上 下
44 / 44
○エピローグ

 ただいまの一歩

しおりを挟む
「うふふ。悠斗さん、大人気ですねえ」
「お、女将さんいつの間に。見てたんですか」
「ええ、しっかり」

 知らぬ間に傍にやって来ていた女将さんは、二人のじゃれつきを至福そうに眺めていた。

 しかしふと俺を睨むように横目で見る。

「ただ、ウチの娘たちに不用意に手を出したらどうなるか……覚悟しておいてくださいね」

 たまらず冷や汗が流れるほどの凄みのある声だった。

「い、いやあ。まだまだあの子たちは子どもですし。俺は女将さんみたいな美人で優しい人の方が……」
「あら」

 方便のつもりの――いや半分本気だけれど――俺の言葉に女将さんの頬が緩む。

「そんなことを言っていると、私だって本気にしてしまいますよ」

 彼女は弾んだ声でそう言うと、妖艶な表情を浮かべていたずらに微笑んだ。

 その色っぽさに思わず心がどきりと騒ぐ。

 そんな俺の動揺を知ってか知らずか、女将さんはまた可愛らしく色めいて笑い、踵を返して去っていってしまったのだった。

 入れ替わりにサチが戻ってくる。
 ナユキはまだ頬を引っ張られたままで「ひはい」と声を漏らしながら涙目になっている。

「せんせー。おかーさんと何を話してたの」
「え……ああ、いや。なんでも」

「せんせーのこれからのこととか?」
「これから?」
「うん、これから」

 そういえば考えてもいなかった。

 ここには現実逃避でやって来たのだが、もう逃げるものもない。
 今日にでも一人暮らしのアパートに帰ることだってできるし、大学だってある。

「どうするか、か」

 悩んではみたものの、これといった展望は見当たらなかった。

 差し詰まって焦るような人生でもない。
 余生を悩むにはまだ何十年も早いだろう。

「もう少しここで、ちょっと考えてみるよ」と俺は気楽に言った。

「ここからが新しいスタート地点なんだから。どっちに進むか、どうやって進むか、もうちょっと考えてからでも遅くないかなって」

「うん、そうだね。もしせんせーがまた外に行くことになっても、イヤなことがあったらすぐ帰ってこればいいよ。サチたちはいつでも大歓迎だから。しゅう……えっと、なんだっけ。しゅうしんめいよこもん、っていうやつだから」
「なんだよ、それ」

 意味のわからなさに笑えてくる。
 ああ、これもサチの座敷童子の力なのか。

 いや、ただ単に彼女の明るさのおかげだろう。
 生まれ持った能力でもなんでもない、彼女自身の力だ。

「戻ってきた時まで俺の指導が必要なんじゃ駄目だろ。女将さんのためにも、見違えるほどに立派になってくれていないとな」

「まっかせてよ」
「うーん不安だな」
「ひどーい、不安なんてないもん! えへへ」

 怒り半分、笑み半分。
 どうしても笑顔は表情から抜けきらないらしい。

 怒った事もすぐに笑い飛ばす彼女を見て、俺も負けないくらいの笑顔を返してやった。

 ああ、そうさ。不安なんてない。

 またこの先、くだらないことで落ち込むかもしれない。失敗するかもしれない。

 けれども、その度にこの旅館のことを思い出すだろう。そうして新しい出発点を探すのだ。

 それはきっと、気づきさえすれば簡単なこと。

 自分が向いている方向が前なのだから、常に前にさえ進んでいれば、たとえどんな方向に行ってしまってもそれはもう前向きな自分なのだ。

 ここは、そんな簡単なことに気付かせてくれる場所。

 だから不安はない。

「よし。サチ、接客の練習だ」
「ええ、いきなりー?」
「俺を客だと思って。散歩から戻ってきた体で挨拶してみろ。ほら、起立」

 俺の合図に、サチがびしっと姿勢を正して直立する。少しわざとらしすぎるがまあいいだろう。

 前に出たサチが俺に深々と礼をする。
 そんなサチの姿を目に焼き付けるように俺は眺める。

「お帰りなさーい、お客さまー」

 どんな未来を選んでも。
 たとえこの旅館を出て普通の生活に戻ることになっても。

 きっとまた俺は戻ってくるだろう。
 その言葉を聞きに、この旅館へ。

 そして目一杯こう言ってやるんだ。

「ただいま」と――。


     完
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

男子中学生から女子校生になった僕

大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。 普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。 強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

こちら異世界交流温泉旅館 ~日本のお宿で異種族なんでもおもてなし!~

矢立まほろ
ファンタジー
※6月8日に最終話掲載予定です!  よろしければ、今後の参考に一言でも感想をいただければ嬉しいです。  次回作も同日に連載開始いたします! 高校生の俺――高野春聡(こうのはるさと)は、バイトで両親がやってる旅館の手伝いをしている。温泉もあって美味い料理もあって、夢のような職場……かと思いきや、そこは異世界人ばかりがやって来る宿だった! どうやら数年前。裏山に異世界との扉が開いてしまって、それ以降、政府が管理する異世界交流旅館となっているらしい。 やって来るのはゴーレムやリザードマン。 更には羽の生えた天族や耳長のエルフまで?! 果たして彼らに俺たちの世界の常識が通じるのか? 日本の温泉旅館のもてなしを気に入ってくれるもらえるのか? 奇妙な異文化交流に巻き込まれて汗水流して働く中、生意気な幼女にまで絡まれて、俺のバイト生活はどんどん大変なことに……。 異世界人おもてなし繁盛記、ここに始まる――。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?

みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。 なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。 身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。 一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。 ……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ? ※他サイトでも掲載しています。 ※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。

18禁NTR鬱ゲーの裏ボス最強悪役貴族に転生したのでスローライフを楽しんでいたら、ヒロイン達が奴隷としてやって来たので幸せにすることにした

田中又雄
ファンタジー
『異世界少女を歪ませたい』はエロゲー+MMORPGの要素も入った神ゲーであった。 しかし、NTR鬱ゲーであるためENDはいつも目を覆いたくなるものばかりであった。 そんなある日、裏ボスの悪役貴族として転生したわけだが...俺は悪役貴族として動く気はない。 そう思っていたのに、そこに奴隷として現れたのは今作のヒロイン達。 なので、酷い目にあってきた彼女達を精一杯愛し、幸せなトゥルーエンドに導くことに決めた。 あらすじを読んでいただきありがとうございます。 併せて、本作品についてはYouTubeで動画を投稿しております。 より、作品に没入できるようつくっているものですので、よければ見ていただければ幸いです!

王都から追放されて、貴族学院の落ちこぼれ美少女たちを教育することになりました。

スタジオ.T
ファンタジー
☆毎日更新中☆  護衛任務の際に持ち場を離れて、仲間の救出を優先した王都兵団のダンテ(主人公)。  依頼人を危険に晒したとして、軍事裁判にかけられたダンテは、なぜか貴族学校の教員の職を任じられる。  疑問に思いながらも学校に到着したダンテを待っていたのは、五人の問題児たち。彼らを卒業させなければ、牢獄行きという崖っぷちの状況の中で、さまざまなトラブルが彼を襲う。  学園魔導ハイファンタジー。 ◆◆◆ 登場人物紹介 ダンテ・・・貴族学校の落ちこぼれ『ナッツ』クラスの担任。元王都兵団で、小隊長として様々な戦場を戦ってきた。戦闘経験は豊富だが、当然教員でもなければ、貴族でもない。何かと苦労が多い。 リリア・フラガラッハ・・・ナッツクラスの生徒。父親は剣聖として名高い人物であり、剣技における才能はピカイチ。しかし本人は重度の『戦闘恐怖症』で、実技試験を突破できずに落ちこぼれクラスに落とされる。 マキネス・サイレウス・・・ナッツクラスの生徒。治療魔導師の家系だが、触手の召喚しかできない。練習で校舎を破壊してしまう問題児。ダンテに好意を寄せている。 ミミ・・・ナッツクラスの生徒。猫耳の亜人。本来、貴族学校に亜人は入ることはできないが、アイリッシュ卿の特別措置により入学した。運動能力と魔法薬に関する知識が素晴らしい反面、学科科目が壊滅的。語尾は『ニャ』。 シオン・ルブラン・・・ナッツクラスの生徒。金髪ツインテールのムードメーカー。いつもおしゃれな服を着ている。特筆した魔導はないが、頭の回転も早く、学力も並以上。素行不良によりナッツクラスに落とされた。 イムドレッド・ブラッド・・・ナッツクラスの生徒。暗殺者の家系で、上級生に暴力を振るってクラスを落とされた問題児。現在不登校。シオンの幼馴染。 フジバナ・カイ・・・ダンテの元部下。ダンテのことを慕っており、窮地に陥った彼を助けにアカデミアまでやって来る。真面目な性格だが、若干天然なところがある。 アイリッシュ卿・・・行政司法機関「賢老院」のメンバーの一人。ダンテを牢獄送りから救い、代わりにナッツクラスの担任に任命した張本人。切れ者と恐れられるが、基本的には優しい老婦人。 バーンズ卿・・・何かとダンテを陥れようとする「賢老院」のメンバーの一人。ダンテが命令違反をしたことを根に持っており、どうにか牢獄送りにしてやろうと画策している。長年の不養生で、メタボ真っ盛り。 ブラム・バーンズ・・・最高位のパラディンクラスの生徒。リリアたちと同学年で、バーンズ家の嫡子。ナッツクラスのことを下に見ており、自分が絶対的な強者でないと気が済まない。いつも部下とファンの女子生徒を引き連れている。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

処理中です...