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○3章 家族のかたち
-7 『進む道』
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やがてサチは露天風呂で騒ぎ疲れたのか、風呂場から出て行った。
嵐が通り過ぎたように静かになり、俺ものぼせない程度にあがることにした。
脱衣所で髪を乾かしてから廊下を歩いていると、通りかかったロビーで物音が聞こえた。
何かを削るような音と、きゅるきゅると擦れるような甲高い音だ。
どうやら併設されている売店コーナーの方から聞こえてくるようだ。
気になって、ネットがかけられて照明の落とされた売店コーナーを覗いてみる。
そこには台座に腰掛けたナユキの姿があった。
ナユキが俺に気づき、大袈裟に思うほどビクリと体を震わせる。それと同時に音が止んだ。
「悪い、驚かせたか」
「……い、いえ」
裏返るようなか細い声でナユキは答えた。
彼女の手元にあったのは小さなカキ氷機だった。
家電量販店などでも置いてあるような簡素なつくりをしている。
おそらく彼女の私物なのだろう、丸い文字で『な』と書かれていた。それに手を添えたナユキは、台座に置かれた受け皿にカキ氷を作っているところだった。
前に縁側で、俺にお礼だと言って出してくれたのもこれで作ったのだろう。
以前にサチが、雪女であるナユキは自分の体液を綺麗な氷に変えることができる、と言っていたのを思い出してしまった。
となると、このカキ氷もナユキのどこかの体液から作ったのだろうか。
――いやいや、まさか。流石にありえないだろう。
頭の中で否定する。
いくら美少女のとはいえ、変な想像するのはよくないことだ。
意識しないでいるつもりだったが、ついついナユキの腰辺りを見てしまう。
その視線にナユキも気づいたのか、身を捩じらせながら顔を赤らめて、
「…………っこじゃ、ないです」
「い、いや。疑ってないよ。ほんとだよ」
咄嗟に否定したがナユキの表情は訝しげだ。とにかく話題を逸らすべきだろう。
「それより、どうしてカキ氷を」
「あ……わたし、クーちゃんに……って」
「クウに?」
「なんだか……こわそうな顔、してたから」
なるほど。
俺にお礼として作ってくれたように、クウにも気遣いのために作っているのか。
雪女らしい彼女の特技なのだろう。
自分できる精一杯の励まし方を理解しているのはすごいことだ。
それを行動に起こせることも。
たった一年くらい前までクウは余所者だったという。
そんなクウを受け入れ、一緒に暮らし、心配している。
血のつながりはないけれど、きっとこの旅館のみんなにとって、クウはもう家族のような存在なのだろう。
誰かに気をかけてもらえる。それだけでここに居てもいいと言ってくれているような、そんな安心感に包まれるのだ。
それだけ想われているクウに、俺は羨ましさすら感じた。
◇
ロビーでしばらくくつろいでから部屋に戻ろうとすると、自動販売機の明かりだけがついた休憩所の革椅子に、今度はクウの後ろ姿を見つけた。
青白い光に照らされ、縮こまるように丸まって座っている。頭は深く垂れ、表情はまったく窺えない。
落ち込んでいるのだろうか。
それとも気に悩んでいるのだろうか。
両親がやって来てからずっと様子がおかしかったせいで、その後姿だけでも何かしらの哀愁を感じられた。
気づいたクウが顔を持ち上げて俺を見るなり、あからさまに深く溜め息をつく。
「人の顔を見て溜め息をつくなんて、なんだよ」
「いや。今度はあんたか、って思って」
「今度は?」
言われ、縁側に腰掛けたクウの横に空のガラス皿が置かれているのに気づいた。ナユキが持ってきたのだろう。
