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【番外編 1】母の野望は固く実を結ぶ
母の野望は固く実を結ぶ ④
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千鶴は和ダンスから着物を出し、たとう紙の紐を解いて中を確認する。同じように帯も確認し、小物類も用意した。
黒留袖と振袖。袋帯を二本とその他諸々の小物類を二人分。
振袖を包んでいるたとう紙の紐を結び直しながら、千鶴は溜息を吐く。
(あと何回、着るのかしらね)
最近、出番が増えている恵莉の振袖を眺め下ろしながら、感慨に耽る。
恵莉よりも先に優の結婚式をすることに、母親としては少々複雑な心境だ。勿論せっついていた本人としては、この結婚に異存はないのだが。
早く結婚したかった優と、まだ結婚したくない恵莉。
まだ結婚したくないと言う恵莉の気持ちはよく解る。かつての自分もそうだった。しかし、どこでどう予定が変わるか分からないものだ。
キャリアを積んでいくことに夢中で、まったく男っ気のなかった千鶴が、幸正の策略にまんまと引っ掛かり、彼の従兄である幸弥と見合い結婚したのは、恵莉よりも一歳上の二十六だった。それを思えば優の結婚は大分早い。
今更ながらに娘の結婚を心配していた母親の気持ちがよく解る。
たとう紙の上から振袖に手を滑らせ、五年前のことをふと思い出し、千鶴は眉を顰めて舌打ちをした。
優は四年制、美佳は短大にそれぞれが入学し、新生活にだいぶ慣れて来た初夏のとある休日。
夫の伯父である安西建設会長、安西貴幸の米寿を祝うパーティーに招待され、千鶴は朝からパタパタ忙しなく動き回っていた。
千鶴は壁掛け時計に目を遣って時間を逆算し、昨夜から何回言っているか分からなくなった言葉を再び繰り出した。
「ねえ恵莉。やっぱりお振袖着てくれない? 大伯父さん見たがっているんだけど」
「冗談でしょ。この暑いのに、着物なんて嫌」
写真で見てるんだから良いでしょと、素気無い娘に「ケチ」と大人気なく膨れっ面になった千鶴。恵莉は美佳を見遣って言う。
「前倒しで美佳に着せたら? それでも大伯父さん喜ぶわよ」
「ちょっと恵莉ちゃん。自分が嫌だからってあたしに振らないで。お振袖は恵莉ちゃんの物でしょ。あたしはあたしのお振袖を着て、大叔父様に見て貰うの」
美佳がつーんとそっぽを向くと、恵莉は首に抱き着いて「もおっ。可愛いんだから」と折角セットしていた髪に頬擦りし、半泣きの美佳の悲鳴が上がった。
米寿の祝いには、和良品家も招待されている。美佳は優の婚約者として認知され、子供の頃から何かとお呼ばれする事が多く、彼女の人懐っこい性格も可愛がられる要因になっている。
美佳が小首を傾げて『大伯父さま』と微笑んだら、イチコロだ。美佳がその気になったら、これで間違いなくひと財産を築けるんではないかと、分家筋は考える。
なので疎遠になっていた六年間は、何かと肩身の狭い思いをしたものだ。
美佳の髪を直している恵莉の傍らで、尚も言い募る千鶴に辟易し、逃げ出した娘を追いかけ食い下がる母。
男二人と美佳が苦笑していると、ドアチャイムが鳴った。
「あ、あたし出る」
美佳はパタパタ音をさせて玄関に向かい、ドアを開けて一瞬躊躇した。
少し早いお迎えが来たのだと思って開けたら、見知らぬ人物が立っていたからだ。
「えっと…どちらさま?」
美佳と同じ年頃の女の子に、ピンときたが一応訊いてみた。訪問者もまさか同年代の女子が出て来るとは思っていなかったらしく、訝し気に美佳を見ている。
「あ、あの。安西くんは、ご在宅でしょうか?」
清々しいほど不躾に美佳を見る視線に、やっぱりねと独り言ち、美佳は奥に向かって声を上げた。
間もなくリビングのドアが開き、優が顔を出すと途端に乙女の顔に変わる。最早見慣れた光景ではあるが、美佳はげんなり優を見た。
「あ、安西くん。おはよう」
胸元で小さく手を振る。
「ふ~ん。まだおはようの時間帯だって解ってるんだ? で。何の用? てか何でうち知ってるの?」
キモイわと口中で呟き、美佳をバックハグする。美佳の頭の上に顎を乗せて、招かざる客に注視した。
睨みつける一瞥を美佳にくれ、訪問者は一変、可愛らしい笑みを浮かべる。
「同じゼミの川島くんが、近所だって言っていたから教えて貰ったの」
「用件は? これから出掛けるんで、早く言ってくれる?」
「サークル。石橋先輩が、バスケには安西くんが必要だからって。絶対にOK貰って来いって言われてて」
優は微かに首を傾げて訪問者を見た。
幾つかあるバスケのサークルの中でも、弱いチームだったと記憶している。彼女はそこのマネージャーだ。これまでも何回か誘われ、やたらボディータッチが多かった。昔なら間違いなく誘いにも彼女にも乗っただろうが。
優は軽く咳ばらいをした。
「何度も断ったし。どうせ客寄せだろ? そんな事に時間を費やすなんて勿体ないから嫌だ」
腕に少し力を込めて美佳を抱き、彼女の頭頂を顎でグリグリする。「痛い痛い」と逃げる美佳の頭を追いかけ、顎をグリグリしてじゃれながら、優は言を継ぐ。
「大体それって、俺の都合もお構いなしに、休日の午前中に押しかけて来て、絶対に言わなきゃならないこと? はっきり言って引くわぁ」
「ちょっと優。もう少し言い方ってあるでしょ」
「勝手に家探されたら誰でも引くだろ」
「それはそうなんだけど」
つい肯定してしまい、恐々と訪問者を見やって後悔した。眼には憤怒の色が見て取れて、優の腕をぎゅっと掴んでいた。
「優。どなたなの?」
なかなか戻って来ない二人の様子を見に来た千鶴が言った。廊下をゆっくり歩きながら、舐めるように訪問者を見る千鶴の無表情に、二人は知らず息を呑んで前を開けた。
「恵莉はもういいのかよ?」
「時間もないし、諦めたわ。ところでこちらの方は?」
永久凍土を思わせる千鶴の微笑に気が付かない訪問者は、完全に大猫を被った微笑を浮かべる。
「初めまして。安西くんと同じ大学の村上と申します」
千鶴から目を離さず、少し斜めに会釈する。
優は「村上って言うのか」とぼそり呟き、美佳は「知らなかったの!?」と目を見開いて肩越しから優を見上げた。訪問者、村上が眦を上げて美佳を見るのを、優は口角を上げて意地悪く笑む。
「俺にプラスの人材って訳でもなさそうだし、美佳の友人って訳でもないんだから必要ないだろ?」
先刻は痛めつけた頭頂に、今度はキスを見せつけるように落とす。その彼から美佳を攫い、千鶴は「彼女には帰って頂きなさい」と美佳の背中に手を添えて誘って行く。肩越しから村上を見、千鶴は口角を上げて微笑んだ。
「さあ。優の可愛い婚約者を、きれいにメークアップしてあげましょうねぇ。きっと大伯父さまも可愛いって褒めて下さるわよ」
わざとらしい物言いに美佳が失笑すると、千鶴は「しっ」と黙らせる。
二人がリビングに消えるのを見送り、玄関に取り残された二人は視線を合わせた。
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