4 / 167
1. 苦手
苦手 ③
しおりを挟む
***
三週目水曜日の放課後。
晴日は竜助を伴って、一年の美空のクラスにやって来た。これから涼の見舞いに行くためだ。
「美空!」
教室の前側の入口から、晴日と竜助がひょっこり顔をのぞかせる。
派手な男子の登場に一同視線を注いだ。
女子の黄色い悲鳴にも似た声に、晴日は手を振って応えるが、竜助は仏頂面で腕を組んだまま突っ立っている。仏頂面だが、怒ってるのでも機嫌が悪いのでもない。
二人はこの学校でも有名人だった。
クォーターで先祖返りした風貌の晴日と、涼やかな面立ちとオレンジ色にカラーリングされた髪の竜助のコンビは、本当に公立高校の生徒で良いのかという疑問を持たせるが、校風がゆるい上に、どちらも学年五位以内の成績をキープしているため、教師たちも黙認している。
そして何と言っても、Angel Dust、通称A・Dのギターとドラムの二人だ。この高校でも彼らのファンは多い。
名指しされた美空はそそくさと帰り支度を始めるが、二人の訪問の理由を知りたい女子が彼女を囲み始めた。
その光景を、と言うよりも晴日の登場に、快く思わない視線がひとつ。
昨夜、美空と一緒だった男の登場で、珍しく人前で不快を表した十玖に、目敏い晴日が気が付いた。
つかつかと近付く晴日。それを見上げる十玖。
「なに睨んでるんだよ」
「別に。うるさいと思っただけですけど」
即答した十玖にクラスがどよめいた。
ワンフレーズ以上の返答を聞いたのは、一ヶ月経って初めてだから無理もない。しかも即答で。
美空も唖然としていた。
教室では、たとえ幼馴染みが相手でも最低限の会話が常だ。ましてや面識など殆どない筈の相手にワンフーズ以上の返答をするなんて、青天の霹靂と言わんばかりの驚きである。
「あんた熱あるんじゃない!?」
中でも一番驚いているのは、苑子だ。
本気で心配して、額に手を伸ばした苑子の手をやんわりと退ける。その間も晴日と十玖の視線は絡み合ったままだ。
美空は昨夜の十玖を思い出し、気のせいじゃなかった事を確信した。
(やっぱお兄ちゃん恨み買ってるんだ)
でなきゃ十玖のこの反応の説明がつかない。
(何やらかしたのよ馬鹿)
心中で毒づきながら美空は立ち上がった。
これ以上、十玖に絡んで厄介なことになる前に、退散したほうが良い。
美空は自分が原因だとは知る由もない。なにせ当の十玖が、ムカつく理由を知らないのだから。
「お兄ちゃん! 帰ろっ」
十玖は足取り荒く竜助の元へと歩く美空を一瞥し、晴日に目をくれる。
「お兄さん……?」
あれ? と言わんばかりの拍子抜けした顔に、動物的カンの良さで晴日はニヤリと笑う。すっと身を屈めて、十玖に耳打ちした。
「美空に惚れてんの?」
一瞬、何を言われたのか理解できず、マジマジと晴日に見入り、数秒遅れて真っ赤な顔をした十玖が椅子から転げ落ちそうになる。それを晴日が胸ぐらを掴んで阻止したが、さらに追い打ちをかけた。
「お前にはやんねぇよ」
鼻で笑って手を放した晴日は、「お騒がせ~」と周囲に愛想を振りまきながら、これみよがしに美空と肩を組み、十玖に一瞥をくれて教室を出て行った。それを茫然と見送る十玖。
(……そっか)
腑に落ちた。
きっとあの時に堕ちていた。
初めて出会ったあの日。気になるのは、後ろめたさのせいじゃなかった。
「そうなんだ」
言うともなしに呟いた口を覆った。
牽制されてようやくこれがそうなんだと知った。
らしくもなく狼狽してしまった十玖に、嘲笑をくれた晴日。
まだ真っ赤な顔をした幼馴染みに、苑子は眉をひそめた。
