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20 . Prisoner

Prisoner ⑪

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 朝から精神的にヤッツケられた十玖は、美空と合流するや開口一番で「臭くない?」と真剣に訊いた。
 長時間嗅いだ生臭さで鼻が馬鹿になっているのか、身体に臭いがまだこびり付いている気がして、怖くて朝一ハグしたいのにハグ出来ず、美空の前で十玖がウロウロする。太一がやれやれとばかりに頭を振った。

「だから何度も臭くないって言ってるだろ」

 呆れた口調の太一を睨み、「美空に訊いてんの!」と今度は潤んだ目で彼女を見る。何事か解らないまま美空は十玖に鼻を近付け、すんすんと臭いを嗅いで「いい匂い」と嬉しそうに抱きついた。
 やっと安心して「良かったあ」と抱きしめ返し、彼女の髪に鼻を擦り付けて、嗅覚の確認をしてみる。美空のいい香りはするものの、まだ少し鼻の奥が変な感じだ。
 天駆の言葉ではないけど、なまじ鼻が良過ぎるのも考え物かも知れない。勿論、利点も多いけれど、これを人前で言ったら美空を本気で怒らせるので、口が裂けても言わないが。
 十玖の腕から抜け出た美空が、怪訝な目で見上げる。  

「いつもの十玖の匂いしかしないけど、どうかした?」
「それがさ」

 駅に向かって歩き出し、十玖は朝から三嶋家を襲った嫌がらせを美空に話すと、彼女の眉がふにゃりと悲し気に寄せられた。

「最近、この辺の治安良くないよね」
「萌の件もあったしねぇ。公園に出てたってゆー露出狂も、結局まだ捕まってないでしょ。親が警戒しちゃって、もお大変よ。警察もキビキビ働けーっての」

 忌々しげに苑子が言い、太一が「本当にね」としみじみ呟いた。
 捕まらないせいで、最近女子会に不義理の限りを尽くしている苑子は、飽和状態のストレスを抱え、そして江東、橘の両親から送迎を命じられている太一は、苑子の鬱憤晴らしに利用される被害者だ。彼女を守っての仕打ちだから、八つ当たりしたいのは太一の方だろうに。
 それでも太一は、十玖と違って、無駄な足掻きは決してしない。
 太一曰く『十玖と違って体力に限りが有るからね』だそうだ。

 学校に着くまでの間、苑子は延々と心配症の母親の愚痴を語って聞かせる。三人は苦笑を浮かべて相槌を打つのにも、そろそろ……大分疲れた。表情筋が硬直しておかしくなりそうだ。
 教室に向かう廊下で、苑子の話が途絶えた隙に、美空が愚痴からの方向転換を図る。

「女の子のいる家庭は、どこも神経質になってると思うよ。幸いあたしには、びったりくっ付いてる番犬が二人いるから、そこまで煩くはないと思うけど」
「番犬? 番犬……ん。番犬ね」

 太一が十玖の顔をじっと見、言葉に含みを持たせて呟く。

「なに。太一」
「太一。はっきり言っちゃいなさいよ。狂犬の間違いだろッて」
「狂犬、ってそんな感じ? 僕」
「じゃなかったら、晴さんと二人で地獄の門番? 美空ちゃんに近付く男には容赦しない感じが」
「そんなの、美空には必要ないでしょ。ねえ?」

 同意を求められて「そうね」と可愛く微笑む美空をギュッと抱きしめて、彼女の髪に頬擦りする十玖を放置し、苑子と太一がスタスタ歩いて行く。
 周囲の目を恥ずかしがる美空に怒られて、「今更」とボヤいたら睨まれたので、不承不承手を離した十玖は、軽く頬を膨らませて隣を歩く彼女に小さく笑いを漏らした。
 どんな美空も可愛くて、人目に触れないように閉じ込めてしまいたい。
 そして今一番目に触れさせたくない不安材料が脳裏を掠め、意味不明な唸り声にも似た声が口を突いて出る。
 美空が少し怯えたような目で十玖を見たのは、知らない振りをした。



