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○3章 旅館のあり方

 -7 『値踏み』

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「ボク、将来は三人くらいほしいな」

 まだ両手を顔に当てて恥ずかしそうにしながら勝手な妄想を暴走させ続けさせていたエルナトに、俺はもはやどう突っ込んでいいのかわからず、そのまま放っておくことにした。

 なるほど。
 誤解のない正確な意思疎通のためにも、そして俺の健全な将来のためにも、マナと魔法はとても重要だということがよくわかった。

「マナというのはその土地の生命力のようなものです。大地には一定のマナが保たれていて、植物たちはその根ざした大地のマナを吸い上げて成長します。私たちの世界はマナが非常に豊富なので、大地から飽和してあふれ出したマナを利用して魔法を行使することができるんです。それに対してこちらの世界ではマナが少なく、悪く言えば枯渇気味、よく言えば生命が生きる必要最低限のマナしか存在していないようです」

「なるほどなあ。つまり、こっちのマナが完全に枯渇すると言葉も通じなくなるわけか」
「言葉以前に、生活することすら困難になると思います。マナがなくなるということは自然の生命力が枯渇するということ。大地が枯れ、人が生きるには苛酷な環境となってしまいます」

「もしそうなったら、ハルはボクたちの世界に来ればいいよ。一族そろって歓迎するよ。両親に顔合わせしないとだしね」

 いつの間にか翻訳魔法をかけなおしたエルナトがぼそぼそ呟いているのを、俺はきっと何かの翻訳ミスだということにしておいて聞かなかったことにした。

「そうなると、向こうの世界の魔法を使って何かするってのも難しい話になっちゃうんだな」
「個人差はあれど体内に貯蓄できるマナの量は少ないですからね。こちらではすぐに枯渇するでしょう。体内のマナを使い切れば最悪、死にいたります」

 随分と怖い話だ、と呑気に思っていると、

「キミが噂の春聡くんだったんだねえ」

 ふと背後から声をかけられた。
 振り返ると、派手なアロハシャツを目立たせた査察官の中條がいた。

 一見すると穏やかな初老の男性という雰囲気だが、役職が彼の陰にちらついてか、その微笑んだ瞳の奥には鋭く睨むような圧を感じられる。

「そうですけど。なんですか、査察官さん」
「なあに。ただちょっと様子を見に来たって程度のつもりなんだが」
「それだけですか」

 俺が尋ね返すと同時に、中條は俺の喉元へと手を伸ばしてきた。

 軽く触れ、彼が小さく言葉を呟く。
 翻訳魔法の解除だと、さっきのシエラを思い出して悟った。

 シエラやエルナトに聞かせないように、翻訳をさせないつもりだ。
 意図はわからないが、俺はそのまま大人しく話を聞くことにした。

「報告を見せてもらったけれど、なんでも今回の一件はキミが深く関わっているらしいねえ」
「はい。事件を起こしてしまったことは反省してます。ふみかさんにも謝りましたし、あの後、事後処理の始末書だって書かされました。これからは気をつけます」

「別に俺はキミを責めに来たわけじゃないんだ。ただ、気になっただけだよ。こんな大人の事情がてんこもりの職場にわざわざ深く顔を突っ込んで、ろくに責任を取れるような年齢ってわけでもないというのにその場に居続ける。そんな気の座った子のことが、ね」

 中條の言葉には明確な悪意が含まれていた。
 表情も声の調子も笑っているのに、隠すつもりもない棘が突き出していた。

 まだ子どもでしかない俺は、ここにいること自体が場違いだとでも言うような物言いだ。

 実際その通りなのかもしれない。
 問題を起こした後もこうして普通に働けているのは、両親やふみかさんが俺の知らないところで庇ってくれているからなのだろう。

「それはつまり、僕に辞めろって言ってるんですか」

「そういうわけじゃあないさ。ただ、自分の役割を満足に果たせない人間に、その場所に留まり続ける権利は無いというだけだよ。旅館にとってキミはどういう存在なのか。キミがいる意味とは何なのか。その有無が大事ってことさ」
「この旅館にとって……俺がいる意味……」

 確かに何も思いつかなかった。
 ただ両親の斡旋のおかげで働かせてもらっているだけのアルバイトだ。

 そんな責任を背負いきれない中途半端な存在が、国家機密を相手に働いている。あまりにも自分の身の丈にあっていないことを今更になって痛感させられる。

 いや、一般人である自分には不似合いな場所だとはわかってはいた。

 わかっていたが、気にしないようにしていた。
 ここで働かせてもらえて、いつの間にか、異世界人に対してはまるでその重要性も忘れるほどに親しみを覚えてしまっていたからだ。

 アーシェを見ても、シエラを見ても、エルナトを見ても。
 ゴーレム嬢や他の客たちだってそうだ。魔法のおかげで言葉も通じて意思疎通も容易い、ちょっと変わったお客さんという程度の認識でしかなかったのだ。

「まだ若い。やりたいことだってあるだろう。短いながらもここでお金を得たのだし、それを資金に街へ出て、色んな趣味や人脈を広げていけばいい。ごく普通の一般人としてね。何も困ることはないだろう。なにせ、ちょっとおかしかった非日常が普通の日常に戻るだけなんだ」

 その提案は、俺としては願ったり叶ったりなことのはずだった。
 田舎町を離れて都会に出る。そう思ってバイトをしていたはずなのに、どうしてか今の俺にはその言葉が酷く鼻についた。

「それでもし僕がこの旅館を出て行くことになった場合、どうなるんですか」
「どう、とは?」

 中條がわざとらしく肩をすくめて首を傾げる。

「ご両親のことかな、キミの後釜のことかな。それとも単純に――キミ自身のことかい?」
「……はい、僕のことです」

 俺は頷いた。
 視界の端でエルナトとシエラが息を呑んでこちらを見守っていた。

 エルナトに関しては今すぐにでも身を乗り出して何かを言いたそうにうずうすしていたが、それを我慢しているようだった。

 言葉は通じなくても、浮かない表情ばかり続けている俺を見て、あまりいい話をしているわけではないことは伝わってしまっているらしい。

「ここの出来事って国家機密なんですよね。そんな情報を持ったまま、僕がここを出て行っていいんですか」

 俺の問いに、ああそういうことか、と中條は乾いた笑みを浮かべた。

「なるほど。まあ心配は要らないさ。辞めてしばらくは多少の監視はつくだろうが、それもすぐに終わる。なにしろ向こうの世界には相手の記憶を操作する魔法まで存在するらしい。手間がかかって多様は難しいらしいがね。だからキミが辞める時も、何も思い残すことも心配する必要もないということさ」

「……子ども一人相手に至れり尽くせりですね」

 俺は口許を歪めて苦しい皮肉を返すのが精一杯だった。

 ――俺は、ただの一般人だ。

 わかっていた言葉が今更俺に圧し掛かる。
 一般人の、しかもただの子どもにできることなんて高が知れている。

 ふみかさんに「キミは異世界交流の先駆けよ」と言われて、自分がなにか特別なのだと勘違いしていたのだろうか。

 けれども俺には、別に何かできるような特別なことなんてなにもない。
 両親がそこで働いていて役割を斡旋してくれただけの、普通の高校生なのだ。

「ま、変な話をして悪かったな」

 中條はこれまでの神妙な面持ちが嘘のように、素っ頓狂に思えるような軽い口調で言った。俺と中條自身の翻訳魔法を再び起動し、何事もなかったと言わんばかりに調子よく笑う。

「お嬢さん方も失礼。用事も済んだので、しがないおじさんは若人の邪魔にならないうちに帰らせていただきますよ、っと」

 急に話を振られたエルナトとシエラが何を答えるよりも早く、中條はさっさと背を向けて遠ざかっていってしまった。

 査察官の後姿を、俺はただぼうっと眺めて見送ることしかできなかった。

 何も考えられなかった。
 今までも何も考えていなかったと自覚してしまった。

 そんな虚しさに打ちひしがれた。

「なんなのあの人、感じ悪い。ボク、あの人嫌いだ」

 エルナトが頬を膨らませてぶうたれる。
 シエラもまったく微動だにしない俺に、大丈夫ですか、と優しく声をかけてきてくれた。

「そうだ」とエルナトが何かを思いついたのか表情をにやけさせる。すると自分の喉元に手を当て、先ほどのシエラや査察官のように翻訳魔法を消し取ったかと思うと、

「○○○○」

 わからない異世界語で、遠ざかっていく査察官の背中目掛けて短く叫んだ。

「ふう、すっきり」

 また翻訳魔法を戻して、エルナトが満足そうに額を拭いて息をつく。

 と、中條がふとこちらに振り向いた。
 口許を不気味に引き上げ、口を開く。

「キミ。そんな女の子みたいな声で『馬鹿』なんて言われると、おじさん興奮しちゃうぞ」と。

「な、なんでバレたの?」

 たじろぐエルナとを余所に中條はまた踵を返すと、不敵に笑い声を上げて去っていった。

 エルナトは確かに翻訳魔法を切っていた。
 それなのに中條は理解しているようだった。

 すでに異世界言語を習得しているのだろうか。
 それとも何か魔法でも使っていたのだろうか。

 どちらにせよ、政府から派遣されたというだけあって只者ではないということだ。一般人である俺との差を見せ付けられたようで、いよいよもって彼との立場の違いを肌身に感じた。

「俺みたいな普通の人間とはまさに住む世界が違うってことか」

 呟いた言葉に小首を傾げるエルナトとシエラを余所に、俺はひしひしと、自分の場違いさを痛感するばかりだった。
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