「何がそうなんだか知らないけど、今日はもお帰んな。部長には言っとくし」
あまりにいつもと違う十玖に、心配を通り越して怖さを感じ始めた苑子は、彼に荷物を手渡し、背中を押して追い立てる。そこにもうひとりの幼馴染みの太一が二人を呼びに来たが、「十玖は急病」と言いながら苑子は彼を引っ張って教室を出て行った。
取り残された十玖は、奇異なモノでも見るようなクラスメイトの注視に、何事もなかったようにポーカーフェイスを決め込んだが、心臓が意思とは関係なく早鐘を打っている。
気付いた、と言うより気付かされた。と同時に、難関が立ちはだかっている事に思い至り、一気に血の気が引く。
思い切り牽制された。そりゃそうだ。
しかも弱みを握られた感がある。
(ケンカ売ったよな……多分)
美空の兄に対して、意識せずに睨んでいたようだ。
昨夜も今日も、晴日にどうしようもないくらいムカついた。
(お兄さんとかって、そんなのアリかよぉ)
幸先悪い晴日との出会いはダメージ大。
気付いたから即美空に告白、なんてそんな大それた事スキルが高すぎて絶対無理だし、美空には嫌われている。更に晴日に牽制されたら、救いようがない。
後日、それは現実味を帯びていく。
帰宅する生徒たちで賑わうバスの中、座らせた美空にカバンを預け、脇に立つ晴日と竜助の姿があった。
涼の入院する病院までバスで十五分強。交通状況によってはそれ以上かかるかも知れない。
晴日は、先ほどの小憎らしい後輩を思い出し、眉をひそめた。それを傍から見ている竜助は、毎度のことに苦笑する。
「美空。さっきの何て奴?」
さっきまでブスくれた顔をしていた晴日の唐突な問いかけに、美空はポカンと間抜けた顔で応える。
「睨んできた奴」
「ああ……三嶋? 三嶋十玖」
「どんな奴?」
「どんな奴って……無表情。無口。協調性なし。そのくせ女子には人気あるけど、何考えてるか分かんないからあたしは苦手」
これまでの十玖の視線を思い出し、美空はムッとする。
「あいつが無表情? いい面構えしてたけどな。ケンカ上等みたいな」
「そんな気概のある奴とは思えないけど。デカイだけで、ケンカ弱そうじゃない?」
「いや。結構、胆座ってる。胸ぐら掴んだ時、眉一つ動かさなかったし、鍛えてるぞアイツ」
掴んだ瞬間の手に伝わってきた筋肉の質感。
本能に囁きかけてくるような高揚感。
「ああ。昨夜走ってたの三嶋だよ」
そう言えばと言った体で美空。
「あれがアイツか。フットワーク良かったよな」
「なんだ晴。奴が気に入ったのか?」
晴日の食いつきぶりに、長年の友は察するものがあるのだろう。
竜助はニヤニヤと笑っている。それにニヤリと笑って応える晴日。
「まあ面白そうだとは思ってるよ」
「うっわ。嫌な性格だねえ。くうちゃん。コレさっさと片付けないと、一生独身だよ」
竜助の含みのある言葉に気付きもせず、美空はケラケラ笑って、
「そん時は竜ちゃん貰ってよ」
「それって俺が結婚出来ないって前提じゃね?」
傷つくわあ、と言って胸を押さえる竜助の腕に、眉間にシワを寄せた晴日が体当たりをする。
「音楽バカの竜にうちの大事な妹はやらん!」
「お前が言うな。音楽バカはお互い様だ。このシスコンが」
「シスコン上等。美空は可愛いだろ」
「くうちゃんは可愛いけど、お前はおかしい」
「どこがだ」
「ちょ、ちょっと二人共。恥ずかしいんだけどっ」
話がだんだん変な方向にズレ始め、聞き耳をたてていた乗客たちがクスクス笑ってる。中にはスマホでこの掛け合いを録画している女子もいた。
