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20 . Prisoner
Prisoner ⑥
しおりを挟む某SNSで “トークは実はヘタレ” という情報が流れだした。
久しぶりのBEAT BEASTでのライヴで、本人はもちろんA・Dの誰もがネタにして笑いを誘っているが、美空だけが不機嫌な顔をしている。
発信源は恐らく新入生の誰かだと思う。
校内で苑子にバシバシ叩かれ、有理に良いように遊ばれても、諦めた様相で受け流す十玖を見て、都合のいい妄想を膨らませていた誰かが、勝手に裏切られた感を感じて鬱憤を晴らしているんだろうとは思うけど、それにしたって腹が立つ。
十玖は『美空がちゃんと僕を解ってるなら、それで良いでしょ』と嬉しい発言をしてくれるけど、彼の側面しか見ない人が、知ったかぶって中傷めいたことを書き連ねるのは、やっぱり納得いかない。かと言ってみんながみんな十玖を褒めそやすと、横から浚われそうでまたそれも面白くないのだ。
とかく乙女心は複雑である。
スタッフのネームを首からぶら下げ、仏頂面で写真を撮る美空の前方で、同じようにスタッフのネームを付けた双子と萌が、キャーキャーと半狂乱でのめり込んでいる。美空はクスッと笑って三人の姿をカメラに収め、ステージに向けたファインダーを覗き込む。
連写されるカメラの向こうに、何か違和感を感じた。
美空はカメラを下げ、目視でステージ周辺を確認するも、特に変わった所は見当たらない。彼女が立っている場所は、カメラマン専用のお立ち台になっている。薄暗くても撮影を妨げるものは視界に入りづらいため、見晴らしも良い。
(気のせい…だったのかな……?)
腕を振り上げてノっているお客たち。その中に不審なものは見当たらない。
(何が、引っかかってるんだろう?)
モヤモヤとしたものが胸に広がり、思考を浸食されそうになって、美空は頭を振る。変わった所はないのだと頭を切り替えつつ、言葉に出来ない不安に蓋をして、彼女は再びシャッターを切った。
ライヴが終わった控え室で、どうしても気になった美空は、ノートPCにカメラを接続すると、画像データのチェックを始めた。
しかしどんなに目を皿のようにして確認しても、不審なところは一切見つからず、やはり気のせいだったんだと結論に至ったのだが。
(何がこんなに気になるんだろう? 何回見たって、変な所なんてないのになぁ)
パソコン画面を見ながら唸る美空の隣に、着替えを終えた十玖が座って画面を覗き込む。
「先刻から写真がどうかした?」
ミネラルウォーターのキャップを捻り、微かに顔を曇らせる。
「撮影中に何かが気になったんだけど、何だか分からないの」
「なんだそりゃ」
「だよねぇ。何回見ても分かんないから、やっぱ錯覚だったのかも」
「ふ~ん?」
十玖も暫らくデータをチェックしたが、「何だろね?」と不審に思うものを見付けられなかったようだ。
目の良い十玖が見つけられないのだから、美空の目の錯覚なのだろう。
パソコンの電源を落とす美空の向かいの席で、晴日がニヤリと笑い、ガシッと萌の腰に腕を回す。
「人ならざるものを見てしまったとか?」
「は?」
「幽霊」
「やーッ! 晴さんやめてぇぇぇぇぇ!!」
周囲が度肝を抜かすような声を上げたのは、お化け屋敷も怖い萌だった。涙目になりながら、必死に晴日の腕から逃れようとする萌をガッチリとホールドし、
「楽しい気配に誘われて紛れ込んでも、暗いし判らないよなぁ」
「地下だし、気が篭るから集まって来やすいかもな。幽霊」
晴日の悪ノリに便乗した竜助も二ッと笑う。
「うわーん! 晴さんも竜さんも大っ嫌いだーッ!」
「あー…偶にゾワッて寒気するかも。偶にだけどね」
ニコニコ笑って十玖が言った。
控室がピタリと静まり返る。
視線が十玖に注がれ、彼が「あれ?」と首を傾げた途端、「バカヤローッ! ガチでくんな!!」と野太い怒声が上がった。
萌は遠い目をして、今にも意識を手放しそうになっている。
幸か不幸か、十玖と付き合っているとそんな事が多々あり、元々あまり怖いと思っていない美空一人が、淡々と片付けしていると、十玖が「ダメだった?」と困った顔して訊いて来た。それに「平気でしょ」と苦笑で応える。
どちらかと言えば、美空は見えない幽霊よりも、笑顔の裏で平然と攻撃してくる人の方が怖い。こればかりは絶対に慣れないだろう。
(そう言う事に鈍感になるってのも、怖いわよね)
