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20 . Prisoner

Prisoner ⑧

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 善は急げとばかりに美空を自宅に送り届けると、晴日は妹に文句を言われつつ、三嶋家にやって来た。
 晴日が言う『来た道戻って萌の所に行くなら、十玖のとこで寝起きした方がロスないだろ?』は詭弁だ。
 一人では朝起きられないから、十玖の部屋で寝る、が正解である。それも少しでも長くギリギリまで。
 本来なら、萌の為に苦手な早起きをしようとする晴日に好感を持てる所だが、それは自分に被害が及ばなければ、の話だ。

 ツアー中でもないのに何の因果でと、より気分が重くなると分かっているのに、どうしても考えてしまう。そしてその度に目頭が熱くなり、くっと抑えること数回。
 晴日も朝起きられないのだから、さっさと寝てくれたら良いものを、布団に潜り込んで鼻歌を歌いながら楽譜を起こしていた。
 ツアー中によく見る光景。

 何度も早く寝るようにお願いしたが、聞き入れて貰えることはなく、忍耐を養う修練のような朝が始まった。
 それでも十玖たちを待っている間に襲われたらどうするのかと、萌の名前を出せば、晴日なりに頑張って起き出し、半ば十玖に引きずられるように走り出す。
 初日はコースの下見だった。
 萌から少し離れて後方を二人で走り、十玖の案内で変質者が隠れそうな場所や、逃走ルートになりそうな所に目星を付けて走って行く。
 萌には事前に話してある。少々不安な表情を見せたが、晴日も加わって直ぐにいつもの彼女に戻った。

 数日それで走ってみたが、姿を現す様子はなく、さらに数日が経過した。

「諦めたかな?」

 自宅マンションに帰り着いて、十玖と晴日の顔を見ながら萌が言った。

「まだ油断は出来ないよ? ああいう輩はしつこいから」

 自身もまた、子供の頃その手の輩に好まれていた十玖が、思い出してムスッとする。

「とーくちゃん、よく連れ去られそうになってたもんね。変態のおじさんに」
「最後いらない情報だよね?」

 晴日が顔を背けて笑いを堪えているのを見、更にはクスクス笑う萌に十玖が一層の渋面になる。

「ちっちゃい頃は、とーくちゃんともっと似てたのに、みんな萌じゃなくてとーくちゃんを攫おうとするんだも、そーゆーの引き付ける何かあるんだよ」

 そんな手合いの人間を引き付けたって有難くもない。
 十玖は溜息を吐き、楽しそうな萌を諦め混じりの目で見た。

「けどいま狙われてるのは萌だよ? わかってる?」

 暢気な従妹の両頬をむにっと抓むと、「はるひゃ~ん」と助けを求める。が、晴日も彼女の頭の上に肘をついて、「もっと危機感持てよ」とグリグリするばかりで、萌の味方はしない。

「いひゃいいひゃいッ!」

 二人の手を払い除け、涙目になっている萌にも動じないくらい、連日の早起きで、晴日のストレスも溜まっている。
 清々しい朝の気分も粉砕してくれるほど、朝起こした時の晴日の顔が日に日に険悪になっていくせいで、これはもう、十玖の精神衛生上にも極めて宜しくないと思うこと頻りだ。
 そこで十玖はあるアイテムを提案し、昨日晴日に付き合って購入してきた。

「晴さん。例の物持って来てますよね?」
「あ、あるある」

 晴日はジャージのズボンのポケットを探り、指先に引っかけるように取り出す。子犬のような目を向ける萌に苦笑しつつ、彼女の左手を取った。萌はきょとんと視線を落とす。

「……時計?」

 萌の手首に納まったラベンダー色の細身のシンプルな時計。

「スマートウォッチだよ。通話はもちろん運動データの記録も出来るらしい。何よりGPSが付いてるから、走る時は必ず着けろな」

 継いで説明書も彼女に手渡した。

「十玖もこんな便利なものがあるって、さっさと教えてくれたらいいのによぉ。自分は使ってる癖に」

 そう言って、晴日は十玖の左手首を厭味ったらしく眺める。
 晴日が萌にあげた時計よりも、もっとゴツくて重たい物だが。

「だってタダじゃないですし、いくら萌の為だと言っても、それを晴さんに強請るのもどうかと思うじゃないですか。かと言って僕が萌にあげて、方々に要らぬ誤解を招きたくないし。けど、こうも姿を現してくれないと、先に僕が心を病みそうなんで」

 最後は無表情で晴日を凝視すると、言わんとしていることを察してくれたようだ。晴日は「すまん」と顔の前で合掌した。
 十玖はひらひらと手を振り、再び萌に目を戻す。

「いいかい、萌。明日から晴さんと僕は、誘き出すのに萌から距離を取って行動する。GPSで確認しながら後を追うけど、通話メール機能も付いてるから、もし身の危険を感じたら直ぐに連絡するんだよ?」
「わかった」

 大きく頷き、萌は左の手首に嵌められた時計に目を遣る。それを右手で覆い隠すように手首を掴み、「信じてるからね?」と少し怯えた目で二人を見上げ、不安の滲んだ笑みを浮かべた。



 萌を狙っている変質者が捕まってないせいで、美空は著しくご機嫌斜めだ。
 自力で起きられない兄が、こんなに憎たらしく思えるなんて。
 これまでも晴日にはイラっとさせられたことは屡々あったけど、何が一番腹立つかって、晴日が十玖の部屋に泊まり込んでいるせいで、デートしても早々に解散する羽目になっている。だけに止まらず、定時の電話も晴日の声が邪魔で、耳元に優しく語り掛けてくる十玖の甘いテノールを堪能できないのに、尚更納得できるわけがない。
 これは十玖の夜を独占している晴日に対しての嫉妬だ。欲求不満も多分にある。
 もちろん萌のことは心配だし、妙なことに巻き込まれたら大変だって思っている。しかし、それで何故、自分と十玖が割り食わなければならないのか。

(自分の彼女のことくらい、自力で何とかしなさいよッ! あーっ! ホントに腹立つ。バカ晴日!!)

 兄が十玖の所に寝泊まりしだして、十日が経過している。
 警戒しているのか、諦めたのか。
 いい加減、決着をつけてくれないと、十玖を襲ってしまいそうな心理状態が怖い。
 十玖は大いに喜ぶだろうけど。

(こっちから襲ったら、『煽ったの美空でしょ?』って降参しても認めてくれないからぁ。次の日、ガタガタは困るのよぉ)

 そうは思いつつ、脳裏に甦る色気ダダ漏れの淫靡な十玖の顔と、優しく蕩かす愛撫。
 美空は腰の辺りに騒めきを感じて身悶えた。

(……あたし、マジでヤバいかも。十玖襲う。今なら間違いなく襲い掛かる。後で足腰立たなくなって後悔するって分かってても、襲う!)

 何でこんな事を自信持って言えるのか、身体ばかりではなく心まで切ない。
 美空は大きな溜息を吐き、キッと宙を睨むと、顔も知らない変質者に向かって怒りを篭めた拳と蹴りを何度も振るうのだった。

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