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○4章 守りたい場所
-20『サチ』
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翌朝。
ボインは強面たちの荷物を持ち、たった一人で車に乗って帰っていった。
「こんな心霊スポット、頼まれたって二度と来るもんか」と吐き捨てながら帰っていく彼女の背中を、女将さんと仲居一同が丁重にお見送りをした。
「こんなに清々しい気持ちで見送ったのは初めてだ」とクウが額を拭う。
女将さんが叱咤したが、クウは、いやサチとナユキもへらへらと嬉しそうに笑っていた。成長したとはいえ、子どもらしさはまだまだ存分に残っているようだ。
「これで一件落着ですけど、減った分、お客様を増やさないと駄目ですね」
と、ちょうど俺が言った時だった。
「冴島くん、おはよう!」
とても威勢のいい声が俺を呼んだ。
何事かと振り返る。
そこには浴衣と下駄で外に出てきた会長の姿があった。後ろにはサークル会員たちが何人か続いている。
まだ朝食の時間には早いくらいの時間だ。それなのにどうしたのだろうか。
「おはようございます会長。どうしたんですか、こんな時間に」
「いやあ、急に目が覚めてしまってね。そうしたら他の子たちも同じ部屋でみんな眠ってて。どうにも狐に化かされたような奇妙さに頭が冴えてしまったんだよ」
「みんな疲れちゃってそのまま寝ちゃったんじゃないですか」
「実は昨夜のことを私もよく覚えていなくてね。急に眠たくなったかと思えばいつの間にか朝になっていたんだ。気付けば布団も用意されているし。どうして部屋じゃなくて大広間で寝ることになったのかまったくわからないのだけれど」
「あー……みんなお酒も入っていましたし、それで記憶が曖昧なのかもですね」
「やはりそうなのだろうか。いやしかし、これも昨夜の珍事に関係ある可能性が」
ぎくり、と背筋に冷や汗が流れる。
「みんなこぞって同じ事を言うんだ。奇妙な物を見た、とね。かくいう私もその一人さ。けれども私も含めてみんな具体的には覚えていないんだよ。昨晩、いったい何を見たのかを」
「じゃ、じゃあ。もしかすると、みんなが一斉に寝ちゃって、たまたまみんな同じ夢を見てしまってた、とか」
「集団催眠のようにかい? まあ、それも否定する根拠がない以上は否定しきれないが」
それでも納得がいかないと、腑に落ちない表情で会長は首を傾げていた。
「本当に、こんな奇怪な経験は初めてだ。これはとんだ訳あり旅館だよ」
会長が顔を伏せて深く息をつく。
表情が読み取れず、数瞬の間に恐さを覚えた。
もしかして怒っているだろうか、などと一抹の不安すら込み上げてくる。だが会長はすぐに顔を持ち上げ、恍惚に表情を輝かせた。
そして溌剌な声で一声。
「すばらしい!」
そう叫んだ。
予想外すぎて、俺は「へ?」と素っ頓狂な声を返してしまっていた。
「こんな体験は初めてだ。意識がはっきりとした今でも、あの不思議な感覚が夢だったのか、それとも現実なのかと考えてしまう。本当に、生まれて始めての体験だよ。確かに私は奇妙なものを見たのだ。だが、それがわからない。夢の中の出来事のわりには現実感がありすぎて、けれどもリアルと見るには現実感がなさすぎる。ああ、いったい昨日の夜に何が起こったのか。どうして我々は宴の途中で全員眠ってしまったのか。この謎を解き明かすことこそ、都市伝説を究明するよりもずっと崇高な活動内容に成りえると思うのだよ。キミも、そうは思わないかい」
「は、はあ」
昨日の一件を悪い夢として獏に食べられ、忘れている会員も少なくない。
ほとんど記憶がなくなり、酒盛りで羽目を外しすぎて記憶がないと思い込んでいる。だが会長は薄っすらと覚えているようだ。
オカルト好きの会長ならこの旅館に興味を持ってくれるかもしれない、と淡い期待はあった。だが、その予想以上に好意的に受け止めてくれているようだ。
