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○3章 家族のかたち

 -5 『母親』

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 毎度、仲居娘たちが妖怪であるという事実をすっかり忘れてしまう。
 それもこれも、彼女たちを見ていると普通の女の子という印象ばかりなのだ。

 妖怪とはいえ、昔から子守唄代わりに親から聞かせられるような恐い魑魅魍魎の御話とはまったく違う。ちょっと特別な力を持った少女でしかなかった。

 案外、世の中に語られている他の未確認生物たちも、蓋をあければ拍子抜けするほど普通な存在だったりするのかもしれない。

 厨房の一反木綿や塗り壁など、明らかに人外と思えるようなのもいるが、人を取って食べるような恐ろしいものではない。

 それにクウとその両親を見て、妖怪にも家族があって、人間のそれとそう変わらないのだともわかった。

 廊下を歩いているとクウのお母さんと出会った。
 中庭の見える縁側に腰掛けて夜の月を見上げていた。

 足音で俺に気づいた彼女はにこりと笑みを浮かべて会釈をした。

「こんばんは、おにいさん」
「こんばんは。お一人ですか」
「ええ。旦那はもう部屋に足が根付いてしまっているようで」

 そう返すクウの母親の顔は小気味よく微笑んでいた。
 丸く膨らんだ月の光を浴びて、その表情は青白く光って見える。

 彼女はじっと夜空を眺めていて、櫛でまとめられた白髪の毛先が涼しい夜風を受けてなびいていた。

 俺が立ち去ろうとしたところ、ふとクウの母親が声をかけてきた。

「おにいさんはこの旅館の常連なのかしら」
「いえ、違いますよ」
「そうなの? それにしては随分と仲居の子どもたちと仲が良さそうだったけれど。きっと子どもに好かれる良い人なのね」

「いやあ、好かれてるって訳ではないと思いますけどね」と俺は苦笑した。

 サチはまったく壁を作らず親しげに接してくれるが、ナユキは回数もかけてやっと逃げられなくなったくらいだ。クウにいたっては先ほどの一件しかり、度々怒らせてしまっている。

 そもそも女将さんの依頼がなければ彼女たちとこうやって接することもなかっただろう。

「少し訊きたいのだけれど、いいかしら」
「なんですか」

 俺は彼女の隣に腰を下ろした。

「仲居の子たちとちょうど同じくらいの背丈をした男の子がここにいないかしら」

 言われ、俺は迷うことなくクウのことを想像してしまっていた。

 間違いなく合っているのだろう。
 だが、います、と答えるのもはばかられた。

 クウが隠そうとしている手前、俺が勝手に言うのもおかしな話だ。

「どうでしょう。ここには来たばかりなんで」と適当にお茶を濁す。

 クウの母親は仰いでいた顔を下げ、短く息をついた。

「そう……ごめんなさいね。突然こんなことを訊いて」
「いえ。大丈夫ですよ」

 憂いに満ちた横顔を浮かべるクウの母親に、俺は一抹の罪悪感を抱いた。

 自分の息子が家出してしまったのだ。心配するのは当然だ。
 おそらく探しにきたのだろう彼女の心情を察するのは簡単で、だからこそ言葉に迷った。

 ヘタに踏み込むのは野暮だろう。
 だが、俺はあえてそれを尋ねてみることにした。
 どうしてクウがそこまで帰りたがらないのかが気になった。

「その男の子がどうかしたんですか」

 尋ねると、クウの母親はまた遠くを見るような目で話し出した。

「九太郎(くうたろう)という息子がいるんです」

 クウのことだろう。
 本名ではなかったことに驚いたが今はそれどころではない。

「九男坊の末っ子で人一倍に甘えたがりなとても心の優しい子でした。私の一族には昔からある芸事が伝わっていて、それを生まれてからずっと練習して十歳までには体得するのが習わしでした。けれどもその子はなかなか上手くできず、いよいよ周囲から出来損ないの子だと烙印を押し付けられてしまったのです。傷ついたその子は私の引止めもきかず、家を出て行ってしまいました。それからどこかの世話になっていると風の便りで耳にしましたが、もう一年以上、何の便りもないままで。やっと噂でこの旅館にいるという話をやっと知って訪れてみたのですが――」

 聞かされて、俺は少し後悔の念に駆られそうになっていた。
 こんな根深いことを容易い気持ちで耳にしてしまっていいのかという後悔だ。

 きっと藁にもすがる思いでここを訪れたのだろう。
 その悲壮さを思えば、クウの所在を言えない口惜しさで胸が締め付けられた。

 芸事、とはおそらく変化の術のことだろう。

 たしかにクウの変化は不恰好だった。
 イメージさせる画像を見せてやっと最低限の変化ができるくらいだ。クウの母親の口ぶりからして、それでは化け狸としては駄目なのだろう。

「勢いよく飛び出してきてしまった手前、どんな顔をして会えばいいのかわからないんじゃないですか」

 言いながら、俺は大学のサークルのことが一瞬だけ脳裏にちらついた。会長のことを。

「そうですね。そうなのかもしれませんね」

 微笑を浮かべたままクウの母親は頷く。

「帰ってきて、ほしいですか」

 またクウの母親は頷くかと思ったが、しかし予想に反して首を振った。

「いいえ」
「え?」

 俺は思わず彼女の顔を見つめてしまった。
 淀みのない意外な答えに面食らってしまった。
 クウの母親の表情は穏やかで、とらえ所のない笑みを浮かべているばかりだ。

 我が子が家出をしたのだ。
 探しにまでやって来て、帰ってきて欲しくないはずがない。

 それなのにどうして余裕綽々と笑っていられるのだろうか。

「その子を、連れ戻しに来たんじゃないんですか」
「一緒に帰ってくれるのならそれはそれで。でも、もし帰らないというのならそれも一つの選択でしょう。あの子が望んだのなら尊重するつもりです」

「でもそれじゃあ、その子がいつまでも実家のことから逃げ続けることになっちゃいませんか」
「逃げる、と言えばそうなのでしょうね。けれど、私はそれを逃げだとは思いませんよ」

 月光に照らされて、クウの母親は綺麗に笑った。

 クウを心配するような憂いでもなく、まるで上京した子どもが久方ぶりに帰ってくるのを待ち遠しく楽しみにしているような、そんな陽気さすら窺えた。
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