王女殿下の死神

三笠 陣

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本編 王女殿下の死神

9 革命運動

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 この時代、各国では共産主義者・無政府主義者による活動が活発化していた。
 それは、ルーシー帝国において革命が成功したということもあるが、産業革命の進展によって各国において国民同士の間で貧富の差が激しくなってきたという経済的要因が大きい。
 ロンダリア連合王国においては急進的知識人や下級労働者たちによる男子普通選挙実現を求める運動、資本家たちの有する工場に対する打ち壊し運動などが起きている。
 当然、当局はこれらの運動を厳しく取り締っており、逮捕者の中には国家転覆罪の容疑で処刑された者も存在する。
 ただし、こうした革命運動と取締はイタチごっこの色が強く、ある反政府組織を潰せば別の反政府組織が蠢動するという有様であった。
 さらに当局にとって問題であったのが、共産主義・無政府主義の広まりと同じように、ナショナリズムも勃興していたことであった。
 ロンダリア連合王国はヴェナリア共和国と海洋覇権を巡って対立が続いており、共和国と一戦してでも連合王国の覇権を確立すべきと主張する者たちもいる。これは何も新たな市場の開拓を求める資本家階級だけの主張ではなく、海外に新天地を求めようとする労働者たちの間にも同様な対外強硬論が見られるのが現状であった。





 王都にある古びた集合住宅フラットの一室、その扉が乱暴に蹴破られた。

「動くな! 王都警視庁である!」

 鋭剣サーベルを構えた巡査部長を先頭に、警官隊が室内に雪崩れ込んだ。
 室内にいた男が、慌てた様子で窓に飛びつく。窓から外に逃亡しようとしたのである。
 だが、それに巡査部長が即座に反応した。男が窓枠に足を掛けたところで、鋭剣の柄で男の側頭部を殴打。他の警官が男を取り押さえる。

「室内を捜索しろ!」

 男を拘束しながら、巡査部長は部下に命じた。室内にあった棚や調度品を、警官たちは乱暴に調べていく。やがて、食器棚に短銃とその弾薬が隠してあることを一人の警官が発見する。

「地獄に堕ちろ! この資本主義の走狗ども!」

 床に押さえつけられて乱暴に拘束された男が、警官たちに罵声を浴びせる。わめきながら暴れる男を、巡査部長が蹴りつける。

「連行しろ!」

 二人の警官が拘束した男の両脇を抱えて、室内から連れ出していく。なおも男はわめいていたが、一人の警官がその口に布を詰め込んだ。それでもなお、男は血走った目でもごもごと何かを言おうとしていた。
 それを、巡査部長は冷めた目で見つめていた。

「……まったく、お決まりの罵倒過ぎて、いい加減飽きてくるぞ。もっとこう、文学的才能に溢れる共和主義者はいないものかね?」

 その皮肉に、部下たちが忍び笑いを漏らす。

「部長」発見した短銃を検分していた警官が言った。「銃の製造番号から、憲兵隊より報告のあった横流し品であることが確認出来ました」

「反体制思想の蔓延には困ったものだな」ぼやくように、巡査部長は言う。「あるいは軍の連中、小遣い稼ぎのつもりで横流しでもしているのか」

「いずれにせよ、迷惑極まりない連中ですな」

「まったくだ。南ブルグンディア外相が来訪していて、こちらは王都の警備で忙しいというのに、これ以上の面倒事は勘弁願いたいものだな」

 室内の捜索は未だ続いている。武器の他に、反体制組織に繋がる手がかりがないかを確認しているのだ。

「まったく、これでは残業確定だな」

 そう言って、彼もまた屋内の捜索に加わっていった。

  ◇◇◇

 王都警視庁の捜査本部で、クラリス・オズバーンは紫煙をくゆらせていた。
 彼女の目の前の壁には、王都を示す地図が掲げられていた。

「本日三人目の逮捕者、か」

 そう言って、彼女は警視庁特別保安部が突入した集合住宅フラットの位置にピンを刺した。

「軍の方でも、憲兵隊が武器弾薬の横流しに加担した者たちを一斉に逮捕したそうですぞ」

 捜査本部にいる警視庁特別保安部の部長が言った。
 特別保安部は、テロの脅威から連合王国の治安と国益を守るために存在する組織である。王都を管轄する警視庁の一組織ではあるものの、ことテロ対策という点では全国規模での捜査を可能とする権限を持っている。