一石二鳥とはまさにこのことだろう。
「だから、ぜひともまたこの旅館に来させてもらいたいよ」
「おー。じゃあ、おねーちゃんもまた来てくれるのー?」
饒舌に語る会長に、サチが和気藹々と駆け寄る。
「おいこら、サチ。会長はお客様だぞ」と俺が口を尖らせるが、会長は微笑を浮かべてサチをあやした。
「かまわないよ。もしよければまた来たいものさ。超常現象を自ら体験した旅館など、ネットの都市伝説よりずっと興味深い。こんな可愛らしいお嬢さんが出迎えてくれるというのも一興だしね。いい旅館を見つけられたようだ」
「わーい。お客さんが増えるー」
「はははっ。キミは素直だね」
両手を上げて笑いながら喜ぶサチに、会長も調子を合わせて声尻を弾ませた。
せっかく女将さんのために立派な仲居になると言っていたのに、これでは台無しだ。監督役を仰せつかった俺には目を覆いたくなるような光景である。
「会長。ありがとうございました」
俺は改めて会長に向き直り、深々と頭を下げた。
どうしたんだ、と会長は困惑している様子だった。
それは仕方がないだろう。
だが、これは俺自身へのけじめのようなものだから、どうしても会長を前に言いたかった。
ここに宿泊しに来てくれて。
いや、それだけじゃない。俺を振ってくれて――というのはおかしいけれど、彼女に振られたから、俺はいまこの旅館にいる。
その出会いをくれて。
クウや、ナユキや、サチや、女将さん、クウの両親。
いろんな人に出会った。些細な巡り会わせなのかもしれないが、それのおかげで俺は少し変われたように思う。
逃げた先の場所が、俺にとっての新しいスタートラインになったのだ。
逃げではない一歩を踏み出せたこの場所が、とても大好きになったのだ。
だから、ここに連れてきてくれたことへの感謝を。
ひとりよがりな感謝を、心から吐き出したかった。
「そうか」
訝しげな顔をしたまま、けれども会長はにんまりと笑みに変える。
「よくはわからないが、キミがこの旅館を大切に思っているということはわかったよ。好きなものには熱心になれる。それはオカルトだってなんだって同じことさ。そのひたむきさがオカルトに向いていたら、きっとキミへの返事も変わっていたのだろうね」
どうやらオカルトに興味がなかったことはばれていたらしい。
もしかしたら先輩と、なんて甘くて淡い希望。
きっと少し前の俺ならばそれを悔しがっていたことだろう。
だが、もうそんなものは必要ない。
そうなんですかね、と俺は笑い飛ばした。
「あははははは」と何故かサチにまで大笑いされた。
少しむかついたので小突いてやると、ハリセンボンのように頬を膨らませた。
サチの相手を会長に任せ、俺は女将さんにこっそりと尋ねる。
「そういえば女将さんは、サチが何の妖怪か知っているんですか」
「ええ、知っていますよ」
女将さんはくすくす微笑を漏らすと、しばらくぶりに見るような満面の笑みで頷いた。
「なんなんですか」
「あの子の正体はですね。見る人に幸せをもたらす者、幸せを運んでくる者――」
女将さんが優しい眼差しでサチを見やる。
会長と元気よく戯れるサチの周りには笑顔ばかりが咲いている。
思えばサチは、どんな時だって笑っていたような気がする。まるでこちらまで一緒に笑わせようと誘ってくるような、そんな不思議な明るさが彼女にはあった。
「住み着いた場所に幸福を招く妖怪。彼女は、座敷童子なんです」
そう言うと女将さんは、はしゃいでいるサチに歩み寄っていった。
「お客様に失礼をしちゃ駄目よ」となだめる。
そんな女将さんの横顔は晴れやかに微笑んでいて、それを見守る周りの人たちも一様に笑い声を上げて眺めていた。
なるほど。座敷童子か。
自然と合点がいく。
この旅館に住み着き、みんなを幸せにする。
それがサチの妖怪としての力。
現に今、サチの傍にいる誰しもが笑顔を浮かべている。
クウも、ナユキも、それに女将さんや会長たちも。
