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デビュタントの少し前から、セシルは準備を進めていた。
父が領地に向かい、兄が王宮に出仕し留守にしている時を選んでは、屋敷を抜け出しある場所に通っていたのだ。
「シルちゃん、本当にいいのかい?」
「私こそ、こんなありがたいお話はありません。ありがとうございます。」
食堂をしている女性と、二階の部屋を借りる交渉をしていたのだ。
食堂のおかみのルルは夫を亡くしてから一人で食堂を切り盛りしている。
部屋はたくさんあり、防犯面でも寂しさの面でも居候を募集していた。
ただ古い。広いが日当たりも良くないためなかなか借り手が見つからなかったらしい。
初めての一人暮らしのセシルにとっても居候という環境は心強いのだ。
「でも初めは時々しか来れないと思います。いずれ移ってきたいと思っているのですが、それでも大丈夫ですか? もちろんお家賃はきちんと支払いますので・・・」
「訳アリだね、わかってるよ。シルちゃんはいいとこのお嬢さんなんだろ。いい、いい。聞かないよ。あんたはただのシルちゃんだ。」
「ありがとうございます! ではよろしくお願いします。」
この二年間、娘として子爵家にいる代わりに給金を貰って来た。
給金以外にも、宝石なども贈られており、かなり資金がたまっている。すぐにでも家を購入できるレベルだが、平民として街で自活できるかどうかわからない。
下手なことをして事件に巻き込まれたり、家を出るのを引き留められても困る。
そう考えて、色々探しているうちにルルの食堂兼住居の募集を見つけたのだった。
セシルは時々、ルルの食堂を手伝い、少しずつ平民としての生活や立ち振る舞いに慣れていった。
しかし、セシルがこっそりと出かけてばれないはずがない。
心配する使用人から父の耳に入る。
「一人での外出は危険だ。侍女を連れて馬車で行きなさい。」
「大丈夫ですわ、お父様。貴族と分からない服で外出しておりますから。」
「そういう事じゃないよ。何かあったらどうする、それにどこに行っているんだ?」
「自立への第一歩です。」
「まさか・・・まだそんなことを思っていたのか。」
驚く父に、逆にセシルは驚いた。
「まだというか・・・そうお話していたと思います。」
「婚約を受けないのも、子爵家としてのお茶会をしないのもそう言う事か・・・」
父はがっかりしたように頭を抱える。
まさか、本当に約束を忘れていたの?
私が喜んでずっといると思ってたの?
私が何も知らないとでも思っているの?
いい機会だし・・・家も仕事もみつかっているから、少し早いけど出て行くことは出来る。
「お父様、そろそろ娘役を降りようかとおも・・・」
「それは認めない。役などではない。お前はずっと私の大切な娘だよ。出て行くなど言わないでくれ。」
「どうしてですか? 私が出て行けば、彼女たちを呼び戻して家族だけで暮らせるのですよ?」
「そんなものは望んでいない。あれらは・・・犯罪者だ。か弱いお前を貶め、手にかけようとするなど・・・家族ではない。私の家族はお前とサミュエルだけだ。」
・・・領地では大事にしているくせに。
この二年間、セシルを本当に大事にしてくれた。だが、領地でアナベルを幽閉しながらも、父が領地に行ったときには町へ連れていったり、遊びに連れて行っているという。
不幸な生い立ちで歪んだアナベルを愛することで立ち直らせようと子爵は必死だと聞く。そう使用人たちが話しているのが耳に入ってしまった。
隠さなくてもいいのに・・・余計に苛立つから。信用しきれないから。
そう胸に浮かんだ言葉は口にしないが、代わりに自分の邪魔もしてほしくなかった。
「・・・それはお父様の御随意に。私も好きにさせていただきますので。」
十六歳になれば、どんな引き留めがあっても出て行こうとセシルは決心したのだった。
そしてついに十六歳の誕生日を迎えた。
子爵邸で開かれた誕生パーティの終わりに
「本日私は、成人の日を迎えることが出来ました。それもこれも皆様のおかげです。そして —— 今日を持ちまして娘役はこれにて降りさせていただき、シャリエ家とは無縁の人間になります。これまでありがとうございました。」
セシルは父と兄にこれ限りで縁を切り出て行くと、宣言したのだった。
セシルが部屋で荷造りをしていると兄がやってきた。
