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7. Please, open the box 【 R18】

Please, open the box ⑥

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 意外に早く指輪が決まり、そのまま帰るのも勿体なくてブラブラした。

 二人で外出するのはかなり久しぶりだし陽もまだ高いのだが、先日家に連れ帰ってしまったため、松下家に帰宅したのは彼女の荷物のみと言う事態を招き、家族を落胆させてしまった手前、これ以上無理に引っ張り回すことは躊躇われた。

 帰りの道中、車の中で佐保はずっと嬉しそうに指輪を眺めていた。

 ティファニーのエンゲージリングの中から、佐保自ら選んだ。
 もう少し高くたって良かったのに、佐保は頑として譲らなかった。

 そこいらの学生よりはかなり稼いでいるし、自宅住まいだから音楽関係のもの以外に使い道がなくて、いつの間にか溜まっていた金だ。
 佐保に使うのなら惜しくなかったのだが、外国で一人暮らしをしてきた佐保の金銭感覚は、とても庶民的になっていた。
 指輪に使うくらいなら、将来のために貯金しといてと言うのだから、頷くしかあるまい。

 彼女を送り届け、しばらく談笑してから松下家を出た。
 門を出たところでスマホを見ると、自宅から嵐のような着信。
 宝石商をブッチしたから、怒りの電話だろう。
 敢えて見なかったことにする。

「佐野さん。事務所行ってくれる?」
「お帰りにならないんで?」
「筒井マネにしなきゃならない話があるんだ」
「承知しました」
「ホントじいさまには困る。佐野さんもいつもありがとね」
「そんな勿体ない」

 恐縮する佐野だが、労われて当然の人だと謙人は思ってる。
 勤続三十年。変わりなく渡来に仕え、謙人のような子供にも侮ることなく、また愚痴を聞いてくれる貴重な人でもあった。
 家族の事は無視しても、佐野だけは特別だった。

 車は間もなくオフィス街の一角に停まった。
 謙人が事務所に行くと、電話をしていた筒井が手を挙げる。謙人は軽く会釈して、来客用のソファーに腰掛けた。
 事務の女性がコーヒーを出すと筒井をちらりと見、「もうちょっと待っててね」と言って自分の仕事に戻り、謙人はテーブルの上の雑誌を手に取って、パラパラ捲り始めた。
 くつろぎ体制になりかけた頃、「ごめんごめん」と筒井がやって来た。

「昨日は済みませんでした。二日酔いは?」
「最悪よ」
「やっぱりですか」

 筒井はドンッとドリンクをテーブルに置くと、気持ち悪そうにうな垂れた。
 見渡せば、他のスタッフも似たりよったりの状態らしい。

「何時まで飲んでたんですか? 懲りないですねえ」
「大人には飲まなきゃやってらんない事情があるのよ。で、話って?」

 背凭れに寄りかかってシャツの第一ボタンを外し、真剣に聞くがなさそうだ。
 謙人はまずコーヒーを片付け、事務に手招きしてカップを下げて貰う。

「独身の筒井マネには全くもって言いづらいことなんですが」
「ああっ!? ケンカ売ってんの?」

 案の定、謙人を睨んでテーブルを叩きつけた。彼が「いやいや。とんでもない」とおどけた顔をすると、筒井は胡乱な眼差しを向けてきた。

「実はですね。来月の二日に結納する事になりまして」

 視線がザッと集まった。
 謙人は感知せず、にっこり微笑んで続ける。

「四週目の日曜に、各界のお偉方を呼んで、婚約披露パーティーするそうです」
「……お、お兄さんが…?」

 意図的に摩り替えているのが分かった。筒井がそう言いたくなるのも当然だろう。祐人は渡来の跡取りだし、その兄を差し置いて謙人が婚約するなんて、考えたくもないだろう。
 そんな彼女にショックを与えるようで申し訳ないが、隠して措けるものでもない。

「俺が。今朝聞いて、たまげたのなんの」

 茫然自失の筒井はピクリともしない。まあ想定内の反応だ。
 謙人が渡来グループのお坊ちゃまで、些細なことでも、何かあればニュースの一つも流れるお家柄だという事は、事務所では周知の事実だ。
 スタッフが事の成り行きを見守る中、筒井がテーブルに手を着いて身を乗り出してきた。