そして――。
「妖怪ってすごいな」
サチの強い力がもたらした光景を眼前に広げ、俺も、釣られるように笑顔をこぼした。
ボインは強面たちの荷物を持ち、たった一人で車に乗って帰っていった。
「こんな心霊スポット、頼まれたって二度と来るもんか」と吐き捨てながら帰っていく彼女の背中を、女将さんと仲居一同が丁重にお見送りをした。
「こんなに清々しい気持ちで見送ったのは初めてだ」とクウが額を拭う。
女将さんが叱咤したが、クウは、いやサチとナユキもへらへらと嬉しそうに笑っていた。成長したとはいえ、子どもらしさはまだまだ存分に残っているようだ。
「これで一件落着ですけど、減った分、お客様を増やさないと駄目ですね」
と、ちょうど俺が言った時だった。
「冴島くん、おはよう!」
とても威勢のいい声が俺を呼んだ。
何事かと振り返る。
そこには浴衣と下駄で外に出てきた会長の姿があった。後ろにはサークル会員たちが何人か続いている。
まだ朝食の時間には早いくらいの時間だ。それなのにどうしたのだろうか。
「おはようございます会長。どうしたんですか、こんな時間に」
「いやあ、急に目が覚めてしまってね。そうしたら他の子たちも同じ部屋でみんな眠ってて。どうにも狐に化かされたような奇妙さに頭が冴えてしまったんだよ」
「みんな疲れちゃってそのまま寝ちゃったんじゃないですか」
「実は昨夜のことを私もよく覚えていなくてね。急に眠たくなったかと思えばいつの間にか朝になっていたんだ。気付けば布団も用意されているし。どうして部屋じゃなくて大広間で寝ることになったのかまったくわからないのだけれど」
「あー……みんなお酒も入っていましたし、それで記憶が曖昧なのかもですね」
「やはりそうなのだろうか。いやしかし、これも昨夜の珍事に関係ある可能性が」
ぎくり、と背筋に冷や汗が流れる。
「みんなこぞって同じ事を言うんだ。奇妙な物を見た、とね。かくいう私もその一人さ。けれども私も含めてみんな具体的には覚えていないんだよ。昨晩、いったい何を見たのかを」
「じゃ、じゃあ。もしかすると、みんなが一斉に寝ちゃって、たまたまみんな同じ夢を見てしまってた、とか」
「集団催眠のようにかい? まあ、それも否定する根拠がない以上は否定しきれないが」
それでも納得がいかないと、腑に落ちない表情で会長は首を傾げていた。
「本当に、こんな奇怪な経験は初めてだ。これはとんだ訳あり旅館だよ」
会長が顔を伏せて深く息をつく。
表情が読み取れず、数瞬の間に恐さを覚えた。
もしかして怒っているだろうか、などと一抹の不安すら込み上げてくる。だが会長はすぐに顔を持ち上げ、恍惚に表情を輝かせた。
そして溌剌な声で一声。
「すばらしい!」
そう叫んだ。
予想外すぎて、俺は「へ?」と素っ頓狂な声を返してしまっていた。
「こんな体験は初めてだ。意識がはっきりとした今でも、あの不思議な感覚が夢だったのか、それとも現実なのかと考えてしまう。本当に、生まれて始めての体験だよ。確かに私は奇妙なものを見たのだ。だが、それがわからない。夢の中の出来事のわりには現実感がありすぎて、けれどもリアルと見るには現実感がなさすぎる。ああ、いったい昨日の夜に何が起こったのか。どうして我々は宴の途中で全員眠ってしまったのか。この謎を解き明かすことこそ、都市伝説を究明するよりもずっと崇高な活動内容に成りえると思うのだよ。キミも、そうは思わないかい」
「は、はあ」
昨日の一件を悪い夢として獏に食べられ、忘れている会員も少なくない。
ほとんど記憶がなくなり、酒盛りで羽目を外しすぎて記憶がないと思い込んでいる。だが会長は薄っすらと覚えているようだ。
オカルト好きの会長ならこの旅館に興味を持ってくれるかもしれない、と淡い期待はあった。だが、その予想以上に好意的に受け止めてくれているようだ。
一石二鳥とはまさにこのことだろう。
「だから、ぜひともまたこの旅館に来させてもらいたいよ」