「・・・セシル、本気だったのか?」
「はい。」
「もう契約の事など忘れてた・・・本当に家族に戻れたと思ってたんだ。お前があまりにも普通に接してくれてたから。許されたと思い込んでた。」
「許す、許さないではありませんよ。仕方がなかったのだと思ってます。」
「じゃあ出て行かなくてもいいじゃないか!」
「いいえ、私は他人ですから。大切なお嬢様の代わりにもらわれたということがわかりましたから。」
「代わりなどではない!」
「・・・誘拐されて人生を変えられてしまった気の毒なお嬢様とお母様に手を差し伸べてあげてください。彼女達も被害者なのですから。」
「それはわかってる。でもそれとお前の事は別だ。」
「これまで大切にしていただいたこと感謝いたします。ですがもう解放してください。『家族になれると思うな』・・・またそう言われるかもしれないと思いながら生活するのは厳しいものなのですよ。もう二年もお役目を果たしました。お許しください、シャリエ子爵令息様。」
セシルの拒絶の言葉だった。
「これからも給金を払い続ける。だからこのまま娘としていて欲しい。」
そう言って頼む父と兄を見て、やさしい人たちだなあとセシルは思った。
本当の家族だったらよかったのに・・・そう思うと少し泣けるくらいには、心の奥底に沈めていたはずの気持ちが見え隠れする。
この二年、後悔と後ろめたさもあったのかもしれないが、妻と娘よりも大事にしてくれたその情、想いは本物だった。
だからもうこの優しく哀れな二人を解放してあげたい気持ちもあった。
お互い、離れた方が気に病まないで済む。
「子爵様、ありがとうございます。」
セシルは父に頭を下げた。
「そのお気持ちだけでもう十分です、私は一人で大丈夫です。もう仕事も住むところもあります。」
「セシル・・・」
どう話し合っても譲らないセシルに折れたのは子爵だった。
セシルはそのままシャリエ子爵家に在籍すること、交流を閉ざさない事、困ったことがあれば相談に来ること・・・それらを条件にようやく出て行くことを認めてくれたのだった。
父が領地に向かい、兄が王宮に出仕し留守にしている時を選んでは、屋敷を抜け出しある場所に通っていたのだ。
「シルちゃん、本当にいいのかい?」
「私こそ、こんなありがたいお話はありません。ありがとうございます。」
食堂をしている女性と、二階の部屋を借りる交渉をしていたのだ。
食堂のおかみのルルは夫を亡くしてから一人で食堂を切り盛りしている。
部屋はたくさんあり、防犯面でも寂しさの面でも居候を募集していた。
ただ古い。広いが日当たりも良くないためなかなか借り手が見つからなかったらしい。
初めての一人暮らしのセシルにとっても居候という環境は心強いのだ。
「でも初めは時々しか来れないと思います。いずれ移ってきたいと思っているのですが、それでも大丈夫ですか? もちろんお家賃はきちんと支払いますので・・・」
「訳アリだね、わかってるよ。シルちゃんはいいとこのお嬢さんなんだろ。いい、いい。聞かないよ。あんたはただのシルちゃんだ。」
「ありがとうございます! ではよろしくお願いします。」
この二年間、娘として子爵家にいる代わりに給金を貰って来た。
給金以外にも、宝石なども贈られており、かなり資金がたまっている。すぐにでも家を購入できるレベルだが、平民として街で自活できるかどうかわからない。
下手なことをして事件に巻き込まれたり、家を出るのを引き留められても困る。
そう考えて、色々探しているうちにルルの食堂兼住居の募集を見つけたのだった。
セシルは時々、ルルの食堂を手伝い、少しずつ平民としての生活や立ち振る舞いに慣れていった。
しかし、セシルがこっそりと出かけてばれないはずがない。
心配する使用人から父の耳に入る。
「一人での外出は危険だ。侍女を連れて馬車で行きなさい。」
「大丈夫ですわ、お父様。貴族と分からない服で外出しておりますから。」
「そういう事じゃないよ。何かあったらどうする、それにどこに行っているんだ?」
「自立への第一歩です。」
「まさか・・・まだそんなことを思っていたのか。」
驚く父に、逆にセシルは驚いた。
「まだというか・・・そうお話していたと思います。」
「婚約を受けないのも、子爵家としてのお茶会をしないのもそう言う事か・・・」
父はがっかりしたように頭を抱える。
まさか、本当に約束を忘れていたの?
