上 下
1 / 69
○序章 手汗魔王と孤独の森

0-1 『拝啓、手汗がやばいです』

しおりを挟む
「あいつだ。あの餓鬼が噂の『森の魔王』ってやつだぜ」

 どこかから野太い声が聞こえ、アンセルは落胆の息をついた。

 軽装の男が五人ほど、切り株に腰掛けたアンセルへ近づいてくるのがわかる。

「どうして来るの……ボクはもう、誰も殺したくなんてないのに……」

 顔をうなだらせ、悲痛に噛み締めるようにアンセルは呟く。

 彼の足元には、まるで黒い霧が漂っているかのように靄がかかっている。
 取り巻く空気は、質量がそこだけ違うのではないかと思うほどに重たい。

「こいつを殺せば俺たちも一躍有名人だ」
「ほんとにこいつなんですか? どう見てもただの餓鬼っすよ。丸腰だし、着てるのだってただのボロ布の継ぎ接ぎじゃないっすか」

「いいや、間違いねえよ。その強さのあまり、誰も近寄ることはできず、森の奥で独り暮らしているという最強の子供。悪魔のような黒い髪に目。左上腕に刻まれた、悪魔と契約してできたと噂される広い傷跡。間違いないさ。こいつだ」

 男達の先頭に立つ、バンダナを頭に巻いた髭面の男がにやりと笑む。

 おそらく彼が一味の頭領なのだろう。
 そんな中、一人、及び腰になっている男が言う。

「お頭ぁ、大丈夫ですかぁ。こいつに関わると皆殺しにされるって話ですよぉ」
「何言ってやがる。どこからどう見てもただのガキじゃねえか。しかも丸腰の。そんな噂なんてのはな、勝手に尾ひれがついてでかくなるってもんよ」
「そぉっすかねぇ」

「噂で言うなら、この前聞いた『街道を歩いてたら死者にいきなり襲われた』って噂の方が馬鹿馬鹿しくて面白いってもんよ。でもこいつは死人でもなんでもねえ、ただのガキだ。びびるほうが馬鹿だぜ」

