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-7 『煙に巻かれた真実』
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「納得いかないわ」
保健室でしばらく休んで元気になった私は、ベッドの横で寄り添ってくれていたフェロに不機嫌にそう言った。
さすがは貴族の金持ち学校とでも言うべきか、わざわざ医者が駆けつけてきて私の容体を診てくれた。どうやら問題はなさそうで、半時ほど眠ればすっかり調子を取り戻していた。
だからこそ、自分の問題が解決した瞬間にすぐさまリリィが気になってしまった。
「まだ職員室にいるみたい。まだ確認作業をしてる消防隊の人を待ってるんだって」
「じゃあそこに私も行くわ。あの子は何もやってない。そんな子じゃないわ」
「僕だってそう思うよ。でも、今は待ってるしかできないから」
口惜しそうにフェロも奥歯を噛んでいた。
本当に何もできないのだろうか。
リリィがあの空間を大切にしていたことを知っているだけに、彼女が疑われていることがとても心苦しい。
私に何かできればいいのに。
そう思っていると、保健室の扉が開いて騒がしい声が飛び込んできた。
「おっすー! おすおすおっすー! ユフィっち大丈夫ー?」
スコッティだ。ルックも一緒である。
眩しいほどの笑顔を引っさげて入ってきた彼女は、ベッドに腰を下ろした私を見て死人を見たように顔を驚かせた。
「うひゃー! ユフィっち、もしかして大怪我だった? 大丈夫?!」
「あー。これはマズそうだね。見たところ肋骨が折れてるよ。ほら、そのせいで胸元がへっこんでる」
「ええーっ!! それは大変だー!!」
「殴るわよ、ルック」
私の貧相な胸元を見てスコッティが心底心配そうな顔を浮かべ、ルックはニヤニヤと笑顔をこぼし、それに対して私は眉を吊り上げて握りこぶしを作っていた。
「肋骨大丈夫なのー、ユフィっち?」
「肋骨もなにも、全て大丈夫よ。健康」
「な、なんだー。それはよかった」
嘘つかれたルックに怒鳴り返すかと思ったが、しかしスコッティは私の返事を聞いてただただ嬉しそうに胸を撫で下ろしていた。
生粋の優しい性格なのだろう。本気で心配してくれていたようだ。
「ありがとうね、スコッティ」
「みんなが笑顔で健康にいるならそれが一番だよー」
「お婆さんみたいなことを言うな」とルックが茶化すと、今度こそスコッティは鼻息を荒げてルックをぺしぺしと叩いて怒っていた。
「それにしても――」
スコッティの打撃を、羽虫を払うように適当にあしらいながらルックが言う。
「温室の火事だなんて物騒だね。あそこができてからもう二十年以上経つみたいだけど、これまでは小火騒ぎすらなかったらしい。そもそも火がつくと危険だということは以前から誰もがわかっていたから、そういう危ないものは決して近づけてなかったはずだ」
「そうね」
いたって真面目な顔を作ってルックが言うものだから、私も真面目に頷いてしまった。いや、それでいいのだろうけど。相変わらず何故か乗っかっている頭の鳩だけは能天気な顔で「くるっぽー」と鳴いたりするものだから、その差異で笑ってしまいそうになった。
「そういえば、燃えてたってどこが燃えてたのー?」
スコッティが純朴な疑問を投げかけてくる。
「どこって……中庭の温室だけど」
「それはさすがにわかってるよー。そうじゃなくって。どの辺りから燃えたのかなって」
そういえば私が火事に気づいた時には、壁の一面が燃えている程度だった。それがやがて柱や植物を伝って燃え広がっていったが、まだ燃えていないところも多かった。つまりおおよそ火種があったであろう場所はその壁の周辺だと特定できる。
私がそれを説明すると、スコッティは考えているような、けれどちゃんとはわかっていないような顔で小首を傾げた。
「えーっと。それじゃあ、もしかしたら壁の外からだったかもしれないってこと?」
「……そうね。あそこは焼レンガじゃない。ガラスと支柱が張り巡らされているだけだわ」
「あの周りには他に燃え広がるものもない。校舎までは芝も途切れて砂地がむき出しになっている場所だ。その時の風向きはわからないけど、火の逃げ場が温室側にしかなかったのだとすると、外の出火なのに温室だけが燃えたのも納得できるね」
私と一緒にルックもそう思慮をめぐらせていた。
「しかしあんな物陰のどこにそんな燻るようなものが……」
「「物陰……あっ!」
ルックの言葉に、私はふと思い出した。
そして気付くが早いかベッドから飛び出して保健室を出た。
突然のことに「どうしたの?」とフェロたちが慌てて追いかけてくる。しかしそれも気にせず、私は足を一目散に温室の方へ向けたのだった。
たどり着いたのは温室――ではなく、その温室と校舎の間にある物陰だ。やや出っ張った温室の柱に挟まれて人目につきづらいそこは、火事の時には気付かなかったが、他の場所よりもかなり地面が黒ずんで焼けていた。周囲の雑草はほとんどが根こそぎ燃え落ちている。