ほっといたら、SNSにまたしょうもない画像映像がアップされるのだろう。それを見越した晴日が、撮ってる女子たちに手を振りながら愛想を振りまく。
「制服で学校バレるからアップしないで、個人で楽しんでくれな」
撮るなとも消せとも言わない。
事務所が絡むとめんどくさい事になるのだけれど、仮にアップされてもスキャンダルにならない様に、これでも気を付けているのだ。
「お兄さんたち有名人なの?」
唐突に、美空の後ろに座っていた初老の女性が尋ねてきた。三人を見回しながら怪訝な顔をしてる。
A・D営業担当の晴日がにっこりと笑って答えた。
「これでもミュージシャンなんですよ。たまにテレビも出てますけど、深夜枠なんで、聴いてもらえる機会があったら嬉しいんですけど」
「あらま、そうなの。ごめんなさいね。あ、あの。孫が知ってるかも知れないので、一緒に写真撮って貰って良いかしら? 」
「ははは。いいですよ」
女性が差し出したガラケーを美空が受け取り、女性の脇に晴日、後ろに竜助が立つとシャッターを切った。
派手だが、イケメン二人に挟まれて映るご婦人の顔はご満悦だ。
当然、自分たちもと周りが騒ぎ始めたが、病院前に付くところだったので、丁重に断った。
降り際、女性を振り返り、「お孫さんにヨロシク」と手を振って、三人はバスを降りた。
バスが出るのを見送って、晴日は大仰に溜息をつく。
「お疲れ」
二人の苦笑混じりの慰労の言葉に小さく頷いた。
晴日は丁寧なものいいが苦手だ。普段、べらんめえだから精神的に疲労困憊する。
が、復活はすこぶる早い。
「どれ。涼のとこ行くぞ」
病室には、一足先に謙人が来ていた。
「おう。お疲れ~」
赤毛のストレートヘアは肩先まであり、人好きのする、やや垂れ目がちの好青年風の謙人が、手をひらひらさせて、三人に笑いかける。
「おっつー。涼、来たぞぉ。美空も一緒だ、嬉しかろう」
「気が利くなあ。ヤローばかりじゃ心が萎えるとこだった」
カスカスの声で、目いっぱい明るく振舞う涼。
リクライニングに背を預けて、病院衣に身を包んではいるものの、精悍な面立ちは、同性でもカッコイイと思わざる得ない。そこに笑いジワが刻まれると、つい気を許してしまうのだ。
A・Dのツートップは、自他ともに認める “人たらし” だった。
「で、おまえら全員手ぶらか?」
わざとらしく手荷物チェックをして見せる涼は、いたずらっ子のように目を輝かせる。
「俺、美空連れてきたじゃん」
「随分安上がりだな」
「失敬な。斉木家の宝だぞっ」
「じゃ、置いてってくれんのか?」
「いや無理」
大真面目にいう晴日に、涼の空元気の笑い声が切ない。
晴日に「バッカじゃないの」と悪態をつきながら、美空はカバンから封筒を取り出し、涼に手渡した。
「リクエストの最後のライヴ写真だよ」
他にも楽屋での光景、帰り道の光景を写真に収めていた。
美空は、晴日が加入して間もなくから、こうして素のA・Dを写真に収める記録係を担っていて、最近では、CDのジャケットも撮らせて貰えるようになった。
「いい男に見えるように、ちょっと修正入れといたから」
「何だとお? お姫、ここにお座り」
自分の隣をパンパンと叩くと、美空も素直に腰掛けながら、
「ははは。嘘だよ。涼ちゃんは素でカッコいいよ」
「素直でよろしい」
と彼女の頭をワシャワシャ掻き混ぜた。
美空は、「もおっ」と膨れながら乱れた髪を直すが、瞳は微かに揺れている。
「これ。姉貴からお守り預かって来た。あとこっちは俺から」
竜助が、神社の白い小袋と本屋の買い物袋を差し出すと、涼は「サンキュ」と受け取った。
「ナオさんの結婚式で歌う約束、守れなくてゴメンて伝えてくれるか?」
