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○2章 あやめ荘の愛おしき日常

 -10『お友達』

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 それからというもの、しおらしいエルナトには違和感ばかりだった。

 卓球を続けている間も、目が合うと頬を赤らめて顔を背ける。
浴衣がはだけて肌が見えそうになると慌てて着直す。以前ならばむしろ反対に、挑発的に肌を見せてきて俺を遊び道具にしていたはずなのにだ。

「ね、ねえ。ハル。いまの上手じゃなかった?」

 ピン球を綺麗に打ち返してきわどいコースに決めたエルナトが俺に駆け寄ってくる。

「ああ、いい感じだったな」と褒めてやると、「えへへ、そうだよね」と両手を口許に当てながら心底嬉しそうに笑っていた。

 心なしか以前よりも些細な仕草まで女の子染みてきている気がする。その中に俺を挑発してくるような気取った態度は窺えない。

 しかしだからこそ困る。

「……やりづらい」

 エルナトの様子に、俺はどうにも居心地の悪さを感じていた。

「ハル様は男性がお好きだったのですね。それならばシエラ様も安泰です」

 神出鬼没にまた背後へやって来たマリーディアにまでからかわれる始末だ。

 あの婚約騒ぎの後、千穂たちにも必死に否定を説いた。

 だがシエラにいたっては本気で俺とエルナトを祝福してくれるほどの信じ込みっぷりだった。しばらくして騒ぎも落ち着き卓球を再開したのだが、エルナトの様子のおかしさに調子が狂うばかりだ。

 困惑して面食らっているとちょうどアミューズメントコーナーの脇の廊下に小さな人影が通りかかるのを見つけ、気を紛らわすつもりで声をかけた。

「よお、アーシェ」

 菖蒲模様の浴衣の裾と綺麗な白髪を翻らせ、アーシェが足を止めて振り返る。

「なに」と答えた声は不機嫌そのもののようだったが、いつも通りといえばいつも通りで安心する。アーシェがやってきたのは廊下の奥、ゲームコーナーの方からだった。

「もしかして、こんな時間までやってたのか?」

 俺の問いにアーシェは頷くことすらしなかったが、否定もしなかった。

 おそらくその通りなのだろう。彼女の目許には眼精疲労からくる微かな隈が伺える。色白の肌のせいでより目立っていて、たった数時間前に会った時よりずっと不健康そうな顔だ。

「お前、なんか顔つき変わったな」
「どういう意味よ」

 ぎろりと睨まれて俺は続けようとした言葉を引っ込めた。
 せっかくの整った顔立ちなのに、残念美少女もいいところだ。

 まさかアーシェがそれほどゲームに没入するとは思わなかったので驚きだ。よほど気に入ったのか、それとも単に負けず嫌いなだけなのか。

 もしかすると俺は、一人の真人間を堕落人にしてしまったのではないだろうか。と若干の後悔がないこともない。

「あの。貴女も一緒にやりませんか」

 俺とアーシェの間に割って入るようにシエラがやってきた。
 ラケットを片手に、満面の笑みを浮かべてアーシェを見つめる。

 一方、勧誘されたアーシェはやはり興味なさそうに表情を険しく固まらせたままだ。

「どうですか」
「ふん、お断りよ」

 怒気のこもった声でアーシェが首を振る。

「楽しいですよ」
「興味ないわ」
「一度だけでも」
「けっこうよ」

 頑として断り続け眉の角度が更に傾斜を帯びていくアーシェに対し、シエラは欠片も笑顔を絶やさずに食い下がる。
 たいした精神力だ。
 絶対に一緒にやってくれると何の疑いもなく信じているかのように、一向に引き下がる気配を見せない。

「あ、もしかしてやり方がわからないんですね」

 シエラの言葉に、アーシェの眉がぴくりと動く。

「初めてだから上手くできるかわからなくて不安なんですよね。でも大丈夫です。ハルさんたちが教えてくれますし、私も今知ったばかりの初心者なんです」

「なによいきなり」
「上手くできなくても皆一緒ですよ」
「私は別に、上手くできないからやらないわけじゃないわ」
「あら、卓球の経験はおありで?」
「……もちろんよ」

 数秒の間があった。白々しい。

「でしたらやりましょうよ」
「なんでそうなるのよ」
「私、とても下手なので。貴女にも教えていただきたいです。経験者なんですよね」
「イヤよ」
「せっかくなんですから、ぜひ」

 驚くほどに粘るシエラに、さすがのアーシェも困惑しているようだった。
 強めていた口調はいつの間にか勢いを削がれていて、口許を僅かに引きつらせながらたじろいでいるように見える。

 煽りや嫌味ではなく、シエラのどこまでも純粋な、ただ一緒に遊びたいという気持ちが伝わってくる分、邪険にもできず性質が悪いのだろう。

 ――なるほど、こうすればアーシェから一本取れるのか。

 俺も物珍しい光景に関心を覚えながらぼけっと二人のやり取りを眺める。

 ゲームで何度も再戦を申し込んできていたアーシェも相当な負けず嫌いだ。
 だがシエラも同じくらい、いやもしかするとそれ以上なのかもしれないと思った。侍女の目を盗み、まともに目が見えなくなっても温泉に入ろうとしたり。意地の強さは彼女が一番なのかもしれない。

「しつこいわね。貴方、天族でしょう。いったい何が目的なの?」

 ひたすらの会話の応酬にさすがに我慢ならなくなったアーシェが、シエラの背中の翼を見てようやく強く言い返す。

 するとシエラは変わらず優しく微笑んだまま、
「お友達になることです」と一切の迷いなく言葉を返した。

 花が咲いたような彼女の満開の笑顔に、身構えていたアーシェは拍子抜けして顔を唖然とさせていた。
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