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○3章 旅館のあり方

 -12『追跡』

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 マナ人形はどこまでも館内を走り続けていた。

 客室前、大浴場前、ロビー。
 マナ人形が走り抜けた場所は周囲の観葉植物や木製の椅子などが腐り落ちしてしまっているため、なかなか見失うことはない。

 だが俺たちと走る速度はほとんど同じでなかなかに追いつけない。

「行け! ボクの特製玩具きゃっちくん!」

 行き先を予測して回りこんでいたエルナトが、木組みのマジックアームのようなものを取り出し、マナ人形を捕まえようと腕を伸ばす。いつの間に作っていたのだろうか。

 だがその木組みは人形を掠めそうになったところで、マナを吸い取られたのか、瞬時に骨組みの木材を枯らしてしなびれてしまっていた。

 そんなあ、とショックを受けるエルナトの隣をマナ人形は素知らぬ顔ですり抜けていく。

「ぐぬぬ、やるね」
「直接手で捕まえろよ!」

 使い物にならないエルナトの横を素通りし、俺はマナ人形を追いかけ続けた。

 ふと、マナ人形が向かっている通路の先を何か大きなものが塞いでいる。

 ゴーレム嬢だ。
 しめた。廊下の大半を埋め尽くすほどの彼女の巨体ならば行く手を遮ることもできるだろう。

「お客様、その玩具を止めてください!」
「ええっ。よくわからないけど、わかったわあ」

 俺に気づいたゴーレム嬢が、両手を広げてゴールキーパーのごとく立ちはだかる。

 しかし身体が大きいのは一種のデメリットだ。
 大きすぎるが故に股下の足の間が開きすぎていて、玩具はそこをなんの障害もなく通り過ぎてしまった。

 失敗か。

 俺も後を追って、暖簾をくぐるようにゴーレム嬢の浴衣の裾を押しのけて股下をくぐった。

「いやあん、えっちい!」とゴーレム嬢が淫靡な悲鳴をあげるが、彼女の巨体が他の道を塞いでしまっているのだから仕方がない。

「すみません」と謝るだけで、俺は立ち止まることなく玩具を追いかけていった。

「あ、あの人はボクの旦那さんなので色目を使うのは駄目ですよ」と後続で追随してきたエルナトが立ち止まってゴーレム嬢に声をかける。

「なんですってえ。そんなの認めないわあ」
「いえいえ。認めるもなにもハルの方から婚約の申し入れをしてきたんだから」
「嘘よお!」
「嘘じゃないもん」

「この泥棒猫お!」
「盗んでないよ! ハルは最初っからボクのものだもん」

 エルナトとゴーレム嬢はくだらないことで火花を散らし、仕舞いには追いかけるという目的を忘れたのか、大声で怒鳴りあうほどの喧嘩に発展していた。

 相手にする余裕もなく、俺は聞こえないフリをしてそのまま走り続けた。


   ◇


 ゴーレム嬢のところで一時的にマナ人形を見失ってしまったが、途中の枯れた観葉植物たちが道標となって行き先を示してくれた。

 それを追って、シエラと二人で館内を走り続ける。

 渡り廊下から中庭へとたどり着く。
 中庭から旅館の外に出た後、建物沿いに裏へと回って山へと入ったようだ。

 本来ならば異世界人は裏山へは通れない魔法がかけられているのだが、生き物でもないマナ人形にはそれがきかなかったらしい。

 マナ人形が通ったと思われる庭先の草木は、まるで栄養がないまま長く放置されていたかのように、一瞬で枯れ果てた姿へと変わってしまっていた。

 枯れた道が一種の目印のようになっているのだが、裏山まで続いているそれは、マナ人形の影響を免れた生い茂った背の高い木々が陰になって途中で見えなくなってしまっている。

