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18. 君を想うと……

君を想うと…… ⑤

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 ハロウィンライヴから千夏との仲が深まり、真弓は時間が許される限り千夏と二人でライヴ行脚している。
 彼らA・Dもそれに気付いてくれていた。
 朝の電車で顔を合わせた時に聞いたのだが、何でも十玖の視力はサバンナの原住民並みだそうで、常連さんの顔は大概覚えていると聞き、単純に尊敬の念を抱いた。

 竜助に痴漢疑惑を掛けてからと言うもの、ファンの目が怖すぎて、同じ電車に乗っても同じ車両には乗れない。顔を合わせたのだって、急いで飛び乗ったらA・D御一行様の車両だっただけの話。

 竜助以外はにこやかに話しかけてくれたのに、肝心の竜助が仏頂面でまだ本当は怒っているのかもと不安になったりもしたが、元々だからと気を遣われた。
 A・D三人の中で、一番大人びいた雰囲気を持っている。
 三人とも才能を盾に大人たちに紛れて働いているからか、真弓の同じ年の頃よりもずっとしっかりしている。その中で竜助は際立っていた。

 見ていて切なさを感じるのは何故だろう。



 十二月の第一日曜日。
 街中はすっかりクリスマスの装いで、何処か浮足立っている。

 真弓は暇を持て余し、昼過ぎから映画を観た後、大きな書店を何件か梯子して歩いていた。
 そろそろ小腹も空いてきたし、喉も乾いてきた。
 真弓は適当な店に入ろうと辺りを見渡し、ふと目に飛び込んだ後ろ姿を咄嗟に追い駆けていた。
 周囲から頭一つ飛び出した長身と、ニットキャップの下から伸びるオレンジ色。ただ歩いているだけで彼は人目を惹く。

 追い駆けてどうしようと言うのか、チラッと頭を掠めたが足が勝手に追い駆けてしまう。
 追い駆けて、話し掛けて、それで満足なんだろうか?
 何でそんな自問自答するのか、良く分からなくて首を傾げると、真弓は小さく笑いを漏らした。

 竜助は路地を少しばかり入ったカフェに入って行った。
 慌てて追いかけて店に入り、竜助の姿を確認して後を追おうとして足を止めた。
 誰かと待ち合わせだったらしい。手を上げてそちらに歩いて行く竜助の進行方向に目を走らせると、同じように手を上げて、笑顔を振りまく女性の姿を見つけた。

 竜助よりも明らかに年上だと分かる茶髪の派手な風貌。黒のレザージャケットにジャラジャラとアクセサリーを着けた彼女に何やら言ったらしく、竜助は小突かれていた。

 服装からして何となく、同業者なのではないかと察した。
 付けて来た手前、堂々と話し掛けるのも躊躇われ、チラチラと二人を見ながら、近くの仕切り越しの席に着いた。空かさず斜め左後方の会話に意識を集中――と店員が注文を取りに来た。

 真弓はブルマンを頼み、聞き耳を立てながらお冷を口にする。  

(…あたし一体何やってんだろ)

 注文して、ふと我に返って溜息を吐く。
 聞こえてくる会話だと、派手目女性は “キョーコ” と言うらしい。年上を呼び捨てにし、軽口を叩く様子は旧知の中なのが自ずと知れた。
 グラスを握る指先に力が籠った。



 メンバーで唯一お一人様な竜助は、行きつけの楽器店で暇潰しのデモ演奏をしていた。
 数人のドラマーたちに囲まれて、雑談しながら叩いていると、尻ポケットのスマホが鳴動した。着信を確認し、すぐに電話を受ける。

「おう。久しぶり。どーした恭子」

 ひと月ぶりにクワトロ・レジーナの恭子からの連絡だった。

「――俺? ヤマハに居たけど。…ああ。わかった。今から行くわ」

 レコーディングの合間の余暇に、お茶しているから来いと言うものだった。
 因みにお誘いではなく、命令だ。

 顔馴染みのドラマーたちに別れを告げて、竜助はやはり行きつけのカフェに向かった。
 少し古ぼけた店内を見渡すと、カウベルに反応してこっちを見た恭子が手を振っていた。竜助は悠然と彼女に近付き「お待たせ」と席に着く。

「相変わらず年考えない派手さだな」
「やかましい」

 間髪入れない拳骨をまともに食らい、「いってぇな」と叩かれた頭を撫でる。

「さすが元ヤン。いいグリップをお持ちで」
「見てくれだけなら竜助だって元ヤン張りの面構えじゃん」
「俺ヤンキー歴ないし」

 半ば呆れた口調で言って、顔見知りの店員に「今日はグァテマラ」と注文すると、座ったままでダウンのジャンパーとニットキャップを脱いで隣に置いた。

「ハロウィンの時はサンキューな」
「どう致しまして。中々好評だったみたいじゃん。クワトロうちらもライヴじゃなかったら行ったんだけどなあ。竜助の女装、直に見たかったわ」

 恭子はニタニタ笑ってカップを口に運ぶ。竜助はそれを鼻であしらった。
 さすがに衣装はサイズ的にかなり無理があったので、クワトロ・レジーナにはアイデアと小物提供して貰った。