 頭領の男が不敵に笑う。
 後ろの子分達に視線で合図を送ると、全員が揃って、腰に提げていた曲刀を構えた。

 頭領の男を中心に、アンセルを囲い込むように男達が広がっていく。

「……来ないで」
「うるせえよ。命乞いか? こんなとこに無防備で座り込んで、お前の不注意さを恨むんだな」

 頭領の合図に、男達が一斉に距離を詰めて斬りかかる。

 だが次の瞬間には、彼らの振りぬいた腕から曲刀が地面へ抜け落ちていった。

 それと同時に、

「うわあああああ」と苦しみに満ちた悲鳴が上がる。

 それは一人だけではなく、アンセルに襲い掛かった全員が同じだった。

 男達の顔が苦痛に歪む。
 アンセルはまったく微動だにせず頭を垂れているばかりなのに、それとは関係がないかのように、男達は勝手に苦しみ始めたのだ。

 彼らの悲鳴が、深く木々の生い茂った薄暗い森に反響する。

「お、お前。何しやがった」

 唯一距離をとっていた頭領が、表情を強張らせて訝しげに問う。

 しかしアンセルの返事は無い。

 やがて苦しむ声を上げていた男達は、アンセルの足元へ平伏すように倒れこみ、魂が抜けたかのごとく息を引き取っていった。

「この野郎。ふざけた真似しやがって!」

 激昂した頭領がアンセルへ詰め寄ろうとする。
 だが間近に近づいた瞬間、心臓が掴まれたような激しい動悸が彼を襲った。

「いったい……なにを……」

 部下の男達と同じように頭領も苦しみ始め、地に膝をつく。
 どうにか悪あがきにアンセルへと手を伸ばすが、その指先は彼に届くことは無く、やがてゆっくりとしな垂れた。 

 森がまた、いつもの静寂を取り戻す。
 風が駆け抜け、葉擦れの音が微かに鳴り、梢から漏れる木漏れ日が揺れる。

 少年はまた、独りになった。

 これで今月は三回目。

 西の森に最強すぎる魔王がいると喧伝されて、売名目的に森にやって来る人間が後を立たない。
 それほどにアンセルの力は強かった。

 だが、アンセルにとってこれは呪いのようでもあった。
 そのあまりに強すぎる力を、アンセル自身がコントロールできていないのだ。

 抑えようとしても体から魔力が溢れ、近づく人間を取り込み無差別に攻撃する。それを防げる者などおらず、いつしかアンセルは、誰も近づけない孤独の王となっていた。

 アンセルには人と触れ合った記憶がない。
 触れようとしたみんなが死んでしまうから。

 唯一口にする言葉も、先ほどのような蛮人の自殺を引き止めるために投げかけているだけだ。

 まるで他者との交流は無く、アンセルは常に独りだった。

 こんな力が無ければよかった。

 誰にも必要とされず、誰にも迷惑をかけないように森に逃げ込み、ひっそりと暮らす毎日。

 毎日が苦痛だった。
 生まれてこなければ良かったと思った。

 誰にも見向きもされず、人知れず命を浪費していくだけだと、アンセルは思っていた。
 ――あの少女が現れるまでは。

   ◇

「やっと見つけたわ」

 凛と、澄んだ声が響いた。

 森を包み込むまどろんだ重たい空気を一変させるかのような、そんな明るい声だった。

 いつの間にか、目の前に女の子がいた。
 膨らみのある茶褐色の髪を後ろにまとめ、育ちのよさそうな綺麗な洋服を纏った少女。

 そんな彼女が、足を迷わせず歩いてくる。

「……来ないで」

 アンセルの声に聞く耳持たず、少女は近寄って腕を伸ばしてくる。

 また殺してしまう。
 また独りぼっちになってしまう。

 せめてその光景を見ないように、アンセルが顔を俯かせたときだった。

 がっしり、腕を握られた。
 かと思えば、今度は手をぐっと掴まれる。

 驚き、アンセルは咄嗟に顔を持ち上げた。

「な、なんでっ?!」
「貴方、ちょっと来てもらうわよ」
「ええっ?!」

 引っ張られ、無理やり立たされた。
 あまりに急なことに、アンセルはただ呆けてしまっていた。

 少女の切れ長の目には、素っ頓狂に顔を歪ませた顔が映っていることだろう。

「なんですかあなたは」
「ちょっと用事があるのよ」
「誰なんですか。というか、なんで無事なんですか」
「無事って何よ」

「だって、ボクの周りには誰でも殺しちゃうオーラが――」
「なによ、それ?」

 首をかしげる少女に、アンセルは気づいた。

「……あれ?」

 自分の身体から漏れ出る魔力が消えている。
 近づく人を無差別に蝕むオーラがなくなっている。

 現に、少女はなんの苦しむ様子も見せていない。

「あれ? あれれ?」

 どういうことだ。
 こんなことは初めてだ。

 いや、なにより初めてなのは――。

「ちょっと、どうしたのよ」
「ひゃあっ?!」

 手を握ったまま、少女はアンセルの顔を覗きこんでくる。
 綺麗な瑠璃色の瞳が、吐息がかかるほどの距離にまで近づいた。

 指先には少女の体温。
 そして、細くてすべすべ滑らかな肌の感触。

 そう、アンセルは、こんな間近で女の子に触れるのは初めてだった。

 顔が赤くなる。
 鼻息が荒くなる。
 ずずっと吸い込むたび、華やかないい香りが鼻腔を満たしてきた。

 なんだこれ。なんだこれ。

 良い匂いするし、指の腹は柔らかいし。
 声も綺麗で落ち着くし、風になびく髪は綺麗だし。

 それに、それに――。

 これが……女の子!

