を持ちかけてくると踏んだのだろう。

「あの魔女とヴェナリア情報調査局、それらを片付けることにしたわけだな?」

 ヴェナリア執政府情報調査局が、リュシアンの魔力情報を探っていることは迎賓館での件や盗聴から判っている。だからこそ、リュシアンは神経質ともいえるほど警戒しているのだ。

「ヴェナリアの方は准将から手出し無用って言われているけど、俺はあの人の部下じゃないから」

「うむ。お前としては、魔術師としての手の内がヴェナリアの鼠どもに露見するのは避けたいのだろう?」

 魔術師というのは、ある種の技術者である。故に、自らの編み出した技術が他に流出することを嫌う。これは、魔術師としては異端な部類に入るリュシアンでも同じことだった。あるいは、諜報分野に関わっているからこそ、自らの機密保持には敏感であるのかもしれない。
 エルフリードがリュシアンの魔眼を知っていることは、むしろ例外中の例外といえるのだ。信頼されているというよりも、エルフリードとリュシアンで一心同体だと認識しているからだろう。
 ある意味で、でもあるのだから。

「ところで、ヴェナリア情報調査局といえば、お前の伯父への伝言はどうなった?」

「ちゃんと、伯父さんはベルミラーノ大使に伝えてくれたよ」

 エルフリードが昨夜、リュシアンに伝えた「嫌がらせ」。その一つが、ヴェナリア大使館、ひいては本省たる外務省に、情報調査局がロンダリア王都で行動していることを知らせることだった。
 外務省にとって、自らの管轄下にない自国の組織が他国で活動しているというのは、不愉快なものなのである。
エルフリードは、そうした官僚組織の縄張り争いの種をヴェナリア政府内に蒔こうとしたのであった。
 そして、それによってヴェナリア外務省に情報調査局の活動を掣肘してもらうことを期待しているのである。

「こちらの謀略であるとベルミラーノ大使に思われてしまうという不利益はあるが、まあ、やむを得んだろう。要は、連中の間に不和と疑心暗鬼が生じればそれでよい」

 例え自国の外務省に対してであっても、ヴェナリア執政府情報調査局はその活動を公にすることはないだろう。穏健派のベルミラーノ大使ならば、ロンダリアよりも本国の諜報機関へと向かう疑いの方が強くなるはずだ。

「そして鼠どもにはこちらが奴らの活動を把握していることを仄めかすだけで牽制になる」

 そこで、エルフリードはにいと嗤った。

「ふん。ファーガソンの狐めも、目論見が外れて困っているだろう」

「それはそれでいいけどさ」

 リュシアンは、そうしたエルフリードの策を否定しない。否定しないが、一つだけ忘れられては困ることがある。
 エルフリードはあくまで、王室機密情報局に対する個人的嫌悪から策を立てた。
 それは、ヴェナリア情報調査局に対して優位に立つために情報を独占しようとしたファーガソンと変わりがない。
 どちらも、自らの、あるいは属する組織の利益しか考えていないのだ。
 これでは、単なるエルフリードとファーガソンの派閥抗争でしかない。
 そうしたリュシアンの内心を、彼からの視線を受けて気付いたのだろう。
 エルフリードは軽く咳払いをした。

「んんっ。それで、お前はこの後、あの女の拠点に乗り込むのか?」

 今回の問題の根本は、やはり共和主義者による国会議事堂爆破計画の阻止にある。
 あまりファーガソンとの対立ばかりに気を取られるようでは、リュシアンはエルフリードに苦言を呈さなくてはならなかった。そうなる前に自分で気付いてくれて、白髪の少年は安心した。

「今日の内奏で、内務省と王室機密情報局が協力して対処することになった。陛下からは、俺をアリシア・ハーヴェイの捜査に充てるよう言われたらしい」

「ふん、つまりはあの性悪爺がお前を便利使いする口実を得たということだろう?」

 忌々しげに、エルフリードは眉間に皺を寄せる。

「何の許しもなく、俺たちが勝手に動いたら動いたで問題が生じるから、これはこれで構わないと思うよ。これで陛下からも、ある種の自由行動権を与えられたようなものだし。後々、勝手に動いたことを叱責されるよりはマシでしょ?」