「おー。じゃあ、おねーちゃんもまた来てくれるのー?」
饒舌に語る会長に、サチが和気藹々と駆け寄る。
「おいこら、サチ。会長はお客様だぞ」と俺が口を尖らせるが、会長は微笑を浮かべてサチをあやした。
「かまわないよ。もしよければまた来たいものさ。超常現象を自ら体験した旅館など、ネットの都市伝説よりずっと興味深い。こんな可愛らしいお嬢さんが出迎えてくれるというのも一興だしね。いい旅館を見つけられたようだ」
「わーい。お客さんが増えるー」
「はははっ。キミは素直だね」
両手を上げて笑いながら喜ぶサチに、会長も調子を合わせて声尻を弾ませた。
せっかく女将さんのために立派な仲居になると言っていたのに、これでは台無しだ。監督役を仰せつかった俺には目を覆いたくなるような光景である。
「会長。ありがとうございました」
俺は改めて会長に向き直り、深々と頭を下げた。
どうしたんだ、と会長は困惑している様子だった。
それは仕方がないだろう。
だが、これは俺自身へのけじめのようなものだから、どうしても会長を前に言いたかった。
ここに宿泊しに来てくれて。
いや、それだけじゃない。俺を振ってくれて――というのはおかしいけれど、彼女に振られたから、俺はいまこの旅館にいる。
その出会いをくれて。
クウや、ナユキや、サチや、女将さん、クウの両親。
いろんな人に出会った。些細な巡り会わせなのかもしれないが、それのおかげで俺は少し変われたように思う。
逃げた先の場所が、俺にとっての新しいスタートラインになったのだ。
逃げではない一歩を踏み出せたこの場所が、とても大好きになったのだ。
だから、ここに連れてきてくれたことへの感謝を。
ひとりよがりな感謝を、心から吐き出したかった。
「そうか」
訝しげな顔をしたまま、けれども会長はにんまりと笑みに変える。
「よくはわからないが、キミがこの旅館を大切に思っているということはわかったよ。好きなものには熱心になれる。それはオカルトだってなんだって同じことさ。そのひたむきさがオカルトに向いていたら、きっとキミへの返事も変わっていたのだろうね」
どうやらオカルトに興味がなかったことはばれていたらしい。
もしかしたら先輩と、なんて甘くて淡い希望。
きっと少し前の俺ならばそれを悔しがっていたことだろう。
だが、もうそんなものは必要ない。
そうなんですかね、と俺は笑い飛ばした。
「あははははは」と何故かサチにまで大笑いされた。
少しむかついたので小突いてやると、ハリセンボンのように頬を膨らませた。
サチの相手を会長に任せ、俺は女将さんにこっそりと尋ねる。
「そういえば女将さんは、サチが何の妖怪か知っているんですか」
「ええ、知っていますよ」
女将さんはくすくす微笑を漏らすと、しばらくぶりに見るような満面の笑みで頷いた。
「なんなんですか」
「あの子の正体はですね。見る人に幸せをもたらす者、幸せを運んでくる者――」
女将さんが優しい眼差しでサチを見やる。
会長と元気よく戯れるサチの周りには笑顔ばかりが咲いている。
思えばサチは、どんな時だって笑っていたような気がする。まるでこちらまで一緒に笑わせようと誘ってくるような、そんな不思議な明るさが彼女にはあった。
「住み着いた場所に幸福を招く妖怪。彼女は、座敷童子なんです」
そう言うと女将さんは、はしゃいでいるサチに歩み寄っていった。
「お客様に失礼をしちゃ駄目よ」となだめる。
そんな女将さんの横顔は晴れやかに微笑んでいて、それを見守る周りの人たちも一様に笑い声を上げて眺めていた。
なるほど。座敷童子か。
自然と合点がいく。
この旅館に住み着き、みんなを幸せにする。
それがサチの妖怪としての力。
現に今、サチの傍にいる誰しもが笑顔を浮かべている。
クウも、ナユキも、それに女将さんや会長たちも。
そして――。
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