イシャータの受難

ペイザンヌ

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第3部 佐藤の試練

第39話 Sinclonicity【シンクロニシティ】

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「ヴァン!」

 手水舎ちょうずやの陰で闘いを見守っていたイシャータが居ても立ってもおられず飛び出した。すぐさまクローズもそれに続いたが、その二匹よりもさらに滑りくる速さで参道を駆け抜けていくものがあった。

 佐藤である。

 追い風が味方したか、しまいにはまるで空中を飛んでいるかのような勢いでヴァンもろともザンパノに激突した。

「ヴァン!」

 どたりと放り出されたヴァン=ブランにイシャータが駆け寄った。素早く体勢を立て直そうとするザンパノに佐藤は再度弾丸のごとくぶつかっていく。

「ボケっ! カスっ! このクズ猫がっっ!!」

 滅茶苦茶ながらもザンパノに息つく暇も与えない。

「せっかく、友達になったるって言うたのに! おまえとなんかな、おまえとなんかな、もう遊んだらへんわっ!」
「よ、よせ…………サトー」

 ヴァンがヒューヒューと抜けるような声で告げる。

「そ、そうだ、このガキ、もう勝負はついたんだぞ!」

 だが、佐藤の怒りは収まるところを知らない。それどころかザンパノのその嘲笑を聞いて佐藤の中で何かがブチリと切れた。

「そんならボクがやったるわいっ! S区のボスの座をかけてが今、ここで、おまえに挑んだるっ! どやっ、それなら文句ないやろがっ!」





「佐藤!」
 イシャータが叱咤する。

「イシャータ、それよりあいつや。フライや! あいつがみんなを裏切りよってん」
「!」

 フライは自分が今の当たりにしている光景が歪んでいくのを感じた。

(──な、なんだ、この展開は? あいつ、いったいどうやって抜け出して来やがった?)

「フライ……なんでやねん……アホ! 信じとったのに、アホ、どアホ!」

 罵倒しながら佐藤は目頭が熱くなってきた。それがフライに対してなのかフライを少しでも信じていた自分に対してなのかわからない。ただ、とにかく悲しかったのだ。

 とにかくその場を仕切り直そうと、ザンパノはその隙を見て走り出した。

「あっ! 待たんかいっ!」

 もはやアドレナリンだけが佐藤を動かしていた。逃げるザンパノに飛び掛かり、二匹はそのまま神社の階段を転げ落ちていった。

 一方、フライも尻尾をまくった。

『マズい! イシャータまでいやがる。くそ、くそっ!──』

 だが──フライが逃げ出した方向には彼が一番顔を合わせたくない者が立ちふさがっていた。アーモンド型のその目がじっとこちらを見ている。

「……クローズ」

 クローズはこれ以上ないくらいほどの哀しみを帯びた顔でフライをじっと見つめていた。

「フライ……」
「クローズ、違うんだ。これは」
「フライ……フライ、フライ………」

 彼女はまるでそれしか喋ることができない猫の人形のように繰り返した。クローズは首を振るとゆっくりと語り出す。

「前にヴァンは言っていたわ。全てが片付いたらあなたにはまたリーダーに戻ってほしいって。平和さえ戻ればリーダーはあなたのように穏和で優しい者の方が適してるって……」
「…………」

 フライは震え出した。ガクガクと、愕愕と、震え出した。その姿はまるで急に憑き物が落ちた時の様であり、表情さえも変わっていくさまがありありと見てとれた。

「フライ、私はあなたの妻。だからね、フライ……私はね、きっと許せたと思うの。それがきっとどんなに酷いことであっても、どんなに卑劣なことであったとしても。それがもしのことだったなら……だけど…………」
「クローズ、そうじゃないんだ! これは──」
「これは? 何なの? そう、これは許されない。許されることではない!」
「クローズ、オレは──」
「さよなら。フライ」

(俺は、ただおまえに笑いかけてほしかっただけなんだ。ヴァンに微笑んでたように──)

 だが、その言葉を口に出すことさえクローズは許さなかった。

「もう、口もききたくないの──」

 突然、世界が暗転したようだった。フライの周りでは今、風も音も──僅かな光ですらも、皆その存在を否定するかのように身を隠していた。

 クローズがいる『前』には進むことはできなかった。かといってヴァンのいる『後ろ』に戻ることも許されてはいなかった。フライはゆらりと四方を見渡す。必死で逃げ道を探す。だが例え逃げ道があっても行き着く場所がなかった。

 それでもどこかへ行かなければならなかった。ここではないどこかへ続く道を無造作に鷲掴みにすると、フライはがくりとうな垂れ、か細く頼りないその道をよろよろと歩き出した。

 どの道でも関係なかった。どの道を選ぼうとそれは必ず『ここではないどこか』へと繋がっているはずなのだから──

 ▼▲▼▲▼▲

 階段を落ちきった佐藤とザンパノは住宅街を走り出した。

 ごごうと風の勢いが強まる。

──くそ! ガキ一匹にいつまでも逃げ回ってられるか!

 葬儀場のあたりでザンパノはくるりと立ち止まった。飛び掛かってくる佐藤の顔面へ振り向き様に素早い動きでカウンターを浴びせる。

『ミャオン!──』

「俺に挑むだと? はっ? 十年早いわっ! このガキッ!」

 正直、ザンパノと佐藤に体格の差はそれほどない。だが、バトルの年期と経験で言えば二匹には格段の差が生ずるのは否めない。

 佐藤は必死にガードを続けるが、ざくりざくりといたずらに傷を増やすだけであった。

『ミャウ! みゃおぉぉぉぉぉん!──』

「おら! さっきまでの威勢はどうした? 俺と同じ顔にしてやろうか? あ?」

(ボクが友達になったるよ──)

「…………!」

 そんな佐藤の言葉がザンパノの耳に甦った。

(ボクや。ボクが一緒にパーティしたいって思うてる!──)

 ザンパノは自分に残されているただひとつの目がかすんだような気がした。

「くそっ!」

 佐藤はザンパノの攻撃が一瞬弱まったのを感じた。

『今や!』

 するり抜け出すと佐藤はガードレールの上に飛び乗った。

「しまった!──」

 ザンパノが我に返るよりも一瞬速いか、佐藤は渾身の力を込めてその『紐』を口でぐいっと引っ張る。蝶結びにされていた紐がほどけ、その瞬間、物凄い勢いで風がゴッとをあおった。

『風』はチャンスとばかりにニヤリと笑う。
《おい野良猫、さっきはよくも『そよ風』だとか言ってくれたな! 『そよ風』かどうか思い知れっ!!──》

 は葬儀の際、ガードレールなどに結びつけられている〈〇〇家・葬儀式場〉と示された立て看板だった。それはまさについさっきまで行く手をこばみ敵対し続けていた『風』と『佐藤』との見事な連係プレーだったといえた。

『──!!!!』

 S区のボス猫ザンパノは頭上を見上げる暇もなく物凄い勢いで倒れてくるの下敷きとなった。

犬山イヌヤマ・葬儀式場]──その立て看板にはそう記されていた。

 かくしてザンパノはシースルーの予言通り『』によってその身をのであった。

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