「伝えるけど、気にしなくていいよ」
「……ん」
涼が寂しげに微笑む。
如美なおみの結婚が決まった頃から、何度も念押しされていたのに、土壇場で約束を反古にするなんて、想像していなかった。
もう歌うどころか、会話することも適わなくなる現実を前に、らしくもない弱音が漏れた。
「歌いてぇ」
気休めにしかならない言葉は言いたくなかった。
涼もそんな陳腐な言葉なんか望んじゃいない。
死ぬまで歌い続けると言い切って、最初は手術を拒んでいた。
涼にとって、歌えないのは、死ぬより辛い選択だったから。
思い直させたのは、涼の三歳上の恋人。
病気が発覚し、それでも我を通そうとした涼は、二年付き合った恋人に別れを切り出した。しかし彼女はとんでもない隠し球を持っていた。
二人共まだ若く、涼に至っては、十八歳になったもののまだ学生で、メジャーデビューの話も持ち上がっていた矢先だったから、彼女は告白するのを躊躇っていた。
しかし状況は変わった。
生きていて欲しい、自分と新しく生まれてくる生命のために、何もせずにこのまま死なせてなんかやらないと、体を張って泣いた恋人。
二人は入籍し、恋人は涼の実家で暮らしている。
ここで待っているから生きて帰って来い、と言う彼女の意思表示。
女ってつえーよな、くしゃくしゃの顔して泣いた涼。
この選択に、後悔はしてない。
それでもやっぱり、寂しさと辛さは隠せない。
謙人が涼の肩を抱く。
塞き止めていたものが決壊したような嗚咽が、病室に溢れた。
三週目水曜日の放課後。
晴日は竜助を伴って、一年の美空のクラスにやって来た。これから涼の見舞いに行くためだ。
「美空!」
教室の前側の入口から、晴日と竜助がひょっこり顔をのぞかせる。
派手な男子の登場に一同視線を注いだ。
女子の黄色い悲鳴にも似た声に、晴日は手を振って応えるが、竜助は仏頂面で腕を組んだまま突っ立っている。仏頂面だが、怒ってるのでも機嫌が悪いのでもない。
二人はこの学校でも有名人だった。
クォーターで先祖返りした風貌の晴日と、涼やかな面立ちとオレンジ色にカラーリングされた髪の竜助のコンビは、本当に公立高校の生徒で良いのかという疑問を持たせるが、校風がゆるい上に、どちらも学年五位以内の成績をキープしているため、教師たちも黙認している。
そして何と言っても、Angel Dust、通称A・Dのギターとドラムの二人だ。この高校でも彼らのファンは多い。
名指しされた美空はそそくさと帰り支度を始めるが、二人の訪問の理由を知りたい女子が彼女を囲み始めた。
その光景を、と言うよりも晴日の登場に、快く思わない視線がひとつ。
昨夜、美空と一緒だった男の登場で、珍しく人前で不快を表した十玖に、目敏い晴日が気が付いた。
つかつかと近付く晴日。それを見上げる十玖。
「なに睨んでるんだよ」
「別に。うるさいと思っただけですけど」
即答した十玖にクラスがどよめいた。
ワンフレーズ以上の返答を聞いたのは、一ヶ月経って初めてだから無理もない。しかも即答で。
美空も唖然としていた。
教室では、たとえ幼馴染みが相手でも最低限の会話が常だ。ましてや面識など殆どない筈の相手にワンフーズ以上の返答をするなんて、青天の霹靂と言わんばかりの驚きである。
「あんた熱あるんじゃない!?」
中でも一番驚いているのは、苑子だ。
本気で心配して、額に手を伸ばした苑子の手をやんわりと退ける。その間も晴日と十玖の視線は絡み合ったままだ。
美空は昨夜の十玖を思い出し、気のせいじゃなかった事を確信した。
(やっぱお兄ちゃん恨み買ってるんだ)
