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10. 歪み
歪み ⑤
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五月四週目、木曜日。
プロモーション用のポスター撮りで、筒井と共に指定のフォトスタジオに入ると、先に入っていたSERIが手を振って寄越した。
「あたしより遅い入りなんて、偉いんじゃない?」
「やめてよ。せっちゃんにそんな事言われたら、大概の人萎縮するから」
現にSERIの戯れに、筒井が青褪めてる。目力がそれだけ強い。
筒井はSERIに挨拶をして、華子の元に行く。ペコペコ頭を下げて、かなり緊張しているようだ。
「まさかこんな日が来るとはね~」
瀬里は目を細めて笑う。
「そうだね。写真嫌いだったせっちゃんと、人見知りの僕がモデルなんて、変な話だよね」
瀬里の隣のディレクターズチェアを勧められ、十玖は腰かける。スタジオの端の方にいるスタッフたちを眺め、瀬里に尋ねた。
「高橋さんは来てないの?」
「あー。遅れてるみたいね。じき来ると思うわ」
十分後、高橋が到着した。
十玖は本郷と筒井に呼ばれ、瀬里に手を挙げてその場を離れると高橋に挨拶する。彼は十玖の足元から舐めるように見上げ、目を丸くした。
「あのちっちゃかった子が、随分育ったもんだねぇ」
「はあ」
高橋父には悪いが、彼の事はあまり記憶に残っていない。嫌々だったし、淳弥にべったりだった事しか記憶になかった。
「トークさん。準備お願いします」
「いま行きます。それじゃ失礼します」
「楽しみにしてるよ」
手を挙げた彼が、ふいに後ろを振り返った。
父親の隣に並んだ高橋愛美が、十玖に手を振って来るのに気付かない振りをし、渡された衣装を持って案内された部屋に向かった。
案の定、高橋愛美は来た。
さっきは無視したが、高橋父の手前ずっと無視するのは難しい。
手早く着替えて、瀬里の元にまっすぐ向かい、隣に腰かけた。すぐにメイクがやって来て、十玖の前髪をダッカールで上げる。
瀬里は十玖に向き直り、肘置きに頬杖ついた。
「急に機嫌が悪くなったわね」
十玖の機嫌にすぐ気付くのは、さすが旧知の仲だ。
瞑目したまま瀬里をスルーすると、ふふと笑う。
「原因は、あの子ね。合唱部の後輩」
「……せっちゃんて、ホント勘がいいよね」
「十玖ほどじゃないわよ。苦手…てのとはちょっと違うわね」
「最近やたらと絡んできて困ってる」
「フェミニストらしからぬ発言ね。十玖の事が好きなんでしょ」
瀬里は高橋の方を見て手を振った。高橋も手を振り返し、慌ててお辞儀をするのを見てから、瀬里は十玖に向き直る。
「悪い子じゃなさそうだけど」
「…キッズの頃の写真、SNSに拡散された」
「あらま」
「告られたの断ってから、彼女の行動が目について、なんか癇に障るんだ」
「告られたの。へえ~」
「へえ~じゃないし。この仕事だって、彼女が絡んでると思うと、ホントは憂鬱なんだから」
「そんな憂鬱ならあたしが吹き飛ばしてあげるわよ。楽しみましょ」
瀬里はぐっと十玖に近付くと、笑いを含んだ声で言った。目の端に高橋を捉えながら。
瀬里の声音に十玖は溜息を漏らす。
「なんか企んでる?」
「いやねえ。人聞きの悪い。可愛い従弟を悩ます子は、お仕置きが必要だと思わない?」
「せっちゃんが言うと怖いんだけど」
「あら。十玖が出来ないことをしてあげるだけよ。未だに女の子は守るべき存在なんでしょ?」
三嶋家の独特な家訓は、瀬里の家でも有効だ。高本の伯父 晃は婿養子に入った生粋の三嶋男児であり、十玖父 晄の次兄である。
「守るべき存在なんて、良いですね」
メイクが口を挟んで来た。瀬里は「でしょ」と笑った後で、冷ややかな顔をする。
「お陰で鬱陶しいったら。基樹と力がフリーだから、どっちか貰ってくれない?」
冗談とも本気とも取れない物言いだ。
基樹は次兄で小児科医。力は四兄で舞台俳優だが、ちょっと曲者かも知れない。この二人に限った事ではないが。
「無理ですよぉ。高嶺の花過ぎて、恐れ多い」
「高嶺の花? 奴らが? はっ! 本性は最悪よ?」
瀬里の男嫌いの原因でもある兄弟たちだが、“最悪” と言いながらそれを勧める瀬里も瀬里だ。
苦笑を隠さない十玖の胸を、瀬里は手の甲で思い切り叩いた。
撮影が始まり、瀬里が「やるわよ」と耳打ちしてきた。十玖はすぐに理解できず、きょとんとして瀬里を見る。彼女は通り過ぎ様に十玖の肩をポンポンと叩き、不機嫌を露わにした顔で高橋のもとに行くと、彼女のスマホを取り上げた。