「あ…たしより先に婚約って何よ!? あんたねえ。年功序列って知らないの!?」

 気を取り直した筒井が食ってかかって来た。

「そこっ!? 問題はそこなの!?」
「他に何があるっての!」
「芸能事務所のスタッフとして間違ってるから! 俺一応所属アーティストなんだけど!」
「あっ…」

 すっかり失念していたようであるが、マネージャーとして如何なものだろう。
 筒井はバツが悪そうに咳払いをし、居住まいを正す。

「相手は、昨日の許婚の子…だよね?」
「ですね。当人たちには今朝まで黙ってるんだから、あのクソジジィ」
「クソジジィってあんたね」

 仮にも祖父で、渡来グループの会長を堂々とクソジジィ呼ばわりする謙人に、肝が冷える。
 謙人は鼻であしらう。

「正月に結納って、どんだけ焦ってんだか。…で、問題はパーティーなんですけど」
「各界のお偉方って、さっき言ってたわね」
「間違いなくカメラ入ります。その前に記事になるかも」

 お互い見合って笑う。
 他のスタッフは事の重大さに静まり返っていた。

「え――――っ!?」

 筒井の今更の反応に謙人が苦笑する。胸を押さえて見返してくる彼女の顔色は最悪だ。

「あんたは~ぁ。昨日からあたしの心臓止めにかかってる?」
「まさか。俺だって被害者ですよ。じいさま積年の夢を壊すような事はしませんけど、にしたって急過ぎて、ついて行けない。今朝だって宝石商来るから指輪選べって言われて、逃げ出して来たんですから」
「宝石商、指輪……世界が違過ぎるぅ。きっとかなりお高いんでしょうね」
「筒井マネ……だいぶお酒が残ってるね。鈍いし、論点がズレまくってるよ」

 ドリンクのキャップを捻じ開け、ため息つきながら差し出した。
 筒井は首を竦めて受け取ると、一気に飲み干してオヤジくさく唸り、謙人はまた溜息をつく。

「正直言って、パーティーを止めるのは無理です。そんな素振りでも見せたら、すぐにでもA・Dにいらんなくなるんで、そこんとこ頼みますね」
「辞めさせやれるって事?」
「そおです。下手に動いたら軟禁されるかも」
「軟禁って、まさかそこまでしないでしょ」
「筒井マネはじいさまを知らないから。基本、俺とは合わないんですよ。今まで放任だったクセに、卒業間近になった途端、婚約言い出すし、大学卒業したら音楽やめて、グループ企業に就職しろって言い出す始末ですよ。大学卒業したら、今度は速攻結婚しろって言い出すでしょうね」

 祖父の顔を思い出し、憂鬱な溜息。

「続けられるように、大学卒業まで何とか策練るんで、申し訳ないですけど今回の婚約の件、対応をお願いします」

 深々と頭を垂れる謙人に、筒井は「ヤレヤレ」とボヤいて嘆息した。

 事務所でも人気グループのメンバーが婚約となれば、打撃を受けるのは間違いない。普通なら婚約事態をなきものにするか、完全に隠し通すのだが、相手が大企業絡みでは分が悪すぎる。下手打ったらこっちが潰されるだけだ。
 以前、謙人が渡来の御曹司だとすっぱ抜かれた事があり、お坊っちゃまの彼女枠を狙うファンがこれまた多く、彼女たちの落胆が目に見えるようで、先を考えるのが怖い。
 つまみ食いしない謙人を偉いと思っていたが、こんな時のための予防線だったのか。

「彼女は、何て言ってるの?」
「婚約のこと? A・Dのこと?」
「どっちもよ」
「婚約の件は驚いてましたよ。お互い子供の時から言われ続けてきた事ですけど、未成年のうちに正式な婚約するなんて思っていなかったし。A・Dのことは詳しく知りませんけど、バンドを始めた経緯を知っているので、応援はしてくれるみたいです」

 最初に音楽室をくれたのは祐人で、荒れていた時をバンドが救ってくれた。
 佐保は、祐人からそれを聞いて知っていたようだ。

「理解あるのね。それは家が決めた婚約者だから?」
「さあ、どうでしょ。俺には大切な子ですけどね」
「はいはい御馳走さま。一足飛びに婚約なんて、ホント頭痛いわ」

 長いため息をつき、筒井は立ち上がった。

「とにかく社長に話して、対策を練るから」

 数日後、謙人の婚約が正式に発表され、斯くして事務所は対応に追われる事となった。 

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