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10. 本質はそう簡単に変わらないものです。
本質はそう簡単に変わらないものです。⑪
しおりを挟む「優ってホントは馬鹿なの?」
「馬鹿でしょ」
美佳には呆れ果てた眼差しで見下ろされ、隣で恵莉が即答する。
厳密に言うと、“優” の姿をした美佳と、久々の入れ替わりを目の当たりにした実姉。二人は産婦人科の分娩待機室で、悶える “美佳” を見下ろしていた。
陣痛の間隔が十分になったものの、そこから中々間隔が狭まらずに悶絶していた美佳が、急に痛みから解放されたのは、かれこれ一時間前になるだろうか。
「っ…さい! 二人とも出てけ!! …いや。やっぱ美佳は……こ…こに、いて」
言ったきりベッドの上で丸まって、「いてぇ」と打ち震えている。
「美佳が陣痛で苦しんでた時に何考えてるのよ。あたしはてっきり美佳が苦しんでいると思ってきたのに」
美佳の水分補給用に買って来た麦茶のキャップを弛め、サイドテーブルに置く。中身が気に食わない弟でも、身体は可愛い義妹のものであり、これから体力が大幅に削られることを鑑みて、買って来た差し入れを惜し気もなく優に差し出す。
「痛みが引いたら少しお腹に入れとかないと、体力持たなくて大変らしいわよ? 優がどうなろうと関係ないけど、美佳の身体を窮地には立たせないでよね。絹の二の舞はさせたくないでしょ?」
恵莉の善意を全力で拒否しようとしていた優は、“絹の二の舞” に言葉を呑んでおにぎりに手を伸ばす。
体力がなくて難産になった絹は殆ど寝たきりになり、二十八歳で早逝した。
美佳が子供を持つことに恐怖心を持っていた原因でもある。今度はそれを見せつけるわけにいかない。
痛みを堪えながらおにぎりの包装を解いていく優の手からそれを奪い、美佳は綺麗に海苔を巻いて手渡した。
「美佳も甘いわね。必要以上に優しくしてやることないのに」
「だって。放っといたらベッド海苔だらけになりそうだし、さっさと “美佳” の体力と、赤ちゃんの為に食べて貰わないと」
「まあそうね。けど我が弟ながら、なんとも情けない。妻が苦しんでるのに、浮気とかって、ホント申し訳ないわ」
「今ちゃんと罰受けてますから」
そう言ってにっこり笑った美佳の笑みは、優並みの寒気を起こさせた。実際今は優の身体な訳だけど。
痛みが引いている隙におにぎりを貪っていた優は、「ちょっと待て」と声を上げた。
「まだ貫通してなかったし!」
何の力説だ、と冷ややかな美佳の目が優を捉える。
「キスさせて身体触らせている時点で、普通にアウトだから」
「え、そうなの? まだ挿れてなかったの? 優がッ!?」
怪訝な目で弟を見る。どうやら自分の耳を疑っているようだ。
これまでの入れ替わりの条件は、吐精の寸前だった。膣内にも挿入らないうちに入れ替わったのは初である。
「俺は被害者だからッ!」
「そーゆーわりには育ってましたが?」
「美佳が迎え棒拒否るからだろ! だから昨夜やっとけばッ。溜まってんのにいやらしく触られたら、勃つのは男の生理的反応だ!」
「どこかに下心があったんじゃないの?」
「ないって~ぇ。だから部長が来なかったか?」
美佳はじっと優を見た。
そう。松木が絶妙なタイミングで現れ、相手が怯んでいるところを逃げ出して来た。
「あーゆう場面で下手に拒否って騒がれたら、立場が悪くなるの男の方だろ。それでチビに会えなくなるなんて冗談じゃない。だからこっそり部長に電話して、逆セクハラの現場押さえて貰おうとしてたんだよ。まさかヤル前に入れ替わるなんて、想定外だった。縛りがキツくなってないか?」
そうかも知れない。
美佳は上着のポケットからスマホを出し、発信記録を確認する。優の言った通り、松木に発信している履歴が残っていた。
「ごめん」
美佳が素直に謝ると、優は納得したように頷いた。
「そこで美佳さん。お願いなんですが」
「なに?」