「何のつもり? さっきから勝手に撮ってるけど、誰の許可取ってるわけ?」
瀬里はカメラモードになっている液晶を高橋に向け、スマホをひらひらと振って見せた。高橋は言葉を失っしたまま、心配そうにスマホを見ている。
瀬里はカメラからフォルダーに飛んでデータを出すと、気まずそうな高橋を一瞥し、問答無用で次々削除し始めた。
「関係者の身内だから黙っていたけど、あたしたちはこれで稼いでんのよ。勝手に撮られるのは不愉快だわ。十玖の後輩だからってちょっと図に乗ってない?」
メイクをしている時から、高橋が写真を撮っていたのに気が付いていた。
スタジオ内のデータをすべて削除すると、スマホを彼女に返す。
「高橋さん。いくら娘が可愛いからって、道理を弁えてない子を連れて来られたら迷惑だわ。申し訳ないんだけど、彼女をここから出してくれない? でなきゃ今日は終わりにしましょ」
腕を組んで、高橋の父に対峙する。クライアント相手に全く物怖じしていない。
SERIが気難しいのは、業界でも有名だ。機嫌を直すまで、何日も待たされるのはいつもの事で、それでもSERIの需要は絶えない。
「愛美。外に出ていなさい」
「お父さん!!」
「黙っていう事利きなさい。SERIさん、監督不行き届きで気分を害し済みません」
いい年をした大の男が小娘に頭を下げる。
そんな父親に舌打ちし、高橋はスタジオを出て行った。
「あの子は子供の時からトークくんのファンで、申し訳なかったね」
十玖にも頭を下げると、情けない顔をして「恥ずかしいな」と笑った。
休憩になり、外の空気を吸いに出た十玖を高橋が待ち伏せていた。想定の範囲内だったので驚きはしなかったが、気分は良くない。
「男嫌いで気難しいって有名なSERIを味方につけるって、やっぱり先輩って凄いですねぇ」
馴れ馴れしく腕を絡めてくる。十玖が彼女の手を解いて距離を取ると、高橋はふくれっ面をして、十玖を睨んで来た。
「別に彼女は間違ったこと言ってないよ。自分の肖像権を守っただけだし。僕もいい気はしなかった」
「ごめんなさい。すごく嬉しくて、考えてませんでした」
「もおいいよ。データは全部彼女が消してくれたみたいだし」
じわりじわり近付いて来る彼女から、一定の距離を保つ。それが高橋には歯がゆいようだ。
「斉木先輩より、あたしの方が使えると思いませんか? 彼女といたって一文にもなりませんよ?」
しれっと言う。十玖はむっとした。
「損得関係ないから。今回の事だって不本意だ。華子さんの顔を潰さないために受けただけで、自分の為じゃない。勘違いしないで」
今度は高橋がむっとして、十玖に詰め寄った。
「そう言うわりには、SERIといい感じだったじゃないですか! あんな美人と一緒で満更じゃなかったでしょ?」
「あたしの従弟にケンカ売ってんの?」
ふいに声がして、二人は声の主を振り返った。瀬里が首をぱきぱき鳴らしながら、つかつかと歩いて来る。高橋は思いもしなかった言葉に唖然として聞き返した。
「い…とこ?」
「そうよ。イ・ト・コ。馴れ合っちゃいけなかったかしら?」
十玖の首に腕を回し、頬を寄せて意地悪く笑ってみせる。彼はあからさまに顔をしかめた。
「せっちゃん、近い」
「うるさいわね。十玖はお黙り。ねえ。この事もSNSに拡散する? でも勝手にそんな事したら、訴えちゃうから気を付けてね?」
女王様の微笑みに呑まれて、言葉なく彼女を見る高橋。瀬里は嫌悪の一瞥をくれ、十玖の首を引っ張った。
「撮影始まるから迎えに来たのよ。あたし抜きで楽しい事しないで頂戴」
「楽しくないから」
「ふーん。そうだった?」
悪戯めいた笑顔でちらりと高橋を見ると、すっと視線を外して十玖を引っ張って行く。
高橋はギリギリと唇を噛んだ。
美空より役に立つ。十玖の役に立てると思っていた。
モデルをすれば知名度も上がり、A・Dに貢献できる。SERIと一緒なら尚の事良い。こんなにいい話題はないと思った。確実に、十玖の名前が知れ渡る。
男嫌いのSERIなら間違っても問題は起きないと思っていたが、従姉弟とは予想外だった。しかし十玖を推すにはむしろ好都合だ。
けど彼は不本意だと言った。自分の為じゃないとも。
そんな訳ない。
業界に身を置いていて、売れる事を考えないなんて嘘だ。売れるためにみんな必死で、回ってきた仕事に手あたり次第食らいつく。
すぐに気が付くはずだ。
美空との価値の違いに。
ずっと再会できると信じてこの日を待っていたのに、美空なんかに譲れない。譲る気もない。
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