 森の中、このままでは追いかけるのも困難だ。

「ハルさん。私が空を飛んで見張ります。魔道具が向かう方向も、上空からならばマナが減って木々が弱っている部分を見極ることで判別できると思います」

 マナに詳しい彼女なら可能なのかもしれない。しかし不安が過ぎる。

「でも飛ぶのにもマナがいるんだろ」
「少しの間でしたら平気です。魔法障壁があってこの敷地の外には出られませんが、上空程度ならば問題ありません。高く飛んで場所を把握することくらいはできるはずです」

 なるほど、と俺は頷く。

「貴方たち、今度は何事なの?」

 シエラが羽を広げると、ちょうどふみかさんが息を切らせて駆けつけてきた。

「ちょうどいい。ふみかさん、携帯電話を貸してください」
「え、え?」

 事情もわからず戸惑うふみかさんに、しかし説明する時間もない。

「お願いします」と必死に頭を下げると、納得できないと顔を歪めたまま、それでも携帯電話を渡してくれた。

 俺も携帯端末を取り出してふみかさんに電話をかける。
 通話ボタンを押して通じさせると、ふみかさんの電話をシエラへと手渡した。

「これを耳に当てれば俺の声が聞こえるから、シエラもこの機械にむかって喋ってくれ。そうすればシエラの声も俺に届く」

「まあ、こちらの世界にもそんな魔法が?」
「魔法じゃないんだけど……まあ、とにかく話せるから。頼んだ」
「わかりました」

 ふんっ、と可愛らしく鼻息を鳴らし、シエラは大きく白い翼を羽ばたかせて身体を宙に浮かばせた。そのまま気づくとあっという間にはるか上空にまで飛び上がって見せた。

 見上げると彼女のスカートの中が丸見えであることに気づき顔を背ける。
 俺は必死に理性を働かせ、魔道具を追って外の裏山へと跳び出していった。


   ◇


 シエラのナビゲートを受けながら、俺は裏山の茂みに飛び込んで走り抜けた。

 上空から逐一情報を伝えてくれている。しかしマナの消耗が激しいらしく、彼女をサポートする形で地上からマリーディアがマナを供給していた。

 マナを吸われて枯れた草木の跡を突き進む。

 暴走が続けばやがては森中の木々がマナを吸われて全て潰えかねないだろう。

 そうなれば大問題だ。急に山の緑が消えれば周囲の住民だって気づくし、そうなれば事情を隠し通せるかもわからない。

「くっそ。こんなの、時給に対して割りにあわねえよ」

 息を切らせて走り続ける。
 作務衣は小枝にひっかかれて傷ができた。裾もすっかり土にまみれている。足首やふくらはぎにも無数の擦り傷ができ始めていた。

『ハルさん、魔道具はおそらくそこから日が昇っている方角へ進んでいます』

 熱い日差しに当てられながら、携帯からの指示を聞いて足を動かし続ける。

「――いたっ!」

 魔道具のシルエットを視界に捕らえたのはもう十五分以上走り続けた頃だった。

 マナ人形は短い足を小刻みに動かし、凹凸の激しい山の斜面を器用に走っていた。通過すると、周囲の茂みは瞬く間に生気をなくして葉をしな垂れさせていく。

 枯れて倒れた草木が道になるおかげで足場は安定しているが、これをずっと繰り返せば、すぐにでも山中の緑がなくなってしまうことだろう。なんとしても捕まえなければならない。

 幸い、走る速度は俺の方が速い。これならばもうすぐにでも追いつけそうだ。

 足に力を込め、ラストスパートとばかりに精根を尽くす。

 あと二メートル。
 あと一メートル。

「よし、いける」

 手が触れそうになった寸でのところで、草木を掻き分けて前を進んでいたはずの魔道具が姿を消した。

 不意に方向を変えたのだ。
 その理由は数秒遅れて把握できた。

 背の高い草木に覆われていた目の前の視界が途端に開けたかと思うと、低く切り立った崖が姿を現したのだった。

 急な方向転換に、しかし俺の勢いづいた身体は止まらない。

 留まろうと踏ん張った足が崖の縁を踏み外す。
 ぐらり、前のめりに身体が傾く。そうして前に倒れこむ形で俺は崖下へと放り出された。
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