隣に腰掛けるとあからさまにイヤな顔をされた。けれども逃げようとはしない。
「なあ。クウはなんで故郷を飛び出そうと思ったんだ。母親か誰かに相談したりだってできただろうに。そんなに家族のことが嫌いなのか」
余計な事を言っているとは自覚している。
けれども、俺は聞きたかった。クウの口から、クウの気持ちを。
「別に、そういうわけじゃないよ。兄弟で仲もいいし。ただ、イヤだったんだ。いつまでも出来損ないで居続けるボクが」
「自分のことが?」
「どうしても変化するのが苦手だった。変わろうと力を込めると頭の中がぐにゃぐにゃして、上手くイメージできないんだ。変化しようとすることで頭がいっぱいになっちゃう。それがわかっていても、父さんたちの前だと緊張してどうしても上手くいかないんだ。そうやって落ちこぼれって言われる自分がイヤになって、そこにいられなくなっちゃった。気づいた時には着の身着のままで飛び出してたよ」
「随分と無茶するな」
「そうだね。そう思う」
クウが顔を持ち上げてぼうっと中空を眺める。
「ボクはね、別に母さんたちのことが嫌いなわけじゃないんだ。でも、あそこに居続ける限り、ボクは落ちこぼれのままで居続ける。ちゃんと変化ができる兄さんたちに囲まれて、比べられ続ける。それが耐えられないんだ。だから、母さんたちがボクを探しに来ても、ボクは帰ることができない。帰りたくない」
ふとクウが俺の顔を覗き込んでくる。
少し潤んだように見えるつぶらな瞳が俺を映しこんだ。
「ねえ、ボクって逃げてるのかな」
俺の顔を見上げるクウの瞳はすがるように弱々しかった。
「クウはこの旅館が好きか」
「急になにさ」
「いいから答えて」
クウは少しの間を空けて、それから力強く頷いた。
「ボクを拾ってくれた女将さんには感謝してるし、サチや、ユキも大好きだよ」
そう言って手元に置いているガラス皿の縁を指でなぞる。
自然とはにかんだようなクウの表情は、それだけでどれほどこの旅館のことが好きなのかと如実に物語っているようだった。
とても、何かから逃げている人間がするような表情ではない。憂いのない、健やかなものだった。
――ああ、そうか。
クウの返事を聞いて、その表情を見て、俺は一人で勝手に合点がいっていた。
クウの母親と話をした時に、彼女はクウが帰らないことを『逃げ』ではないと言っていた。それから、サチが言った『昨日より今日』という言葉。
ずっと俺の心の片隅に引っかかっていた言葉たちが、心臓に染み入るように優しく溶け込んだ。
クウの母親が言っていた言葉の意味が、ほんの少しわかったような気がした。
「クウはここで、一人前になろうと頑張っているんだろ。俺が見た限りじゃあ、見習い三人の中じゃ間違いなくお前が一番しっかりしてるよ。ちゃんと給仕もできて、まあ言葉遣いはちょっと悪いけど、仕事の時はちゃんと自分の責務をこなそうとしてるのがよくわかる。立派に仕事をこなせてるって、そう思うよ」
「……そう、かな」
呆けた顔で話を聞いていたクウの表情が崩れる。照れているのだろうか。
「クウは逃げたわけじゃない。クウのお母さんも同じように思っているよ」
「母さんも?」
小首をかしげるクウに、俺は腕を組みながら胸を張って「もちろん」と頷いて見せた。何を隠そう、これはクウのお母さんからの受け売りなのだから間違いはないだろう。
「なんであんたが威張って言えるんだよ」
クウが呆れた風に苦笑して言った。
そうして頬杖をつき、嘆息を漏らす。
「本当に、そうだといいのに」
「なあ、クウ」
「なに」
「ちょっと確かめてみないか」
「え?」
俺の言葉の意図がつかめず、クウは怪訝に眉をひそめて俺を見てきた。俺はしたり顔で笑い返す。
「きっとわかってくれる。俺が保障するよ」
首を傾げるクウの手を取ると、俺は立ち上がって歩き始めた。