業界で生きていく上で、図太くなることは必要かもしれないけれど。
微妙に状況を理解していない双子が、目で筒井に説明を求めている。彼女がやれやれとばかりに十玖の人間離れしたエピソードを語って聞かせると、キラキラした眼差しで「すっごぉ」と食いついた。双子の感性はとても大らかだった。今のところ。
「ほらほら。引き上げの時間ッ!」
長くなりそうな雰囲気に、筒井の号令で話に終止符が打たれる。
帰り支度を急かされてバタバタし始まり、そんなこんなで、先程までの気になって仕方なかった違和感は、美空の頭の隅に追いやられて行った。
***
五月三週目の土曜日。
美空はいつも通りコンビニにお使いに来て、レジカウンターを見たままふと足を止めた。
良く顔を合わせる店員の姿が見えない。代わりに偶に見かける男性店員が、フライヤーの前に立って大量の揚げ物をしているところだった。
視線を辺りに巡らせると、女子高生のバイトが品出ししている。
休みかなとボンヤリ考えて、美空は冷蔵庫の扉を開けた。
特保のお茶を両手使いでカゴに入れている傍で、後ろから補充されていく。美空が冷蔵庫の奥を覗き込むと、向こうに見知った顔が見えた。
「いらっしゃいませ」
「ども。お休みじゃなかったんですね」
「居ましたねぇ」
そこで会話が途切れた。
会話しなければならないわけではないし、黙々とお茶をカゴに運んでいると、目端に人の姿が入り込む。空かさずカゴに菓子類が突っ込まれ、美空は眉を寄せて睨み上げた。
「何でいるのよ」
「暇だから十玖にくっついて来た」
そう言った晴日が、自分のコーラと十玖の炭酸水の一リットルを追加していく。
今日は十玖が専属モデルを務めるDUNEの撮影が入っていて、久し振りに昼間から一緒の土曜日だった。
終わった後どこまで付いてくる心算なのか、美空は重い溜息を吐きながら冷蔵庫に向き直ると、バックヤードからじっと見る視線と目が合った。
一々説明する事もないと思いつつ、妙な誤解をされて後から探られるのも面倒だと、何故だか自分に言い訳する。
「兄です」
冷蔵庫に向かってそんな事を言う妹を晴日が怪訝な顔で見、冷蔵庫の中を覗き込む。向こうからこちらを伺っている店員に「ども。兄です」と軽く手を挙げ、すぐに不機嫌な顔で「行くぞ」と美空を押し退けて冷蔵庫を閉めた。
(こんな風に不機嫌なの、久々かも)
十玖と付き合うようになるまで、晴日はよくこうして近付く男を牽制していたな、とちょっと懐かしくなる。
ムスッとしたままコンビニを出ると、やっと晴日が口を開いた。
「浮気かぁ?」
「お兄ちゃんじゃあるまいし」
すっぱっと切り返されて、晴日はぐっと言葉に詰まる。墓穴を掘ってバツが悪そうだ。
「あれはッ……死ぬほど後悔したっての。ホント女連中いつまでもぐちぐちと」
「当たり前でしょ。いくら未遂だったとは言え、裏切り行為を一度は見逃してくれたんだから、死ぬまで言われて当然だよ。萌ちゃんが好きなら精進してね。お兄ちゃん」
「分かってるって」
ぶすっくれた顔をプイッと背け、ズカズカ前を行く晴日の背中に苦笑する。
晴日が唐突に振り返り、美空はきょとんと目を瞬いた。
「あいつ。先刻の店員、美空のこと好きなんじゃね?」
「何を言い出すかと思ったら」
「ちょっと戻って釘刺し「待った待った!」
喰い気味に言葉を遮り、殴りに行きそうな晴日の腕にしがみつく。
昔はいつもこんな調子で、男子から遠巻きにされたことは苦い記憶だ。美空の口元に引きつった笑いが、一瞬浮かんで消える。
でもだからこその出会いもあった。
「仮にそうだとしても、十玖以外に目をくれてる暇ないし」
「……そりゃそうだな」
束の間美空の顔を窺って、あっさり頷いた晴日は、先ほど同様唐突に踵を返してスタスタ歩き出す。
「十玖が害虫をぜってぇ許すはずないしな」
「はは……そうだね」
コンビニ店員を害虫呼ばわりすることに些か抵抗はあるが、反論したら今度こそ美空を振り切って殴りに行きそうだ。
疑わしい。それだけの理由で、殴られる方は堪ったものじゃない。
「お兄ちゃん。独立したばかりなんだから、行動を慎まないと。早々に問題なんて起こしたら、謙人さんに制裁加えられるよ?」
美空を凝視し、「それは非常にマズいな」と言って口元を押さえ、しばし黙り込む。それからすぐに美空に目線を合わせ、「内緒にしてくれな?」と情けないくらい媚を売った微笑みを浮かべた。
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