でなきゃ十玖のこの反応の説明がつかない。
(何やらかしたのよ馬鹿)
心中で毒づきながら美空は立ち上がった。
これ以上、十玖に絡んで厄介なことになる前に、退散したほうが良い。
美空は自分が原因だとは知る由もない。なにせ当の十玖が、ムカつく理由を知らないのだから。
「お兄ちゃん! 帰ろっ」
十玖は足取り荒く竜助の元へと歩く美空を一瞥し、晴日に目をくれる。
「お兄さん……?」
あれ? と言わんばかりの拍子抜けした顔に、動物的カンの良さで晴日はニヤリと笑う。すっと身を屈めて、十玖に耳打ちした。
「美空に惚れてんの?」
一瞬、何を言われたのか理解できず、マジマジと晴日に見入り、数秒遅れて真っ赤な顔をした十玖が椅子から転げ落ちそうになる。それを晴日が胸ぐらを掴んで阻止したが、さらに追い打ちをかけた。
「お前にはやんねぇよ」
鼻で笑って手を放した晴日は、「お騒がせ~」と周囲に愛想を振りまきながら、これみよがしに美空と肩を組み、十玖に一瞥をくれて教室を出て行った。それを茫然と見送る十玖。
(……そっか)
腑に落ちた。
きっとあの時に堕ちていた。
初めて出会ったあの日。気になるのは、後ろめたさのせいじゃなかった。
「そうなんだ」
言うともなしに呟いた口を覆った。
牽制されてようやくこれがそうなんだと知った。
らしくもなく狼狽してしまった十玖に、嘲笑をくれた晴日。
まだ真っ赤な顔をした幼馴染みに、苑子は眉をひそめた。
「何がそうなんだか知らないけど、今日はもお帰んな。部長には言っとくし」
あまりにいつもと違う十玖に、心配を通り越して怖さを感じ始めた苑子は、彼に荷物を手渡し、背中を押して追い立てる。そこにもうひとりの幼馴染みの太一が二人を呼びに来たが、「十玖は急病」と言いながら苑子は彼を引っ張って教室を出て行った。
取り残された十玖は、奇異なモノでも見るようなクラスメイトの注視に、何事もなかったようにポーカーフェイスを決め込んだが、心臓が意思とは関係なく早鐘を打っている。
気付いた、と言うより気付かされた。と同時に、難関が立ちはだかっている事に思い至り、一気に血の気が引く。
思い切り牽制された。そりゃそうだ。
しかも弱みを握られた感がある。
(ケンカ売ったよな……多分)
美空の兄に対して、意識せずに睨んでいたようだ。
昨夜も今日も、晴日にどうしようもないくらいムカついた。
(お兄さんとかって、そんなのアリかよぉ)
幸先悪い晴日との出会いはダメージ大。
気付いたから即美空に告白、なんてそんな大それた事スキルが高すぎて絶対無理だし、美空には嫌われている。更に晴日に牽制されたら、救いようがない。
後日、それは現実味を帯びていく。
帰宅する生徒たちで賑わうバスの中、座らせた美空にカバンを預け、脇に立つ晴日と竜助の姿があった。
涼の入院する病院までバスで十五分強。交通状況によってはそれ以上かかるかも知れない。
晴日は、先ほどの小憎らしい後輩を思い出し、眉をひそめた。それを傍から見ている竜助は、毎度のことに苦笑する。
「美空。さっきの何て奴?」
さっきまでブスくれた顔をしていた晴日の唐突な問いかけに、美空はポカンと間抜けた顔で応える。
「睨んできた奴」
「ああ……三嶋? 三嶋十玖」
「どんな奴?」
「どんな奴って……無表情。無口。協調性なし。そのくせ女子には人気あるけど、何考えてるか分かんないからあたしは苦手」
これまでの十玖の視線を思い出し、美空はムッとする。
「あいつが無表情? いい面構えしてたけどな。ケンカ上等みたいな」