「ねえ、貴方」
「は、はいっ!」

 びくりと身体を震わせて、アンセルは大袈裟に返事をする。

 そんな彼に少女は落ち着いた声で言った。

「貴方……手汗、すごいわよ」と。

「うわぁ?! す、すみません!」

 指摘され、本当に汗でべとべとになった手を思わず離してしまった。

 途端、アンセルの周囲が黒い靄に包まれ始める。
 消えていたはずの、無差別に襲い掛かる殺傷のオーラだ。

 まずい。
 今度こそこの子を殺してしまう。

 そう息を呑んだアンセルだが、しかし目の前の少女はけろりとした顔で立ち尽くし、アンセルの顔を不思議そうに眺めていた。

「何よいったい……まあいいわ」

 また少女がアンセルの手を握る。

 べちゃり。水音。

 なんとも格好の付かない握手みたいだ。
 だが、戻り始めていたアンセルを取り巻く靄がまた消え失せる。

「ちょっと来て欲しいところがあるのよ」
「え、ボクに?」
「そう。貴方に」

「……ボクを殺しに来る人以外を見るのなんて初めてだよ」
「随分と物騒ね。手汗がひどいからかしら」
「違うよ! というか、こんなに汗が出るなんてボクも思わなかったよ」

 また少女と手を繋いでると思うと、手元を意識して、またじんわりと汗が出てしまう。

「それで、来てくれるの?」
「いきなり言われても」
「というより、イヤでも来てもらうわ」
「……拒否権は無しなんだ」

 ずっと少女の調子にばかり乗せられているようで、アンセルは苦笑しつつも、まんざらでもない気分だった。

 誰かに必要とされている。
 天涯孤独だったアンセルにとって、それは初めての経験だったから。

「わかったよ」
「決まりね。それじゃあとりあえず――」
「とりあえず?」

 なんだろう。
 彼女は何を言いだすのだろう。
 初めてのことばかりで知らずと心がわくわくする。

 握り締めた手を少女が掲げる。
 にっと口許が緩むのが見えた。

「手を洗いに行きましょうか」
「あ……はい。すみません」

 なんかほんと、手汗ひどくてすみません。

 ――これが、大陸最強と呼ばれる『森の魔王』の少年と、この国の行く末を握る少女との、運命的で、だらしない出会いだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

こちら異世界交流温泉旅館 ~日本のお宿で異種族なんでもおもてなし!~

矢立まほろ
ファンタジー
※6月8日に最終話掲載予定です!  よろしければ、今後の参考に一言でも感想をいただければ嬉しいです。  次回作も同日に連載開始いたします! 高校生の俺――高野春聡(こうのはるさと)は、バイトで両親がやってる旅館の手伝いをしている。温泉もあって美味い料理もあって、夢のような職場……かと思いきや、そこは異世界人ばかりがやって来る宿だった! どうやら数年前。裏山に異世界との扉が開いてしまって、それ以降、政府が管理する異世界交流旅館となっているらしい。 やって来るのはゴーレムやリザードマン。 更には羽の生えた天族や耳長のエルフまで?! 果たして彼らに俺たちの世界の常識が通じるのか? 日本の温泉旅館のもてなしを気に入ってくれるもらえるのか? 奇妙な異文化交流に巻き込まれて汗水流して働く中、生意気な幼女にまで絡まれて、俺のバイト生活はどんどん大変なことに……。 異世界人おもてなし繁盛記、ここに始まる――。

【完結】平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています

空月
ファンタジー
この世界には『善い魔法使い』と『悪い魔法使い』がいる。 『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。 「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」 「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」 そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。 ◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