「たしかここだったわよね」
記憶を辿る。
休み時間。そう、私が渡り廊下の二階から温室を眺めていたあの時、この場所にいた人間のこと。
「……長ネギだわ」
彼ともう一人の生徒が遠巻きにリリィを見て嘲笑っていた。あの時、私は少しの煙たさを覚えたのを思い出した。
その時からすでに火事だったわけではおそらくない。その煙たさは本当にささやかで、一緒に漂っている甘い香りに掻き消されそうなほどだった。
「甘い香り……」
長ネギたちが立っていた場所を調べる。
焼け残った芝の上、焦げた地面。
「――これは」
やがて温室の壁際の隅に何かの残骸を見つけた。それは手の平大の棒状のもので、ほとんど灰になっていたが、その隣にたまたま土の地面の上で焼け逃れていたものがもう一つあった。
先端だけ焼けたその大きさと形にはとても見覚えがある。
「やっぱり、葉巻だわ」
私はその燃え残りを拾い上げた。
以前、市場で出た時に露天商に見せられたそれとそっくりだった。
「まさかそれが原因かい?」
追ってきたルックが呆れ顔を浮かべて言う。
「かもしれないわね」
「まさかこの学校で吸ってる奴がいるとはね」
「若い貴族に流行ってるらしいじゃない」
「そういう噂は聞くけど、実際に目にしたのは初めてだね。一体誰が」
「長ネ……ネギンスね」
「ネギンスだって? これはこれは、けっこうな名家じゃないか」
ルックの口調は長ネギを敬うようではなくて、むしろ嘲るようだった。
「ネギンスくんがどうしたのー?」と、話についていけていないスコッティが首を出してくる。しかしそんな彼女をルックは「いや、なんでもないよ」と払いのけた。
「普段は適当なことをなんでも言うくせに。こういうことは言わないのね」
「これに関してはシビアな問題だからね。知らないで済むなら一番さ。それにまだ、これを拾っただけじゃネギンスが黒とは言い切れない。疑うことを知らないあの子に言ってしまえば、きっと彼女は顔に出る。上級貴族の上の人間に目をつけられかねない」
初めて真面目そうな表情で言う彼に、私は少し見直す気持ちになってしまった。
「とにかく、これはリリィが犯人じゃない重要な証拠になるかもしれない。燃えカスの方はそのままにして、これだけでも持っていってみよう」
「そうね」
終始冷静なルックのおかげで私もすっかり落ち着くことができていた。普段はでたらめな彼だが、誠実であり信頼には足るようだ。相変わらず頭の鳩は気になるが。
「くるっぽー」
「おっと。叔母さんがお腹をすかせてる」
「また間柄変わってるわよ」
ポケットから袋に入った麦の粒を取り出して与えるルックに、私の感心は苦笑と共にまた薄れていったのだった。
保健室でしばらく休んで元気になった私は、ベッドの横で寄り添ってくれていたフェロに不機嫌にそう言った。
さすがは貴族の金持ち学校とでも言うべきか、わざわざ医者が駆けつけてきて私の容体を診てくれた。どうやら問題はなさそうで、半時ほど眠ればすっかり調子を取り戻していた。
だからこそ、自分の問題が解決した瞬間にすぐさまリリィが気になってしまった。
「まだ職員室にいるみたい。まだ確認作業をしてる消防隊の人を待ってるんだって」
「じゃあそこに私も行くわ。あの子は何もやってない。そんな子じゃないわ」
「僕だってそう思うよ。でも、今は待ってるしかできないから」
口惜しそうにフェロも奥歯を噛んでいた。
本当に何もできないのだろうか。
リリィがあの空間を大切にしていたことを知っているだけに、彼女が疑われていることがとても心苦しい。
私に何かできればいいのに。
そう思っていると、保健室の扉が開いて騒がしい声が飛び込んできた。
「おっすー! おすおすおっすー! ユフィっち大丈夫ー?」
スコッティだ。ルックも一緒である。
眩しいほどの笑顔を引っさげて入ってきた彼女は、ベッドに腰を下ろした私を見て死人を見たように顔を驚かせた。
「うひゃー! ユフィっち、もしかして大怪我だった? 大丈夫?!」
「あー。これはマズそうだね。見たところ肋骨が折れてるよ。ほら、そのせいで胸元がへっこんでる」
「ええーっ!! それは大変だー!!」
「殴るわよ、ルック」
私の貧相な胸元を見てスコッティが心底心配そうな顔を浮かべ、ルックはニヤニヤと笑顔をこぼし、それに対して私は眉を吊り上げて握りこぶしを作っていた。
「肋骨大丈夫なのー、ユフィっち?」
「肋骨もなにも、全て大丈夫よ。健康」
「な、なんだー。それはよかった」
嘘つかれたルックに怒鳴り返すかと思ったが、しかしスコッティは私の返事を聞いてただただ嬉しそうに胸を撫で下ろしていた。
生粋の優しい性格なのだろう。本気で心配してくれていたようだ。
「ありがとうね、スコッティ」
「みんなが笑顔で健康にいるならそれが一番だよー」
「お婆さんみたいなことを言うな」とルックが茶化すと、今度こそスコッティは鼻息を荒げてルックをぺしぺしと叩いて怒っていた。
「それにしても――」
スコッティの打撃を、羽虫を払うように適当にあしらいながらルックが言う。