「そんな気概のある奴とは思えないけど。デカイだけで、ケンカ弱そうじゃない?」
「いや。結構、胆座ってる。胸ぐら掴んだ時、眉一つ動かさなかったし、鍛えてるぞアイツ」
掴んだ瞬間の手に伝わってきた筋肉の質感。
本能に囁きかけてくるような高揚感。
「ああ。昨夜走ってたの三嶋だよ」
そう言えばと言った体で美空。
「あれがアイツか。フットワーク良かったよな」
「なんだ晴。奴が気に入ったのか?」
晴日の食いつきぶりに、長年の友は察するものがあるのだろう。
竜助はニヤニヤと笑っている。それにニヤリと笑って応える晴日。
「まあ面白そうだとは思ってるよ」
「うっわ。嫌な性格だねえ。くうちゃん。コレさっさと片付けないと、一生独身だよ」
竜助の含みのある言葉に気付きもせず、美空はケラケラ笑って、
「そん時は竜ちゃん貰ってよ」
「それって俺が結婚出来ないって前提じゃね?」
傷つくわあ、と言って胸を押さえる竜助の腕に、眉間にシワを寄せた晴日が体当たりをする。
「音楽バカの竜にうちの大事な妹はやらん!」
「お前が言うな。音楽バカはお互い様だ。このシスコンが」
「シスコン上等。美空は可愛いだろ」
「くうちゃんは可愛いけど、お前はおかしい」
「どこがだ」
「ちょ、ちょっと二人共。恥ずかしいんだけどっ」
話がだんだん変な方向にズレ始め、聞き耳をたてていた乗客たちがクスクス笑ってる。中にはスマホでこの掛け合いを録画している女子もいた。
ほっといたら、SNSにまたしょうもない画像映像がアップされるのだろう。それを見越した晴日が、撮ってる女子たちに手を振りながら愛想を振りまく。
「制服で学校バレるからアップしないで、個人で楽しんでくれな」
撮るなとも消せとも言わない。
事務所が絡むとめんどくさい事になるのだけれど、仮にアップされてもスキャンダルにならない様に、これでも気を付けているのだ。
「お兄さんたち有名人なの?」
唐突に、美空の後ろに座っていた初老の女性が尋ねてきた。三人を見回しながら怪訝な顔をしてる。
A・D営業担当の晴日がにっこりと笑って答えた。
「これでもミュージシャンなんですよ。たまにテレビも出てますけど、深夜枠なんで、聴いてもらえる機会があったら嬉しいんですけど」
「あらま、そうなの。ごめんなさいね。あ、あの。孫が知ってるかも知れないので、一緒に写真撮って貰って良いかしら? 」
「ははは。いいですよ」
女性が差し出したガラケーを美空が受け取り、女性の脇に晴日、後ろに竜助が立つとシャッターを切った。
派手だが、イケメン二人に挟まれて映るご婦人の顔はご満悦だ。
当然、自分たちもと周りが騒ぎ始めたが、病院前に付くところだったので、丁重に断った。
降り際、女性を振り返り、「お孫さんにヨロシク」と手を振って、三人はバスを降りた。
バスが出るのを見送って、晴日は大仰に溜息をつく。
「お疲れ」
二人の苦笑混じりの慰労の言葉に小さく頷いた。
晴日は丁寧なものいいが苦手だ。普段、べらんめえだから精神的に疲労困憊する。
が、復活はすこぶる早い。
「どれ。涼のとこ行くぞ」
病室には、一足先に謙人が来ていた。
「おう。お疲れ~」
赤毛のストレートヘアは肩先まであり、人好きのする、やや垂れ目がちの好青年風の謙人が、手をひらひらさせて、三人に笑いかける。
「おっつー。涼、来たぞぉ。美空も一緒だ、嬉しかろう」
「気が利くなあ。ヤローばかりじゃ心が萎えるとこだった」
カスカスの声で、目いっぱい明るく振舞う涼。
リクライニングに背を預けて、病院衣に身を包んではいるものの、精悍な面立ちは、同性でもカッコイイと思わざる得ない。そこに笑いジワが刻まれると、つい気を許してしまうのだ。