無能と追放されたおっさん、ハズレスキルゲームプレイヤーで世界最強になった上、王女様や聖女様にグイグイ迫られる。え?追放したの誰?知らんがな

島風
ファンタジー
万年Cランクのおっさんは機嫌が悪かったリーダーからついにパーティーを追放される。 金も食べ物も力もなく、またクビかと人生の落伍者であることを痛感したとき。 「ゲームが始まりました。先ずは初心者限定ガチャを引いてください」 おっさんは正体不明だったハズレ固有スキル【ゲームプレイヤー】に気づく。 それはこの世界の仕様を見ることができるチートスキルだった。 試しにウィキに従ってみると、伝説級の武器があっさりと手に入ってしまい――。 「今まで俺だけが知らなかったのか!」 装備やスキルの入手も、ガチャや課金で取り放題。 街の人や仲間たちは「おっさん、すげぇ!」と褒めるが、おっさんはみんなの『勘違い』に苦笑を隠せない。 何故かトラブルに巻き込まれて美少女の王女や聖女に好意を寄せられ、グイグイと迫られる。 一方おっさんを追放したパーティはおっさんの善行により勝手に落ちぶれていく。 おっさんの、ゆるーいほのぼのテンプレ成り上がりストーリー。

イラついた俺は強奪スキルで神からスキルを奪うことにしました。神の力で最強に・・・(旧:学園最強に・・・)

こたろう文庫
ファンタジー
カクヨムにて日間・週間共に総合ランキング1位! 死神が間違えたせいで俺は死んだらしい。俺にそう説明する神は何かと俺をイラつかせる。異世界に転生させるからスキルを選ぶように言われたので、神にイラついていた俺は1回しか使えない強奪スキルを神相手に使ってやった。 閑散とした村に子供として転生した為、強奪したスキルのチート度合いがわからず、学校に入学後も無自覚のまま周りを振り回す僕の話 2作目になります。 まだ読まれてない方はこちらもよろしくおねがいします。 「クラス転移から逃げ出したイジメられっ子、女神に頼まれ渋々異世界転移するが職業[逃亡者]が無能だと処刑される」

おいでませ あやかし旅館! ~素人の俺が妖怪仲居少女の監督役?!~

矢立まほろ
ファンタジー
 傷心旅行として山奥の旅館を訪れた俺――冴島悠斗(さえじまゆうと)。  のんびり温泉につかって失恋の傷を治そう……と思っていたはずが、そこは普通の旅館ではなかった?!  俺の目の前に現れたのは、雪女や化け狸など、妖怪の幼い仲居少女たちだった!  どうやらこの旅館は妖怪ばかりらしい。  そんな奇妙な旅館に迷い込んでしまった俺は、どういうわけか、半人前な仲居少女たちの指導役に任命されてしまう。  お転婆だったり、寡黙だったり、はたまた男の娘まで?!  まだまだ未熟な彼女達を、果たして俺は一人前に育て上げることができるのだろうか。  妖怪の少女達と、心に傷を負った青年の『ハートフル旅館逗留ストーリー』  彼女達ともども、皆様のお越しをお待ちしております。

7個のチート能力は貰いますが、6個は別に必要ありません

ひむよ
ファンタジー
「お詫びとしてどんな力でも与えてやろう」 目が覚めると目の前のおっさんにいきなりそんな言葉をかけられた藤城 皐月。 この言葉の意味を説明され、結果皐月は7個の能力を手に入れた。 だが、皐月にとってはこの内6個はおまけに過ぎない。皐月にとって最も必要なのは自分で考えたスキルだけだ。 だが、皐月は貰えるものはもらうという精神一応7個貰った。 そんな皐月が異世界を安全に楽しむ物語。 人気ランキング2位に載っていました。 hotランキング1位に載っていました。 ありがとうございます。

クラス転移したひきこもり、僕だけシステムがゲームと同じなんですが・・・ログアウトしたら地球に帰れるみたいです

こたろう文庫
ファンタジー
学校をズル休みしてオンラインゲームをプレイするクオンこと斉藤悠人は、登校していなかったのにも関わらずクラス転移させられた。 異世界に来たはずなのに、ステータス画面はさっきやっていたゲームそのもので…。

処理中です...