「痛みが治まってる今のうちに、一挿しして頂けないでしょうかね?」
美佳と恵莉は唖然と優を見た。
一挿しとは言うまでもなく、入れ替わり必須のムスコ挿入だ。
美佳の肩がぷるぷるする。
「優。やっぱ馬鹿でしょ。陣痛起きてるのに、エッチなんかしてチビが感染症にでもなったらどーすんのッ!?」
「だって俺男だし」
「安心して。いまは “美佳” だから問題ない」
「美佳ッ!?」
「己の油断が招いた結果だと思って、根性据えなさい。こんな経験そう出来るものじゃないわ。堪能しなさい」
心底愉快そうに言った恵莉は、高らかに笑っている。
優の顔からはすっかり血の気が失せていた。
「これって時を超越した絹の復讐だったりしてね」
想像だにしなかった現状に怯えた弟へ、無情な言葉を投げ掛ける。元シスコン兄、錦の魂を持つ彼女の溜飲がどんどん下がっていくようだ。
十か月かけて心の準備をしても怖い事なのに、数時間前にいきなり出産を突きつけられれば、どんなに業腹でも誰だってビビり捲るだろう。
普段涼しい顔をした嫌味な弟が怯える様は、恵莉にとってご馳走に値する。
優とそっくりな顔で微笑む彼女は、天使の顔をした悪魔だ。
「俺はッ! 普通の男としての経験だけで充分だから!!」
「そう言わないで。妊娠は美佳が大変な思いをしてクリアしてくれたんだから、出産の一大イベントを任せられる事を、親として有難く全うしなさい」
「全うしたくないから!」
「全うしないと産まれて来られないわよ?」
目を見開き押し黙った優をニヤニヤ笑う恵莉。美佳が苦笑していると、ドアがノックされて助産師が入って来た。
「お腹の張りどうですか?」
「い…いま落ち着いてます」
「ちょっと子宮口の状態診ますねぇ。ご家族の方は廊下に宜しいですか?」
言いながら医療用グローブを嵌めるのを見て、“美佳” が更に蒼褪める。出て行こうとする “優” を呼び止め、「行くなぁ」と手を伸ばして情けない声を上げた。美佳は助産師が頷くのを確認して “美佳” の手を握った。
立膝で仰向けに寝かされ、「っだ――――ッ!!」と絶叫が上がる。
「……八…九センチってとことろね。全開大までもうちょっとですよ。はいちょっと横向きになって下さいねぇ」
「え…な、何ですか?」
「浣腸しますから、力抜いてね」
「浣腸ッ!? どうして!!」
「いきんでる時に出ちゃう人も珍しくないんで、感染症予防ですよ」
やんわりと笑っているけど、言っていることは事務的で、“優” の手をぎゅっと握った“美佳” の手は真っ白だった。
カタカタ震える “美佳” はくぐもった声で「これって何のプレイ?」と恨めしそうに横目に見上げ、困った笑みを浮かべた美佳の返事を待たずにトイレに走った。
それから三時間後、“美佳” は死ぬ思いで男の子を出産し、病室に戻って新たな問題に直面する。
それは美佳の何気ない言葉。
「産後一か月の検診が済んで、医師のOKが出なければ夫婦の営みは出来ません」
優は愕然としつつも、一月後に思いを馳せる。
あれだけしんどい思いをしたのだから、これからはひたすら美佳との快楽を貪り尽くすか、今後の家族計画をどうするべきかの選択を本気で考えあぐねた。
優の本質は、やはり簡単には変わらないようである。
追記。その一か月を待つ前に、心身ともにボロボロになることを彼は知らない。
―――― 了。
************************************
ここまでお読み頂き、有難うございました。
女にだらしない男子が、女になって子供を産む直前に「優。ホントは馬鹿なの?」と呆れて言われるこの台詞が書きたくて、始まった物語と言っても過言ではありません。
漸く美佳に言わせることが出来て、終了でございます。
番外編、書くかもしれません。
その時はまた是非、お付き合いくださいませ。
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