「ああ、そういえば先ほど逮捕した男、身元確認を行ったら学校教師だというから驚きだ」

 皮肉そうに、クラリスは唇を歪めた。

「何とまあ」特別保安部の部長は、呆れたような声を出す。「教育者がテロ行為に加担するとは。その男に教えられていた生徒たちは気の毒ですな」

「まったく、世も末だな。どうしてこう、妙に知識のある連中は変な思想にかぶれるのか」

 実際、共産主義・無政府主義を信奉する者たちの中には、知識人層が多い。中には、学生が共産主義的な革命運動に参加していたという事例もある。

「あるいは、なまじ知識があるために、その知識で人々を導き、世の中を変えなければならないと考えているのかもしれませんな」

「間違った義務感だな、それは」ふん、と嘲るようにクラリスは鼻を鳴らした。「進歩派を自称する知識人どもは、果たしてそれを自覚しているのか」

「自覚していないからこそ、革命運動に走るのでは?」

「だろうな。まったく、こちらの仕事が増えるからよしてもらいたいものだな」

「その通りですな」

 保安部長が、冷笑を浮かべて同意する。

「さて、どうも我々は小物ばかりを捕まえているようで、いまだ王都で活動する反政府組織の首魁にはたどり着けていません。オズバーン勅任魔導官殿のお弟子さんが遭遇したという女魔術師の存在も確認出来ていない模様です」

 リュシアンからの情報によって、警視庁は革命運動に参加する女魔術師の存在を認知していた。
 アリシア・ハーヴェイという名前も判明しており、王室魔導院に問い合わせるまでもなく、特別保安部の重要指名手配人物の名簿にその名前は存在していた。

「うちの坊やも、中々使えるだろう?」

 出来の良い我が子を自慢する親のような口調で、クラリスは言った。その口元は、どこか楽しげな笑みが浮かんでいる。

「ええ、オズバーン殿のお弟子さんとは、懇意にしておきたいものですな」

「まったく、うちの坊やは引く手数多だな。姫殿下に参謀本部、王室機密情報局に特別保安部か? 師匠として誇らしく思うべきか、師匠を差し置いてと嫉妬すべきか」

「本当はお弟子さんが活躍して嬉しいのでしょうに」

 微笑ましく保安部長は皮肉った。

「まあ、否定はしないよ」

 クラリスはにやりと応ずるように笑みを浮かべた。

「ところで、気になるのは自棄になった共和主義者どもが爆弾テロに走らないかどうかだな」

 王都の地図を眺めつつ、クラリスは仕事時の口調に戻って言った。

「憲兵隊から提供された情報を元にすると、横流しされた武器弾薬の大半は、先日、エスタークス卿が発見した共和主義者の拠点にあったようです」

「だからといって、安心は出来んだろうさ。共和主義者どもは別に弾薬の入手経路を持っているかもしれん。横流し品とはいえ、武器弾薬を揃えられるだけの資金力がある組織だ。油断は出来ないだろうよ」

「その点も含めて、逮捕者への尋問は徹底しなければなりませんな」保安部長が険しい顔で頷く。「それと、右派系新聞の動向にも注意すべきかもしれません」

「ああ、例の対外強硬論か」

「一定程度に民衆からの支持があるのが厄介なところです。今回の共和主義者の検挙に関して、ヴェナリア共和国やルーシー連邦の陰謀論を説く新聞が出てこないとも限りませんからな」