私が喜んでずっといると思ってたの?
私が何も知らないとでも思っているの?
いい機会だし・・・家も仕事もみつかっているから、少し早いけど出て行くことは出来る。
「お父様、そろそろ娘役を降りようかとおも・・・」
「それは認めない。役などではない。お前はずっと私の大切な娘だよ。出て行くなど言わないでくれ。」
「どうしてですか? 私が出て行けば、彼女たちを呼び戻して家族だけで暮らせるのですよ?」
「そんなものは望んでいない。あれらは・・・犯罪者だ。か弱いお前を貶め、手にかけようとするなど・・・家族ではない。私の家族はお前とサミュエルだけだ。」
・・・領地では大事にしているくせに。
この二年間、セシルを本当に大事にしてくれた。だが、領地でアナベルを幽閉しながらも、父が領地に行ったときには町へ連れていったり、遊びに連れて行っているという。
不幸な生い立ちで歪んだアナベルを愛することで立ち直らせようと子爵は必死だと聞く。そう使用人たちが話しているのが耳に入ってしまった。
隠さなくてもいいのに・・・余計に苛立つから。信用しきれないから。
そう胸に浮かんだ言葉は口にしないが、代わりに自分の邪魔もしてほしくなかった。
「・・・それはお父様の御随意に。私も好きにさせていただきますので。」
十六歳になれば、どんな引き留めがあっても出て行こうとセシルは決心したのだった。
そしてついに十六歳の誕生日を迎えた。
子爵邸で開かれた誕生パーティの終わりに
「本日私は、成人の日を迎えることが出来ました。それもこれも皆様のおかげです。そして —— 今日を持ちまして娘役はこれにて降りさせていただき、シャリエ家とは無縁の人間になります。これまでありがとうございました。」
セシルは父と兄にこれ限りで縁を切り出て行くと、宣言したのだった。
セシルが部屋で荷造りをしていると兄がやってきた。
「・・・セシル、本気だったのか?」
「はい。」
「もう契約の事など忘れてた・・・本当に家族に戻れたと思ってたんだ。お前があまりにも普通に接してくれてたから。許されたと思い込んでた。」
「許す、許さないではありませんよ。仕方がなかったのだと思ってます。」
「じゃあ出て行かなくてもいいじゃないか!」
「いいえ、私は他人ですから。大切なお嬢様の代わりにもらわれたということがわかりましたから。」
「代わりなどではない!」
「・・・誘拐されて人生を変えられてしまった気の毒なお嬢様とお母様に手を差し伸べてあげてください。彼女達も被害者なのですから。」
「それはわかってる。でもそれとお前の事は別だ。」
「これまで大切にしていただいたこと感謝いたします。ですがもう解放してください。『家族になれると思うな』・・・またそう言われるかもしれないと思いながら生活するのは厳しいものなのですよ。もう二年もお役目を果たしました。お許しください、シャリエ子爵令息様。」
セシルの拒絶の言葉だった。
「これからも給金を払い続ける。だからこのまま娘としていて欲しい。」
そう言って頼む父と兄を見て、やさしい人たちだなあとセシルは思った。
本当の家族だったらよかったのに・・・そう思うと少し泣けるくらいには、心の奥底に沈めていたはずの気持ちが見え隠れする。
この二年、後悔と後ろめたさもあったのかもしれないが、妻と娘よりも大事にしてくれたその情、想いは本物だった。
だからもうこの優しく哀れな二人を解放してあげたい気持ちもあった。
お互い、離れた方が気に病まないで済む。
「子爵様、ありがとうございます。」
セシルは父に頭を下げた。
「そのお気持ちだけでもう十分です、私は一人で大丈夫です。もう仕事も住むところもあります。」
「セシル・・・」
どう話し合っても譲らないセシルに折れたのは子爵だった。
セシルはそのままシャリエ子爵家に在籍すること、交流を閉ざさない事、困ったことがあれば相談に来ること・・・それらを条件にようやく出て行くことを認めてくれたのだった。
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