上 下
19 / 44
○3章 家族のかたち

 -7 『進む道』

しおりを挟む
 やがてサチは露天風呂で騒ぎ疲れたのか、風呂場から出て行った。

 嵐が通り過ぎたように静かになり、俺ものぼせない程度にあがることにした。

 脱衣所で髪を乾かしてから廊下を歩いていると、通りかかったロビーで物音が聞こえた。

 何かを削るような音と、きゅるきゅると擦れるような甲高い音だ。
 どうやら併設されている売店コーナーの方から聞こえてくるようだ。

 気になって、ネットがかけられて照明の落とされた売店コーナーを覗いてみる。

 そこには台座に腰掛けたナユキの姿があった。

 ナユキが俺に気づき、大袈裟に思うほどビクリと体を震わせる。それと同時に音が止んだ。

「悪い、驚かせたか」
「……い、いえ」

 裏返るようなか細い声でナユキは答えた。

 彼女の手元にあったのは小さなカキ氷機だった。
 家電量販店などでも置いてあるような簡素なつくりをしている。

 おそらく彼女の私物なのだろう、丸い文字で『な』と書かれていた。それに手を添えたナユキは、台座に置かれた受け皿にカキ氷を作っているところだった。

 前に縁側で、俺にお礼だと言って出してくれたのもこれで作ったのだろう。

 以前にサチが、雪女であるナユキは自分の体液を綺麗な氷に変えることができる、と言っていたのを思い出してしまった。

 となると、このカキ氷もナユキのどこかの体液から作ったのだろうか。

 ――いやいや、まさか。流石にありえないだろう。

 頭の中で否定する。
 いくら美少女のとはいえ、変な想像するのはよくないことだ。

 意識しないでいるつもりだったが、ついついナユキの腰辺りを見てしまう。

 その視線にナユキも気づいたのか、身を捩じらせながら顔を赤らめて、

「…………っこじゃ、ないです」
「い、いや。疑ってないよ。ほんとだよ」

 咄嗟に否定したがナユキの表情は訝しげだ。とにかく話題を逸らすべきだろう。

「それより、どうしてカキ氷を」
「あ……わたし、クーちゃんに……って」
「クウに?」
「なんだか……こわそうな顔、してたから」

 なるほど。
 俺にお礼として作ってくれたように、クウにも気遣いのために作っているのか。

 雪女らしい彼女の特技なのだろう。
 自分できる精一杯の励まし方を理解しているのはすごいことだ。

 それを行動に起こせることも。

 たった一年くらい前までクウは余所者だったという。
 そんなクウを受け入れ、一緒に暮らし、心配している。

 血のつながりはないけれど、きっとこの旅館のみんなにとって、クウはもう家族のような存在なのだろう。

 誰かに気をかけてもらえる。それだけでここに居てもいいと言ってくれているような、そんな安心感に包まれるのだ。

 それだけ想われているクウに、俺は羨ましさすら感じた。

   ◇

 ロビーでしばらくくつろいでから部屋に戻ろうとすると、自動販売機の明かりだけがついた休憩所の革椅子に、今度はクウの後ろ姿を見つけた。

 青白い光に照らされ、縮こまるように丸まって座っている。頭は深く垂れ、表情はまったく窺えない。

 落ち込んでいるのだろうか。
 それとも気に悩んでいるのだろうか。

 両親がやって来てからずっと様子がおかしかったせいで、その後姿だけでも何かしらの哀愁を感じられた。

 気づいたクウが顔を持ち上げて俺を見るなり、あからさまに深く溜め息をつく。

「人の顔を見て溜め息をつくなんて、なんだよ」
「いや。今度はあんたか、って思って」
「今度は?」

 言われ、縁側に腰掛けたクウの横に空のガラス皿が置かれているのに気づいた。ナユキが持ってきたのだろう。

 隣に腰掛けるとあからさまにイヤな顔をされた。けれども逃げようとはしない。

「なあ。クウはなんで故郷を飛び出そうと思ったんだ。母親か誰かに相談したりだってできただろうに。そんなに家族のことが嫌いなのか」

 余計な事を言っているとは自覚している。
 けれども、俺は聞きたかった。クウの口から、クウの気持ちを。

「別に、そういうわけじゃないよ。兄弟で仲もいいし。ただ、イヤだったんだ。いつまでも出来損ないで居続けるボクが」
「自分のことが?」

「どうしても変化するのが苦手だった。変わろうと力を込めると頭の中がぐにゃぐにゃして、上手くイメージできないんだ。変化しようとすることで頭がいっぱいになっちゃう。それがわかっていても、父さんたちの前だと緊張してどうしても上手くいかないんだ。そうやって落ちこぼれって言われる自分がイヤになって、そこにいられなくなっちゃった。気づいた時には着の身着のままで飛び出してたよ」