 藤田の姿をBEAT BEAST以外のライヴ会場でも、見掛けることが増えた。
 大概、彼が知り合いだと言った男も一緒だったが、気を付けて見ていると、どうも様子が変なことに気付く。知り合いの男は、藤田を邪険にしているようなのだ。
 気にも留めていないような藤田の笑顔も、微かな違和感がある。
 二人を窺っていると、モヤモヤとした言葉にできないものが胸に広がり、息苦しさを感じる美空は、その度に額に浮いた厭な汗を拭く。

 それとほぼ同じ頃から、気味の悪いことが増えだした。
 最初は匿名で、美空の写真のファンのメッセージと一緒に、プリザーブドフラワーが事務所に届いた。
 枯れることのない可愛い花のプレゼントに初めこそは喜んだ美空も、日を開けず自宅にまで届くようになると次第に怖くなり、部屋に飾っていた花を全て処分し、SNSのコメントも削除した。
 自宅がバレている。
 可愛いのに勿体ないなんて、考えている余裕すらなくなっていた。
 美空宛で届く物に、晴日や十玖の検閲が入るようになり、ダイレクトに彼女を悩ませるものは排除されていくのに、じわじわと恐怖が浸食していく。
 相手が判らない恐怖は、二度目だ。
 前回は美空を排除しようとするもので危うく死に掛けたけど、今度は彼女を取り込もうとしているようだ。

 行動を監視されている。
 確信したのは、十玖が美空の部屋に来てその日にあった出来事を、事細かく手紙にして送られて来たからだ。
 十玖も晴日も初めはその手紙を見せたがらなかった。
 内容を知らないまま、自分を無視する行為は許せないと言った彼女に、二人はかなり迷った末、盗聴もしくは盗撮されているかも知れないと白状した。

 十玖との秘め事が赤裸々な文字となり、美空を哀れみ、十玖を呪う言葉の数々。
 二人の交わりを知られた恥ずかしさよりも、ひたすら怖かった。
 自分は正体を現さない癖に監視することを正当化し、愛の言葉を書き連ね、美空を凌辱する十玖には天罰が下ると、彼に何かを仕掛けて来ることを示唆する。
 頭がおかしくなりそうだ。

 いっそのこと藤田を問い詰めてやりたい。
 けれど確たる証拠もないのに、詰め寄るのは早計だって事も解っている。
 店頭に立つ彼は、爽やかな好青年にしか見えないのに。
 人は見た目じゃないだろ、晴日ならそう言う。

 美空が買ったもの以外で、最近手に入れたものを全て集め、十玖と晴日がバラバラにしていくと、ファンから十玖経由で貰った物から隠しカメラを発見した。
 一見なんの変哲もない一対の兎のぬいぐるみ。
 タキシードとウェディングドレスを纏い、如何にも女の子が好きそうな格好をしている。十玖から美空に渡されるであろう事を想定してだろう。
 ご丁寧にも、二体とも片目に緻密な細工がしてあり、三人は戦慄し、身を震わせた。

 これまでにも何度か過激なプレゼントはあったけど、笑って済ませられる物ばかりだった。そこまで常識外れのファンがいないのはA・Dにとって自慢だったし、誰かを害そうとする目的の物は一度足りとなかったのに。
 全員の心に不信感と言う名の重たい澱を生む。
 信じたいのに信じられないもどかしさ。
 色んな人間がいる。
 頭では解っているのに、これからももっと、こういう事が増えるかも知れないと、突き付けられた現実は、酷く切ない。
 そして一つの結論に辿り着く。
 .ISM全体が厳戒態勢となり、付け入る隙を与えないよう、謙人から戒厳令が発せられた。



 美空は慎太郎のアシスタントを休むことになり、ライヴでも表には出ないよう謙人から釘を刺された。彼女はそれに不満の声を上げ掛けたが、現状を把握できないような愚か者ではない。
 不満を不満だと一通り声にしないと、腹が立って仕方なかったのだ。そこは謙人も解ってくれていて、妹を宥めるお兄ちゃん顔で頭をよしよしされた。

 ファンから貰った物は全て、渡来系列のセキュリティーチームが検査し、そこをクリアした物のみA・Dの手元に届くことになった。
 ネットも二十四時間体制でチェックしている。
 新事務所設立早々の不祥事では、天下の渡来グループも困るだろう。
 悉く水際ブロックされた、束の間の平穏。

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