上 下
22 / 53

 -7 『救出劇』

しおりを挟む
 一転して竜馬の許可をくれたジュノスによって、急遽即席の馬車が二台用意された。

 竜馬を二頭ずつ繋ぎ、黒い竜馬のいる馬車の御者席には私とロロ、もう一つにはジュノスが腰掛ける。

 渋った素振りを見せていた割にはジュノスの随分と乗り気で、あまりにも早く準備をすませていた。まるで最初から行くつもりだったかのように。

「よし、準備はできた。この子らは脚はあるし頑丈じゃ。馬では怯えてしまう野獣にも怯みはせんじゃろう。しかし喧嘩はそれほど強くはない。野獣が更に増えれば大変じゃな」
「あ、あのっ」

 屋根付きの荷台にいたフェスが顔を覗かせていった。

「旅館に寄ってもらえませんか」

 突然フェスがそう言いだした。

 いったいどうしたのだろうと思いながらも、言われたとおり旅館へと立ち寄り、私達は準備を万全にしてから森へと向かった。

「襲われたおおよその場所はわかっておる。急ぐぞい」

 ジュノスの手綱を握る手に力が入る。
 私達も、置いて行かれないように懸命に後を追った。

 竜馬の走りはまさに風を切るかのようだった。

 多少の悪路もかまわず駆け抜ける。瞬く間に目の前の光景が移り変わり、鳥のように空を飛んでいるみたいだった。これでがたがたと激しく揺れさえしなければ夢心地の乗り物なのだが。

 私とロロの後ろの荷台からも、幕の裏から居心地悪そうな声が漏れ聞こえてくる。

「もっと道を整地する必要がありそうね」

 そんなことを考えながら、私達はひたすらに街道を突き進んでいった。

 木々をかき分けて伸びるその道を一時間ほど走ると、草木の禿げた広い窪みにたどり着いた。

「いたぞい」

 前を走っていたジュノスがそう叫ぶ。

 身を乗り出して見てみると、その窪みの手前に脱輪して動けなくなった馬車があった。綱がちぎれたのか、ひいていたはずの馬はどこにも見あたらない。

 そしてそれを障害物とするように隠れて固まっている、八人ほどの商人の姿を見つけた。

 彼らはやって来た私達に気づき、浮かない表情を一転して明るませたが、しかしその壊れた馬車の陰からは出ようとしない。

「ほれ、どうした。乗らんか!」

 彼らの目の前に竜馬をとめたジュノスがそう急かすが、行商人たちは一様に首を振った。

「馬鹿者。そんな大声を出して。奴らがいるんだぞ」

 そんな商人の怯えきった声に呼応するかのように、周囲の茂みがわさわさと揺れる。

 もしかするといなくなってるかもと思ったけれど、やはりそういう訳にはいかないらしい。

 生い茂る草の合間から顔を出したのは、鋭い牙を剥き出しにした灰色の狼だった。驚くことにその体躯は普通の犬の数倍はあり、人間でも簡単に押し倒されそうなほどだ。ぐるる、と唸って威嚇をしながら歩み寄ってくる様子から、その獰猛さが計りしれる。

 そんな巨大な野獣が、しかも他に数頭群れていた。その内の一頭は一際体が大きく、目許に傷が入っている。おそらくこの群れのボスなのだろう。

 私達を囲むように野獣たちは広がり、こちらの様子を窺い見ていた。

 突然であって驚いている、という風ではない。その鋭く赤い瞳は明らかに捕食者の目だ。

「これは気の小さい馬じゃ無理ね」

 すぐに逃げてしまうだろう。

 しかしこちらには竜馬がいる。

 私達をつれてきてくれた竜馬、特にロロに懐いている黒い竜馬は、低い声を唸らせて野獣達を強気ににらみ返していた。

「も、もう無理だ。せっかく隠れていたのにお前達のせいでまた見つかってしまった」

 行商人がうろたえる。
 だが狼なんて鼻が良いものだ。どうせ既に見つかっていたに違いない。しかし警戒心も強い。用心を重ねて自分から出てくるのを待っていたのだろう。

 獣のくせに頭が切れる。おまけに腕っ節も強い。
 行商人達が誤魔化して凌ぎきれるほど甘くはなさそうだ。

 しかしそれでも、「せ、せっかく来てくれたのに、お前達じゃ敵いっこねえ。また野獣をつれてきただけじゃねえか」と野次まで受ける始末。

「確かに私達人間じゃ無理ね」

 ふっ、と私は微笑を浮かべた。
 行商人達が不思議そうに小首を傾げる。その直後、

「行きますですよ!」

 勇ましさのある甲高い少女の声とともに、馬車の荷台の天幕が開く。途端、獣耳をひっさげた獣人の少女――フェスが飛び出した。

 いや、彼女だけじゃない。

 それに続いて一人、また一人と、天幕の中からがたいの良い獣人達が現れた。各々に手斧や鉈などを持ち、勇ましい声をあげながら野獣の前へと躍り出る。

 彼らは私がよく見知った顔ぶれだ。

 出発前、フェスが旅館に立ち寄らせた時、彼女が連れてきた旅館の従業員達だった。板前や清掃員など。旅館にいた、手の空いている力自慢達をこぞって集めていた。

 正直、それをフェスが最初に提案した時、私は反対的だった。
 野獣は凶暴な生き物だ。獣人は腕っ節も強いとはいえ、決して簡単に勝てる相手ではない。

 そんな危険を冒してまで彼らが手伝ってくれるかと不安だった。

 だがフェスが声をかけに戻ってすぐ、獣人達は意気揚々と駆けつけてきたのだった。

「俺達もあんたには良くしてもらったからな。仕事をなくしていた俺達を拾ってくれた女将さんの旅館を守りたい気持ちは、俺達にだってある。そのためともなれば、恩を返すために一肌脱ぐさ」