A・Dのツートップは、自他ともに認める “人たらし” だった。
「で、おまえら全員手ぶらか?」
わざとらしく手荷物チェックをして見せる涼は、いたずらっ子のように目を輝かせる。
「俺、美空連れてきたじゃん」
「随分安上がりだな」
「失敬な。斉木家の宝だぞっ」
「じゃ、置いてってくれんのか?」
「いや無理」
大真面目にいう晴日に、涼の空元気の笑い声が切ない。
晴日に「バッカじゃないの」と悪態をつきながら、美空はカバンから封筒を取り出し、涼に手渡した。
「リクエストの最後のライヴ写真だよ」
他にも楽屋での光景、帰り道の光景を写真に収めていた。
美空は、晴日が加入して間もなくから、こうして素のA・Dを写真に収める記録係を担っていて、最近では、CDのジャケットも撮らせて貰えるようになった。
「いい男に見えるように、ちょっと修正入れといたから」
「何だとお? お姫、ここにお座り」
自分の隣をパンパンと叩くと、美空も素直に腰掛けながら、
「ははは。嘘だよ。涼ちゃんは素でカッコいいよ」
「素直でよろしい」
と彼女の頭をワシャワシャ掻き混ぜた。
美空は、「もおっ」と膨れながら乱れた髪を直すが、瞳は微かに揺れている。
「これ。姉貴からお守り預かって来た。あとこっちは俺から」
竜助が、神社の白い小袋と本屋の買い物袋を差し出すと、涼は「サンキュ」と受け取った。
「ナオさんの結婚式で歌う約束、守れなくてゴメンて伝えてくれるか?」
「伝えるけど、気にしなくていいよ」
「……ん」
涼が寂しげに微笑む。
如美なおみの結婚が決まった頃から、何度も念押しされていたのに、土壇場で約束を反古にするなんて、想像していなかった。
もう歌うどころか、会話することも適わなくなる現実を前に、らしくもない弱音が漏れた。
「歌いてぇ」
気休めにしかならない言葉は言いたくなかった。
涼もそんな陳腐な言葉なんか望んじゃいない。
死ぬまで歌い続けると言い切って、最初は手術を拒んでいた。
涼にとって、歌えないのは、死ぬより辛い選択だったから。
思い直させたのは、涼の三歳上の恋人。
病気が発覚し、それでも我を通そうとした涼は、二年付き合った恋人に別れを切り出した。しかし彼女はとんでもない隠し球を持っていた。
二人共まだ若く、涼に至っては、十八歳になったもののまだ学生で、メジャーデビューの話も持ち上がっていた矢先だったから、彼女は告白するのを躊躇っていた。
しかし状況は変わった。
生きていて欲しい、自分と新しく生まれてくる生命のために、何もせずにこのまま死なせてなんかやらないと、体を張って泣いた恋人。
二人は入籍し、恋人は涼の実家で暮らしている。
ここで待っているから生きて帰って来い、と言う彼女の意思表示。
女ってつえーよな、くしゃくしゃの顔して泣いた涼。
この選択に、後悔はしてない。
それでもやっぱり、寂しさと辛さは隠せない。
謙人が涼の肩を抱く。
塞き止めていたものが決壊したような嗚咽が、病室に溢れた。
0
お気に入りに追加
162
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。
猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。
『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』
一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる