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-10『舞台袖の緊張』
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午後二時を迎えたのと同時に、開演のブザーが鳴り響いた。
学園の敷地内にある大きな体育館。
暗幕が張り巡らされたそこは、普段のスポーティな雰囲気とは正反対に、厳かな雰囲気を醸し出している。
生徒や職員たちによって豪勢に装飾されたそこは大劇場さながらの様相だった。細部にまで綺麗な飾りが施され、さすが貴族学校らしくよほどお金もかけられているのだとわかる。椅子も貧相なパイプではなく、しっかりと足の太い木組みものだ。ずらりと体育館いっぱいに敷き詰められたそれは、何十、何百と群をなして壇上への圧迫感を増させている。
たかが一学校の生徒による演劇ではあるが、その客席は見事に埋まっていた。
会場の照明が消え、ざわついていた喧噪がさっとやむ。
「すげえ人だぜ」
舞台袖で長ネギが興奮を抑えきれない様子で言った。
それに釣られて他の生徒たちも客席を覗き込み、驚いたり、緊張で固まったりと一様に反応を見せていく。
そんな彼らをぼうっと眺めながら、私は始まりの時間を待っていた。
「ユフィ」
ふと、フェロがやってくる。
「その衣装。なんだかいつもの雰囲気が違って、その……」
そこまで言って、フェロは気恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
「なによ」
「いや、その」
私の今の格好は、悪役モンタージュの衣装だ。私が演じるということで、本来ならば男性であるはずのモンタージュは今回だけ女性に変更されている。そのため男装ではなく、煌びやかなドレスを身にまとった姿となっていた。
悪役とはいえラスボスだ。
ちゃちな格好の悪女を主人公が倒すだけではさすがに格好が付かない。
そんな事情もあって、私のドレスも随分と気合いの入った豪奢なものを用意されていた。
なんとも歯がゆい気分だ。
私は片田舎の育ちなので、ろくにパーティもなく、ドレスを着て畏まる機会なんてほとんどなかった。まあ、だからこそ今の無遠慮な正確に成り立ったのだろうが。
そんな私がドレスを着ていることにものすごく違和感がある。
フェロだって、私を見て笑っているに違いない。さっき女装をさせた仕返しとばかりに。
そう思ってフェロを睨んでいると、
「……なんか、今日はいつもと雰囲気が違って可愛いね」
「ふぇ?!」
不意にそんなことを言われ、私はびっくりして素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
「な、なによ。いつもは可愛くないっていうわけ?!」
「ち、ちち、違うよ。そういう意味じゃなくって」
咄嗟に私が強く言うと、フェロはおどおどとたじろいで焦っていた。
「お熱いね、お二人さん」
「からかわないで、ルック」
端で眺めていたルックに笑われ、私は鼻を鳴らしてフェロから顔を背けた。
「ご、ごめんね、ユフィ。そんなつもりじゃ」
「もういいわよ」
強く突き放すように言った私に、フェロはややしょんぼりと肩を落として去っていってしまったのだった。
さすがに言い過ぎたか。
フェロはきっと何も悪くないってわかっているのに。あれはただの、私の照れ隠しだったのに。
けれど謝る言葉も素直に喉を通ってくれなかった。
どうしてだろう。
心がざわついて、どうにも落ち着かなかった。
言いたいことはいつも無遠慮にずけずけと言うのが私の性分のはずなのに。それがたとえお偉い貴族様だったとしても。
「……体調でも悪いのかしら」
心の奥がもやもやとしている。
「俺もこれまでたくさんの本を読んで、たくさんのことを知ってきた。けど、どれだけの本を読んでも、得られるのは他人の知識だけさ」
ルックがまるで独白のように言葉を漏らした。
言っている意味はわからなかった。けれどその矛先は私へと向いているのだろうということはわかった。
「なによルック――きゃっ」
私がルックに問いかけようとした瞬間、不意に背後から何かに抱きつかれた。
「ねえねえユフィっちー。緊張するよー!」
顔を見なくても浮ついた声でわかる。スコッティだ。私の首にまとわりつくようにじゃれついてきて、せっかくのドレスがくしゃくしゃになりそうだった。
「こら、離れなさい」
「やーだー。どきどきするー」
「わがままを言わないの」
「……まるでお母さんみたい」
一緒にやって来たリリィが私たちを見て笑う。
「リリっちは裏方だもんねー。あたしの緊張を分けてあげたいよー」
「わ、私は人前は無理なので。わわ、やめてくださいぃっ」
今度はリリィにまで抱きつくスコッティ。何かしら体を動かしていないと落ち着かないのだろう。
「あ、そうだ」
リリィが、提げていた鞄をまさぐる。
「これ、お守りです。私の代わりだと思って持っていてください」
そう言って彼女が取り出したのはマンドラゴラだった。
「作ったんです。私は舞台に出られないから。せめて、このどらごんちゃんのお人形だけでも一緒にって」
リリィの健気な気持ちはとてもよく伝わってくる。
いや、しかし。
いくら作り物とはいえ、これを舞台に持ち込むべきなのだろうか?
「はいどうぞ」と純粋な笑顔でリリィがスコッティに手渡す。さすがに全力の親切心からくる彼女の満面の笑顔を前に拒めるはずもなく、スコッティはそれを大人しく受け取った。
途端、そのマンドラゴラの人形――であるはずのものが手足をうねうねと動かしはじめる。
「わわっ。なんかこのお人形生きてるみたいなんだけどー! きゃー、腕に絡みついてきたー!」
「ああっ、ごめんなさい! そっちは本物のどらごんちゃんでした!」
――なんで本物が鞄に入ってるの!
そう突っ込みたくなったが、そう言えば以前から鞄に入れて持ち歩いていた子だ。今更である。
スコッティの腕にまで絡みついたマンドラゴラをリリィが慌てて引きはがそうとするが、予想以上にマンドラゴラは離れなかった。リリィが懸命に引っ張るものの、非力すぎるのかびくともしない。
「も、もう。どらごんちゃん! 我が儘は駄目っ!」
いつにない強気な怒り口調のリリィもまた、なんだか新鮮で可愛らしかった。頬がぷっくりと膨らんでいて、力を張っているところにその頬をつついてみたらどんな反応をするだろう、なんて私は内心にこやかに眺めているばかりだ。
「はぁ……はぁ……。おらごん、ちゃん。めっ、だよ」
「あー。なんか離れないんだったらいいよー。このままやるから」
「で、でも」
「ちょっとぬるぬる動かれてこそばゆいけれど、まあ大丈夫かな」
「わ、わかりましたっ! もし離れてくれたらすぐに人形と取り替えますんで!」
――あ、マンドラゴラをつけるのは必須なのね。
傍目で眺めながら私は苦笑していた。
『――本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。これから行います演目は、貴族学園一年生による演劇です』
会場にはアナウンスが流れている。もうすぐ出番だ。
舞台袖には準備を終えた多くの生徒が集まり始めている。私たちの他にも、衣装をまとったライゼや長ネギたちまで。
「楽しい劇にしねえとなあ」
ふと、長ネギが私を一瞥してきた。しかしすぐに視線をライゼたちの方へ戻すと、息巻いて自分の準備へと戻っていった。
薄暗い舞台袖。
セットの用意された舞台上。
あそこで私たちはこれから、劇をする。
舞台にはすでに、最初に登場する生徒が幕開けの時を待っている。照明担当の生徒も二階から見守っている。小道具班は先回って次の、その次のシーンに使う小道具の準備に走り回っている。
全員の緊張が、この舞台袖の隅々にまで走っていくのがわかった。
「それじゃあいくよ」
舞台袖に集まった級友たちにライゼが言う。
仲間たちはそれぞれに表情を強ばらせたり笑ったりと、色彩豊かに頷いた。
演出係から合図がきた。
ゆっくりと幕が上がり始める。
誰かの喉が鳴るのが聞こえた。
さあ始まるぞ、と。そう言いたげな、乾いた音。
「始まるのね」
私も珍しく手に汗を握っている。
大舞台の、開演だ。
学園の敷地内にある大きな体育館。
暗幕が張り巡らされたそこは、普段のスポーティな雰囲気とは正反対に、厳かな雰囲気を醸し出している。
生徒や職員たちによって豪勢に装飾されたそこは大劇場さながらの様相だった。細部にまで綺麗な飾りが施され、さすが貴族学校らしくよほどお金もかけられているのだとわかる。椅子も貧相なパイプではなく、しっかりと足の太い木組みものだ。ずらりと体育館いっぱいに敷き詰められたそれは、何十、何百と群をなして壇上への圧迫感を増させている。
たかが一学校の生徒による演劇ではあるが、その客席は見事に埋まっていた。
会場の照明が消え、ざわついていた喧噪がさっとやむ。
「すげえ人だぜ」
舞台袖で長ネギが興奮を抑えきれない様子で言った。
それに釣られて他の生徒たちも客席を覗き込み、驚いたり、緊張で固まったりと一様に反応を見せていく。
そんな彼らをぼうっと眺めながら、私は始まりの時間を待っていた。
「ユフィ」
ふと、フェロがやってくる。
「その衣装。なんだかいつもの雰囲気が違って、その……」
そこまで言って、フェロは気恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
「なによ」
「いや、その」
私の今の格好は、悪役モンタージュの衣装だ。私が演じるということで、本来ならば男性であるはずのモンタージュは今回だけ女性に変更されている。そのため男装ではなく、煌びやかなドレスを身にまとった姿となっていた。
悪役とはいえラスボスだ。
ちゃちな格好の悪女を主人公が倒すだけではさすがに格好が付かない。
そんな事情もあって、私のドレスも随分と気合いの入った豪奢なものを用意されていた。
なんとも歯がゆい気分だ。
私は片田舎の育ちなので、ろくにパーティもなく、ドレスを着て畏まる機会なんてほとんどなかった。まあ、だからこそ今の無遠慮な正確に成り立ったのだろうが。
そんな私がドレスを着ていることにものすごく違和感がある。
フェロだって、私を見て笑っているに違いない。さっき女装をさせた仕返しとばかりに。
そう思ってフェロを睨んでいると、
「……なんか、今日はいつもと雰囲気が違って可愛いね」
「ふぇ?!」
不意にそんなことを言われ、私はびっくりして素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
「な、なによ。いつもは可愛くないっていうわけ?!」
「ち、ちち、違うよ。そういう意味じゃなくって」
咄嗟に私が強く言うと、フェロはおどおどとたじろいで焦っていた。
「お熱いね、お二人さん」
「からかわないで、ルック」
端で眺めていたルックに笑われ、私は鼻を鳴らしてフェロから顔を背けた。
「ご、ごめんね、ユフィ。そんなつもりじゃ」
「もういいわよ」
強く突き放すように言った私に、フェロはややしょんぼりと肩を落として去っていってしまったのだった。
さすがに言い過ぎたか。
フェロはきっと何も悪くないってわかっているのに。あれはただの、私の照れ隠しだったのに。
けれど謝る言葉も素直に喉を通ってくれなかった。
どうしてだろう。
心がざわついて、どうにも落ち着かなかった。
言いたいことはいつも無遠慮にずけずけと言うのが私の性分のはずなのに。それがたとえお偉い貴族様だったとしても。
「……体調でも悪いのかしら」
心の奥がもやもやとしている。
「俺もこれまでたくさんの本を読んで、たくさんのことを知ってきた。けど、どれだけの本を読んでも、得られるのは他人の知識だけさ」
ルックがまるで独白のように言葉を漏らした。
言っている意味はわからなかった。けれどその矛先は私へと向いているのだろうということはわかった。
「なによルック――きゃっ」
私がルックに問いかけようとした瞬間、不意に背後から何かに抱きつかれた。
「ねえねえユフィっちー。緊張するよー!」
顔を見なくても浮ついた声でわかる。スコッティだ。私の首にまとわりつくようにじゃれついてきて、せっかくのドレスがくしゃくしゃになりそうだった。
「こら、離れなさい」
「やーだー。どきどきするー」
「わがままを言わないの」
「……まるでお母さんみたい」
一緒にやって来たリリィが私たちを見て笑う。
「リリっちは裏方だもんねー。あたしの緊張を分けてあげたいよー」
「わ、私は人前は無理なので。わわ、やめてくださいぃっ」
今度はリリィにまで抱きつくスコッティ。何かしら体を動かしていないと落ち着かないのだろう。
「あ、そうだ」
リリィが、提げていた鞄をまさぐる。
「これ、お守りです。私の代わりだと思って持っていてください」
そう言って彼女が取り出したのはマンドラゴラだった。
「作ったんです。私は舞台に出られないから。せめて、このどらごんちゃんのお人形だけでも一緒にって」
リリィの健気な気持ちはとてもよく伝わってくる。
いや、しかし。
いくら作り物とはいえ、これを舞台に持ち込むべきなのだろうか?
「はいどうぞ」と純粋な笑顔でリリィがスコッティに手渡す。さすがに全力の親切心からくる彼女の満面の笑顔を前に拒めるはずもなく、スコッティはそれを大人しく受け取った。
途端、そのマンドラゴラの人形――であるはずのものが手足をうねうねと動かしはじめる。
「わわっ。なんかこのお人形生きてるみたいなんだけどー! きゃー、腕に絡みついてきたー!」
「ああっ、ごめんなさい! そっちは本物のどらごんちゃんでした!」
――なんで本物が鞄に入ってるの!
そう突っ込みたくなったが、そう言えば以前から鞄に入れて持ち歩いていた子だ。今更である。
スコッティの腕にまで絡みついたマンドラゴラをリリィが慌てて引きはがそうとするが、予想以上にマンドラゴラは離れなかった。リリィが懸命に引っ張るものの、非力すぎるのかびくともしない。
「も、もう。どらごんちゃん! 我が儘は駄目っ!」
いつにない強気な怒り口調のリリィもまた、なんだか新鮮で可愛らしかった。頬がぷっくりと膨らんでいて、力を張っているところにその頬をつついてみたらどんな反応をするだろう、なんて私は内心にこやかに眺めているばかりだ。
「はぁ……はぁ……。おらごん、ちゃん。めっ、だよ」
「あー。なんか離れないんだったらいいよー。このままやるから」
「で、でも」
「ちょっとぬるぬる動かれてこそばゆいけれど、まあ大丈夫かな」
「わ、わかりましたっ! もし離れてくれたらすぐに人形と取り替えますんで!」
――あ、マンドラゴラをつけるのは必須なのね。
傍目で眺めながら私は苦笑していた。
『――本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。これから行います演目は、貴族学園一年生による演劇です』
会場にはアナウンスが流れている。もうすぐ出番だ。
舞台袖には準備を終えた多くの生徒が集まり始めている。私たちの他にも、衣装をまとったライゼや長ネギたちまで。
「楽しい劇にしねえとなあ」
ふと、長ネギが私を一瞥してきた。しかしすぐに視線をライゼたちの方へ戻すと、息巻いて自分の準備へと戻っていった。
薄暗い舞台袖。
セットの用意された舞台上。
あそこで私たちはこれから、劇をする。
舞台にはすでに、最初に登場する生徒が幕開けの時を待っている。照明担当の生徒も二階から見守っている。小道具班は先回って次の、その次のシーンに使う小道具の準備に走り回っている。
全員の緊張が、この舞台袖の隅々にまで走っていくのがわかった。
「それじゃあいくよ」
舞台袖に集まった級友たちにライゼが言う。
仲間たちはそれぞれに表情を強ばらせたり笑ったりと、色彩豊かに頷いた。
演出係から合図がきた。
ゆっくりと幕が上がり始める。
誰かの喉が鳴るのが聞こえた。
さあ始まるぞ、と。そう言いたげな、乾いた音。
「始まるのね」
私も珍しく手に汗を握っている。
大舞台の、開演だ。
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