「俺らが本気出して似合わないわけないだろ」
「そりゃそうだ。女装のプロいるしね」
「それ十玖の前で言うなよ? 浮上させるの俺らなんだから」

 ゲラゲラ笑っている恭子に苦虫を噛んだような顔をし、竜助はすっと上半身を後ろに下げた。そのタイミングでテーブルにコーヒーが置かれる。
 竜助はコーヒーを含み、ゆっくり周囲に視線を巡らせた。チラチラとこちらを窺う眼差しに、恭子も気が付いていたようだ。

「こういう時、隠れ家が無くなったのは痛いね」
「……だな」

 伏し目がちになって竜助は頷いた。
 美味しいコーヒーを飲みたくなったら、決まって集まっていた場所はもうない。
 夏の出来事を思い出すと、今でもまだ胸が悲鳴を上げる。
 治りきっていない胸から血が流れてくる。

「連絡、相変わらずなし?」

 竜助にはなくても、せめて親友の恭子には連絡が来るんじゃないかと、ほのかに期待している。けれど眉を顰めて首を振る恭子に、いつも落胆してしまう。

「そ…っか」

 僅かに項垂れた竜助の頭を恭子の手が優しく撫でる。目だけを上げて彼女を見ると、悲し気に微笑んでいた。
 竜助がふっと笑い返すと、恭子はいきなり彼の髪をぐしゃぐしゃに捏ね回し、「湿っぽい!」と吹き飛ばす口調で言い、言を継ぐ。

「今年の誕生日は何欲しい?」
「別にいいよ」
「そー言わずにさ。何かないの?」
「欲しいものは、一つしかない。けど、無理だろ」

 言外に言ったものに、恭子が言葉を失った。
 諦めにも似た竜助の言葉に、酷く悲しげな顔をする。

 いきなり頭を叩き割られたような衝撃から、三か月半。
 今年の誕生日から、誕生を祝ってくれる麻美はいない。その事実が苦しい。

 古いアパートの麻美の部屋で、二人っきりの誕生日を祝っていたのが、遠い過去の記憶になって行く。
 悲しいのも辛いのも、竜助だけじゃないのを分かっているのに、優しい言葉の一つも浮かんでこない。

 恭子といれば、自然に麻美の話になる。
 傷を舐め合っていると言われれば、否定はしない。
 でも今の二人には、それが必要だった。

 普通に別れていたら、きっとこんなに重苦しい空気にはならなかったろうに。
 他愛のない話をする恭子に気のない相槌を打っていると、平手が前頭部に見舞われた。

「いってぇな」
「あたしの話、聞いてないでしょ?」
「…あ、何だっけ?」
クワトロうちとA・Dのクリパ! 今年も “音楽室” でいいのかな?」

 忘年会を兼ねた合同パーティーは、毎年行われている。
 事務所が違うので、毎回 “音楽室” でバカ騒ぎになるのだが、謙人に都合を訊いておくように言われていたのを思い出した。

「そうだそうだ。今年はedgeの拓海と悠馬が参加したいって言ってるんだけど、クワトロ的に問題ないか?」
「へえ。美味しそうな子が二人も?」

 ニヤリと笑った恭子に竜助は身震いする。
 初めて十玖が参加した年、クワトロの四人に弄り倒され、彼は軽い女性恐怖症になった。最初、美空にもビクついたくらいには、恐怖を感じたらしい。

「またおばさんパワーで泣かすなよ?」
「シメるよ竜助?」
「十玖の二の舞は、事務所的に避けたいからな」

 アイドル的なダンスユニットメンバーの事務所は、デカい。問題を起こされては困るのだ。
 はいはいと気のない返事をする恭子を睨みつつ、竜助がスマホのスケジュールを開いたと同時に画面が着信を知らせるものに変わった。

「はい。……ホントに? はい。わかりました。詳しい場所、メール下さい!」

 通話終了するや、竜助は「ちょっと前橋行ってくる」とニットキャップを被った。

「前橋?」
「麻美らしき人物がいたって」
「ホントに!? じゃあたしも行くっ」
「何言ってんの。いまレコ中だろ?」
「そんなの急いでないからっ。麻美が優先に決まってるでしょ!」
「確実じゃないぞ?」
「それでも行かなかったら、あたし後悔する」

 立ち上がって上着の袖を通した竜助を追うように、恭子も上着を羽織った。竜助が伝票を手にし、席を離れようとした時、背後で大きく物が倒れる音がし、そちらを振り返る。見覚えのある顔が二人を見詰めて、

「あ…あたし、案内します。前橋」

 二人は唖然として、須藤真弓を見返した。

「あたし地元なんでッ!!」

 仕切りに手を掛けて二人を見詰める真弓から視線を竜助に移し、「誰? 知ってる?」と恭子が彼の袖を引っ張った。
 竜助の顔があからさまに険しくなり、真弓を見る目が冷ややかに変わる。

「あんたに関係ない」

 竜助は踵を返してレジに向かった。

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