「随分と無茶するな」
「そうだね。そう思う」

 クウが顔を持ち上げてぼうっと中空を眺める。

「ボクはね、別に母さんたちのことが嫌いなわけじゃないんだ。でも、あそこに居続ける限り、ボクは落ちこぼれのままで居続ける。ちゃんと変化ができる兄さんたちに囲まれて、比べられ続ける。それが耐えられないんだ。だから、母さんたちがボクを探しに来ても、ボクは帰ることができない。帰りたくない」

 ふとクウが俺の顔を覗き込んでくる。
 少し潤んだように見えるつぶらな瞳が俺を映しこんだ。

「ねえ、ボクって逃げてるのかな」

 俺の顔を見上げるクウの瞳はすがるように弱々しかった。

「クウはこの旅館が好きか」
「急になにさ」
「いいから答えて」

 クウは少しの間を空けて、それから力強く頷いた。

「ボクを拾ってくれた女将さんには感謝してるし、サチや、ユキも大好きだよ」

 そう言って手元に置いているガラス皿の縁を指でなぞる。
 自然とはにかんだようなクウの表情は、それだけでどれほどこの旅館のことが好きなのかと如実に物語っているようだった。

 とても、何かから逃げている人間がするような表情ではない。憂いのない、健やかなものだった。

 ――ああ、そうか。

 クウの返事を聞いて、その表情を見て、俺は一人で勝手に合点がいっていた。

 クウの母親と話をした時に、彼女はクウが帰らないことを『逃げ』ではないと言っていた。それから、サチが言った『昨日より今日』という言葉。

 ずっと俺の心の片隅に引っかかっていた言葉たちが、心臓に染み入るように優しく溶け込んだ。

 クウの母親が言っていた言葉の意味が、ほんの少しわかったような気がした。

「クウはここで、一人前になろうと頑張っているんだろ。俺が見た限りじゃあ、見習い三人の中じゃ間違いなくお前が一番しっかりしてるよ。ちゃんと給仕もできて、まあ言葉遣いはちょっと悪いけど、仕事の時はちゃんと自分の責務をこなそうとしてるのがよくわかる。立派に仕事をこなせてるって、そう思うよ」
「……そう、かな」

 呆けた顔で話を聞いていたクウの表情が崩れる。照れているのだろうか。

「クウは逃げたわけじゃない。クウのお母さんも同じように思っているよ」
「母さんも?」

 小首をかしげるクウに、俺は腕を組みながら胸を張って「もちろん」と頷いて見せた。何を隠そう、これはクウのお母さんからの受け売りなのだから間違いはないだろう。

「なんであんたが威張って言えるんだよ」

 クウが呆れた風に苦笑して言った。
 そうして頬杖をつき、嘆息を漏らす。

「本当に、そうだといいのに」
「なあ、クウ」
「なに」
「ちょっと確かめてみないか」
「え?」

 俺の言葉の意図がつかめず、クウは怪訝に眉をひそめて俺を見てきた。俺はしたり顔で笑い返す。

「きっとわかってくれる。俺が保障するよ」

 首を傾げるクウの手を取ると、俺は立ち上がって歩き始めた。

 なんのやさしさと言うわけではない。
 ただ、俺がそうしたかったから。そうしてほしいと思ったから。

 俺の自分勝手だけれど、クウの行く先を、俺は確かめたかったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

こちら異世界交流温泉旅館 ~日本のお宿で異種族なんでもおもてなし!~

矢立まほろ
ファンタジー
※6月8日に最終話掲載予定です!  よろしければ、今後の参考に一言でも感想をいただければ嬉しいです。  次回作も同日に連載開始いたします! 高校生の俺――高野春聡(こうのはるさと)は、バイトで両親がやってる旅館の手伝いをしている。温泉もあって美味い料理もあって、夢のような職場……かと思いきや、そこは異世界人ばかりがやって来る宿だった! どうやら数年前。裏山に異世界との扉が開いてしまって、それ以降、政府が管理する異世界交流旅館となっているらしい。 やって来るのはゴーレムやリザードマン。 更には羽の生えた天族や耳長のエルフまで?! 果たして彼らに俺たちの世界の常識が通じるのか? 日本の温泉旅館のもてなしを気に入ってくれるもらえるのか? 奇妙な異文化交流に巻き込まれて汗水流して働く中、生意気な幼女にまで絡まれて、俺のバイト生活はどんどん大変なことに……。 異世界人おもてなし繁盛記、ここに始まる――。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

リアルフェイスマスク

廣瀬純一
ファンタジー
リアルなフェイスマスクで女性に変身する男の話

処理中です...