 そう言う板前の獣人を筆頭に、彼らは躊躇うことなく私達の前に立ちはだかってくれていた。

 フェスも、小柄な少女ながらも片手にデッキブラシを持って精悍に構える。

「ずっと、何かできないかと考えてたんです。宿舎を綺麗にしてくださいましたし、最近はお客様も増えて、すっごくお仕事が楽しくて。全部、シェリーさんが来てくれたから思ったことです。でも、頭が良くない私達にはできることがかぎられてます」

 普段はたどたどしいフェスが、そう強く意気込んで言う様子に驚かされた。

 確かに獣人は考えることが人間より苦手だ。そんな彼女が精一杯考えた私へのお礼なのだろう。

「ありがとう、フェス。私達を守ってちょうだい」
「了解なのです!」

 フェスや獣人達が全面に立ちふさがり、野獣達との間に壁を作る。野獣が近づこうとすれば、体躯の大きい獣人が持ち前の腕力で手斧などを振るって追い払う。

 しかし狼達も、決してひたすら襲いかかってくるほど馬鹿ではない。隙あらば茂みに隠れ、回り込んで後ろの無防備な行商人達を狙おうとする。

 それを身軽なフェスや細身の獣人達が駆け回り、近づけないように牽制をする。

「今よ、馬車に乗って!」

 獣人達の献身を無駄にしないよう、私とロロは物陰の行商人達を乗せようとする。しかし彼らの足はあまり動こうとしない。

「どうしたの」と私がそこまで言ったところで、彼らの視線が壊れた荷車の方へと向けられていることにロロは気づいた。

「商品だ」
「捨ておけない、ってことね」

 嘆息が漏れそうになるのをこらえて、私はしばし逡巡した。

 時間はない。
 獣人達が今は野獣を引き留めてくれているが、それもどれだけ保つかわからない。一つ間違えれば彼らでも腕を噛みちぎられ、命を落としかねないのだ。

 しかし商品は行商人にとって財産。安易に手放せないのも理解はできる。

「どうしよう」

 ロロが焦りの顔を浮かべて問いかけてくる。

 私が尋ねたいくらいだ。

 どうすればいい?
 どうすればうまくいく?

 ふと、ジュノスと目があった。彼の口許がふっと持ち上がる。
 
「商売は強情と温情じゃ」

 突然何を言い出すのかと思ったが、しかし私はすぐにはっと気づかされた。

「無茶をしてでも得をとれ。そういうことね」
「どうしたの、シェリー」
「ロロ。あの積み荷も乗せられるだけ乗せて戻るわ。回収するわよ」
「ええっ?! わ、わかったよ」

 竜馬を移動させ、壊れた馬車の荷車へとくっつける。

 行商人達にとって商売品は命と同じほどに重い。それを守ってあげれば、彼らに一つ恩を売れる。せっぱ詰まった状況でも強欲に。そしてそれは行商人達の情を揺さぶり、私達に良いことがあるかもしれない。

 情けは人のためならず、ってね。

「これを積むわ。貴方達も手伝ってちょうだい」
「ほ、本当か」
「急いでいるの。さっさとして」
「わかった」

 ようやく行商人達の重い腰も持ち上がり、大急ぎで積み荷の入れ替え作業が始まった。

 私も一緒に降りて手伝う。

 積まれていたのは香辛料や日持ちのする肉などの乾物、綿、服飾品などと多岐に渡っていた。

 それらの入った箱などを受け取り、竜馬の荷台で待ちかまえているロロに渡していく。

 そんな私にまで野獣が茂みの中から襲いかかろうと飛び出してきた。

「きゃっ」と悲鳴を漏らしてしまう。

 襲いかかる狼の鋭い歯牙。
 駄目だ、と思ったその間際、フェスが咄嗟に庇って追い払った。

「だ、大丈夫ですか」
「ありがとう、フェス」

 本当に命が救われた思いだ。

「あとでいっぱい褒めてくださいね!」
「いっぱい撫でてあげるわ」
「ひゃひ! やったです!」

 より一層の気合いを入れてブラシを振り回すフェスを頼もしく思いながら、私は行商人の積み荷をなるべく残さず移し替えていった。

 突然の昼下がりに起こった救出劇。
 そこにいる誰もが必死になって、行商人達を助けようと躍動していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

今日は私の結婚式

豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。 彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

私をもう愛していないなら。

水垣するめ
恋愛
 その衝撃的な場面を見たのは、何気ない日の夕方だった。  空は赤く染まって、街の建物を照らしていた。  私は実家の伯爵家からの呼び出しを受けて、その帰路についている時だった。  街中を、私の夫であるアイクが歩いていた。  見知った女性と一緒に。  私の友人である、男爵家ジェーン・バーカーと。 「え?」  思わず私は声をあげた。  なぜ二人が一緒に歩いているのだろう。  二人に接点は無いはずだ。  会ったのだって、私がジェーンをお茶会で家に呼んだ時に、一度顔を合わせただけだ。  それが、何故?  ジェーンと歩くアイクは、どこかいつもよりも楽しげな表情を浮かべてながら、ジェーンと言葉を交わしていた。  結婚してから一年経って、次第に見なくなった顔だ。  私の胸の内に不安が湧いてくる。 (駄目よ。簡単に夫を疑うなんて。きっと二人はいつの間にか友人になっただけ──)  その瞬間。  二人は手を繋いで。  キスをした。 「──」  言葉にならない声が漏れた。  胸の中の不安は確かな形となって、目の前に現れた。  ──アイクは浮気していた。

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...