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○3章 旅館のあり方

 -16『アーシェ』

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 滝つぼの洞窟で一休みしたあと、俺とアーシェは急いで旅館へ戻った。

 正面玄関から自動ドアを抜けてロビーを訪れると、まるで待ち構えていたように、俺たちの前に中條が立ちふさがった。

「さて。説明してもらおうか」

 険しい表情を浮かべて俺に詰め寄ってくる。
 魔道具が暴れまわったせいで旅館はまためちゃくちゃになり、従業員や政府の人達が掃除や修復に走り回っているのが見えた。

「すみません。でもどうにか捕まえてくることができました、だから俺は騒ぎの責任を取って辞める覚悟ですけど、でも、ふみかさんや父さんたちは何もしてないですし、このまま――」

 俺が懇願して頭を下げようとしたところを、中條が首を振って遮った。親指を立てて自分の背後を指差す。

「違う。これについてだ」

 彼が示した先にあるのは硝子窓越しに見える中庭だ。

 その中庭の更に先、ちょうど奥に見える大浴場と露天風呂があるあたりから、ついさっき洞窟で見た蛍光のような明るい光が大量に漏れ出ていたのだ。

「これもまたキミの仕業なのかい」

 意味が理解できず、俺は曖昧に眉をひそめて小首を傾げることしかできない。

 中條に連れられて中庭から露天風呂の方へと向かうと、そこでは、温泉の湧き出る場所からかつてないほど大量の湯が溢れ出ている最中だった。

 湯量が多すぎて湯船だけでは追いつかず、排水溝に流すにも一度には流れきらないでいる。まるで洪水のように周囲を沈める勢いだ。

 修理に走り回っているのかと思っていた従業員たちも、実は溢れ出る温泉の対応に追われているようだった。

「おそらくマナが川を逆流したせいだわ。溜め込んでいたマナの量が膨大すぎて、地下水の奥深くにまでマナが行き渡ったのよ。それによって地下水の噴出が活性化されてしまったのね」

 アーシェが憶測を述べる。

「つまり、結局はあれも俺のせいか」
「まあ近からずも遠からずね」

 問題が片付いたかと思えば次の問題だ。いよいよ俺一人ではどうにもできなくなってくる。

 中條も度重なる不祥事に、不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。

「今回の件、さすがに大事になりすぎている。お客様の荷物を勝手に触り暴走させ、しまいには風呂を滅茶苦茶にしてしまう。これでは使用も不可能だ。これほどの騒ぎを頻発されては大問題と見る他にない。わかるね?」

「……はい」と潔く俺は頷く。

 中條の物言いは冷たく厳しい。
 だがそれは的確で、俺はその責任を全て負う覚悟だった。

 これでもうこの旅館にはいられないだろう。

 おそらく魔法によって記憶も消され、この大騒ぎのことすら忘れ去ってしまうのかもしれない。ここであったことも、ここで出会った異世界人たちのことも。

 そう考えると途端に名残惜しくなり、寂しさに唇が震えた。

「すみませんでした。それと、お世話になりました、中條さ――」

 俺が頭を下げようとしたところを、不意にアーシェが前に出て遮った。

「中條、と言ったわね。貴方、どうしてこの少年を責めているのかしら。これほどに旅館のために尽力しているのよ」

 まさかアーシェが俺を庇い立てるようなことを言うとは思わなかった。
 突然名乗り出てきた彼女に、中條も、俺すらも驚愕に目を見開いている。

「お譲ちゃん、すまないがこれはこちらの内部の問題だ。口を挟まないでくれ」

 中條がそう言って軽くいなそうとする。
 しかしアーシェは眉間のしわを深く刻み、言った。

「お譲ちゃん? 誰に対してそのような口を聞いている」
「ん、どういう意味だい?」

 まるで静かな怒号。
 気圧されそうなほどの迫力が声にこもっていた。

 アーシェの予想外な強気の返しに、中條は怪訝に眉をひそめる。
 俺も、普段の力強くも女の子らしい彼女の口調とは大違いな様子に耳を疑った。

 そんな俺たちの前で、仁王立ちしてアーシェは大胆不敵に佇む。

 そして、小柄のくせに、胸を張って堂々と口に開いた。

「私はアーシェ=クライン。六年前にこの世界との『門』を開き、この地と通ずる広大なる魔族領を統べる正当な王にして、貴様たち異世界人との交渉権を最も有する者、アーシェ=クラインだぞ!」

 まるで鬼が喋っているかのような凄まじい覇気がこもった声だった。

 幼い顔立ちで背の低い彼女だが、この瞬間だけは、天にも手が届く巨人のように思えた。頭の獣耳は飛び出たままだが、そんなものは目にも入らぬほどにただただ迫力が大きく、身震いしてしまいそうになる。

 その勢いに、陰鬱とした空気ごと吹き飛ばされるかのようだ。

 面と向かってそれを受けた中條はさすがに道化の仮面を保てない様子で口許を歪めていた。それでも余裕を見せようとしているが、表情は険しく、眉間を汗が伝っている。

「そ、そんな重要人物の名前、顧客名簿にはなかったぞ」と彼が小声で漏らす。

 俺は以前、アーシェが自分は客としているわけではないと言っていたことを思い出した。

 中條は未だ信じられないと言いたげに、自分の懐に入れていたメモ帳を開く。その中身とアーシェの顔を何度も繰り返し見返す。しかし次第に彼女の言が嘘ではないと悟り始めたのか、表情から一切の余裕が消えていった。

 やがて中條はゆっくりと頭を下げた。

「も、申し訳ありませんでした」
「世界間での交流を取り合う条件として私は言ったはずだ。この場所を旅館のまま残せと。私はここに用があるから勝手に変えられては困るのだ、と」
「た、確かにそういう契約でしたが」

「今回の件。私には何一つとして話が届いていないが、どういうわけか」
「いえ、その。あくまでこちら側の人事異動のみの話でして。この旅館を取り壊そうだとか、そういった案件ではなかったのでご報告するまでもなかったのではないかと……」
「私はそのままにしろ、と言ったのだ」

 中條が腰を低くしながら冷や汗を垂れ流し、口早に説明しながらへこへこと何度も頭を下げ続ける。これほどに彼が狼狽しているのを見るのは初めてだ。

 絶対的な上の立場であった中條が顔を上げる余裕すら保てていない。

 それほどにアーシェは特別な存在なのだろうと容易に想像できる。
 普段の幼い彼女の印象とは大違いだ。張り詰めていた空気は一変し、終始、まるでアーシェがこの場の全てを支配しているかのような感覚だった。

 しかし、かと思えば固い顔をしていたアーシェが途端に表情をけろりと変え、呑気に腕を天へと伸ばした。

「もういいわ。疲れちゃった」

 言葉遣いも元通りになり、語尾にはあくびが混じっている。
 その唐突な変調に、俺も中條も、度肝を抜かれたように目を丸くして彼女を見やった。

 そんな俺を目配せをするように一瞥した後、アーシェはある一方へ目を向ける。

「私が何を言わずとも、彼を辞めさせる判断は間違いだって気づくことになりそうじゃない」

 興が削がれたように威勢を失くした彼女に、中條が首をかしげて伺いたてる。

「……彼を、とは?」

 不審に駆られる中條に、アーシェは不敵に笑みを返していた。

「さあ、自分の目で確かめてみたらどうかしら」と。
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