「まったく、共和主義・無政府主義も困ったものだが、過激な国粋主義・拡大主義も厄介極まるな」

 ふう、とクラリスは嘆息と共に紫煙を吐き出した。

「右派連中の監視も合わせて強化する必要が出てきそうですな。まあ、新聞統制までが警察の管轄でないのだけが幸いですが」

 保安部長が肩をすくめた。新聞などの言論統制は、内務省警保局図書課の役目である。警察も同じ内務省の組織であるが、検閲の担当ではない。

「イデオロギーに走りすぎる連中は本当に困ったものだな」クラリスは言う。「イデオロギーと現実を逆転させて、イデオロギーに現実を合わせようとする。本来は逆だろうに」

「右派も左派も、結局は同じ穴の狢といったところですな」

「連中は必死になって否定するだろうが、取り締る我々からすればその通りだな」

 煙草を咥えたまま、クラリスは嗤った。

「まあ、何はともあれ、今回はいい機会だったかもしれないな」

「はい?」

 クラリスの発言の意味が判らず、保安部長は怪訝そうな声を上げる。

「これを機に、お前たち特別保安部と、魔導犯罪捜査課の拡充が期待出来るだろう?」

「我々が、予算を得る好機だと?」

「それ以上だ。あのいけ好かない王室魔導院の連中に、我々の縄張りを示す好機だ。誰が王都の治安を守っているのか、それを奴らに叩き込めるのだからな」

 澄ました顔のまま、クラリスは辛辣に言い放つ。保安部長も、彼女に応じるように皮肉な笑みを作った。

  ◇◇◇

 ファーガソンからリュシアンの下に届けられた情報では、憲兵隊と警視庁が共和主義者の一斉逮捕に乗り出したという。
 リュシアンが幻影魔術で偽装された共和主義者の拠点を発見してから、二日という電撃捜査であった。

「クラリスは上手くやってくれたみたいだね」

 エスタークス伯爵家が王都に持つ町屋敷で、リュシアンはそう呟いた。

「大佐からの情報提供も完全に活かせているし、下部構成員の処理は憲兵隊と警察に任せておいて平気だろうね」

「では、私たちはあの女の捜索に専念できるというわけだな」

「捜索の必要は、実はないんだけどね」

 リュシアンの視線が、部屋の中を動いていく。魔力を“視る”ことの出来る彼の魔眼。それは今、エルフリードが冒されている呪詛と、術者を繋いでいる。これを辿れば、アリシアの下に辿り着くのは容易なのだ。

「とはいえ、会ったところで、あの女が何を目的に行動してくれるのかを教えてくれるはずもなかろう」エルフリードは言う。「当分は、尾行と身辺の捜査が優先か」

 彼女は今、昨夜と同じように魔法陣の中央に置かれた寝台に腰掛けている。呪詛による苦痛を、少しでも緩和するためである。
 呪詛が解呪されるまで、エルフリードはエスタークス伯爵家の町屋敷を拠点とせざるを得ない。
 とはいえ、普段は王宮に住んでいる彼女であるので、外泊には宮内省の承認が必要となってくる。昨夜はリュシアンが幻影魔術で偽装したが、流石に何日も通用するようなものではない。
 そのため、憲兵隊と警視庁による共和主義者に対する一斉捜査が始まったことを、エルフリードとリュシアンは口実にすることにした。
 共和主義者が王族や政府要人に対する報復テロを起こす可能性を強調し、陸大への通学のためには王宮からよりもエスタークスの町屋敷からの方が良いと主張したのである。
 王宮そのものは、テロの標的となりやすい。
 実際、王宮から王族が馬車で出てきたところを、狙撃された事件もある。幸い銃弾は逸れたが、使う経路が判っている場所ほど、待ち伏せに最適なところはないのである。
 エルフリードもまた、アリシア・ハーヴェイという女魔術師によって襲撃された身である。呪詛の件は彼女とリュシアンの間で秘密にされているが、エルフリードが共和主義にかぶれた魔術師に襲撃されたことはファーガソンを通して報告してある。
 エルフリードはそうした事情を利用して国王や宮内省を説得し、数日間はこの町屋敷に居を移す許可を得た。魔術師の拠点は、それだけ安全だと判断されたためである。