「温室の火事だなんて物騒だね。あそこができてからもう二十年以上経つみたいだけど、これまでは小火騒ぎすらなかったらしい。そもそも火がつくと危険だということは以前から誰もがわかっていたから、そういう危ないものは決して近づけてなかったはずだ」
「そうね」
いたって真面目な顔を作ってルックが言うものだから、私も真面目に頷いてしまった。いや、それでいいのだろうけど。相変わらず何故か乗っかっている頭の鳩だけは能天気な顔で「くるっぽー」と鳴いたりするものだから、その差異で笑ってしまいそうになった。
「そういえば、燃えてたってどこが燃えてたのー?」
スコッティが純朴な疑問を投げかけてくる。
「どこって……中庭の温室だけど」
「それはさすがにわかってるよー。そうじゃなくって。どの辺りから燃えたのかなって」
そういえば私が火事に気づいた時には、壁の一面が燃えている程度だった。それがやがて柱や植物を伝って燃え広がっていったが、まだ燃えていないところも多かった。つまりおおよそ火種があったであろう場所はその壁の周辺だと特定できる。
私がそれを説明すると、スコッティは考えているような、けれどちゃんとはわかっていないような顔で小首を傾げた。
「えーっと。それじゃあ、もしかしたら壁の外からだったかもしれないってこと?」
「……そうね。あそこは焼レンガじゃない。ガラスと支柱が張り巡らされているだけだわ」
「あの周りには他に燃え広がるものもない。校舎までは芝も途切れて砂地がむき出しになっている場所だ。その時の風向きはわからないけど、火の逃げ場が温室側にしかなかったのだとすると、外の出火なのに温室だけが燃えたのも納得できるね」
私と一緒にルックもそう思慮をめぐらせていた。
「しかしあんな物陰のどこにそんな燻るようなものが……」
「「物陰……あっ!」
ルックの言葉に、私はふと思い出した。
そして気付くが早いかベッドから飛び出して保健室を出た。
突然のことに「どうしたの?」とフェロたちが慌てて追いかけてくる。しかしそれも気にせず、私は足を一目散に温室の方へ向けたのだった。
たどり着いたのは温室――ではなく、その温室と校舎の間にある物陰だ。やや出っ張った温室の柱に挟まれて人目につきづらいそこは、火事の時には気付かなかったが、他の場所よりもかなり地面が黒ずんで焼けていた。周囲の雑草はほとんどが根こそぎ燃え落ちている。
「たしかここだったわよね」
記憶を辿る。
休み時間。そう、私が渡り廊下の二階から温室を眺めていたあの時、この場所にいた人間のこと。
「……長ネギだわ」
彼ともう一人の生徒が遠巻きにリリィを見て嘲笑っていた。あの時、私は少しの煙たさを覚えたのを思い出した。
その時からすでに火事だったわけではおそらくない。その煙たさは本当にささやかで、一緒に漂っている甘い香りに掻き消されそうなほどだった。
「甘い香り……」
長ネギたちが立っていた場所を調べる。
焼け残った芝の上、焦げた地面。
「――これは」
やがて温室の壁際の隅に何かの残骸を見つけた。それは手の平大の棒状のもので、ほとんど灰になっていたが、その隣にたまたま土の地面の上で焼け逃れていたものがもう一つあった。
先端だけ焼けたその大きさと形にはとても見覚えがある。
「やっぱり、葉巻だわ」
私はその燃え残りを拾い上げた。
以前、市場で出た時に露天商に見せられたそれとそっくりだった。
「まさかそれが原因かい?」
追ってきたルックが呆れ顔を浮かべて言う。
「かもしれないわね」
「まさかこの学校で吸ってる奴がいるとはね」
「若い貴族に流行ってるらしいじゃない」
「そういう噂は聞くけど、実際に目にしたのは初めてだね。一体誰が」
「長ネ……ネギンスね」
「ネギンスだって? これはこれは、けっこうな名家じゃないか」
ルックの口調は長ネギを敬うようではなくて、むしろ嘲るようだった。
「ネギンスくんがどうしたのー?」と、話についていけていないスコッティが首を出してくる。しかしそんな彼女をルックは「いや、なんでもないよ」と払いのけた。
「普段は適当なことをなんでも言うくせに。こういうことは言わないのね」
「これに関してはシビアな問題だからね。知らないで済むなら一番さ。それにまだ、これを拾っただけじゃネギンスが黒とは言い切れない。疑うことを知らないあの子に言ってしまえば、きっと彼女は顔に出る。上級貴族の上の人間に目をつけられかねない」
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「とにかく、これはリリィが犯人じゃない重要な証拠になるかもしれない。燃えカスの方はそのままにして、これだけでも持っていってみよう」
「そうね」
終始冷静なルックのおかげで私もすっかり落ち着くことができていた。普段はでたらめな彼だが、誠実であり信頼には足るようだ。相変わらず頭の鳩は気になるが。
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