なんのやさしさと言うわけではない。
ただ、俺がそうしたかったから。そうしてほしいと思ったから。
俺の自分勝手だけれど、クウの行く先を、俺は確かめたかったのだ。
嵐が通り過ぎたように静かになり、俺ものぼせない程度にあがることにした。
脱衣所で髪を乾かしてから廊下を歩いていると、通りかかったロビーで物音が聞こえた。
何かを削るような音と、きゅるきゅると擦れるような甲高い音だ。
どうやら併設されている売店コーナーの方から聞こえてくるようだ。
気になって、ネットがかけられて照明の落とされた売店コーナーを覗いてみる。
そこには台座に腰掛けたナユキの姿があった。
ナユキが俺に気づき、大袈裟に思うほどビクリと体を震わせる。それと同時に音が止んだ。
「悪い、驚かせたか」
「……い、いえ」
裏返るようなか細い声でナユキは答えた。
彼女の手元にあったのは小さなカキ氷機だった。
家電量販店などでも置いてあるような簡素なつくりをしている。
おそらく彼女の私物なのだろう、丸い文字で『な』と書かれていた。それに手を添えたナユキは、台座に置かれた受け皿にカキ氷を作っているところだった。
前に縁側で、俺にお礼だと言って出してくれたのもこれで作ったのだろう。
以前にサチが、雪女であるナユキは自分の体液を綺麗な氷に変えることができる、と言っていたのを思い出してしまった。
となると、このカキ氷もナユキのどこかの体液から作ったのだろうか。
――いやいや、まさか。流石にありえないだろう。
頭の中で否定する。
いくら美少女のとはいえ、変な想像するのはよくないことだ。
意識しないでいるつもりだったが、ついついナユキの腰辺りを見てしまう。
その視線にナユキも気づいたのか、身を捩じらせながら顔を赤らめて、
「…………っこじゃ、ないです」
「い、いや。疑ってないよ。ほんとだよ」
咄嗟に否定したがナユキの表情は訝しげだ。とにかく話題を逸らすべきだろう。
「それより、どうしてカキ氷を」
「あ……わたし、クーちゃんに……って」
「クウに?」
「なんだか……こわそうな顔、してたから」
なるほど。
俺にお礼として作ってくれたように、クウにも気遣いのために作っているのか。
雪女らしい彼女の特技なのだろう。
自分できる精一杯の励まし方を理解しているのはすごいことだ。
それを行動に起こせることも。
たった一年くらい前までクウは余所者だったという。
そんなクウを受け入れ、一緒に暮らし、心配している。
血のつながりはないけれど、きっとこの旅館のみんなにとって、クウはもう家族のような存在なのだろう。
誰かに気をかけてもらえる。それだけでここに居てもいいと言ってくれているような、そんな安心感に包まれるのだ。
それだけ想われているクウに、俺は羨ましさすら感じた。
◇
ロビーでしばらくくつろいでから部屋に戻ろうとすると、自動販売機の明かりだけがついた休憩所の革椅子に、今度はクウの後ろ姿を見つけた。
青白い光に照らされ、縮こまるように丸まって座っている。頭は深く垂れ、表情はまったく窺えない。
落ち込んでいるのだろうか。
それとも気に悩んでいるのだろうか。
両親がやって来てからずっと様子がおかしかったせいで、その後姿だけでも何かしらの哀愁を感じられた。
気づいたクウが顔を持ち上げて俺を見るなり、あからさまに深く溜め息をつく。
「人の顔を見て溜め息をつくなんて、なんだよ」
「いや。今度はあんたか、って思って」
「今度は?」
言われ、縁側に腰掛けたクウの横に空のガラス皿が置かれているのに気づいた。ナユキが持ってきたのだろう。
隣に腰掛けるとあからさまにイヤな顔をされた。けれども逃げようとはしない。
「なあ。クウはなんで故郷を飛び出そうと思ったんだ。母親か誰かに相談したりだってできただろうに。そんなに家族のことが嫌いなのか」