「しかし、参謀本部との繋がりがここで生きてくるとは。奴らも、お前を利用しようとしていないか?」

 どこか不愉快そうに、エルフリードはリュシアンを見る。
 リュシアンが発見した幽霊屋敷と呼ばれていた共和主義者の拠点。そこから判ったのは、軍による武器弾薬の横流しの実態である。
 そのため、リュシアンは繋がりのある参謀本部の大佐にこの情報を持ち込んでいた。恐らく、以前から軍内部の共和主義者の捜査は行っていたのだろう、憲兵隊の動きは迅速だった。小銃の製造番号から元の部隊を割り出し、王都周辺の部隊の主計科の帳簿に不正の痕跡が見つかった。
 そこで得た情報は王都警視庁にも回され、軍内部では憲兵隊が、王都では警視庁が共和主義思想を持つ者たちの一斉検挙を行った。

「君の出世のためにも、俺は使える人間だと参謀本部に思われておいた方が好都合じゃないの?」

「それはそうだがな……」

 エルフリードは拗ねた声を出した。彼女は、リュシアンに対する独占欲が強い。だからこそ、参謀本部がリュシアンを利用しようとしているのではないかと思うと、不愉快な気分になる。
 だが、もう一つの感情もある。
 何せ長い付き合いだ、どうせリュシアンも判っているのだろう。だから、彼はエルフリード自身を納得させようとしているのだ。

「……ああ、判った。白状する」

 エルフリードは投げやりな態度で寝台に倒れ込んだ。

「私はお前に嫉妬しているんだ。王族という資格だけで陸大に入った私と、その実力を認められて参謀本部に協力を求められているお前。私は、お前が羨ましい」

「魔術師である俺とエルを比べるのは間違っている。だから、あんまり無茶をしないで」

 リュシアンの声には、どこか切実な響きがあった。そこに、彼なりのエルフリードへの懇願が含まれていることを、彼女は悟っていた。
 彼は幼い頃から、エルフリードの意志を優先してくれた。今回も、ファーガソンの思惑に乗るという危険性を伴う選択に賛同してくれた。
 だが、いくら危ない橋を渡ることに賛成してくれたとはいえ、渡り方については色々と言いたいことがリュシアンにはあるのだ。

「……判った、判ったから、あまり情けない声を出すな」

 流石に今回の件は、自分に非があることは明らかだ。リュシアンの力になりたいという気持ちが暴走してしまったことは否めない。
 リュシアンは、エルフリードの力になりたいと思ってくれている。エルフリードもまた、リュシアンの力になりたかったのだ。
 自分と関わってしまったがために、変わってしまったこの少年を、支えたいと思っている。
 だけれど、足を引っ張りたいと思ったことはない。彼の重荷になるような存在には、絶対になりたくない。

「だけれども、これだけは忘れないでくれ。私は、お前と共に歩きたい。私が魔術師でなかったとしても、お前と共に歩きたい。私とお前、二人で一つでいたい。私の隣に、お前がいてくれなければ嫌だ」

 それは、エルフリードの本心からの言葉だった。例え、独占欲に塗れ、リュシアンを雁字搦めに縛ってしまうような束縛の言葉であったとしても。
 その言葉に、リュシアンはそっと小さく柔らかく、あるかなきかの笑みを浮かべた。

「……そうだね。俺も、同じ気持ちだよ」

 それはいつかの幼い日に聞いた、無邪気な彼の声だった。
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