「それはそうであるが、いまいち気に喰わんのだ。まあ、感情論であることは自覚している。駄々をこねてお前を困らせるつもりはない」

 エルフリードは軽く手を振った。
 最近、リュシアンは自分が講義を受けている間、あれこれ動いていることは知っていた。ファーガソンと頻繁に連絡を取り合っているということは、エルフリードとしては不愉快であるが、これも仕事と割り切るしかないと我慢している。
 しかし、リュシアンはエルフリードのモノであり、ファーガソンのモノではない。
 その醜悪なまでの独占欲を、彼女は手放すつもりはなかった。

「それで?」

「ファーガソンはアリシア・ハーヴェイを泳がせた上での議事堂爆破阻止を狙っているみたいだけど、俺は反対だね。だからあの女から招待状が来るように仕向けた」

「うむ。水際であの女魔術師の陰謀を阻止するのは、危険度が大きかろう。それに、あやつが議事堂だけに固執しているとも限らない、お前の判断を支持するぞ」

 リュシアンが議事堂爆破計画の情報を得ていることは、アリシア側も把握している。そのため、計画を変更した可能性もある。
 一応、クラリスもファーガソンも議事堂の爆破を阻止する方向で動いてもらっているが、相手はその裏をかいて別の標的を狙っているかもしれない。

「魔術師からの友好的でない招待は、魔術師にとって最大限の警戒を要する事柄の一つだ。だって、相手がどんな罠を張って待ち構えているか判らないから」

「だが、お前ならばそれを逆手に取れる」

 リュシアンの魔力を“視る”ことの出来る魔眼に、魔術的な罠は分が悪い。逆に言えば、リュシアンという魔術師の特性を活かせる状況とも言えた。
 問題は―――。

「ヴェナリア情報調査局、あの鼠どもだな」

 号持ちネームド魔術師であるリュシアンの情報を収集しようとしているヴェナリア執政府情報調査局。
 自身の魔術師としての特性が、彼らに露見してしまうことをリュシアンは恐れているのだ。

「だから、先にそっちを片付けようと思う」

 一片の躊躇もなく、平坦な口調でリュシアンは言う。

「エル、君はどうする?」

 その問いに、軍服姿の王女は不敵に唇を吊り上げた。リュシアンがあえて問いかけたということは、エルフリードの自由意思に任せるということだ。

「当然、お前と共に赴くつもりだ。呪詛の借りは返さんとな。それに、お前の背中を守る相棒が必要だろう?」

「本来だったら、俺が君の背中を守る側のはずなんだけど」

 少しだけ困ったように眉を寄せ、だけれどもやはりいつもの感情の希薄な素っ気ない口調のまま、リュシアンは言った。

「言ったろう? 私は守られるだけの姫になるつもりはない。お前の背中を守る役目は、私のものだ」

「君の体はまだ呪詛に犯されている。万全の状態じゃないことを忘れないで」

「ああ、お前の足手まといにはならん。というよりも、お前は私の使い道を考えているから、私を止めようとはしていないのだろう?」

 エルフリードという存在も含めて、リュシアン・エスタークスという魔術師は成立しているのだ。付き合いの長いこの少年が、自身を必要としていることを黒髪の王女は言われずとも判っている。

「ろくな役割じゃないのは、エルも判ってて俺に付いてこようとしていると考えていい?」

「ふん、愚問だな。この身は好きに使うがいい。お前は私の半身で、私はお前の半身だ。自分自身をどう使おうが、それはその者の自由よ」

 それをリュシアンに対する絶対的な信頼ととるか、絶対的な依存ととるか、それは人によるだろう。だがリュシアンは、エルフリードの言葉を信頼の証と捉えている。そうでなければ、自身の身を他者に委ねたりはしない。

「……ありがとう、エル」

「最近、そればかりを聞いている気がするな」

 それが少しおかしいと、エルフリードは小さく笑った。
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