余計な事を言っているとは自覚している。
けれども、俺は聞きたかった。クウの口から、クウの気持ちを。
「別に、そういうわけじゃないよ。兄弟で仲もいいし。ただ、イヤだったんだ。いつまでも出来損ないで居続けるボクが」
「自分のことが?」
「どうしても変化するのが苦手だった。変わろうと力を込めると頭の中がぐにゃぐにゃして、上手くイメージできないんだ。変化しようとすることで頭がいっぱいになっちゃう。それがわかっていても、父さんたちの前だと緊張してどうしても上手くいかないんだ。そうやって落ちこぼれって言われる自分がイヤになって、そこにいられなくなっちゃった。気づいた時には着の身着のままで飛び出してたよ」
「随分と無茶するな」
「そうだね。そう思う」
クウが顔を持ち上げてぼうっと中空を眺める。
「ボクはね、別に母さんたちのことが嫌いなわけじゃないんだ。でも、あそこに居続ける限り、ボクは落ちこぼれのままで居続ける。ちゃんと変化ができる兄さんたちに囲まれて、比べられ続ける。それが耐えられないんだ。だから、母さんたちがボクを探しに来ても、ボクは帰ることができない。帰りたくない」
ふとクウが俺の顔を覗き込んでくる。
少し潤んだように見えるつぶらな瞳が俺を映しこんだ。
「ねえ、ボクって逃げてるのかな」
俺の顔を見上げるクウの瞳はすがるように弱々しかった。
「クウはこの旅館が好きか」
「急になにさ」
「いいから答えて」
クウは少しの間を空けて、それから力強く頷いた。
「ボクを拾ってくれた女将さんには感謝してるし、サチや、ユキも大好きだよ」
そう言って手元に置いているガラス皿の縁を指でなぞる。
自然とはにかんだようなクウの表情は、それだけでどれほどこの旅館のことが好きなのかと如実に物語っているようだった。
とても、何かから逃げている人間がするような表情ではない。憂いのない、健やかなものだった。
――ああ、そうか。
クウの返事を聞いて、その表情を見て、俺は一人で勝手に合点がいっていた。
クウの母親と話をした時に、彼女はクウが帰らないことを『逃げ』ではないと言っていた。それから、サチが言った『昨日より今日』という言葉。
ずっと俺の心の片隅に引っかかっていた言葉たちが、心臓に染み入るように優しく溶け込んだ。
クウの母親が言っていた言葉の意味が、ほんの少しわかったような気がした。
「クウはここで、一人前になろうと頑張っているんだろ。俺が見た限りじゃあ、見習い三人の中じゃ間違いなくお前が一番しっかりしてるよ。ちゃんと給仕もできて、まあ言葉遣いはちょっと悪いけど、仕事の時はちゃんと自分の責務をこなそうとしてるのがよくわかる。立派に仕事をこなせてるって、そう思うよ」
「……そう、かな」
呆けた顔で話を聞いていたクウの表情が崩れる。照れているのだろうか。
「クウは逃げたわけじゃない。クウのお母さんも同じように思っているよ」
「母さんも?」
小首をかしげるクウに、俺は腕を組みながら胸を張って「もちろん」と頷いて見せた。何を隠そう、これはクウのお母さんからの受け売りなのだから間違いはないだろう。
「なんであんたが威張って言えるんだよ」
クウが呆れた風に苦笑して言った。
そうして頬杖をつき、嘆息を漏らす。
「本当に、そうだといいのに」
「なあ、クウ」
「なに」
「ちょっと確かめてみないか」
「え?」
俺の言葉の意図がつかめず、クウは怪訝に眉をひそめて俺を見てきた。俺はしたり顔で笑い返す。
「きっとわかってくれる。俺が保障するよ」
首を傾げるクウの手を取ると、俺は立ち上がって歩き始めた。
なんのやさしさと言うわけではない。
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